41-116「佐々木さんの週末」

「あぁ…すまない、キョン。今週は駄目なんだ」

佐々木は思いの外、意外と低い、しかしどこか凛とした響きのある声で
断りの言葉を俺の耳に届けてきた。
申し訳なさげな表情の中に嬉しさと残念がる気持ちが見え隠れしている、
というのは俺と佐々木のやり取りを電柱の陰からそっと覗いていた妹の言葉だ。
俺が佐々木と話をしている時は毛ほどもそんな事に気付くことはなかった。
しかし、誰だ?うちの妹に探偵か忍者のようなスパイ活動のスキルを教え込んだのは?
末恐ろしい我が妹も小学生ながら女特有の勘とでも言うべきか、
女同士だけにしか分からない、感じ取れない共通した何かがあるのだろうか?
ふと俺は佐々木が以前、俺に言った台詞を思い出していた。

「これでも僕も生物学的にはメスだからね。女として振る舞う事もあるのさ」

正直、俺は佐々木と会話を交わしている時にあまり女を強く感じる事はない。
佐々木自身がそう女を意識して接して欲しくないという態度で男と相対するという理由もあるが、
佐々木はあまり他人に気を遣われたくないのであろう。
だから男にも過度の緊張や遠慮を抱かせないよう振舞っている。
しかも「恋愛はただの精神病の一種」なんて冷めた台詞を
年頃の女にも関わらずサラッと吐けるようなドライな精神の持ち主だ。

「それは違うよ、キョン君。佐々木さんはね、人一倍臆病なだけなの」

我が妹ながら小学生の意見ってのは視点が違うからまるで意味が分からない。

しかし、今のままでは困る、非常に困る。
俺の今週末の予定がまるで地面にブラックホールが出来てしまったかのように
すっぽりと空いてしまった。
そう、佐々木に2週間後に控えた定期テストの要点だけでも
図書館あたりでみっちり叩き込まれ、教えてもらわないと
俺はそれこそ人生そのものがブラックホールへと落ち込んでいってしまいかねない。

「そうか…今週は佐々木にずっと一緒にいて欲しかったんだが…」
「えっ!?」
「ん?どうした?」
「いや、何でもない。こちらの勘違いだ。気にしないでくれたまえ」

佐々木はそう言うと俺から目を逸らし、顔を背け、黙り込んでしまった。
何故か佐々木の背中を見つめていると声を掛けづらい、なんとなく
掛けてはいけないような気になって珍しくお互い沈黙の静かな帰路になった。

「キョン君。佐々木のお姉ちゃん、お顔が赤くなってたね」

家に帰った後、妹にそう聞かされるまで俺はまるで気が付かなかった。
なるほど、今なら分かる。
よく周りから愚痴っぽい小言のように聞かされる言葉の意味がよく分かる。
俺はなんて鈍い、鈍感な男なんだろうかと。
こういうのを男として失格というのか?いや、人として失格なのかもしれない。
こんな簡単な、単純な事にさえ妹に言われるまで気が付かなかったのだから。
それまで全くとして自覚はなかったがふとした瞬間に目が覚めたような気持ちになる。
これが人間の成長、思春期の芽生え、青春の煌きというものなのだろうか?
こうやって人は一歩ずつ確実に大人になっていくのだろう。
そう、佐々木はきっと風邪を引いていて体調が悪かったんだ。
だから珍しく口数も少なく、顔も真っ赤になっていたのだろう。
佐々木もきっと今週末は家でゆっくり身体を休めたいのだろう。
やれやれ…俺って奴は全く…気の利かない鈍感な男だね。

家に帰ってベッドの上で寝転がっている俺のもとへ天使の顔をした悪魔の使い、
我が妹がデリカシーの欠片もなく飛び込んできた。
お兄様の部屋にノックも無しに飛び込んでくるとは
いつか兄妹二人に大きな禍根とトラウマを残す事になっちまうかもしれんぞ。
気を付けなさい!

「キョン君も罪な男だね」

したり顔の小学生とはこんなにも生意気に見えるものなのだろうか?
何が罪な男だ、からかうんじゃありません!
お兄様はこれからお勉強タイムなんだ!

「どうせすぐ寝ちゃうくせに…」

妹もとうとう反抗期か…生意気な…しかし、お陰で大切な事を思い出した。
今週末、佐々木に会えないのなら佐々木特製のテスト対策ノートを
コピーさせてもらえば良いじゃないか。

「はい、もしもし、佐々木です」
「おぅ、佐々木か?」

電話越しに聞く佐々木の女らしい、よそいきの声に
不覚ながらもドキッとしてしまった。
聞き慣れていないからだろう。

「やぁ、キョン。どうしたんだい?
こんな夜遅くに女の子の家に電話を掛けてくるなんて
君もなかなかに度胸があるね、くっくっくっ」
「あぁ、夜分遅くにすまんな、寝てたか?」
「いや、起きていたよ」
「明日なんだが今度の定期テストの為のノートを借りに行っても良いか?
コピーして対策だけでもしようかと思ってな」
「おや?キョンの割には随分と殊勝な心掛けではないかい?」
「大きなお世話だ」
「だが、すまない。明日は朝早くから出掛ける予定なんだ」

出掛ける?あぁ、そうか。
風邪を引いてるから病院に行くんだな。
さて、どうしようか…?

「今から取りに来るというのはどうだろう?
いや、もしキョンさえ良ければの提案なのだが…」
「別にそれは構わんが」
「あと、わざわざコピーを取らなくても僕のノートを貸してあげよう」
「良いのか?」
「僕はもう予習も復習も終わらせてしまっている。今更ノートは必要ないのさ」

自転車をこぐスピードが上がる。
今日の夜空は澄み渡っていて星が粉々が砕け散った宝石のように煌めいている。
こんな星空を見上げながら自転車をこいでいるとふと思う。
地球にだって人間がいるんだから現実としてどっかの星の一つや二つくらいに
宇宙人でもいたっておかしくないのかもしれない、そんな他愛のない空想を。
こんな星空を見上げながら自転車をこいでいるとふと思う。
ちゃんと前を見てないから電柱にぶつかったりするのだと。

佐々木の家に着くと何故かは分からないが妙にくすぐったい、
そして落ち着かない気分が駆け巡った。
夜の空気に無機質なインターフォンの音が鳴り響く。

「おや?キョン、なんだか随分と服が汚れているようだが…」
「あぁ、ここに来るのに少し急ぎ過ぎた。しかし佐々木、その格好は…」

俺は玄関のドアから出てきた佐々木の姿に驚きと戸惑いを禁じ得なかった。
何故、着物?

「ん?僕に和装は似合っていないかな…」
「いや、悪くはないが、なんでまた着物を?」
「あぁ、寸法を合わせていたのさ。僕も育ち盛りだからね。
ところではい、これ。君が所望していた僕のノートだ。
有効的に活用してくれたまえ」
「あぁ、サンキュー。風邪が治ったらまた一回ちゃんと講座を開いてくれ」
「風邪?」

佐々木は小動物が不思議なものを見つめている時のように
クリクリっと瞳を動かしていたかと思うと、急に噴き出した。

「くっくっくっ、僕は風邪なんて一切引いてはいないが
一体どこのどなたから仕入れた情報なのかな?」
「明日、病院に行くんじゃないのか?」
「くっくっくっ、訳が分からないよ、キョン。ちゃんと話を整理してくれたまえ」
「いや、だってうちの妹がな…」

佐々木は俺の話に頷きながら黙って聞いていたかと思うと
急に慌てふためきながら
『も、もうそれ以上は頼むから続けないでくれたまえ!!』と、
俺の話を遮ってきた。

「キョン、どうやら君の妹さんは油断ならない相手のようだ」

佐々木は真剣な顔で小さく呟いた。
うちの妹が?無邪気で悪戯好きのただの小学生だぞ。

「いや、その話はまぁ、どうでも良しとしようではないか?
キョン、僕が明日から出掛ける場所は病院ではないよ、神社さ」 神社?何故?

「明日は家族で滋賀県に出向く事になっているんだ」

滋賀県?突然出てきた思い掛けないキーワードに俺の頭はショートを起こしたようだ。
家族旅行か?なんでわざわざ期末テストの2週間前に?

「あぁ、どうやら言葉が足りなかったようだね。僕の説明不足だ。
えぇ~っと…どこから説明すれば良いのだろうか?」

佐々木は着物の襟をそっと直しながら首を捻って考え込んでいる。
和装に合うよう髪を上げている為、佐々木の白いうなじが妙に艶っぽい。

「まず佐々木という姓の由来なのだが…」

そこから俺は佐々木に実際の時間では約30分くらいだったのだろうか、
俺にとっては永遠に続くのではないかと思える時間ほど、
佐々木という姓の由来について
源頼朝がどうこう、佐々木源氏がうんたら、鎌倉幕府であれこれ、
という話を延々聞かされた。

「と、まぁ、佐々木という姓はこのような経緯で生まれたという説が有力なんだ」

へぇ…

「そして、少彦名命を主祭神として計四座五柱の神々を祀り、
『佐佐木大明神』と総称する。佐佐木源氏の氏神であり、
佐々木姓発祥地に鎮座するのが、近江の国、
つまり今の滋賀県にある『沙沙貴神社』なんだ」

はぁ…

「沙沙貴神社には年に一回、この時期に全国から佐々木さんが集まってくるんだ。
これは毎年恒例で我が家では欠かす事の出来ない行事なのさ。
だからすまない、今週末は君のテスト勉強に付き合う事は出来ないのさ。
実に残念だけどね」

いや、頑張って全国の佐々木さん達と盛り上がってきてくれ。

「でも、帰って来たらまた一緒に図書館へ行かないかい?
ちゃんとマンツーマンでみっちり指導するよ」
「それは助かる。是非頼む。礼はする」
「くっくっくっ、礼なんて要らないさ。かくいう君の頼みだ」
「サンキュー」

帰り道、ゆっくりと自転車をこぎながら少しばかり物思いに更けていた。
佐々木にそんな妙な家族イベントがあったとは、あいつの趣味はよう分からん。
あれ?佐々木は風邪でもなければ寝込んでる訳でもない。
元気そのものだった。独特ながらも妙にハイテンションだったし。
じゃあ、なんで佐々木の顔は真っ赤になってたんだ?

そんなに毎年恒例の神社参りが楽しみなのかね?

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最終更新:2009年02月08日 12:26
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