「す…すまん…」
「…いや、別に構いはしないさ。
こ、これはそう!じ、事故さ!不測の事態だったんだ。
うん、きっとこれは不可避な物理的現象だったのだと思うよ」
バス停でバスを待つ二人の間に気まずい沈黙が流れる。
あくまで「親友」としての付き合いだと意地を頑なに張り通してはいるが、
結局は男と女、きっかけとタイミングの問題であって決してお互いを
意識していない訳ではない。
ただ目を背けていただけでむしろお互いに好意的な印象さえ抱いている。
所詮、男と女の間で純粋な「友情」を育むのは難しい。
そう、それはほんのちょっとしたきっかけで…
佐々木はさっきから黙りこくっている。
俺は何を話せば良いか分からない。
いや、むしろ俺は黙っているべきなのだろうか?
いつもは饒舌なほど二人で様々な事を何の気兼ねも無しに喋り合っているのに
さっきまではそうだった、ほんの2、3分前までは。
それが今や、何を言おうとしても何をしても不自然な気がする。
自分が自分じゃないような、ふわふわと幽体離脱でもしているようなそんな感じ。
何が起きたのかと言うと━━━
キョンは口を閉ざして一切、目も合わせなくなった。
私も、あ、いや僕も何も言えなくなってしまった。
心臓が激しく鼓動を打ち、少し息苦しささえ感じる。
さっきまでの話の内容ももうどうでもよくなってしまった。
二人で何を話していたのかさえ今はもう思い出せない。
まさかこんな事が起きるなんて━━━
『おっぱい、鷲掴み!!!』
やっべぇ~…佐々木、完全に沈黙してるよ、シャットアウトだよ。
目も合わせてくれないよ。
これ、絶対に怒ってるって、絶対。
いや、泣きそうなのを我慢してるとか?
こりゃもう二度と口きいてくれなくなるかな。
どうしよう?やっちゃったよ、俺。
人生最大のピンチがなんでこんな所で来ちまうんだよ。
キョンの見掛けとは裏腹に意外と大きい掌の感触が私の左胸に残る。
わざとじゃないのは分かってる。
私がキョンの自転車の荷台から降りようとした時に
タイミング良く(悪く?)彼が振り返った。
その瞬間にたまたま私の胸にたまたまキョンの手が覆い被さっただけ。
それだけなのに私はもうキョンの顔さえまともに直視出来ない。
どうしよう…俺がきちんと佐々木に対してフォローすべきか?
いや、下手にフォローなんかしたら逆に墓穴掘っちまいそうだ。
もう墓穴でもいいから穴があったら入りたい…
男の人に触られてこんなに動揺するものなの?
全く分からない、人間の仕組みというものは本当にさっぱり分からない。
でも彼が気まずそうにしているのは分かる。
分かるけれども私もどう声を掛けていいのか分からない。
とにかく顔が熱い。
言っとくけどわざとじゃないからな、本当に事故だったんだ。
いや、今はそんな事どうでもいい。
一応、佐々木も女だし、そういう事は気にするに決まってる。
そりゃ佐々木だって傷つくよな?
いきなりそ、その、なんだ…男にお、お、おっぱ…
うわぁ~!!!
思い出すだけで体中が打ち震えてくる。
手に感触が…それも意外と柔らかかった…佐々木の柔らかいお、お、おっぱ…
あぁ~!!!もう何も考えるな、これ以上はもう何も考えるな。
禅の精神だ!!明鏡止水の心だ!!ブルースリーも言ってたじゃないか!?
『考えるな、感じろ』
感じろ?いや、感じるな、俺!!!何も感じるな!!!
何もなかったようにサラッと?
普段、自分の事を僕なんて呼んでるんだからそれくらい…
無理!!そんなの無理!!
それだとまるで「こんなの平気、慣れてるから」みたいな
頭のおかしい尻軽女じゃない!!
このままじゃ場合によっては俺はただの痴漢、変態、女の敵。
二度と明るい青春時代なんか送れるはずもなく、ただ冷たい視線に
晒されるだけの日々が待ち受けてるに違いない。
きちっと謝るべきなんだ。
あれは俺が悪い、100%俺が悪い。
しかし、何と言って謝れば良いんだ?もうすぐバスが来る時間だぞ。
もうすぐバスが来ちゃうよ。
何か話さないと、何でも良いから。
このまま帰ったら明日どんな顔して学校に行けば良いの?
どんな顔をしてキョンに会えば…
遠くの道から光が二人に向かって走ってくる。
こんな時に限ってバスのダイヤは順調に動いているようだ。
いつもは渋滞しているのか、大体遅刻してバスがやってくる気配もないくせに。
「佐々木!」
その時、ふいに彼は大きな深呼吸したかと思うと、
彼女の肩を掴んで真っ直ぐ彼女の眼を捉えた。
二人の顔は夜の風のせいか、気恥ずかしさからか、ほんのりと赤い。
「ごめん!!!また明日な」
そう言うと彼はは自転車に跨り、全速力で駆け去って行った。
翌日、俺は人生最速の早起きをした。
というのも昨夜はまるで寝付けなかったからだ。
ずっと目の前で佐々木の顔と感触が、あの感触が…ぐるぐると回っていた。
朝、当たり前だが誰より早く学校に辿り着いた。
まだ誰もいない校舎は静まり返っている。
教室で先に待機してこの緊張と佐々木と顔を合わせた時の
シミュレーションを繰り返しておかないと俺はいてもたってもいられない。
「やぁ、おはよう、キョン!」
一足遅かった…俺は二番乗りだったようだ。
何故、こんな日に限ってこんなに早いんだ?佐々木、まだ6時半だぞ。
「くっくっくっ、どうしたんだい?君がこんなに早起きするなんて
今日は天変地異でも起きるんじゃないかな?」
それも少し願った。佐々木こそ早過ぎるだろ。
「君がまた明日なんて言うからさ。
あまりにも楽しみで昨日の夜は寝付けなかったんだ。
今日はどんな趣向を用意してくれているのかとね、むっつりスケベのキョン君♪」
きっと今の俺の顔は真っ赤だろう、熱い。
でも、救われた気がする。
佐々木は昨日までと同じように今日も俺と接してくれていた。
「僕だって恥ずかしいんだからね…」
佐々木が何か呟いたようだったが気が動転してよく聞き取れなかった。