41-559「めいどきっさささき」

 校庭に足を踏み入れた瞬間から、一瞬で空気が普段と違うことに気づく。
太陽の塔の出来損ないみたいななにやら怪しいモニュメントが校庭の真ん中に立っているし、
視線をちょっと右に向ければ朝礼台のある辺りには机に布をかぶせた舞台とその前に並べられた椅子たち。
一日にしてよくぞまぁ、ここまで準備を整えたものだ。
「文化祭って感じがするなぁ」
 一人呟いて鞄を背負いなおす。
そう、これはわが中学校のん十回目の文化祭、その当日の朝なのだ。

「よう、キョン」
「おう、中河」
 下駄箱で顔を合わせた中河と軽く挨拶を交わす。
「昨日は大変だったな。普段使わない筋肉を使うから、変なとこが筋肉痛だ」
 中河が顔をしかめながら、ぐるぐると腕を回す。
「まぁな。でも、当日にやることはもうあんまないんだから、今は気楽なもんだぜ」
「お前はそうでも、俺は部活の方で忙しいんだよ。当日クラスの方が暇だからって、いいようにかり出されてるんだぜ、こっちは」
「そいつはご愁傷様だな。せいぜい勤労の歓びを満喫してくれ」
 俺の言葉に中河は心底うんざりしたような表情をわざとらしく作って、ため息をつく。
そして中河は「俺はちょっと部活の方先に顔出してくるから」と言って、廊下で分かれた。
忙しそうに走り去っていく中河の背中に向かって手を挙げると、手首の辺りが軋むように痛む。筋肉痛だ。
「やれやれ」
 廊下にべたべたと張られたポスターを眺めながら、教室へと向かって歩いていく。

 教室の扉を開けると、案の定てんてこ舞いの大騒ぎだった。
「お前ら最初はいやがってたくせに、いざとなるとやる気満々だな……」
 昨日とは全く見違える光景になってしまっている教室を見て、一人嘆息する。
「あ、キョン君いいところに来たー! ちょっと、荷物運び込むの手伝ってー」
 窓際で飾り付けをしていた女子が、俺の姿を見つけて手を休めることなく顔だけ俺に向けて声を掛ける。
「別にいいけど、荷物ってどこにあるんだ?」
「理科準備室」
「準備室、って女子が着替えに使ってるんじゃなかったのか?」
「だいじょうぶ。もう、みんな着替えは終わっているはずだし。鍵も開いているから。中に段ボール箱があるから、それを持ってきて」
 女子ははよ行けとばかりに教室の外を指さす。
「わかった。ただ、本当に女子の着替えは終わってるんだな?」
「だいじょうぶ。万が一の事故があっても、彼女には黙っててあげるからー」
「アホか。そんなんじゃない」
「ごめんごめん。でもちゃんと着替えは終わっているから、ほら」
 そう言って自分の服装を指さす。
「はいはい。なるほどね」
「じゃあ、よろしくねー」
 適当に教室の隅に鞄を投げ置いて、また俺は廊下へと歩き出す。


 あふれかえった人でごった返す廊下を、人をかき分けて歩く。どこも最後の詰めで大忙しの様子だ。
 普段の倍ほどの時間を掛けて理科準備室の前に着いた。
さきほど、あの女子は着替えは終わっていると言っていたが、やはり万が一の事故がないとも限らない。
ドアの窓から中を確認したいところだが、残念ながら磨りガラスで中は見えない。
 仕方がない。ここはおとなしくあいつの言葉を信じてドアを開けるとするか。
 そう決意して引き戸を一気に開く。すると視界の端で何かがびくりと動く気配がした。
俺は慌ててその対象に視線を向けると、同時に脊髄反射的にドアを閉めようとする。
しかし、半分ほどドアを閉めかけたとき、その人物と目が合った。
「……佐々木?」
「キョン?」
 準備室で一人所在なげに立っていたのはよく見知った顔だった。
俺と目があった佐々木はとっさに身を隠す場所を探して辺りを見回したが、辺りに隠れるような場所はない。
「なにしてんだ、こんなとこで?」
 なぜかうろたえている佐々木をぽかんと俺は見る。服装を見る限り、着替えはもう終わっているらしい。
「いや、何というほど特別なこともないのだが……」
「ふーん」
 俺の反応に佐々木がぴくりと眉を動かした。
「……キョン、その明らかに笑いをかみ殺している表情は一体どういう意味だい?」
 不機嫌満点な顔で俺を指さし詰め寄ってくる。
「いや、なんか、お前がそんな格好をしているのはおもしろいなー、って」
「あぁ、そうだね。おもしろいだろうね、当事者でないキミにとっては! 全く、誰だ、こんな馬鹿げた企画を思いついたのは……」
「そう言うなよ。別にいいじゃないか、メイド喫茶くらい」
 俺の言葉に佐々木はむっとしながらフリフリのエプロンをつまみ上げてみせる。
「あぁ、そうだね。これはメイド服だ。まごう事なきメイド服そのものだ。本来の使用目的からは大きくずれること甚だしいがね!」
「そんなに機嫌悪くするなよ。確かにお前はそんなキャラではないけどな。多数決で決まったことだし、クラスの和を乱すのは本意じゃないだろ」
「それもそうだが、そういう風にして笑われることを喜ぶような人種ではないよ、僕は」
「悪かった。謝るって」
 俺が笑いながらとりなそうとしても、佐々木は不機嫌そうな態度を崩さない。
このまま佐々木の相手をしていてもドツボにはまるだけっぽいので、さっさと話題を変えることにする。
「ここにある段ボールを取りに来い、って言われたんだけど、段ボールってどれだ?」
 佐々木は無言で窓側を指さす。
「中身はなんなんだ?」
「コーヒーだよ。業務用の」
「あ、そっか」
 たかだか中学生の文化祭程度でコーヒーをいちいちドリップすることはいろいろな都合で出来ないので、こうして買ってきたコーヒーで間に合わせることにしているのだ。
どでかい紙パック入りの業務用のコーヒーというのがあるのも驚いたが、実際にそれがどういう場面で使用されているかは考えたくないな。
「なんか、サギだよなぁ」
「中学生のお祭りごっこに深く期待してはいけないよ」
 ちなみにこのメイド喫茶のメニューはこの出来合のコーヒーと紅茶。
それにお茶請けのお菓子として手作りのクッキーが付く。
この手作りクッキーもまた問題で、一応ちゃんと手作りは手作りなのだが……作ったのは野郎どもだ。
当日接客は女子に任せっきりになるということで、裏方を担当する男子が昨日粉まみれの汗まみれなりながら男臭く焼きまくった。
「本当にサギだ……」
 改めてしみじみと呟く。あのクッキー制作現場を見れば、萌えなどと言える男は一人もおるまい。
女子の手作りだと思って、クッキーを食う奴に心の中で合掌。


「ところで、佐々木。お前は教室に行かないのか? 他の女子達は飾り付けとかしているぞ」
 俺の言葉に佐々木は「むぅ」と口をとがらすと、聞こえるか聞こえないかの小さな声で、
「この格好であまり外を歩きたくない」
 と言う。
「なんでだよ?」
「……笑われるのは、好きじゃないって言っただろう?」
 じとりとした目で俺を見る。まるで、俺が全て悪いと言わんばかりだ。
「いや、確かに笑っちまったけど、それはその格好がおかしいからじゃなくて、妙にもじもじしているお前の姿がなんかおもしろかったからだ」
「それは悪かったね」
 佐々木はまだ不機嫌全回である。
「いや、似合ってるよ。ちゃんとかわいいって。お前が接客している時間帯で最高記録が出るんじゃないかっていうくらい」
「……白々しい」
 俺は困ったなぁとため息をつく。佐々木は完全にすねてしまっている。まぁ、元は笑ってしまった俺が悪いのだから仕方がないが……。
 なんか話のネタになりそうなものはないかと辺りを見回したとき、無造作に壁際のハンガーに掛かっている赤いリボンが目に入った。
 俺はとことこと壁際まで歩いて、リボンを手に取る。さっきの女子がこのリボンを髪につけていたのを見た。多分、借りてきた衣装に付いてきた奴だろう。なら拝借しても問題ない。
「佐々木、ちょっといいか?」
「なんだい」
 佐々木は完全に拗ねて口を尖らせている。着たくもない衣装を着る羽目になって、そういう風になるものわからんでもないけどな。
回りくどくやっても仕方がないので、勝手にやらせてもらうことにする。
「あ、ちょ、キョン、なにをするんだ?」
「動くなって。妹の奴によくせがまれたりするから、こういうのは得意なんだ」
 少し抵抗するそぶりを見せた佐々木だが、すぐあきらめたのかおとなしくされるがままになる。
佐々木のサラサラ流れる細い髪を手で梳きながら、丁寧にリボンを結んでいく。
「これでよし、と」
 佐々木は無言のまま両手を小さく挙げて、新しく髪に付いたリボンの感触を確かめる。
そして、少し頬を赤くしながら何とも言えない不安そうなそれでいて何かを期待しているような目で俺を見る。


「うん、かわいいぞ。リボンがよく似合ってる」
 我ながらいい仕事をしたと俺は胸を張る。
「……馬鹿」
 佐々木がぼそりと呟く。
「おい、馬鹿はねえだろ……」
「あぁ、もう! こんなところで油を売っている場合かキミは! ほら、荷物を持って早く行こう。みんな待っているんだから」
 佐々木は大きな声で言うと、荷物へ向かって早足で歩き始める。
「あ、あぁ」
 急に仕事にやる気を出した佐々木の後を俺はあわてて追う。
「佐々木よ」
「なんだい?」
「仕事にやる気を出すのは結構だけれどもな、言葉遣いには気をつけろよ。普段の調子で『さぁ注文を述べたまえ』とか言うんじゃねえぞ」
「なんだい? 『お帰りなさいませ、ご主人様』とでも言って欲しいのかい?」
 いつもの調子を取り戻した佐々木がいたずらっぽい目でからかってくる。
「……別にそこまでやれとは言わんが。まぁ、普通に」
 佐々木はくつくつと喉の奥で笑い声を上げると、
「そうだね。いくら僕でもそこまでの譲歩は出来ないな。でも、キミがそうして欲しいというのなら、キミの接客のときにやってあげても構わないけどね」
 佐々木は悪戯っぽい笑みを浮かべながら上目遣いに俺を見上げる。
「……あぁ、でもな、佐々木、それ無理。だって、お前が接客当番の間、俺も裏方の当番だから」
 ひらひらしたメイド服は歩きにくいのか、佐々木は何かに躓いて派手にこけた。



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最終更新:2009年10月09日 20:18
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