54-375「月刊佐々木さん5月号」

新緑萌える5月。
桜もその色をピンクから鮮やかな緑へと衣替えを終え、
ゴールデンウイークも特筆すべき事もないまま終わってしまった。
いや、例年と比べ明らかな差異として学習塾の存在があったのだが……。

「やぁキョン。ちゃんと今日も来たようだね」

コイツは佐々木。
たまたまこの4月から塾に通う事になった俺と、
たまたま同じクラスに居合わせた中学の同級生だ。

「そりゃ家じゃ母親が目を光らせているからな」
「ほう」

くつくつと真似のできない笑い方をし、佐々木は薄い口唇を開いて言った。

「まるでご母堂のお叱りがなければ塾など来ないと言わんばかりだが」
「…進んで勉強しようって人間なら成績の心配なんてなかったろうな」
「違いない」

楽しそうに喉を鳴らせて笑う。

「さて、課題はやってきたかい?」
「ぬかりないさ」

それは結構、と佐々木は前を向いた。
授業開始2分前。そろそろ講師が入ってくる頃合いだった。

俺が塾に通うようになって約3週間。
だいたい佐々木の横か後ろか前、
つまり佐々木近辺が俺の指定席になっている。

特に意味はない。あくまで、なんとなくだ。

突如放り込まれた塾という、勉強嫌いな俺には、
ともすれば孤独に苛まされるところであった環境で
話したことがないとは言えクラスメイトという帰るべき現実を
想起させる存在がいてくれると言うのは思っている以上に有り難いのだ。

たまに俺より遅れて教室に滑り込んでくる佐々木もまた
俺の近くに座るのだが、恐らく似たような心境なのだろう。

塾の授業は正直かなり先進的で落ちこぼれの俺にはきついものがある。
つまり今現在教壇に立って熱心に教鞭をとる講師の言っている事は
半分も分からず、四苦八苦しながらただひたすらにノートを取り続けるしかない俺は
早くもこのクラスの脱落者候補ナンバーワンという訳だ。

化学、数学と立て続けに記憶も計算も必要な教科に漬け込まれ、
すっかり理数色に染まった俺には、授業終了の合図と同時に
涼しげな表情で筆記用具をカバンにしまう佐々木の姿には
ただただ驚嘆と羨望の眼差しを送るばかりだった。

「おやキョン。帰り支度をしないのかい?
 それとも居残りとは殊勝だなと言うべきかな」
「帰るさ。帰るよ、帰る。帰るとも」
「4度も言ったね」

くつくつと笑う。ああ、くそう。そんな余裕なぞ俺にはないぞ。
しかしいつまでも机に突っ伏している訳にもいかず
俺は重たくなった体と頭を起こして片付けを始めた。

「待たせちまって悪かったな」
「いや、僕が勝手にした事だ。君の気にするところではないよ」

今までは特に一緒に帰る事もなかったのだが今日はなぜか
佐々木が俺の帰り支度を待ってくれていた。帰り道はチャリで20分。
大変なことに佐々木はバスで通っているらしいので、
塾と家を結ぶ最短ルートから多少ズレてしまうが
せっかくなのでバス停まで一緒に帰る事にした。

「キョン」
「ん?」

特に会話もなかったが突然佐々木が切り出した。

「塾に入って少し経つがどうだい?慣れたかな?」
「……まぁそりゃ塾自体には慣れるが、勉強がな……」
「難しいかい?」

そりゃ簡単な訳はないさ。そんな俺だからこそ塾に叩き込まれた訳だが
その塾で学力が向上しないというのはどうにも本末転倒も良いところだ。

「ふむ」

と言うと佐々木は顎に手を当てて5秒ほど考えると

「差し出がましいかもしれないが、僕で良ければ少し教えようか?」

などと仰った。

「……それは、願ってもない、が……」

佐々木は昨年から塾に通っていることもあって、かなり成績は優秀そうだ。
塾での受講態度を見ていてもそれは明らかだった。
少なくとも俺よりは数歩先を行っているはずだ。

その佐々木に勉強を見てもらえるというならそれは純粋にありがたいと言える。

しかし、だ。
学校と塾でクラスメイトになり一ヶ月。
未だそこまで仲が良い訳でもないのだが、そんな事を頼んでしまうのは
さすがに些か図々しいのではないかと思うのは自然なことだろう。

「もしかして気兼ねしているのかい?もちろん君の意向を尊重するつもりだが」
「いや、そりゃまぁ全く気兼ねしない訳じゃないが、そりゃ少々悪いと思うさ、普通」
「あまり深く考えなくとも良い。ただ、偶然にも2つの場所で机を並べて
 勉学に励む事になった、いわば縁のようなものだよ。袖振り合うも多生の縁と言うだろう?
 僕の手の届く範囲がいかばかりかは分からないが、
 今キョンが抱えている問題には手を差し伸べられそうだ」

一度そこで切り、佐々木は俺の目を見ながら確認するように言った。

「で、どうする、キョン?」
「……分かった。ありがたくご厚意に甘えさせてもらう。助かるよ」

ふっと佐々木は微笑んだ。

「じゃあ塾が終わったら自習室で少し時間を取ろう。良いかい?」
「ああ。面倒かけるな」

バス停で佐々木と別れ、帰宅した俺は母親に話をしておいた。
塾の終了時間は把握されているので、
今後もしかしたら帰りが遅くなることを報告する必要があったのだ。

その時の母親が、なぜかニヤけた顔で、ふうん、などと相槌を打ちながら
こちらを見ていたのがちょっと気になったのだが
なんだか嫌な予感がしない事もなかったため、結局無視して俺は部屋に戻った。

「佐々木と勉強、ね」

考えてみれば同年代の女子に勉強を教わるというのは生まれて初めてだな。
などと、どこか少し勉強を楽しみにしている自分を心の片隅で認めつつ
俺は寝床に滑り込む。そういえば今日佐々木が俺の帰りを待っていたのは
わざわざこの話を持ち掛けるためだったのだろうか?

「意外と、面倒見の良いヤツなのかもな……」

何故だか心が暖かくなるのを感じ、俺は夢の世界へと落ちて行ったのだった。

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最終更新:2010年06月19日 14:14
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