55-979「月刊佐々木さん7月号」

「暑い……」

今年の梅雨明けが例年より早めだったせいなのかは定かではないが
お天道様の尽力もあってうだるように暑い日がこのところ続いており
俺の勉強する気力は反比例するように下降気味の7月。

「暑いなんて言うな、キョンよ。暑いと言うと余計暑くなるぞ」
「中河、お前今、自分で何度『暑い』と言ったか分かるか?3度だ」

そもそも、暑いと言ったら暑くなるなんてのは曖昧模糊、都市伝説、迷信の極みで
暑いと言わなければ暑くなくなるなんて非科学的な現象が起こる訳でもない。

「まぁ気分の問題だよね」
「だな」

しがない市立中学の教室にエアコンなるものは完備されておらず
扇風機も何もないのだから、窓を全開にして風が吹くのを待つだけの身にとっては
ウチワすらありがたいものに感じる。

「団扇は扇ぐのを止めた途端汗が吹き出るのが難だな」
「自転車と同じだな。漕いでる内は気持ち良いんだが……」

さすがに暑苦しい男の代名詞、体育会系の中河にもこの暑さは堪えるらしい。
机に突っ伏していて、今にも溶けそう、あるいは焦げそうな感じだ。

「そういえば今日の最高気温、昨日より1℃高いって予報だったね」
「言うな国木田。今朝出てくる前に天気予報見て俺のやる気は3割減だ」
「へー。でもまだ7割残ってるんだね」

いや、残念ながら半分残っていないのが現状だ。

「なんで?」

お前の発言でさらに3割削られた。

「それは悪い事をしちゃったかな」
「でもまぁ、良いさ」

そう言って、俺は視線を机の脇に移した。
紺色のビニールバッグの中には今か今かと出番を待つ相棒が息を潜めている。

「4時間目だよな」

視線の意図に気づいた国木田は首肯した。

「楽しみだね、プール」

キツめの塩素の匂いが鼻を刺す。
数日前に下級生が掃除していたのを思い出して一応感謝しておく。

不思議なものであれだけ辛かった夏の焼け付くような陽射しも、
蒸しあがりそうな気温も、ここではプールを引き立てるスパイスに成り下がる。

教師の号令の下、全員で準備体操をした後は各自自由。
いきなり日陰に避難する女子、飛び込んで怒られる男子など様々だ。

俺はどちらでもなく、プールサイドに腰掛け、プールに足を突っ込んでブラブラ。
パシャパシャと音を立てて立つ波が目にも耳にも心地よい。

「おやキョン、こんなところで何をしているんだい?」
「佐々木か」

見上げるとそこに立っていたのは戦友、佐々木だった。

「泳がないのかい?」
「今は待ちきれなかった第一陣で混雑してるからな。もうちょい落ち着いたら入るさ」
「なら僕もそうしようかな。隣良いかい?」

そう言って佐々木は腰を下ろした。

「今日は朝から気温が高かったね。昨夜風があったから冷房を切って寝たんだが
 明け方5時くらいには暑くて目が覚めてしまったよ」
「それは佐々木らしからぬ失策だったな。俺は冷房をつけたまま寝たが
 朝起きたら何故か布団の中に妹がいたよ」

もちろん頭にゲンコツくれてやったがな。

「可愛らしい事じゃないか」
「いや、寒くなったんなら冷房切れよと」
「一理あるかもしれないがね、その妹さんは確かまだ小学生だろう?
 理屈ではなく本能のままに行動している事は想像に難くない。
 妹さんは1人で寝ているのかい?それともご両親と?」

両親と一緒の部屋だな。

「なるほど。では妹さんはご両親と一緒の布団にいるよりキョンと同じ布団で
 寝ていたかっただとすると、どうだろう。妹の兄に対する愛情の深さが垣間見えるじゃないか」
「いや、そんな深遠なものはないと思うが……」
「もしくはこうも考えられる。ご両親は僕のように油断して冷房を切って就寝された。
 しかし子どもとは体温が得てして高いものだ。暑さに対する我慢や抵抗も弱い。
 暑さに目を覚まし、兄の部屋を覗いてみると冷房が効いて涼しい事この上なかった、と」

それで俺の部屋で寝たって訳か。なるほど。あり得る話しだ。

「もちろん推測の域を出ないがね。しかしキョン、君はもう少し妹さんの気持ちに気を配るべきだ」
「あん?どういうことだ?」
「言葉通りの意味だよ。どちらにせよ君の事を慕っているのだから
 兄として器の大きいところを見せてやってはどうかな?」

それこそ俺は文字通り小市民の凡俗でね。
妹の愛情がどれほどのものか分からないが
未だ成熟していない俺の矮小な器には残念ながら収まりきらんだろう。あぁ申し訳ない。

「やれやれ……君はまったく良く口が回るな、キョン」
「それこそこっちの台詞だ、佐々木」

くつくつと喉を鳴らして笑うと奇妙な隣人は視線をプールに向けた。

「そろそろ入るかい?先ほどに比べたらだいぶ落ち着いたようだしね」
「あぁ、そうだな。よっと」

勢いをつけ、腕力でプールサイドから自分の身体を押し上げた。
ぱちゃんと音を立て、胸のあたりまで水に浸かるとひんやりして気持ち良い。

続いて佐々木もプールへ入ったが、佐々木は肩まで水がかかっている。

「ふう、気持ち良いね。やはり夏のプールは良いものだ」
「そういえばだな、佐々木」
「ん?」

それまで全く気にしていなかった事を、俺は尋ねた。

「お前、俺の事なんかより他の女子と一緒じゃなくて良かったのか?」
「……キョン、君はもう少し人の気持ちに気を配るべきだな」
「ん?その台詞はさっき聞いたばかりだが……?」

そう言うと佐々木は眉を顰めた。

「……君は器の大小より、まず人の心の機微に対する敏感さを磨いた方が良いのかもね……」
「…………?」

「……ョン、キョン」
「っ……あぁ、すまん」

プールの後というのはなんでこうも眠くなるのか。
今現在、俺と佐々木は塾に来ているのだが、
先ほどからどうにも舟を漕いでは隣の佐々木に起こしてもらっている。

夏は受験生の大事な時期だと口を酸っぱくして言われているが
こっちだって耳にタコが出来るほど聞いている。
このままじゃ酢だこができちまうぞ、ちくしょう。

「ほら」

そう言って佐々木がこっそり机の下で渡してきたのはブラックガム。
なるほど、これは助かる。

「サンキュ」

お礼を言ってありがたく1枚頂く。

「ここは確かキョンの弱いところだったよね。明日の放課後にでも復習しよう」
「重ね重ねありがとよ」

かつては前とか後ろとか斜めには座っても、真横に座る事はあまりなかったが
最近では毎回横に座るし、特別な事情でもない限り塾にも学校から一緒に来るようになった。
そこには果たして俺が気を配るべき心の機微が、変化があったのだろうか。

そんな授業の内容とは別の事を、ぼんやりと考えていた。
塩素の匂いを隣から微かに鼻に感じながら。

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最終更新:2010年09月14日 00:46
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