66-840「佐々木さん、大事なのは言葉なのです」

『藤原くんから見れば、そう、私にはキョンを北高へ連れていくくらいの役割しかなかったのよ』
 佐々木さんの言葉はあたしの心をあの閉鎖空間へと連れ戻す。
 あの日見た、混ざり合い混沌とした空間へと。

『彼の望みは力によってお姉さんを救うこと。だから本来は力の所持者なんて誰でもいいの。
 けれど涼宮さんにそれをさせるのは不可能に近い。だから、私に移すという第二の可能性に賭けたでしょうね』

『でも私は与えられた役割を演じなかった。
 力の奪い合いを目的とした『涼宮さんに対する解り易い敵役』という役割をね。
 きっと藤原くんは未来人の知識によってそれを知っていたんじゃないかしら。だから私を憎んだのだと思う。
 私が本気で役割を演じていたなら、もしかしたら藤原くんは『お姉さんを救う』という大望を果たせたのかもしれないのだから……』

 あたしは言わなくちゃいけない。
 あたしが知っていて、佐々木さんも彼も知らない事がある。特に「彼」にだけは知りようも無いことがあるのですから。
 それに佐々木さんが知らない、或いは知ってて知らないフリをし続けてる、
 けれど、とても大切な事があるのですから……。



 五月、桜の葉の緑がいよいよ濃くなる季節。
 節くれだった幹、青々と生命に満ちた緑の葉を見ていると、あの四月の儚げな桜とは別の植物であるかのように錯覚させられる。
 それを見つめる佐々木さんの姿が、一層儚げに見えてしまうような、そんな気がした。
 だから、あたしは

「葉桜、ですね。佐々木さん」
「そうね橘さん」
 見返す笑顔はいつもと同じ
「そうそう桜と言えばですね、桜餅が美味しいお店があるんですよ」
 そうしてあたし達は葉桜の桜並木を連れ立って歩いた。本音を葉っぱで包むように。


 桜葉で包まれた独特の感触のもち米を頬張り、お茶を頂く。
 ほのかな桜の葉の香りとお茶の味わいがさっぱりと餡を口内で溶かしてゆく様は、少し早い初夏の香りを思わせる。
「美味しいですね。さすが話題のお店なのですよ」

「ちなみに、このようにもち米を加工した道明寺粉を使う『道明寺』がいわゆる京風、中部以西の西日本側、及び東北日本海側と北海道に
 小麦粉ベースの生地を延して焼いた『長命寺』が江戸風、関東甲信から東北太平洋側に
 おおざっぱに言えばこんな感じで分布しているらしいわね」
「へえ、二種類あるんですか」
 相変わらずの博識さです。

「ねえ、佐々木さん」
「あら橘さん、葉っぱは食べないの?」
 いえあたしはどうも……って話をそらさないで下さい。
「ですから」
「あ、店員さん。桜餅もう一ついただけます? それとお茶もお願いします」
「はーい」
 ああもうこの人は。

「ねえ、佐々木さん」
「……行かないわよ」
 何処へとも誰にとも言う前に断言された。いつものパターンだ。
 佐々木さんはどこか寂しげな、センチメンタルな気配を漂わせたまま。それでも彼女の頑固さはちっとも変わらない。

 もういっそ「彼」を頼るべきなのでしょうか。
 けれど、彼と彼女を接触させることは「神の力の簒奪」に否応なしに繋がります。他組織は鉄壁のガードを敷くでしょう。
 現代では「機関」が、宇宙からは情報体が、そして未来からも強力に干渉されています。
 あたし達は彼の前に姿を現すことすら容易ではありません。

 彼女には願いがある。
 だから彼女が彼に接する事は他組織にとって大問題なのです。
 彼はただの一般人。ただの一般人という事は、彼を「鍵」に変えたように「誰にでも鍵になりうる可能性がある」という事でしょ?
 だから、彼と涼宮ハルヒへの干渉はあらゆる組織で問題となっているのです。

 だからこそ「組織」は未来人誘拐事件なんてバカな真似をしてしまったのです。
 強力な干渉に焦っていたし、それにあたし達は「あたし達が異能者である」と彼に認識をさせなければいけなかった。
 そうしなければ、彼を通じて佐々木さんを納得させることも出来ない。
 あたし達が超能力者である、と、彼女を納得させられない。
 我ながら短期的な見方。けれど焦っていたのです。

 そう。「力を持たない、けど神らしきもの」を信奉するだけでは「力を持つ神らしきもの」を擁する者達に対抗できません。
 誰だって後者を信頼するに決まっている。物だって人だって金だって全部後者に集まるのです。
 あたしたちは良く言えば「対抗馬」、悪く言えば「かませ犬」でしかない。
 あたし達の神様こそが、佐々木さんこそが本来の神様なのに。
 アイデンティティの崩壊を防ぎたかった。
 ……だから失敗した。

 あたし達は、あたし達であろうとして失敗した。
 佐々木さんを道連れにして。

「気に病む事は無いわ橘さん。それだけ未来人の言葉が大きかったという事でしょう?」
 え。もしかして口に出して言ってました?
「さあてね?」
「もう」
 佐々木さんの笑みは変わらない。


「キョンに『暴走する可能性の無い、平穏な世界』を望んで欲しかったのでしょう? けれどそれには遅すぎたのよ」
 佐々木さんは滔々と語る。さも当然というように。
「その為には、キョンが鍵となり、なおかつ彼が『涼宮さんは暴走しうる』と思っている時期である必要があった」
「ええ。実際あたし達は今もそうなのだと思っていました」
 けれど彼はそうは思わなかった。
「涼宮さんは、彼女の身内から見ればとうに安定しているのよ」
 それに考えても御覧なさい、と彼女は笑う。

「それに彼女の力の為にSOS団は集まっているのでしょう? なら失われたらどうなると思うかしら?」
「そりゃ古泉さんは肩の重荷が取れてですね」
「SOS団が、よ」
 言われて見れば当たり前の結論。
 現代人の古泉さんはまだしも、未来人と宇宙人は本来あるべき場所へ帰る事になるのが普通だろう。
 あたし達のところに九曜さんが姿を見せなくなったように。

「彼がどんなにSOS団を大事にしているかくらい、「長門さん」の為に必死の形相で現れたキョンを見れば解るでしょう?」
 彼は九曜さんの手による病気に倒れた「長門さん」の為に必死になっていた。
 けれど仮に力が佐々木さんに移れば、結果どうなっていたのか。

 あたしは「あたし達で第二のSOS団でも組めばいい」と気楽に言った。
 けれど彼にしてみれば、それは仲間と居場所を失い、信用ならない集団に囲まれるという条件に他なりません。
 あの時は適当に言っただけでしたが、よく考えなくても無体な条件だったんですよ。

 だからでしょうか。あの事件の後、彼はことさらSOS団でのんびり過ごしている、と古泉さんから聞きました。
 それは、もしかしたら「SOS団」というものが期限付きの存在なのだ
 そう再確認したからなのかもしれない、と。

「ならもっと早い時期なら良かったって事ですか?」
 佐々木さんは細い指を振り
「それはノーね。今度は私が問題になるもの」
 言って自分自身を指差した。
「キョンと別れて間もない頃なら、私が彼を求めなかった。求めるつもりなら卒業当初から連絡でも取り合っているわ」

「私はこの一年で弱ってしまった。だからキョンを求めた。でしょう?」
「そんなことないです、佐々木さんは」
「なにより必要な状況は」
 きっぱりと遮るように言う。

「私がキョンの迷惑を顧みず、かつ涼宮さんと張り合うくらいに強く彼を求めなければ成立しないわ。そんなのはありえないのよ」
 そう、あってはならない。言い直しながら佐々木さんはくつくつと喉奥で笑った。


「だから藤原くんは私を憎んでいたのでしょうね」
「なんで藤原の奴なんです」
「せめてさん付けしたら?」
 なんか嫌なんです。
「でも彼に協力を願ったのはあなた達。ならそのリスクも共に負うものよ」

「彼の目的は『力』で『お姉さんが生存する世界』を固定すること。前後の歴史の乱れはさておき、それだけを確定させたかった」
「ええと確かそうでしたね」
 藤原……さんと、朝比奈さんとやらの言い争い。
 あたしが録音しておいたテープレコーダーにも残っているから、佐々木さんだって知っている。
 けれど、あたし達はそんな理由だったことすら最後まで知らなかった。

「仕方ないわよ」
 佐々木さんはあっけらかんとしたものだ。
「未来人は話せる言葉が制限されているんでしょ? 禁則事項だったかしら」
「でも禁則事項で話せないなら、あたし達が知る余地なんて」
 佐々木さんはちっちっちと偽悪的に指を振る。
「だから彼は言ったでしょ? 『既定事項を外れた? 僕よりも先に禁則を外したものがいただと?』ってね」
 佐々木さんの空間へ入った先、あのしょぼくれた部室で「世界が融合した」時だ。
 確かに藤原さんは驚愕を浮かべていた。

「藤原くんはそれまで『歴史のあるべき姿』を辿っていた。だから乗りたくも無いタクシーに乗ったし
 それまでにキョンを説得することが無理なのも、私が力が欲しいと言い出さない事だって、なにもかも知っていたのよ」

「けれどあの時の部室でだけは『歴史のあるべき姿』から外れていたはずね。
 でなければ歴史は変えられない。既定事項から外れ、禁則事項も外し、制限の無い行動と発言を得られていたのではないかしら」
 だから「僕よりも先に」ですか? でも
「ちょっと待ってください。禁則を自分で外せるなら」
「多分だけど意図的には外せないのよ」
 まるで見てきたように言う。

「意図的に外せるなら『朝比奈さんが失われる』事を伝えてキョンを仲間に引き込めたはずでしょ?」 
「ちょ、ちょっと待ってください」
 それはそれで辻褄が合いません。
「なら禁則が外れたときに、真っ先に彼に相談すればよかったじゃないですか」
 すると佐々木さんは「あらあら」と言いたげに笑った。

「部室に入った後、一体何が起きたのかはあなたの方が良く知っているのでしょう?」

 そうだった。藤原さんにはそんな余裕なんてなかったんだ。
 藤原さんに連れられ部室に入った時、待っていたのは「もう一人の彼」と見知らぬ女の子。
 出会った瞬間に「もう一人の彼」とその子は消えてしまい、後には混乱する藤原さん、彼、あたしが残された。
 しかし考えをまとめる間もなく九曜さんが現れ、古泉さんと未来人の女性が現れ、更に窓の外は見知らぬ奇妙な空間に変貌していた。
 後は急流のように物事が進行し、あたしだけではなく、藤原さんさえもが混乱のきわみにあったのですから。

 いや、むしろあらかじめ「予定表」を持っていた藤原さんこそ混乱していたはずです。
 古泉さん、朝比奈さんという未来人、彼らは力でも言葉でもなく「その場に存在すること」で藤原さんに一撃を食らわしたのでしょう。

 結局、佐々木さんの空間で、藤原さんは涼宮さんを人質にしようとしていました。
 けれど、それはあくまで混乱した状況下での事でしょ?
 彼は何と言っていました?

『僕がバカだった。最初からこうしてやればよかったんだよ』
 彼は自嘲していたじゃないですか。あくまで仮定の話にすぎませんが、もしかしたら最後まで彼と話し合おうとしていたのかもしれません。
 禁則事項を取っ払って、今度こそ腹を割って。

「事実はわからない。ただ、藤原くんは普段「発言が大きく制限される」。
 しかも未来人は過去には直接干渉できず、言葉だけで過去人に折衝して目的を達成しなければならない。よく出来たルールね」
 だからこそ組織的な関与が可能になるって事でしょうか。

「くく、彼が混乱してくれたのは傍聴人には好都合だったけどね。
 禁則が外れ、想い人、朝比奈さんだったかな? と出会った藤原くんは、彼自身の思いをようやく吐露してくれたのだから」
「笑い方が悪趣味ですよ佐々木さん」
 けど本気でたしなめるつもりなんかない。
 彼女には権利がある。誰より藤原さんに振り回された彼女には権利がある。

 あたし達が巻き込んだせいで、彼女は彼女が誰よりも鈍感だと知っている彼に、たった二週間の再会と選択を強いられたのだから。
 一年ものブランク、たった二週間という期間、周りを固める「彼の敵」。いま思えば完全に無理ゲーだ。
 そして佐々木さんが彼を思うという事は「神の力の簒奪」として疎まれるという事で……。


「彼の望みは力によってお姉さんを救うこと。だから本来は力の所持者なんて誰でもいいの。
 けれど涼宮さんにそれをさせるのは不可能に近い。だから、私に移すという第二の可能性に賭けたでしょうね」
「確かにそのように言っていましたね」
「けれど問題は」
 佐々木さんはくつくつと喉奥で笑う。

「私に移すために、私とキョンの同意が必要だという事。
 その為には私がキョンを説得するのが一番の早道だったのでしょうけどね。彼を説き伏せるのなら自信があるし」
 中学時代からそうだったもの。と楽しそうに笑っている。
 そう、これまでで一番楽しそうに笑っている。

「けれど私はそれをしなかった。私は選択が終わるまで出来るだけキョンにノイズを与えないよう努めた。
 今回の事件からすれば、むしろ私は居ても居なくても同じなくらいなのよ。ただ、キョンを舞台に引っ張り上げる役くらいかしら。
 そう、藤原くんから見れば、私にはキョンを北高へ連れていく役割くらいしかなかったのよ」

 彼女は「力の奪い合い」という舞台に上がることを放棄した。
 佐々木さんが「私を選んで」と彼に望んだなら、彼にとって「佐々木さんを選ぶ」という選択肢が生まれる。
 けれど彼女はあくまで理由と選択肢を呈示するだけに留めて「キミが決めてくれ」と委ね、自分の望みも役割も放棄した。
 彼の奪い合い、という舞台において、彼女は影響力を自ら放棄した。

 彼女は自分の弱みすら見せようとせず、全てが終わってから「ヒントだよ」とでも言う様に断片だけを明かした。
 同情も友情も愛情も、彼に訴える要素はいくらでもあった。
 けれど彼女は「彼にとってノイズ」だと断じた。

「私は与えられた役割を演じなかった。
 力の争奪戦において与えられた『涼宮さんに対する解り易い敵役』という役割をね。
 きっと藤原くんは未来人の知識によってそれを知っていたんじゃないかしら。だから私を憎んだのだと思う。
 私が本気で役割を演じていたなら、もしかしたら藤原くんは『お姉さんを救う』という大望を果たせたのかもしれないのだから……」



「けれど私が現在の私であるのは私が望んだこと。それが私の望み。キョンもよく知ってくれている私の小さな望み。
 私はキョンに迷惑をかけてまで今の私を放棄したくない。するべきじゃないのよ」
 お茶を一口。それから、申し訳なさげに付け足した。
「もし藤原くんから『理由』について聞いていたなら、また事は変わったかもしれないけれどね」

『ふん、禁則だ』
 彼がいつも言っていた言葉を思い出す。

 藤原さんはいつも苛立っていた。
 彼はあたし達に話したかったのだろうか、話せなかったのだろうか。
 あたし達は、仲間を気取って、結局仲間になりきれなかった。禁則事項? どんな理由だったって、それが「敗因」なのは間違いない。
 意思疎通、当たり前だけどとても大切なんだって、今更ながら解った気がした。
 言葉は力なのだ。
 だから。

「……でも、そんなのないです」
「何がかしら?」
 彼女は片手で頬杖を突いている。
「藤原さんにも言い分がある事くらいは解りました。けど、その為に佐々木さんが不幸になっていいはずないです」
「だから私は不幸なん」
「嘘です」
 あたしは言ってやる。

「ノイズを与えたくなかった? なに言ってるんです、佐々木さんはすごく楽しそうだったじゃないですか」
 言わなければいけない。

「そうです、佐々木さんご自身も「キョンさんと一緒に居ない佐々木さん」を知らない彼にだって知らないことです。
 知りようも無い事です。けれど、とてもとても大事な事です。大事な事じゃないですか。
 彼と一緒に居る時のあなたは、誰よりも幸せそうだったじゃないですか」
 それはとてもとても大切な事じゃないですか?


「彼もあなた自身も知らない事です。周りだけが知ってることです。だからあなた達は中学時代にああ呼ばれていたんでしょう?」
 藤原さんがいつも雰囲気で語っていたように、人は言葉以外でも語れる。だから解る。
 けれど、本当の形で伝えるにはやはり言葉しかないんです。
 ならあなた達はもっと語り合うべきなんです。

「彼にそれを背負わせろというのかい?」
 彼女の言葉遣いが変わったのは、果たして意識してなのだろうか。
「僕はキョンにノイズなんか与えたくない、迷惑なんかかけたくないんだ。そんな関係になんてなりたくないんだよ」
 彼女は理性的にあろうとしている。
 誰よりも、誰よりも。

 けれど今回の件で、彼女の行動は誰よりも雄弁で情動的でした
 彼といる時の彼女は、言葉はともかくいつだって行動が情動的でした。
 だからあたしは力になりたいんです。彼女がただ自分の望みを彼にぶつけるような人ならどうでも良いんです
 けれど佐々木さんが自分の望みを捨ててまで他人の幸せを願うような人だから、それでも望みを隠しきれないようなただの女の子だから、
 だからこそ、あたしは幸せになって欲しいと思うのです。

「佐々木さん」
 だから言いたい。
「佐々木さん。彼が本当に迷惑だと思ってるなら、そもそも迷ったりなんかしないんですよ」
 言わなきゃいけない。
「彼が本当にあなたを心配していないなら、涼宮さんの命がかかった時点で、あなたに力を移せばよかったじゃないですか」
 彼が本当に心配していないなら、そもそもあたし達の会合にだって顔を出したりなんかしません。
 そんな事さえ気付かないふりをし続けるんですか?

「涼宮さんを殺せ。
 そう藤原さんが九曜さんへ命じた時に彼はどうしました?
 彼は自分があなたへの人質になったり、あなたに苦労さたりするくらいならと意気込んでいたじゃないですか。
 そうです。彼が何よりも涼宮さんが大事で、あなたが心配じゃないのなら、そこで力を移せば終わっていたことじゃないですか」
 佐々木さんは答えない。

「あなたも彼も、お互いを大事にしすぎなんです。
 ああそうですよ、あなたも彼も互いに互いの選択をすごく尊重してるんです。
 例えば「選択」が終わるまで、あなたは彼に「告白された」って伝えなかった。伝えたら選択のノイズになってしまうでしょうから。
 だから彼も何も言えなかったんですよ。言ったらあなたの選択のノイズになってしまうでしょうから。
 けどそれでも、彼は必死に答えを探していたんじゃないんですか!」

「彼は、やれやれ、なんて言わなかった、他人事みたいにはしなかったじゃないですか!」
 佐々木さんは微動だにしない。

「んん、もう!」
 口元がこわばっているのが解った。食いしばっているのが解った。
 あたしは涙を必死に堪えようとしているのだと、他人事のように捉えながら理解していた。
「お互いに迷惑なんかかけられても構わないと思ってるくせに、お互いに迷惑なんかかけたくないと思ってる。
 なんであなた達は、あなた達は、あなた達はなんでそんなに頑固なんですか!」

 いつもいつも判じ物でパズルみたいに喋ってないで、たまには本音を出してみましょうよ。
 彼が本当のあなたの意思を理解しているかなんて解らないじゃないですか。
 あなたが本当の彼の意志を理解しているかなんて解らないじゃないですか。
 本音で喋ってみましょう? 彼は迷惑だなんて言いませんよ。
 あたしが保障します。だって

「あなたが知ってる彼は、まったく気にかけてない人と一年もつるむような人なんですか?
 気にもかけないような人と、一年越しの再会でも普通に喋れちゃうような記憶力に優れた人なんですか?
 ええそうです。彼が本当に気にかけてないなら、そもそも選択肢自体が存在しえない。そうじゃないんですか!? それに」


「あなたが、あなたがあなたであろうとする程、彼から遠ざかっていくなんて、それこそ貧乏くじじゃないですか…………」

 椅子に崩れるように座り、言い切って放心するあたしの頭を佐々木さんの手がやさしく撫でていた。
 何やってんですか。それこそ彼にして欲しい事でしょうに。
 いえ、だからこそあたしにしてくれるんでしょうか。

 いつか聞いた事があります。
 人の行為は、隠された願望によるものだと。
 自分にとって嬉しい行為だから、だから、人にしてあげる。そういう事もあるのだと。
 佐々木さんの驚くほど小さな手の感触。こんなに小さな手のひらに、全てを託そうとしていたあたしの愚かしさ。
 けれどこんなにも温かい人だから、だから、あたしはこの人に託したかったのかもしれない。

 世界に不満を持たない神様、ではなく。
 本当に欲しかったのは、ただ世界を「全てを肯定してくれる」神様だったのかもしれない。
 あたし達は、いつでも自分自身のちっぽけさに悩むような、そんなアイデンティティに悩まされっぱなしの存在なのですから。
 そうやってあたしは願った。だから今度は彼女に願いを返したい。
 彼女の幸せを、あたしは誰よりも肯定したい。
 それが今の橘京子のスタンスなのだ。

 佐々木さんは何も言わない。
 ただ、黙ってあたしの頭を撫で続けてくれた。
 彼女は何も言わない。肯定も否定も、これ以上、場を混乱させるようなことは言わない。だから彼女は何も言わない。

 この頑固者は、何も、言わない。
 何も言わず、ただただあたしを撫で続けていた。


「ありがとうございましたぁ」
 それからしばらく。カランカラン、と小気味よい音を背にあたし達は店外に歩き出す。
 二人とも無言のまま。そう、あれだけ威勢の良い事を言ったとはいえ、あたしに出来る事はとりあえず思いつかない。

 佐々木さんが彼に近付こうとすれば他の組織は黙ってはいないだろう。
 古泉さんの「機関」は「そのつもりはない」とは言っている。けれど莫大なスポンサーを持つ以上、一枚岩はありえない。
 あたし達の組織は仮に再結成しても無駄、だって「自分の願望を持っている神様」を組織は望まない。
 下手すれば、また藤原さんのような人が現れるかもしれない。
 あたしに出来る事は、とりあえず思いつかない。
 だからと言って誘拐事件の二の舞もない。

 佐々木さんに「力」がないように、あたし達はどうにも無力だった。
 けれど唯一の道があるとしたら。

『少しずつですが、僕にも解ってきましたよ。エイリアンな方々がこれほど大騒ぎしてくれているおかげでね』
 古泉さんが読み解いた言葉。

 涼宮さんの力も恒久的なものじゃない。
 もし恒久的にあるものなら、特に藤原さんは焦ったりしなかったはずだ。
 彼は時間渡航できる時代から来た未来人だから「変えたい未来」は、ずっとずっと未来にある。涼宮さんの寿命よりきっと遠くにある。
 その上「他人に移せる」ならなおの事だ。今回よりももっと適切なタイミングなんていくらでもあるはずだ。
 あんな風に不機嫌でいるような、困難なタイミングで実施する必要なんてないのだ。
 きっと「力」の寿命はすごく短いのではないだろうか。

 だってそうです。
 あの「力」だって、きっと元はと言えば小さな少女の願望が呼び寄せたものでしょうから。
 きっと少女が大人になるまでに物語は終わるのでしょう。涼宮さんは永遠の子供なんかじゃない、ピーターパンなんかじゃないのですから。


「葉桜、もう先端が黄色くなってるのもあるわね」
「……そうですね」
 青々としている気がした葉桜も、よくみるとほんの少し黄ばんでいた。
 あの桜の季節、葉桜、そうして季節が過ぎ去っていく。
 彼と彼女の過ごした季節が遠ざかっていく。

「もう少ししたら梅雨ね」
 言って、佐々木さんは眩しそうに空を見上げていた。
 空は宵闇に染まろうとしているのに。

 あたしはせめて橘でいよう。
 常緑樹の橘の樹のように、彼女の傍らにいよう。
 この頑固者の彼女が、今度こそ素直になれる日が来るにしても、どこか別の誰かを好きになるにしても。
 誰よりも貧乏くじな生き方をしている彼女の、ほんの少しでもいい、力になって生きてみたい。
 彼女の誰よりも幸せそうな笑みを、もう一度見てみたい。

「桜餅、美味しかったですね。でも葉っぱなのに年中食べられるって不思議です」
「あれは塩漬けを使っているからね……」
 佐々木さんの口が回りだす。

 彼のようには行かないし、彼のようにある必要はない。
 彼がSOS団の代替を求めなかったように、代替なんか彼女は求めていないのだから。代わりなんてどこにもない。
 彼女の想いだって代替物で急いで埋める必要なんてない。彼女が卒業した時に望んだように、そっと塩漬けにしておけばいい。

 だからあたしは、そう、橘としてここにいます。
 だからまた笑ってください。

 そうですよ。
 彼だってあなたを放っておくはずはありませんしね。
 鉄面皮のあなたが最後にさらけだした感情を、あのセンチメンタルな去り際を見て、放っておくような人ではないはずですから。

 あたしはそう信じています。
 だから、せめてそれまでは一緒にいさせてください。 
 あの素敵な笑顔がもう一度見れる日まで、もう少しだけ一緒にいさせてください。ね、佐々木さん。
)終わり

■「に、しても」
「なんでキョンとの最後の会話まで知ってるのかしら橘さん?」
「あ、いえ、え、その」
 あたしが思い切りしばかれた事は言うまでもない。
 だって心配だったんですよう……。
)終わり

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最終更新:2012年05月28日 01:30
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