67-846「二人きりでって訳じゃないんだろ?」

『くく、それは二人きりでって訳じゃないんだろ? なら構わないよ』

 俺と佐々木とは中学と塾通いだけが接点で、放課後一緒に遊びまわるような仲ではなかった。
 今思えばあいつの家に行った事もないし、あいつが俺の家に来るのも、それは俺の自転車に乗る「ついで」みたいなものだったしな。
 けど、別に放課後まったく一緒に遊ばなかったって訳じゃない。
 そこまでいったら逆に不自然だ。
 当たり前だろ?

 けど、結局たった一度だけだった。
 俺と佐々木が、たった一度だけ放課後一緒に遊んだ時の事。それはそう、月めくりカレンダーの十枚目をめくった頃だったろうか。
 ………………………
 ……………

「佐々木、たまにはお前も一緒に来ないか?」
「くく、それは二人きりでって訳じゃないんだろ? なら構わないよ」
 残暑がしつこく居座る十月、俺が冬服の上着をずだ袋か何かのように肩に引っ掛けながら言うと、佐々木は妙な返答を返してきた。
 まあお前の返答がみょうちきりんなのはいつもの事だが、せめてイエスなのかノーなのかはっきりさせてくれ。

「くく、それはすまない」
 言ってカバンを肩にかけると俺の隣に立つと、片頬を釣り上げるように笑いながら佐々木は俺を覗き込んだ。
 いつもより何故か若干「ニヤリ」とした笑みがこちらを覗きこむ。
「これで意味は通じるかな?」
「まあよかろう」
 じゃ、行くか。おーい。
 って何だ。なんでお前らそんなざわざわしとるんだ。

 俺が声をかけるとぴたりと止む。
 おいおい何なんだ。

 ふと気付くとクラス中がこちらを横目で見つめていた。
 何だ。そんなに佐々木が俺らのグループと一緒に遊ぶのが不思議なのか? まあ確かに女子一人ってのはおかしいかもしれんが。
「キョンくん、それマジで言ってる?」
「何かおかしかったか?」
「いや」
 何故そこで口ごもるんだ岡本。

「な、そんな事より岡本も来いよ?」
「うーん。そうね」
 など須藤と岡本の会話を聞き流していると、佐々木がとんとんと肩をたたく。

「くっくっく。まあいつもの事さ。それより他の人を待たせるのも気の毒だ、行こうよキョン」
「どうも釈然とせんがな」
 何か事情を察しているのか、いつもより若干得意げな佐々木に促され教室から押し出された。
 確かにいつもの事と言えばいつもの事ではあるんだが、そんな妙な事だったか?

「つうか佐々木よ。二人でって、いつも塾に二人で行ってるだろ? なんで今更」
「くく、キョン、キミは学校で顔を合わせる関係を特別なものだと思うかい? 僕らにとって塾通いはその延長戦みたいなものだろ」
 くつくつと喉奥を震わせ、意味ありげに、シニカルに片頬を釣り上げる。
 確かにそりゃ間違ってないと言えば間違ってないが。
 おい須藤、なんだその「やれやれ」は。

「くく、続きは道すがらという事にしよう。須藤以下、皆が僕らを待っているじゃないか」
 ………………
 ………

『二人っきりって訳じゃないんだろう?』
 きりっとした顔で岡本が……元キョンと佐々木の同級生である彼女が顔真似すると、橘京子は羨望が混ざった爆笑を堪えた。
 あぐらをかいたままクッションごとゆらゆらと揺れる。

「女として一度は言って見たいですねえ、そんなの。さすが佐々木さん」
 で、キョンさんは? とクッキーをパクつき続きを促すと
「そんな妙な事なのか? って顔しててさ」
 呆れ顔の岡本である。

 元佐々木信奉者である橘、元同級生である岡本。
 二人はそれこそ「普通の少女」独特の嗅覚、察しの良さをみせて笑った。

 要するに佐々木は「キミと二人でなら、行くのは嫌だ」と遠回しに言ったのだ。
 それは深い付き合いを拒否する言葉であり、言い換えれば「僕とキミはそういう仲だろ?」と言ったも同然なのだが…………。

「うわー。彼、別に空気読めないって訳じゃないはずなんですけどねえ。……ところでさっきからインターホン鳴ってますけど岡本さん」
「どうせ宗教の勧誘か何かでしょ、きょーこちゃん」
「ですよねー……っていうか岡本さん、それもしかしてあたしのあだ名ですか?」
「で、これがその時のササッキーの写真」
「ほほう。なんというドヤ顔」
 岡本の携帯を覗き込み、ずいっと身を乗り出す橘京子。

 何の縁だか……というか佐々木を中心とした縁だが、こんな出会いもあるから人生とは面白いものだと橘は思う。
 以前、遠くから「監視」……もとい見つめていた少女の一人と、こんな風に話しているのだから。
 岡本の携帯の中では、得意げな顔の佐々木が笑っていた。

「九月くらいだったかしら。妙にササッキーがキョン君を「友達扱い」し始めてさ」
「ふうん」
 あの「雨の日」か。橘は事情は知っている。
 けれどさすがに口にはしない。それはさすがに口にできない。

「でね、こっからが可愛いとこなのよ」
「ほほう。……なんか携帯鳴ってますよ」
「いやだわあ。これが噂のワンギリって奴かしら」
 岡本は棒読みのまま容赦なく着信拒否に設定しつつ携帯を再操作。小さな画面に男子女子問わず楽しげな中学生、女子高生の姿が流れてゆく。
 すると、今度は傍目にも幸せそうな佐々木が画面の中で笑っていた。

「でもねえ、それから連れ立ってゲーセンに行く途中もずっと二人で話しててさ」
「でしょうねえ。……ってもしかして」
「そう」
 岡本は苦笑する。
「結局、そうやってずっと二人して話し込んでたのよ」

『でもね、キョン』
『ほう。しかしだ佐々木』
 トボけた顔の二人、呆れ顔の友達の輪っかから少し外れているのに気付かない二人があっさりと脳裏に浮かぶ。

「まあ傍目には見てて面白かったわよ。自分から壁作ってるくせに、気付いたらあの懐きっぷりなんだもの」
「あはは」
 橘も苦笑する。
 それからも何度かキョンが佐々木を誘うことがあったそうだが、以後は色々と理由をつけて受け付けなかったそうだ。
 多分、そんな自分をまた「自覚」したのだろう。

 壁を作ろうとしたって、他の誰とも分け隔てない作った笑顔をしようとしたって、どうしたって笑ってしまう自分の事を。
 そんな幸せを感じてしまう自分を自覚して「不甲斐ない」と悔やんだであろう頑固な人の事を。
 橘はぼんやりと考えてしまう。

「……少なくともあたしが知ってる範囲ではね」
 ずずっと緑茶を飲み下すと、岡本は少し遠い目をした。
 難解なキャラを演じている、そうして傍目にも解りやすい「壁」を作っていた少女の事を考えて。
 それでも隠せないくらいに幸せそうに笑っていた子の事を考えて。

『僕は誰かに好かれるような事を何もしていない。誰かに好意を振舞う事もだ。それはキョン、キミが一番よく解るだろ?』

「ササッキーの言葉?」
「ええ、まあ」
 ぽつりと橘が口にした言葉に岡本が食いつくと、しばらく中空を眺めてからニタリと笑った。
「で、キョン君が『何言ってんだか解らんが』って?」
「ですねー」
 やれやれと橘が肩をすくめる。
 と、それを合図にしたかのように今度は二人であははと笑いあった。

「あー。やっぱ変わってないのねあの朴念仁」
「そうですねえ、相変わらずですよ。あの二等辺唐変木」
「鈍感なだけとは思わないわよ? けれど、他人の感情に無頓着な人にも程度ものってあると思うのよ」
「ですねえ、まったくあんなののどこがいいんだか、と?」
 先ほどとは違う着信音。これは

「メールですよ岡本さん」
「やーねえ、最近多いのよ。『夫が大アリクイに殺されたのでお金がいるんです』みたいな迷惑メール」
「ああ、多いですよねそういうの」
 再び容赦なく着信拒否。

「……でもまあ、そんな彼だから、変な駆け引きなんかしなくてもいい彼だから、惹かれたのかもしれないけどね」

「いつも作り笑顔で笑ってるくせに、彼の隣じゃ顔どころか雰囲気まるごと笑ってる、……なんてね」
「そう、そんな感じです」
 にこりと橘は笑う。そんな彼女の力になりたいのだと。
 ……それが橘の勝手な理想を押し付け、すべて台無しにしてしまった彼女に対する、自分なりの償いなのだ、と。
 だから、聞いた。

「ねえ、岡本さん」
「なあに? きょーこちゃん」
「いやそれは……まあこの際置いておくとして」
 こほん、と喉を鳴らす。

「……なんで岡本さんは、そんな風に佐々木さんを心配してくれるんです?」
「そりゃ友達だからよ」
 たった一言。

「友達になったからよ」
 付け足した。

「あたしでも解っちゃうくらい傍目に解りやすい子なのに。自分も彼も解ってないなら、解れって言いたくなった、のかな」
「何を、です?」
 くすくすと岡本は笑った。
「それはね……」
「あ、待ってください。もしかして」
 二人してくすくすと笑う。

「『幸せは逃しちゃだめよ?』」
 あんな風に笑えるような、そんな出会いは滅多にないって、彼女たちは知っているから。
 だって私達は「普通」なんだもの。

『あらあら落し物をしましたよ? 大切なものなのでしょう?』
 とても単純な事なのだ。誰だって、誰かが落し物をするのを見たら声をかけるだろう。それが友達なら尚更だって事なのだ。

 だから言ってやりたいのだ。
 そんなに難しく考えず、自分の望みに素直になったら? それが「普通のオンナノコ」でしょう? ってね。
 一度手放したからって諦めなきゃいけないなんて法はない。
 何度だって手を伸ばしていい。

 大事なものなら、諦めないで欲しいって。
 真面目で、頑固で、潔癖で、……不器用な子だと思えてしまうから、だから応援したい。ただ、それだけのことなのだ。

「変人気取りの普通の子、自分で解ってるはずなんですけどね」
「ふふ、どうしたものかしら。じゃ、まずその春の事件とやらの話から……」
 岡本が話を切り出そうとしたところで「ただいまー」という明るい声と共にドアが開いた。

「あ、お帰りお母さん」
「すいませんお邪魔しています」
 出迎えた岡本、そしてその後ろについてきた橘、二人がそのまま硬直する。
 玄関に立つ母の後ろに見覚えのある少女の姿を見たからだ。

「お客さんよ、中学時代の同級生だって?」
「やあ岡本さん、橘さん。私も話に混ぜてもらいたくなってさ」
 くつくつと喉奥を震わせるような笑い声に、二人は思わずへたり込む。
 あらどうしたの? と声をかける母親には見えない。彼女の後ろに佐々木は立っているのだから。
 いつもの三日月の笑みではなく、弦月まで広がった笑みを、オペラ座の怪人のように顔に張り付かせて笑う佐々木の姿は見えない。

 その後二人がどうなったかって? いやいや、それはここではとてもとても…………。

)終わり

「……ってな事もあったな」
「なるほど。実に興味深いお話ですね」
 興味深い? まあ確かに古泉ならこの佐々木の態度も解説してくれるかもしれん。

 気付けば俺から中学時代のエピソードを一つさらっと引き出しやがった古泉の似非スマイルが、何故かいつもよりこわばっている。
 まるで、そう、強いて言うなら回転寿司屋で、どれから食べたらいいか、と迷っていた時の妹のような顔だ。
 古泉、言いたいことがあるなら言え。ただし簡潔かつほどほどにな。

「ええまあ、確かに。何から話せばよいやら。興味深い話を拝聴した身としては返礼として感想を述べる義務があるはずですが」
 沢山あるなら適当にピックアップすりゃ良いだろ。

「ええ、ではそうですね。僕の立場としては少々問題ある発言かもしれませんが」
「どの立場だ」
 古泉はやれやれと流麗な仕草で肩をすくめて見せると、ウィンクしながら俺を指差す。
 まるで、本当は文字通り突き刺してやりたいのだ、という仕草で。

「どうです? 一度、脳を解剖してみませんか?」
「もったいぶって何を物騒な」
 思わず眉根をしかめるが、その言葉を部室の隅にいた長門が継いだ。

「申請はしている。しかし受理されない」
「は?」
 思わず二人して長門を見つめる。
 長門がゆっくりと見つめ返し、部室にいる三人全員の視線が絡まったところで、長門はいつもの平板な口調で言った。

「ジョーク」

)終わり

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最終更新:2012年09月08日 03:06
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