16-255「佐々木さん、猫の目の日々2 人の目の日々の巻1 」

佐々木さん、猫の目の日々2 人の目の日々の巻1

あれは、いつものようにとりとめのない話の中で、何気なく放り出されたような話題だった。
「ねえキョン、民話・童話というのは、神話の変形であって、原型を色濃く残すものが多いのだそうだ。
 そして多くの神話は、「父殺し」というモチーフを含むのだそうだよ。子供が成人として社会に参入するにあたって、
 まず父の隠喩である怪物を殺し、母・妻のモチーフであるとらわれの姫を娶るという奴さ。
 メデューサやオイティプスなどが典型だろうね。
 こうしたモチーフを色濃く残している民話や童話は、眠り姫あたりだろうか。
 けどね、キョン。僕は時々思うんだ。こうした神話は、父権社会が確立された後の話だ。
 大地母神が主神である母権社会では、こうした神話は一体どういう形式を持っていたのか、とね。
 男達の神話の中で、ただ賞品として王子様を待っていた眠り姫は、
 自身の神話において、王子様に待ち飽いた時、一体どういう行動を取るんだろうね」
そう言って、佐々木はいつものあの笑みを見せた。
あのとき、俺は一体何と返答したのだろう。
……佐々木、お前は王子様を待つ柄じゃないだろ、いいかげん目を覚ませよ。
そんな風に強がり交じりで呟いても、佐々木は目の前で静かに眠り続けている。
童話の眠り姫のように、静かにひそやかに、誰も寄せ付けることなく。

佐々木が事故にあった。
国木田経由でそう知らされたのは夏休みが終わりかけた頃だった。
夏期特別補修から帰る途中、信号無視のトラックに巻き込まれたそうだ。
幸いとっさにうまく避けたらしく、大きな外傷はなかったのだが、頭でも打ったのか、意識だけが戻らないという。
脳に損傷があるわけではなく、医者もお手上げらしい。
理由が分からないのだから、明日目を覚ましてもおかしくないし、考えたくもないが、ずっと目を覚まさない可能性もあるそうだ。
「そうだ」「らしい」「という」。伝聞ばっかりだ。しかも発言した専門家も原因不明ときている。
この時ほど自分の無力さを恨めしく思ったことはない。
ハルヒが巻き起こす騒動や、それに釣られて朝比奈さんや長門に何かあるというのは、
決して望むことではないが、まあ「そういうこともありうる」という覚悟は、心のどこかにあったりするものだ。
だが、佐々木は。アイツは中学時代の親友で。新たな神様とか、色々な変な取り巻きとかできた今でさえ、
やっぱりアイツは、俺の自転車の後ろで、静かに月を見て微笑んでた友達なんだ。
ハルヒと知り合う前の平凡な日常の中で、静かに、衒学的な会話以外に自分を主張することもなく。
それでもあいつはいつも……。
失って初めてその価値に気づくなんて、つくづく俺は大バカ野郎だ。1年も連絡を取らなかったくせに。


事故を聞いた当初は動転して気づかなかったが、佐々木団(仮)の連中は俺に輪をかけて大騒ぎだった。
藤原は「こんな事態、既定事項にはなかった。これはあってはいけないんだ」と何度もはき捨てていた。
しかし動転してばかりで、役には立たなかったが、それ以上迷惑にもならなかった。
朝比奈さんもイザという時に頼りになった記憶ってあまりないよな。
アクシデントと逆境に、精神的に弱いってのは、未来人の共通の特色なんだろうか。まあポンジーはどうでもいい。
九曜は「--彼女は、あなたと……共に--」とわけのわからんことしか言わなかった。
相変わらずコミュニケーションの難易度の高い奴だ。
問題なのは橘とその一派だった。
佐々木の事故は「機関」の策謀の可能性があるとした、奴らの一部過激派が、
古泉たちと事をかまえようとしたのだ。
古泉に問いただし、
「絶対にそのようなことはしません。第一、あなたの友人を手にかけるほど意味のない真似をしてどうします」
と言質をもらっていた俺は、橘を通じて説得しようとしたが、
その橘は、佐々木の事故を防げなかった自分を、廃人寸前まで責めていた。
俺はあんなに深く佐々木のことを哀しめるだろうか、と思わずこちらが罪悪感を覚えるほどに。


だがとにかく、あちこち奔走し、あっちやこっちで話を聞き、必死に説明を続け、
機関VS橘の組織、情報統合思念VS天蓋領域、朝比奈さんVSポンジー 
などといった最悪の構図だけは避けられた。


今思えば、「何で俺が」と舌打ちしつつ、SOS団と佐々木団(仮)を右往左往していた時の方が、
精神的には楽だった。余計なことを考えずにすむから。
いつの間にかSOS団と佐々木団(仮)の調整係なような立場に自分を追い込んじまった俺に、
最初ハルヒはいい顔をしなかった。
しかし、あまりに俺がしょげかえってるせいか、いつの間にかアイツも考えを変えたらしく、
「あんまり落ち込みすぎなのよアンタ」と憎まれ口をたたきつつも、
二学期が始まってからは、3日に1回はSOS団を抜け出して、病院に行くことを容認してくれた。
さらに、俺について、一度など見舞いにまで来てくれた。殆ど面識ない相手なのに。
「こんな形で1番に躍り上がるなんてずるいわよ。勝負するなら正々堂々としなさいよ」
と、見舞いの果物に書かれたメッセージは、わけの分からないものだったが。


そんなこんなで、あいつが倒れてから2週間半。
胸のどこかがぽかりと空いたような気分は相変わらずだが、俺の生活は何とか日常に戻りつつある。
あの事故以来、俺の落ち込んだ気分を察してか、えらく愛想よくなったシャミをひざに乗せて、
俺は机に向かう。
だが、視線を向けはするものの、教科書の中身はまるで頭に入ってこない。
「……佐々木、いつ目を覚ますんだろうな。なあシャミ」
気分転換にシャミを撫でながら、思わずそんな言葉が口からこぼれた。


そのままウトウトと眠ってしまったのだろうか。
目を覚ますと、そこはいつぞや見た、セピア色の閉鎖空間だった。
おかしい。佐々木の事故以来、閉鎖空間に入れなくなったと橘は言っていた。
もうすでに、佐々木の意識とともに、閉鎖空間も消滅してしまっているのではないかと。

これは……、もしかして、佐々木の意識が戻ったってことなんだろうか。
「やあキョン、こうして言葉を交わすのは、ずいぶんと久しぶりだね」
懐かしい声に慌てて振り返ると、
そこに、佐々木がいた。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2012年05月15日 20:53
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。