24-624「神曲の果て」前半



 キョンタスケテ




 わずか七文字のメールに眠気などすっとんだ。
 差出人は、登録されていない。
 見たことのないアドレスだった。
 だが、アドレスの中にsskという文字列があった。わかった。
 どうしてかはわからんが、とにかくこれは佐々木からの連絡に違いない。
 どうして教えたはずのない俺のアドレスを佐々木が知っているのかという大問題はあるが、この内容はただごとではない。

 時計を見れば時間は夜の10時を回ったところだ。
 佐々木がどこからメールをしてきたのかわからない。
 どんな危機かもわからない。
 だが、安穏と宿題なんぞしていられるはずもなかった。
 なにごとかと尋ねるおふくろの声を振り切って俺は自転車に飛び乗った。
 一年前まで佐々木を乗せていた自転車に。

 だがとにかく当てがない。
 この時間だから学校と言うことはないだろう。
 そもそも俺は佐々木の行った学校がどこにあるかも知らない。
 おそらく塾ではないかと思われるが、佐々木が今どんな塾に通っているのかも知らない。
 一年と少し前はあれほど近くに感じていたはずの佐々木について、これほどまでに何も知らないでいるという事実に、俺は今頃になって愕然としていた。
 そうなると俺が知っている佐々木に関係する場所は、俺たちの母校か、佐々木の家か、どちらかしかない。

 ええい、ままよ。

 巡回しているお巡りさんに見つからないことを祈りつつ、まずは佐々木の家に向かってペダルを踏み込んだ。



 中学三年の一年間で何度か佐々木を送っていったこともある。
 一年間まったく行かなかったとしても忘れているはずもない。
 だが、そこに行くまでの道が空虚に感じられたのはなぜだろう。
 ともあれ、たどり着いた佐々木の家の前には、

「やはり、来てくれましたね」

 あの女が、橘京子が待ちかまえていた。
 手には二つ折りを開いたままの携帯。
 その瞬間俺は、この女にはめられたことを理解した。

「そうです、メールを送ったのはあたしなのです」

 考えてみれば、あいつが自分のメールアドレスに自分の名前を入れるというのは考えにくいことだった。
 佐々木ならばむしろ、哲学的数学的にくみ上げた、一般人には記号の羅列にしか見えないようなアドレスを使いそうなものだ。
 sskなんて単語をアドレスに組み込むのは、むしろ佐々木団ともいうべき一団のメンバーの中で、唯一現代慣れしているこいつしかいない。
 文面を見た瞬間に頭に血が上ってしまい、そこまで考えつかなかったのは間抜けというほかない。

「どうやって俺のアドレスを知った」

 個人情報保護法なんていう日本政府のありがた迷惑な法律に頼らなくても、無駄な広告勧誘のメールなんぞが来ないように、それなりにアドレスの管理はきっちりしているつもりだった。
 古泉の機関くらいの力があれば簡単に割り出せるだろうが、こいつに簡単にばれるような状況ではないはずだった。

「あなたのアドレスは、国木田君から教えてもらいました」

 回答は、意外すぎるものだった。

「あいつが……!?お前なんかに味方するような奴じゃない」

 中学からの付き合いのある国木田の義理堅さはよく知っている。
 こんな誘拐犯女の戯言で旧友に疑いを向けるほど俺は馬鹿じゃないつもりだ。

「彼の名誉に賭けて申し上げておくのですが、彼は、あたしの味方ではありません。
 佐々木さんの味方なだけなのです」

 嘘を言っている目じゃない。
 困ったことに、一応俺の目には、この女が嘘をついているようには見えなかった。
 そして、以前会ったときのような気の抜けた気配がまったくなく、焦りを感じさせる表情を浮かべていることが気になった。

「佐々木の味方と言ったな。話せ。何があった」

 嵌められたことは嵌められたわけだが、どうやら俺を誘拐しようというのではないらしい。
 むしろ、この女がここまで真剣な表情をしているということは、イヤな予感がした。

「代筆だと思って下さって結構です。
 佐々木さんが、この世界からいなくなりましたのです」

 ある程度予測された回答とはいえ、肝のあたりが冷たくなった。
 頭の中で反芻するまでもなく、既視感全開だ。
 前にハルヒの奴が閉鎖空間から世界改変を試みたときと同様に、今度は佐々木の奴が世界改変を試みたというのか。
 しかし、一年前の記憶がその考えを全力で拒絶する。
 かつてのハルヒはこの地上に失望して憂鬱だらけだったからそんなことを考えたのだ。
 しかし、俺の知る佐々木という奴は、決してそんなことをする奴じゃない。
 落ち着いて考えてみれば、佐々木が世界を改変する可能性は皆無に近い。

「本当なのです。信じて下さい」
「全力で無理だ」
「信じないというのなら、今ここで佐々木さんを呼び出してみますか。
 佐々木さんは帰宅して自室に戻ってから消滅したのです。
 靴はあるのに家の中にいないということがわかっておそらく警察沙汰になるのです。
 佐々木さんの今後の生活のためにも、あたしはできればそうしたくないのですけど」
「佐々木を人質に取るような言い方をするな」
「……お願いですからあたしへの敵意を解いて下さい」
「それも全力で無理だ」

 しかし、この女が嘘を言える状況でないことはわかった。
 一年前から変わっていなければ、佐々木の部屋には明かりが一応ついている。
 しかし、カーテンの中をうかがい知ることは出来ない。
 それでも、橘にとっては、もし嘘ならばすぐにばれるこの場所で話をしているということは背水の陣に近いということはわかった。
 むしろ、もし嘘をつくのであれば、検証が容易でない状況に追い込んでやるはずなのだ。
 業腹だが、どうやらこいつの言うことを信じるしかないらしい。

「何があってそうなったのか、教えてもらえるんだろうな」
「……信じてくれるんですか」
「お前を信じるんじゃない、佐々木が心配なだけだ」
「その言葉、佐々木さんが聞いたらどれほど喜ぶでしょうね。
 ともあれ、そうなったら善は急げなのです。
 話は道すがらします」
「って、おい、ちょっと待て」
「待ちません。
 今こうしている間にも、佐々木さんが泣いているのが私にはわかるんです」

 有無を言わせず橘は俺の手を取った。
 何をする、なんて言わなくてももうわかる。
 こいつは佐々木の閉鎖空間に突入する能力を持っているのだ。
 拒否しようと目を開けたままでいたら、視界中で目を焼くほどの虹色の光彩が八次関数でも描くかのように出鱈目な振動をしてくれた。
 う……目を閉じろと言われていたのはこのためか。

「もう目を開けていいですよ」

 うるさいな、開けっ放しだったんだよ。
 太陽を直視した後のように、視界が真っ黒に染まってしまった。
 何十秒かして、ようやくして見えてきた世界は、前に見たオックスフォードホワイトとは違い、ハルヒの閉鎖空間よりも濃い闇に沈んでいた。
 夜に入ったからというわけではないだろう。
 停滞している閉鎖空間の中が現実世界の時間と連動しているというのは考えにくい。
 閉鎖空間が佐々木の心の中である以上、この暗さはやはりただごとではない。

「入りますよ」

 考えている間に橘に手を引かれた俺は、いつのまにか佐々木の家の扉を、すり抜けて、いた。
 古泉とは違うようだが、こいつの能力はどうなっているんだ。
 いや、そんなことより、佐々木に何があった。そっちが先だ。

「詳しくはわからないのです。
 ただ、九曜さんから辛うじて聞き出せたところによると、佐々木さんは今日、涼宮さんと会っていたそうなのです」

 予想していなかった名前が出てきて、俺の心臓は軽く変調してくれた。
 佐々木とハルヒってそんな親しい仲だったか、という疑問以上に、何だ、この壮絶な不安は。

「私が、佐々木さんの精神が不安定になったのを察したのはその後だと思われるのです。
 そして、この世界に来て状況を監視していた私の眼前で、この世界は暗転しました。
 通常空間に戻った私には、佐々木さんがこの世界から消えていたことがわかったのです。
 なぜだかは聞かないで下さいね」
「わかってしまうのだからしょうがない、か」
「そうなのです。
 ですから詳しい状況はわからないのです。
 でも、とりあえず貴方が原因で、佐々木さんを泣かせたことは間違い無いのです

 かつて何度か上ったことのある二階への階段を登っていたら、いつの間にか主犯にされていた。
 まったく身に覚えがないぞ。
 反論代わりにじろりとにらみ返してやる。

「やはり貴方は一度死んだ方が世界のためなのですね。
 佐々木さんのためではないのでやりませんが」

 朝比奈さんを誘拐したお前になんでそこまで言われないといけないんだ。
 正直むかついて仕方がなかったが、佐々木の置かれた状況が放置しておけないものだということは間違いないので、仕方がないのでついていく。

「佐々木さん、失礼します」

 また鍵と扉を無視して、今度は佐々木の部屋に入り込んだ。
 記憶にあったころとさほど変わらないことが、暗転している中でもわかる。
 並んでいる参考書類が高校のものに変わり、いくつか小物が増えているくらいか。
 しかし、主のいない部屋に勝手に入るってのはやっていいことじゃないぞ。
 女同士でも問題あるのに、男が入っていいものじゃないだろう。
 佐々木に失礼だ。

「相変わらず配慮の方向が間違っている人ですね。
 今は非常事態なのです」

 何が間違っているというのだ。
 ともあれ入ってしまったものは仕方がない。後で佐々木に怒られるとしよう。
 で、お前は佐々木のベッドに近づいてなにをやっているんだ。

「やっぱり……」

 何がやっぱりだ、と言いかけたところで俺も気づいた。
 ベッドの中央に、何やら濡れている箇所がある。

「佐々木さんは、現実世界のこの部屋で一人泣いて、そこから逃げようとしたんです」

 今度は、反論できなかった。
 攫われたんじゃないかとか、佐々木が泣くような奴かとか、言い返したいことは色々あったが、なぜか出来なかった。
 それにしても、ハルヒの奴と話して佐々木が泣かされるとは。
 ハルヒの短気さと佐々木の冷静さを考えると逆のケースしか考えられないのだが。

「いきさつはとりあえずお前の言う通りだとしよう。
 で、ここからどうするんだ。そもそも現実世界から逃げたっていう佐々木は、どこに消えたんだ」
「もちろん、閉鎖空間なのです。
 つまり、こちら側です」

 そんなことはわかっている。
 とりあえずさしあたって、この世界で佐々木の行きそうなところをしらみつぶしにしてみるか。

「いいえ、もっと奥深くです」

 そう言って橘は、佐々木の机の上に置かれていたフォトフレームを手に取った。
 これは記憶に無い。
 そして、その中に収められていた写真は、もっと記憶にないものだった。
 いつ撮られたのか、誰に撮られたのかも記憶にない、俺と佐々木が笑いながら話している写真だった。
 服装からして、中学時代の夏頃だろうか。
 あのころは同級生の中では佐々木と話していた時間が一番長かったから、こんな写真を誰かに撮られていても不思議ではないが。

「少しは、理解できましたか」
「何がだ。この写真を撮ったのが誰かなんて想像もつかないぞ」
「……死ね」
「おい、丁寧語が消し飛んでるぞ」
「……済みません。
 あまりも罪深い男を前にして理性を保つのが困難でした」
「謂われのない誹謗中傷はいいから、どこに佐々木がいるのかわかっているんだな。
 早く案内しろ」
「もちろんそのつもりです。
 ですが、その前に確認しておきたいことがあります」

 まどろっこしい奴だな。
 しかし、橘の詰問口調は無視できるものではなかったので、首肯して続きを促す。

「貴方は、佐々木さんを何が何でも助けたいですか」
「……ああ。
 あいつが言ったように、俺は今でも親友のつもりだ。
 俺の方が世話になった記憶しか無いがな。
 その恩をせめて返さないうちは、倒れてもらっちゃ困る」
「死ぬような目にあっても、ですか」

 問いかけてきた橘の口調は真剣そのもので、愚問だなと一笑に付すことを許さない威圧感があった。
 さすがにそう言われると、俺だって命は惜しい。
 だが、佐々木はただの友人ではない。
 あいつの言う通り、親友というやつなのだろう。
 SOS団のメンバーが危機に陥ったときと同じくらい、俺は確かに焦りを覚えていた。
 あいつが危機に陥っていて、しかも、橘の言う通り、それの原因が俺だとしたら、俺は、何が何でも、あいつを助けてやりたい。

「ああ、出来れば死にたくないが、あいつを助けられるのなら死ぬような目くらい安いものだ」
「わかりました。かなり色々と不本意ですが、案内します」

 ふわりとした浮遊感の直後、俺たちの身体は橘が手にしていたフォトフレームの中に、落ちていった。
 落ちて、落ちて、落ちて、ようやく足がついたそこは、いつの間にか屋外に出ていて、目の前には途方もなく巨大な門があった。
 門といっても、フジテレビの建物のように幾重にも重なった無数の柱の集合体で形成された、えらく現代建築じみた門だ。
 門の梁にあたるところには、見覚えのある佐々木の綺麗な手書き文字で、

「この門をくぐる者、一切の希望を捨てよ」

 橘が、書かれていた文字を確認するようにつぶやいた。

「ちょっと待て、ここは地獄かよ」

 昔佐々木と雑談していた中で聞いたような覚えがある。
 地獄の門には、希望を捨てろと書かれてあるとかなんとか。

「いいえ、佐々木さんの心象風景に他ならないのです」
「そんな馬鹿な。
 俺はあいつと一年間一緒にいたが、あいつは心の中に地獄を飼っているような奴じゃなかったぞ」
「貴方が知っている佐々木さんはそうでしょう。
 ですが、他の人に対してはどうでしたか」

 佐々木は、……どうだった?
 男子に対しては一人称を僕として男言葉で喋り、女子に対しては普通に女言葉で喋るという妙な二面性を見せていた。
 だが、本当に二面性を見せていたのはそんな区分だったのか。
 あいつに仲のいい同性の友人がいたという覚えはない。
 女子からは頼りにされていたが、誰かとつるんでいたところは見たことがない。
 そして、あれほど顔がいいというのに、男子からの一致した見解は、失礼なことに「変な女」と来たもんだ。
 佐々木をまともに評価しているのは国木田くらいじゃなかったか。
 成績はずば抜けて高く、教師たちの評価は高かったが、さりとて教師たちと信頼関係を築いていたかというと盛大な疑問符が付く。
 一年以上ぶりに再会したときにも、高校生活を楽しんでいる様には見えなかった。
 現在時点においても、親しい友人などいる様子はない。
 この橘にしても、佐々木はあくまで知人として俺に紹介した。
 佐々木と一番親しかったのは俺で、それ以外は……。
 そこまで考えて、俺はようやく橘の言うことが理解できた。

「そうなのです。
 この門から先は、佐々木さんが自分の心を守るために作り出した無数の壁が現実化しています。
 私たちは、それを突破して佐々木さんの下へ行かねばなりません」
「おい、なんだか話がおかしくなってきたぞ」
「私は大まじめなのです。
 いいですか、私では出来ません。
 貴方にやってもらうしかないんです。
 これから、私を振るってもらいます」

 は?
 橘は、わけのわからないことを言った。
 俺の頭の中をクエスチョンマークが羽ばたいている間に、さらに追い打ちを掛けるような事態が目の前で進行していった。
 直立したままの橘の身体が発光しながら変形していくのだ。
 こいつは超能力者であって、ロボットではなかったと記憶しているんだが。
 見ている間にどんどんと身体が細くなっていき、最後には剣になってしまった。
 RPGでよく見る一般的なブロードソードという奴だ。
 稲妻が出るとか、ジャンクションできるとかいった機能は特になさそうだ。

“機関の超能力者は閉鎖空間で変身できないのですか”

 どうやっているのかわからんが、剣から橘の声がした。
 そういえば古泉の奴は球体に変形していたな。

“手にとって下さい”

 つつーっと空中を滑るようにして俺の手元にやってきた。
 手に取るって、握るのかよ。

「あのなあ。
 剣の形をしているとはいえ、女の身体を握るというのは、なんとも表現しがたい抵抗感があるんだが」
“……恥ずかしいことを考えないで下さい!”
「紳士だと言ってくれ。
 しかし、佐々木が作り出した壁を突破するって、こんなものを振り回したら佐々木の心を傷つけることになるんじゃないのか」
“今まで散々傷つけておいて……”

 剣の姿で溜め息をつくという曲芸を見させられた。

“安心して下さい。
 私はそちらの超能力者のように退治するような力はありません。
 ただ心の中に分け入るだけの力です。
 それを貴方が振るえるような形にしているだけ。
 佐々木さんの心を傷つけることはありません”

 本当だろうな。と疑ったところで、今の俺はこいつを信じるしかないわけだ。
 異世界の使者に略取される学園系ファンタジーノベルの主人公はこういう心境なのかね。
 仕方がない。
 覚悟を決めるとしよう。
 おそるおそる手を延ばして橘を手に取る。
 いや、これは剣だ、剣。

「ふむ、そんなに重くはないな」
“ダイエットの賜物です”
「それはいいが、こっちのこれはなんだ」

 いつの間にか俺の左手に円形の盾が装着されていた。

“貴方の自転車です。
 佐々木さんは絶対にそれを傷つけられません。
 佐々木さんがあなたを傷つけることはありませんが、追い払おうとする力は来るはずです。
 その盾で防いで下さい”

 防げって、言われてもな。
 変わり果てた愛車を前に俺は嘆息するしかなかった。

「なんだこの三流勇者スタイルは……」
“つべこべ言っていないで急ぎますよ。まずは門を開けて下さい”
「開けるって、こんなでかい門をか」
“人の話を聞いていなかったのですか。
 私が心の中に分け入る能力があるって。
 その扉は佐々木さんの心を閉ざしているものですから、私の力で通ることができます”

 説明されて逆に俺は暗然とした心境に陥ってしまった。
 佐々木がこんなにも重そうな扉で心を閉ざしていたという事実を、俺はまったく気づいていなかったのだ。
 その事実が我慢できなくて、俺は橘の剣を扉の真ん中に思い切り叩きつけた。
 こじ開けるというのか、突き刺すというのか、裂け切るというのか、よくわからない感触があって、真鍮のような質感を持った扉の中央に人一人通れるくらいの穴があいた。
 物理的な穴というよりも、次元を割いているような、実態性の欠落した黒い割け目という方が適切かもしれない。

“そこに飛び込んで!”

 と言われる前に頭から飛び込んでいた。
 途端に、水流プールを逆送するかのような強烈な圧力で押し込まれる。
 これが、佐々木が追い返そうとする圧力ということらしい。
 左手を前面に出し、愛車が変形した盾を正面に向けると圧力が弱くなった。
 なるほど、この圧力は確かに佐々木の力というか心そのものなんだろう。
 あいつはいつも、何が楽しいのか、俺の自転車に乗ることをとても嬉しそうにしていた。
 よほどこの自転車が気に入っていたんだな。
 流れが弱くなったところを見計らって、俺は流れに逆らってその先へと進んだ。
 不意に圧力が途切れ、常温常圧に戻った。
 どうやら門自体は突破することが出来たらしい。

“気を抜かないで!次来ます!”

 圧力が消えたと思ったら、次は白い羽を持ち、頭のない鳥たちが翼をはためかせて俺たちの近くに殺到してきた。
 視界を遮り、羽音を殺到させて聴覚までも奪ってくる。
 だが、どの鳥たちも俺たちを傷つけようとするのではなく、追い返そうとしてきた。

「あいつめ……」
“どうしたんです!?ちゃんと盾を構えて!彼らを追い払って下さい!”
「わかっている!」

 盾を構え、剣を振りながら、俺はいつの間にか歯ぎしりしていた。
 まったく佐々木の姿も何も見えず、声すら聞こえないというのに、俺は今いるこの世界が佐々木自身であることを実感せずにはいられなかったのだ。
 女子たちとは、仲が悪くはないが、どこか隔たりを持っていて、頼りにはされるが誰かとつるむということはなかった。
 男子に対しては男言葉で、自分が女であるということを感じさせない。
 誰も傷つけようとせず、誰も近づけようとしない。
 その真意が、その精神が、明確な形を為して、嫌というほど伝わってくる。

「冗談じゃねえ」

 思わず声が出た。
 そんな風に全てを遠ざけた世界の奥に閉じこもっているというのか。
 たとえそうであったとしても、佐々木は俺を親友だと言った。
 他の誰に対しても、佐々木がそんな風に呼ぶことを聞いたことはない。
 俺だけは例外のはずだ。

「佐々木!聞こえるか!自転車持って迎えに来たぞ!」

 そんな風に叫ぶと、鳥たちが一瞬ひるんだ。

“今です!”
「おう!」

 橘の言うことは少なくとも嘘ではなかった。
 剣に当たった鳥たちは切断されることなく、俺たちを避けて後方へすっ飛んでいく。
 佐々木の心を、傷つけることはないはずだ。
 無我夢中で剣を振るい、気が付けば目の前が開けていた。
 えらく果てのない荒野が広がっているんですがどうしてくれようか。

“こんなことなら、もっと早く貴方を連れてくるんでした”
「どういうことだ?」

 案内役はお前なんだからとっとと案内してくれ。

“佐々木さんの心の中に入ればさすがの貴方もスルーできないようですね”
「何がいいたい」
“わからないのならばやはり貴方は貴方です”
「どう聞き直しても誉められているようには聞こえんな」
“当たり前です。とにかく先へ行きますよ。方向はこれで合っているはずです”

    *      *     *

 とりあえず中略しよう。
 ひとまず言えることは、アクションゲームというのは人生に於いて身につけておくべき教養だということだな。
 ゲームで慣れていなければこんな長いステージとてもじゃないがクリアできんぞ。

“正直言って、少しだけ貴方を見直しました”

 そいつはどーも。
 スーパーマリオギャラクシーをクリアするくらいの工程の果てに、俺は一面の氷原にたどり着いていた。
 この佐々木の世界が地獄を模して人を拒んでいることを考えると、この最果てには神に背いた堕天使のルシファー君が封印されているというのが、イタリア人の地獄旅行家ダンテ氏の証言から推察される。
 しかし、そこにあったのは、小さな建物だった。
 普通の民家よりは大きいが、木造で瀟洒な作りをしており、古風な喫茶店のようにも見える。
 ラストステージに出現するには似つかわしくない建物だが、その扉だけはぶ厚そうな金属製の重厚なもので、ここが目的地であることを暗に示していた。

“通りますよ”

 さほどこの結果に慌てた様子もなく橘が急かす。
 また討ち入りするのか。
 まるで金庫のような扉に向かって、ヤケクソ気味に橘を叩きつけた。
 最初の門と同様に、扉の真ん中にワープホールのような割れ目が左右に分かれるように空いた。
 ここまでのアクションステージで怖いもの無しになっている俺は、躊躇いなく飛び込んだ。
 佐々木の中だというなら捕り殺されることはないだろうとは思ったがね。
 入り込んだ中は、薄暗いながらも見間違えようもない。
 書架が密集したこれは、図書館以外の何物にも見えなかった。

“やっぱり……”

 橘が臍を噛むように呟いたところを聞くと、こいつはこの展開を予想していたらしい。

「どういうことか説明しろ」
“佐々木さんが如何に周りを寄せ付けないようにしていたとしても、あの容姿ですからね。
 近づく男がまったくいなかったわけではありません”

 なんとなくむかつくが、それは理解出来る。
 古泉の奴も佐々木が魅力的だと評していたくらいだしな。

“佐々木さんとしては、それでも近づいて来た人には自分というものを見せていたはずです。
 貴方にそうしたように、自分を理解してもらおうとして”

 そこまで言われて気づいた。
 並ぶ本の著者のいくつかには聞き覚えがある。
 フロイト、デカルト、ソクラテス、クリスティー、アシモフ、ホーキング……。
 何かの折に佐々木が解説してくれた名前だ。
 これが佐々木の心の中なら、ここにある本は全て、佐々木が読んで身に付けたものだということになる。

「あいつ、これを全部読んだってのか」

 どう軽く見ても三千冊はある。
 しかも、軽そうなマンガなどはほとんど無い。
 哲学、自然科学、SFやミステリーの古典、神話、経済学等、かつてそれらについて佐々木からレクチャーを受けていなければ、タイトルを見ているだけで頭が溶けそうな本がずらりと並ぶ。
 長門といい勝負が出来るくらいじゃないだろうか。
 そういえば、文芸部の棚で見たような本もある。
 逆に言えば、高校二年の生徒が普通に読んでいるような読書量じゃない。
 この下地に支えられた会話に付いて来れるやつはまずいないだろう。

“わかりましたか”
「ああ、わかったとも。
 この図書館が佐々木の心自体でありながら、ここまでの地獄以上の壁だということがな」
“……そこまでわかっただけよしとしましょうか”

 奥へと進んでいくと、左右に並ぶ書庫には記憶に引っかかる本がさらにいくつもあった。
 そういえば中学最後の一年間は、塾で習ったことよりも、佐々木との会話の方が遙かに実りがあったな。
 様々な雑学を絡めた比喩なんて、佐々木に教わらなければできなかっただろう。
 高校に入ってから当たり前のように見ていた世界は、佐々木に教えられていたことが前提だったということに、俺は今頃気づいていた。

“その奥です”

 禁帯出庫。
 目の前に立ちはだかる精緻な浮き彫りが施された木製の扉には、そんな札が掛けられていた。
 なんだこりゃ。
 グーテンベルグの初版本やらヒエログリフの文献でも収めてあるのだろうか。
 佐々木が知識の出し惜しみをしたような覚えは、無い。
 いつも一を尋ねて十から百が返ってきた覚えしかない。
 佐々木が外に出すことを躊躇うような知識など、思い当たることが全くない。

“行きますよ”
「お前、遠慮とかそういうものは無いのか」
“この期に及んでそんなものはありません”
「やめて……」

 ん?今の蚊の鳴くような声は、俺じゃないぞ。
 閉鎖空間に突入してからこのかた、初めて佐々木の声を聞いた。
 やはりこの先にいるのか。

「やめて、ここに、入ってこないで……」

 その言葉遣いからして、俺ではなく橘に向かって言っているらしい。
 確かに俺が入ろうとしたところで、橘の協力が無ければ入れないからな。
 しかしこの言い方は、本気で嫌がっている。

「おい、佐々木は嫌がっているんだが」
“強行します”

 こいつは佐々木団の中では佐々木の一番の忠臣じゃなかったのか。
 俺はここで初めて、橘の言うがままに突入してきた自分に疑問を持った。

「駄目だ、佐々木の奴が嫌がっているのに、これ以上は入れない」
“それだから駄目だと言うんです!”
「何が駄目だというんだ」
“人の心を気遣っているようでいて、いて欲しいときにはそばに居てあげない、そんなことを繰り返し続けているから、あなたという人は……”

 なんだか古泉の奴に説教されているような心境だ。
 そういえばこいつは古泉に対応する超能力者だったな。

“遠慮し続けてしまう佐々木さんに対して、こうでもしなければ解決しないのです”
「や、やめて……やめて……!」
“行きます!!”

 こいつ、本気だ。
 握っている刀身からその覚悟が伝わってくる。
 佐々木が嫌がっていることはしたくないが、しかし、嫌がっているからといってしないことは、本当に正しいのか。
 嫌よ嫌よも好きのうち、なんて誰が言い出したか知らないが、少なくとも橘は、ここで引くことが佐々木のためにならないと信じている。
 そうだ、そもそも俺は何のためにここまで来たんだ。
 いなくなってしまった佐々木を取り戻すためじゃなかったのか。
 この先に佐々木がいて、引きこもっているというのなら、引っ張り出してきてやらなきゃならない。
 一時恨まれてでも、そいつのために動けるのが親友じゃないのか。
 少なくとも、佐々木は俺のことを親友と呼んだ。
 俺を親友と呼んでくれる奴は、他にいるか。

「行くぞ、佐々木。待っていろ」

 俺も覚悟を決めた。
 目の前に立ちはだかる書庫の扉に手を掛ける。

“え?ちょっと……何を”
「俺が開ける。悪いが、俺の手で開けないと意味がないと思うんでな」
 扉には鍵がかかっていたが、それほど頑丈なものじゃない。
 床に足を突っ張らせて、思い切り体重を掛けて打ち破る。
 SOS団に入った一年で、俺もアクション派になったもんだな。

「やめてえええっ!」

 う、佐々木を暴行しているような気になって、罪悪感がこみ上げてくる。
 それでも後には引けない。

「うおりゃああああっ!」

 熱血主人公のような熱い叫びとともに、扉を押し倒すようにして突破した。

「あ……ああああ……!」

 絶望的な佐々木の声が響く。
 そこにあったのは、聖書ではなかった。古事記でも、ハムラビ法典でもなかった。

「こいつは……」
“佐々木さん……”

 ハーレクイン文庫、コバルト文庫、りぼんコミックス、等々。
 それも今はやりのボーイズラブなど一つもない。
 もうタイトルからして少女少女してこっ恥ずかしくなるような、甘い、幼い、少女恋愛の結実のようなタイトルが特に中心に据えられていた。
 この図書館は佐々木がこれまで読んできた本の数々を収めたものだ。
 そして、これらの本が禁帯出として図書館の奥底に収められていたということは、佐々木がこれらの本を愛読しながら、そのことを誰にも告げず、誰にも知らせず、隠し続けてきたということになる。
 恋愛を精神病の一種だと言い続けていた佐々木の真実を、俺はようやく見ることが出来た。
 こいつがこんなにも女の子だったということを、俺はようやくにして知った。
 そのことに、あの一年間でまったく気づかずにいたことに、愕然となった。

 だが、どうしてなのか。
 どうして佐々木は、そのことを隠し続けていたのか。
 人間が異性を求めるのは本能だと評していた佐々木のことなのだから、恋愛に興味を持つということに、いくらでも理由を付けて言い訳をすることは出来たはずだ。
 正直言って、佐々木が本気でごまかす気になったら、俺なんかの知識では容易に丸め込まれていただろうしな。

「なんで、こんなことをお前は隠していたんだ……」

 思わず、疑問が口をついて出た。

“…………本気で、言ってます?”

 えーと、橘さん。なんか声に殺気がこもっているんですが。

“やはりこれでも駄目ですか。最後の手段に訴えるしかなさそうですね”
「橘さん……まさか……。いや、やめ、やめて!お願い!それだけは!」

 佐々木の声が絶望を通り越して半狂乱になってきた。
 なんだ。
 この期に及んで、まだ佐々木は隠していることがあるというのか。
 と、疑問に思った瞬間、ぐらりと視界が揺らいだ。
 図書館の禁帯出庫にいたはずが、一瞬にして世界が変わっていた。
 そこは、映画館だった。
 学校の教室四つ分ほどの広さがあるのに、座席が中央に二つしかない不可思議な映画館だった。
 座席の一つには俺が座っていて、隣は空席だった。

 気が付いた時点で、目の前のスクリーンには佐々木が写っていた。
 しばらく眺めていると、次々と編集された佐々木の日々の暮らしが映し出されていた。
 そこには、俺の知らない佐々木がいた。

 ひとりぼっちで、一日中誰とも話さない佐々木。
 教室の隅で、昼休みの間中ひたすら本を読み続けている佐々木。
 遠足のグループ作りで、敬遠されたあげく最後まで一人にされた佐々木。
 周りの生徒との競争に明け暮れ、ひたすらにノートと参考書に向かう佐々木。
 テストで高得点をとり、先生からは評価されても、周りから妬みの視線で囲まれれる佐々木。
 面と向かわない同級生らによって、所有物に間接的な嫌がらせを受けている佐々木。
 小学校時代の佐々木、
 中学一年の佐々木、
 中学二年の佐々木、
 高校一年の佐々木、

 どれ一つ、一度として、笑っていることの無い、佐々木。
 俺が知っている、快活に微笑んでいる中学三年の佐々木とは、まるで別人のようだった。

「ふざ……けるなよ」

 見ていて、猛烈に腹が立ってきた。
 その事態を引き起こしている奴に対してか、その事態を招いた奴に対してか、その事態に甘んじている佐々木自身にか、
 何に怒っていいのかわからないが、とにかく腹が立った。
 その中で、今ひとつ気が付いたことがある。
 佐々木は、一度も泣いていなかった。
 あんなにも寂しそうにしているというのに、あんなにもひどい仕打ちを受けているというのに、佐々木が泣いている姿は、一つ足りとて無かった。
 そのことに、なおさら腹が立った。

「橘……、俺は、いつまでこれを黙って見ていればいいんだ」

 とにかく、今すぐにでも佐々木に会いたかった。
 あいつに会わずには居られなかった。

“もう十分です。何をしなければならないかは理解してくれたようですから”

 答えた橘をひっ掴んで、俺は席から立ち上がった。
 だだっ広い部屋を後ろに向かって歩き出す。
 目指す場所は、映写室だった。

「どこへ行くの、キョン!やめて!そこは、そこだけはやめて!!」

 再び佐々木の声が聞こえた。
 さっきよりもはっきりと、そして、切迫感が増している。
 すぐ近くに佐々木がいる。
 いや、映写室の中にいることはもはや確実だった。

「入るぞ、佐々木」

 最後の扉は、ここまでの行程に比べると呆れるほど簡素で、そして、脆弱だった。
 鍵がかかっているが、こんなものは無いに等しい。
 強引に体当たりしてみると、すぐに壊れそうだった。

「いや、いや、いや!!やめて!やめて!やめてえ!」
“キョンさん、よく見て下さい。これは、貴方の罪です”

 橘がよくわからないことを言ったような気がした。
 二度目の体当たりで、えらくあっけない音を立てて映写室の扉は内側に崩れた。
 勢い余って映写室の床に転がってしまう。
 顔を上げたそこには、映写機の前にしゃがみ込み、ハサミを手にさめざめと泣いている佐々木の姿があった。
 なぜハサミを持っているのかという疑問には、その周辺の光景が答えてくれていた。
 映画ではシーンのカットをするために、フィルムをハサミで切る。
 つまり、先ほど見た映像から、佐々木の意志でカットされていたものがあるということだ。

 そのカットされたフィルムが、周囲を飛び交っていた。
 しかも、切り取られたフィルムの一つ一つが壁に動画を映し出し、トーキーのように音を立てていた。
 映し出されたそれらは、

『ああ!キョン!キョン!キョン!キョン!助けて!キョン!来て!キョン!』

 はっきりと、涙を流しながら、俺の名をひたすらに呼び続けながら、自分を慰めている佐々木の群像だった。
 あられもなく、はしたなく、淫猥で、それでも俺はだからこそ、それらの光景に目を奪われた。
 耳を研ぎ澄まし、響き渡る嬌声の一つ一つを聞き分けようとした。
 谷口が持ってくるエロ本やエロDVDなんて、目の前の光景に比べれば遊園地のメリーゴーランド程度の刺激しかない。
 乾ききった口の中は砂漠を歩く旅人のようで、俺は水を求めるかのように何かを欲していた。

「いやあぁぁぁぁぁ!やめて!橘さん!見せないで!こんな私を見せないで!
 こんなはしたない私、こんな醜い私、見せたくなかった……知られたくなかった!
 キョンに嫌われてしまう!キョンに軽蔑される!キョンに見下される!キョンの親友でいられなくなっちゃう!」

 なぜだ。
 俺にはその佐々木の叫びが理解できなかった。
 どうして、俺が、佐々木を軽蔑しなければならないんだ。
 佐々木の奴はこんなにも……こんなにも、なんだ。何かがおかしい。
 片側三車線の道路なのに、目の前に通行止めの標識と車止めと警備員が立ちはだかっているような気分だった。
 そのまま先へ進みたくて仕方がないというのに。

“見せなくてどうするんですか!”
「うぉっっ!」
「キョンーーーーーーーーーーーー!?」

 突如、後ろから蹴飛ばされたような感触があって、俺の身体はつんのめった。
 そういえば蹴りたい背中なんて作品もあったな、なんて悠長な考えは、胸から生えているものを見た瞬間に吹っ飛んだ。
 佐々木の奴が絶叫したのもむべなるかな。
 そもそも胸から何か生えているという時点で尋常ではないが、突き刺さっていたものがものだ。

「どういう……つもりだ」
「やめてやめてやめてやめてどうしてどうしてどうしてどうしてそんなことやめてキョンが死んじゃう橘さん橘さん助けて助けて助けてやめてやめてやめてええええええ!!」

 橘の剣が、ざっくりと俺の胸に突き刺さっていた。
 後ろに何かいる気配はない。
 ということはつまり、橘は自分の意志で俺の胸に突き刺さったということになる。

“一つ、言わずにいたことがあります。
 私の力は、そちらの超能力者とは違って、心の中に分け入ることだけ。
 でもその対象は、佐々木さんだけじゃないんです”

 ああ、なるほど。
 人生のピンチだというのに、俺はえらく納得してしまっていた。
 それこそ状況さえ許せば膝の一つでも叩きたいところだったね。
 橘たちと会見したときに何か違和感を覚えていたのだが、それが何なのかずっとわからなかったのだ。
 やっとわかった。
 どうして橘は、対立組織の存在であるハルヒの閉鎖空間のことを知っていたのか。
 佐々木の閉鎖空間に入ったときに、どうしてハルヒの閉鎖空間と比較して説明することができたのか。
 どうして暴れ回る神人のことも知っていたのか。
 それは、ハルヒの閉鎖空間にもこいつが入れたからに他ならない……!

“このときを待っていました。
 いかに貴方が性欲が欠落していると言っても、神々の選択権を有する以上、無いはずはない……。
 佐々木さんの世界で、佐々木さんの姿を脳裏に直撃されてしまえば、いかな貴方でも欲情せずにはいられないはず……!”

 心の中に入る、とはこういうことか……。
 橘の剣を蟻の一穴のようにして、そこから、周囲を飛び交っていた佐々木の痴態が容赦なく流れ込んできた。
 俺の身体の中で、いや、脳裏に直接、佐々木の痴態が幾重にも反響して俺のソウルをシャッフルしてきた。
 いや、それを痴態などと言っては罰が当たるだろう。
 俺が長きに亘って親友と呼び続けていた同級生の姿は、ああ、今なら納得できるし白状できるとも。
 神々しいまでに美しく、艶やかで、扇情的で、


 ……初めて俺は、佐々木を欲しいと、思った。


「……キョン?」

 その瞬間。
 百万のガラスを一度に叩き割るような荘厳な音が、俺の体内から響き渡った。

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最終更新:2007年11月11日 08:01
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