1-446「ほろ苦バレンタインチョコ」

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あれは2月半ばの登校日だっただろうか。
当時中学3年生の三学期などと言うほとんど学校へ行く事もない時期を過ごしていた俺は、
1月前半辺りまでこそ件の塾へ冬期講習なんぞに参加していたものだが、
その講習も終了すると共だって参加していた佐々木にもパタリと会わなくなり、
家に篭って受験生らしく受験勉強に励む日々が続いていた。
そんな中での久々の登校日で、気分転換にはちょうど良かった。
しばらく会ってなかった奴らとも話したくなってきた頃合だ、
なんて事を思いながら教室を覗けば、何のことはない、同じような事を考えてる連中は
多いようで、その喧騒で教室内はかなりの盛況ぶりを見せていた。
「やあ、キョン」
声を掛けながら近付いてきたのは佐々木だった。既に本命の私立に合格決定し、
どことなく余裕が感じられる。この時期に手すきとは実に羨ましい事だ。
「ところがそうでも無いのさ、高校の予習が中々面倒でね。
まったく、受験が終われば4月までは勉強しなくてもいいと思ってたんだが、ね」
おどけた調子でぼやいてみせる佐々木。
そんなものかね。本命の試験が控えている俺にとっては、
既にこのプレッシャーから解放されているというだけで十分な羨望の理由になるぜ。
「そうか、キョンは市立だったね。今までの首尾はどうだ?」
「とりあえず安全圏の私立に仮内定ってとこかな。
金が掛かるから、あまり行く気はしてないけどな」
「ほう? キミがそんな殊勝な事を考えていたとはね」
佐々木が喉の奥でくっくっと笑う。
「そんなんじゃねえよ」
何しろ私立へ行く事になった場合は小遣いが増えないのだ。
遊び盛りの年頃なのに自由になる金が少ないのは侘し過ぎる。
「くく、なるほど。ではそんな殊勝なキミにプレゼントを賜ろう」
プレゼント? 何だそりゃ。
「これだ」
鞄の中から取り出されたのは、綺麗な包装紙に包まれた小さな箱。
「最近ちょっと煮詰まっててね、気晴らしを兼ねて試作してみたんだ」
中に入っていたのは、これまた小さくて、黒い菓子。
「へえ? お前、菓子作りの趣味なんてあったのか」
ひとつを摘み、口へ放る。
にがい。
「ぐお……」
思わず絶句する俺。見れば、佐々木の奴は体をくの字に曲げて笑っている。
こいつ、知っててやりがったな。いやしかし、それよりこの口の中のこれを何とかしなければ……苦い。
「ふ、くく、すまない。そんなに見事なリアクションを貰うとは予想外だったよ、ふふ」
あのなあ。思わず頭を抱える。
「いや、悪かった、くく。しかし、それを作ってみて解った事もある」
何だ、それは。
「僕の進路から、少なくともパティシエとか、そういうのは無くなったわけだ。
他にも色々とやってみたが、どれもどうにも上手くいかない。何せその」
俺の手の中にある箱を指差して
「チョコレートですら、多少はまともにできたかと思えばその有様だ。
作ってる時は中々楽しめるんだがね」
そういうもんかね。まあ佐々木的には楽しめてるのでオッケーと言うことらしいし、
気分転換の手段の一つとしては合っているのかもしれん。
俺の場合はどうだろうか、などと漠然と考えながら、無意識にもう一つ。
何だろうね、この苦さは。

それから一月ほど経って、俺たちも卒業式を迎えた。
俺はと言えば北高への入学手続も終わり、今や晴れて自由の身だ。
長いようで実際長かった3年という期間も、終わってしまえば正にあっという間であり、
高校での3年はどうなるものかと脳裏を過ぎったが、まさかあんな連中と遭遇するとは
この時は夢にも思っていなかった。まあそれはいい。
校長やら何やらの長い話を前日遅くまで起きてたせいで胡乱な頭で流しつつ、
卒業式が終わる頃には眠さから来るだるさもあってか、すっかり体が冷えていた。
暖房もろくに効かない講堂に何時間も詰めさせられてりゃ当然だ。
「佐々木」
講堂から教室へ戻る道すがら、佐々木に声を掛けた。
「キョン。何か?」
「お前、打ち上げまでどうする?」
打ち上げというのは卒業式の後、卒業生が集まって行うパーティのようなものの事だ。
うちの中学では定例化していて、俺も佐々木も一応出ることになっていた。
「いや、特に考えてないな……なんだ、何か振舞ってくれるのか?」
くく、といつもの笑い。
「こないだお前にキッツイやつをお見舞いされただろう、あれのお返しさ」
「謹んで遠慮しておこう」
すまし顔で返答されてしまった。
「……と言いたいところだが、キミが何を作ったのかは興味をかき立てられる。
いいだろう、その挑戦、受けて立とうじゃないか」
不敵な笑顔。挑戦て、お前ね。
その後。学校が終わり、俺は佐々木と自宅へ帰ってきた。
「また随分とユニークなものを作るものだね」
得体の知れないものを見るような目で佐々木は差し出された皿の上のそれを観察している。
あまり見てるなよ、観察したところでぼたもちなんぞに観測選択効果が働くわけも無く、
したがって美味くも不味くもなったりすまい。それより何より、
うちの余り食材でこしらえたもんだからな、あまり期待されても困る。
佐々木が箸を取り、含みやすく分けたそれを口へ運ぶ。跳ねた鼓動が一度。
「……うーむ」
佐々木は何やら納得のいかない顔をしている。
「和菓子よりと言うのは僕の思考には無かったな……」
どういう感想だよ、そりゃ。よくわからん奴だ。
「なに、予想以上だったんで驚いているところさ。
キミの隠れた特技とでもいったものを知った気分だよ」
何言ってやがる、そんなもんじゃねえよ。俺も「気分転換」をしたくなっただけさ。
「はは、そうか」
佐々木はなぜか嬉しそうに笑っていたが、やがてそれが例のくつくつ笑いに変わり、
「しかし余り食材にもち米があるとは、キミの家は変わってるな」
悪戯っぽい笑みを浮かべた、佐々木の黒い瞳が俺を見つめていた。
……観測選択効果っていうのは、人間の心理にも有効なのかね。
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最終更新:2013年03月03日 01:20
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