サンタクロースを信じているわけではないがクリスマスプレゼントはありがたく頂戴したいというのは、日本中の子供の偽らざる共通見解だろう。
そんな年の瀬も迫ってきた頃のことだ。
模試のために遠出した日曜日の帰り道、佐々木と繁華街を歩いていて、必然的にクリスマスというものの話題が出たのは。
「あそこまで来るともはやサンタも何もないな」
サンタコスプレの20代女性などもはや珍しくもない。
もっともあの水着のような部分だけの赤服はこの12月には堪えるだろうな。
「元が男性の聖人であることを考えるとキリスト教に対する冒涜と言ってもよいのだろうけど、不思議とこれについて異議を唱える人は少ないね」
以下、セントニコラウスという人物についての講義を五分ほど拝聴する。
「なるほど。しかしクリスマスというのはもはやサンタクロース記念日だな。
元はイエスキリストの誕生日なんだが、子供がおもちゃを貰う日に格下げされているとしか思えんな」
「くっくっ、そうはいっても君もご両親からプレゼントは貰うのだろう?」
「そりゃそうだ。こんなありがたい風習を逃してたまるか」
お年玉をクリスマスプレゼントを拒絶する子供なんざいたら見てみたくもないね。
「ならばクリスマスがサンタクロース記念日になるのは必然というものさ。
この日本においてサンタクロースはもはや恵比寿様や弁天様と同じ外来の神様になっているよ。
神社は日本中の玩具屋。
お参りすることによる御利益は、子供の健やかな成長だ。
よい子はサンタさんからプレゼントをもらえるのだから、みんなよい子になりましょう。
いい神様だと思うね」
そういえば弁天様は元々インドの神様という話を佐々木から聞いたような覚えがある。
考えてみれば閻魔大王もお釈迦様もみんな外来だが、原典なんぞ勉強したこともなく信じているな。な
るほど、一般的日本人の中学生としてはそんなところで納得しておけばいいものなのかもしれん。
「だがなんでカップル記念日になるのかね」
クリスマス当日ではないにしても、繁華街を行き交う人間の中には、明らかに子供に与えるクリスマスプレゼントとは無縁らしい、未婚のカップルがわんさかいる。
当日はもっと増えるんだろうな。
まったく、こちらは学友とともにテストに疲れた帰りだというのに、見せつけるようにいちゃつくなと言いたいね。
「神の子が生まれた日だからだろう。
神の子にあやかり、次の世代の子供が生まれるための生殖行為を行うといったところではないのかな」
佐々木の解説が妙に投げやりだった。
さっきのまでのサンタについての嬉々とした解説と比べると、はっきりとわかる。
「佐々木、お前クリスマスに恨みでもあるのか」
「勘がいいね、君は。
そう、僕もサンタクロースは好きだが、元の意味でのクリスマスは嫌いなんだ」
「イスラム教徒だというのならわかるが、クリスマス自体が嫌いというのは珍しいな」
俺は神なんて信じないからクリスマスなんか拒絶してやるんだぜ、なんて中二病全開の同級生がいることは否定しないが、佐々木はそんな見栄とは無縁だろう。
まして女の子なら、聖なる夜なんてロマンチックな代物は大体好きなものだと相場が決まっている。
もっとも、佐々木を一般的な女の子という区分に入れるのは少々無理があるか。
「正確に言えば、クリスマスに生まれた神の子というのが気に入らないんだよ。
イエスキリストの出生については知っているかな」
「少しくらいならな。あれだろ、厩戸皇子のモデルになったとか、東から三賢者が来たとか」
「妙に詳しいね。だがそれは生まれたときの話だ。
聖母マリアはイエスキリストを処女受胎したと言われている。
これは大いなる奇跡であり、身ごもらせたのは神又は聖霊である。
ゆえに父親が神である神の子だということになっている」
「眉に唾を付けたくなる話だな」
なんで処女で受胎したなんてことがわかっているんだというあたりから下世話なツッコミが入れられそうだ。
「くっくっ、一刀両断にしたね。
ところで、マリアには婚約者がいたということは知っているかい?」
そっちは初耳だ。
「婚約者がいたのなら普通にそいつの子供なんじゃないのか」
「順当に考えればその方が自然だね。プロテスタントはそう主張している。
だがここはカトリックが主張している通りだと仮定して話を進めようじゃないか。
そうだとするとね、これは女性というものに対するこの上なき侮辱だと僕は思うんだよ」
「侮辱になるのか。神様が来たら祝福になるような気がするが」
「ではたとえ話をしよう。僕に婚約者がいたとする。
しかしそれとは関係のない人物が配下のSPに命じて睡眠中の僕に自身の精子を注入して妊娠させてしまった」
おいおいちょっと待て話が洒落にならないぞ、と止める間もなくとんでもない話が進行した。
「その人物は一つの宗教において神と崇められていて、権力財力ともに申し分ない。
僕はその人物の子供を産むように選ばれたのだから喜ぶがいいと言われた。
さあ、この状況で君は僕を祝福するかい?」
しばらく俺は返答できなかった。
悩んだのではなく、ようやく佐々木の言わんとすることがわかり、それ以上に目もくらむような怒りを覚えたからだ。
「絶対にそんなことはしない。それより先にそいつをなんとかしてぶん殴りに行くぞ」
佐々木は一瞬目をぱちくりさせてから、ふっと笑った。
「殴っても事態は解決しないだろうけどね。
だがたとえ話でも感情移入してくれたことは嬉しいよ、キョン」
「そんな不快なたとえ話はもうご免だ」
佐々木がそんな風になる未来など考えたくもない。
「済まなかったキョン。だが、僕の言いたいことは概ねわかってくれただろう」
「ああ。マリアの意志が完璧に無視されているってことだな。
彼女だって婚約者がいたら、そいつと添い遂げたかったろうにな」
というかそれは寝取ると言わないか?
いくら神様でもやっていいことと悪いことがあるだろう。
神の名の下の結婚という行為が途端にうさんくさく思えてきたぞ。
花嫁を取られた婚約者ってのはどんな心境だったのやら。
あくまで仮定の話なんだが、先ほどの例え話の影響か、妙に佐々木とだぶらせて考え込んでしまう。
気が付くと佐々木がじっと俺を見つめていた。
「どうした?」
尋ね返すと、佐々木は慌てて顔をそらした。俺の顔に何か付いていたのかな。
「それだけじゃないんだよ。
子供を作るということは男女がお互いの身体をさらけ出し、重ね合わせるということだ。
男と女とが人間として機能しなければそれは為し得ない。
たとえ強姦で女性の意志が無視される状況であったとしても、少なくとも女性であるということは認められているのさ。
それが欲望の対象であったとしてもね」
愛と言う言葉が出てこないあたりが佐々木らしい。
だがなるほどな。佐々木の言いたいことがわかってきた。
強姦は少なくとも相手を人間の女と認識していて、それを手に入れようとする行為ではある。
婦女暴行は人権を踏みにじる行為ではあるが、逆説的ながら相手を人間であると認識しているからこそ成立する行為なのだ。
……認めたくはないがな。
「それに比べて、神の行為は彼女を人間扱いしてないな」
「そういうことさ。
男性を惹きつける容貌も、快感を覚える神経も、男性器を受け入れるための機能も、己が認めた相手に純潔を支える喜びも、欲望の対象としての肉体も一切不要。必要なのは子供を産む機能のみ。
これが女性に対する侮辱でなくてなんだというんだ」
そう言われてみるとこれはひどいな。世の中の女性はもっと怒っていいと思うぞ。
「そうして望まれぬ子供を生んだ古の女性が、僕は哀れでならない。
僕はそんな神など認めない。
いかなる神にもこの身体は侵させない。
僕が子供を孕むときには、この魂と本能が選び認めた男性に全てを委ねたときだ」
真っ直ぐに俺を見つめて語る佐々木の表情は、なんだろうな。
皮肉なのか逆説的なのかわからんが、そう、あえて言えば神々しく思えてしまった。
「誰だかわからんが、そいつが羨ましいよ」
佐々木が魂から認める男性というのは、それこそ神でもないといないんじゃないかと思うが、これは言うまい。
だが、俺としては友人が幸せになることを祈るばかりだ。
さてしかし、この場合何に祈ったらいいのかね。
ただどうも、佐々木が期待した回答ではなかったらしく、何やら大きなため息が聞こえてきた。
ふむ、俺がそんな奴を捜してこようかと言えばよかったのかな。
それはそれで微妙に腹が立つのでやりたくないのだ。
娘を嫁にやるわけでもないのにな。
「君という人間は……まあ、いや、それでこそキョンだよ。
ではひとまずちょっと暴食でもして涜神と洒落込まないかい」
祝福の場に喧嘩を売るつもりかよ。
だがそれも悪くないか。
俺と佐々木はひとまず手近にあった白ひげ爺さんの店に入ることにした。
後から思えば、この会話は一年少々未来の逆説的な暗示だったのかも知れん。
神を憎んでいたはずの佐々木自身が神様になってしまった。
神の横暴を憎んでいたからこそ、平穏な世界を求めようとするその意識は理解できる。
だが、あいつは誰と結ばれたらいいんだろうな。
とりあえず俺としては、親友と言ってさほど差し支えないあいつを助けてやるとするか。
おわり
最終更新:2007年12月29日 00:25