6-786「夢花火」

8月はもう暦の上では秋、で残暑というらしい。
しかしながら、この浴びせかけられるような蝉の声、目の前の揺らぐ景色。
これぞまさしく俺の愛する夏の風物詩である。
まさしく今夏真っ盛りなのだ。
そして、俺は今まさしく灼熱のアスファルトの上を予備校目指して走っているわけである。
予備校は夏季営業期間ということで、昼過ぎに始まり夕方5時に終わるスケジュールになっている。
真夏の真昼間の炎天下を自転車で走るのは酷なものだが、塾が普段よりも早く終わるとなぜかお徳な感じがするから人間不思議なものだ。
で、そんな塾へと向かう道。
普段は、荷台にもう一人乗せているのだが、今は夏休み。
学校であいつの顔をみることもなく、ゆえに一緒に予備校へ行くこともない。
話し相手のいない道のりは普段より少し長く感じる。
その日は、そんな夏休みの一日だった。

授業開始の5分前に教室につくのは、ついついだらけてしまう夏休みだからということにしておこう。
階段を上がって教室へ向かおうとしたとき、教室の前で壁を背に立つ級友の姿が俺の視界に入った。
「よぉ、佐々木。」
と、片手を挙げて軽く挨拶してやる。
すると、そいつは壁から背を離し、俺のほうへ向き直りながら、
「やぁ、キョン。」
と片手を挙げて短い挨拶をした。
「教室の外で何をやっているんだ?誰かを待っているのか?」
「んー、そうだね。まぁ、正確に言うと誰かを待っていた、となるかな。」
一瞬、頭の中でクエスチョンマークが踊る。
目の前の佐々木はカードを選ばそうとしているマジシャンのような笑顔で俺を見ている。
そして、くっくっ、と笑い声を上げながら、
「つまり、僕の待ち人は今目の前にいるということだよ。」
相変わらず、ややこしい話をする奴だな。
―っといけね。
もうすぐ授業が始まる。
時間がない、話なら手短に頼むぜ。
「誰のせいで時間がないと思っているんだい?」
はい、俺のせいです。
「僕が取り急ぎ確認したいのは、今日の夕方、君のスケジュールは空いているかどうか、ということだ。」
当然のことながら、この一介の中学3年男子の夏休みに一丁前な予定など入っているわけもなく、その日の夕方は見事に空いていた。
俺がその旨を佐々木に告げると、あいつは、わかった、詳しい話は授業が終わってから、と言って、教室へ入っていった。
なんか質問というより確認に近い感じだったが、まぁいいや。

午後5時、時間通りに授業が終わる。
佐々木のほうへ歩いていこうとすると、佐々木は左手の親指で教室のドアを指差した。
どうやら、外で待っていてくれという意味らしい。
俺は鞄を担ぎなおして、塾の外へ出た。
塾から出てくる学生の顔を眺めながら時間をつぶしていると、5分ほどして佐々木が出てきた。
「やぁ、キョン。少し待たせてしまったね。」
「いや、別にいいよ。んで、用事ってなんだ?」
一瞬佐々木が唇を親指で押さえて言いよどむようなしぐさをした。
珍しい、こいつがそんな動作をするなんて。
「キョン、僕たちは今年は受験生で受験勉強を最優先しなくてはならない立場とはいえ、息抜きは必要だ。」
お前のその意見には大賛成だ、佐々木。
ただ、自分がそんなにまじめに勉強をしているかと言われると少し疑問だが。
「それに今はせっかくの夏だ。どうせ息抜きをするなら夏の風物詩を楽しむのが一番だと思うのだがね。」
視線をあちらこちらに泳がす佐々木の姿はその日初めて見たね。
普段の人を食ったようなどこか飄々とした感じがしない。
他の学生たちはあらかた帰ってしまったようで、あたりは通勤帰りのサラリーマンばかりだった。
「あぁ、そうだな―」
頭の中で夏の風物詩に考えをめぐらせる。
花火、スイカ、海水浴、盆踊り―
どれもこれも素敵だね。
受験生には縁遠そうな夏の風物詩に思いをはせながら、佐々木の顔へ視線を向ける。
黒いきらきら光る瞳が俺を見ている。
ほんの少しの間をおいて佐々木が口を開いた。

「いっしょに夏祭りに行かないかい?」

なんでも、佐々木の家の近所で地元の夏祭りがあるらしい。
それが今日の夕方で、せっかくだから受験の息抜きがてら行かないか、とのことだった。
ちょうど受験の息抜きがしたかった俺は二つ返事でオーケーした。
普段から息抜きばかりしたがっているだろう、という突っ込みは勘弁していただきたい。
で、それからどうしたかというと―
俺は佐々木の家で、佐々木の部屋の前にいた。

佐々木は荷物を置いておきたいのと、着替えをしたいのでいったん家に戻るがキミはどうする?と尋ねてきた。
本心を言うなら、俺も鞄を家に置いて、身軽に夏祭りを楽しみたかったが、
家に帰ってから再び外へ遊びに行くとなると妹がうるさそうだ。
家には電話で連絡を入れて、そのまま行くことにした。
というわけで、俺は佐々木と一緒に佐々木の家まで向かうことになったわけである。

佐々木の家は、なんか立派な一戸建てだった。
予想通り、というかなんというか。
ガレージとかあるぞ、立派なガレージとか。
と、俺があほみたいに口を開けポケーっとしていると、家の扉を開けた佐々木から声がかかった。
「何をしているんだい、キョン?我が家のセキュリティーホールでも探しているのかな?」
と、振り向きながらいたずらっぽく俺を見ている。
馬鹿野郎、お前道を行く人が聞いたらあらぬ勘違いをしてしまうじゃないか。
ただでさえ、住宅街の真ん中で立ち尽くす男の姿は怪しいのに。
佐々木は喉の奥で笑い声を上げて
「なら、家の中へあがってくれるといい。そんなところに立ち尽くすとあらぬ疑いを掛けられるよ。」
いや、ちょっと待て、それは中にお前のご両親とかがおられるとですな、ちょっといろいろと入りづらく―
「大丈夫。両親は共働きで、今家には僕しかいないよ。」
そんな俺の考えを察したのか、佐々木はそう言った。
しかし、それはそれでやばいような気がするのだが―
というわけで、俺は佐々木の家の中へと入ってきたわけである。
「お邪魔しまーす。」
と誰に対してでもなく、小声で言う。
佐々木は笑ってるんだが、あきれてるんだかよくわからない表情で
「いらっしゃいませ。」
と言った。
家の中は予想に違わず、セレブリティーな雰囲気のするものだった。
リビングに置いてある立派なテーブルとソファなんかいくらするか想像もできんし、
なんかえらい大画面なテレビとか、大砲みたいに立派なスピーカーとか。
もはや、暮らしの水準が家とはまるで違う。
母親をここにつれくれば「佐々木さんと同じ大学にいけないわよ。」なんて戯言をいうこともなくなるだろう。
住む世界が違うんだから。
根っからの貧乏性のせいで落ち着かない。
せめて、テーブルの上に食べかけのポテチの袋なんぞが転がっていれば、それがどれだけ俺の心の支えになってくれることか。
「それじゃあ、キョン。適当にリビングでくつろいで待っていてくれたまえ。」
くつろげるか。
二階への階段を上っている佐々木の後を追いかける。
「あー、悪い佐々木。できればお前の部屋の前で待つとかできないかな。もしも、お前のご両親が帰ってきたときにリビングで鉢合わせると非常にこう、あの、あれでだな―」
このリビングでくつろいでいるところを、佐々木の両親に鉢合わせなんかした日には、もうなんか目も当てられない事態になるのは、目に見えているというかね。
この年で修羅場はまだ結構でございます。
「まぁ、別にかまわないよ。あ、でも一応これだけは言っておくよ―」
そう言って、俺のほうを振り向いた佐々木は両手の人差し指で小さな×を作って
「覗かないでね。」
唇を端をにぃっと吊り上げて、くるりと部屋の中へ入っていった。
覗く気など毛頭ないが、だからと言って他にやることがあるわけでもなく…
俺は廊下に座り込んで、ぼーっとあごに手を当てている。
当然のことながら、あたりは物音ひとつなく、静かだ。
この家の中に漂うどこか重厚な感じとあいまって少し息苦しい。
「キョン、そこにいるのかい?」
扉越しに佐々木の声が聞こえた。
「あぁ。いるよ。なんだ?」
「いや、なんでもない。」
「そうか。」
そういえば、佐々木の部屋ってどんなんなんだろね。
あいつのことだから、ピンクの女の子女の子した部屋ではあるまい。
シンプルかつ機能的な内装で、小難しい本とかがいっぱいありそうだな―
「ねぇ、キョン―」
「どうしたんだ、佐々木?」
「いや、えーっと、まぁ、すまないね。待ってもらって。」
なんだ?
えらく歯切れが悪い、普段の佐々木らしくないな。
「そんなことなら別にかまない。」
と言いつつ内心、両親が帰ってくるまでに早くして、と思っていたのは内緒だ。
キィ、と短い音を立ててドアが少し開いた。
隙間から佐々木の顔が少し覗いている。
「?」
少し困ったような顔をした佐々木はそれからゆっくりと部屋の扉を開けて出てきた。
手を前に組んで緊張した感じで立っている。
「…どうかな?」
そのときに俺がどんな顔をしていたのかはわからない。
ただ、泉に斧を落としたきこりが妖精を見たときに同じような顔をしていたんじゃないかと思う。
もっとも、俺が見たのは妖精ではなく、浴衣を着た同級生なのだが。

薄紫の帯と白地に蒼い紫陽花の柄の浴衣、は佐々木にどうしようもなく似合っていた。
その姿を見たら、俺が思わずあほみたいに口を開けてしまっていたことも納得してもらえるはずだ。
「…変かい?」
浴衣の袖を手のひらで握りながら、佐々木が不安そうに訊いてくる。
「いや、よく似合っているよ。」
もっと気の利いたせりふを言いたかったところなのだが、
いかんせんついさっきまで思考停止していたため、ありふれた言葉しか口にできなかった。
ここで似合っていないとなどと言える奴には、迷わず眼科か精神科をお勧めする。
佐々木は何も返答はしなかった。
けど、その代わり、二度と見れないであろうあいつのあんな輝くような笑顔を俺に向けていた。

なんだかんだで時刻はもう6時近かった。
少し、佐々木の部屋を覗いてみたかったのだが、佐々木に追い立てられるように、俺と佐々木は急いで家の外へと向かった。
別に佐々木の両親のご帰宅が怖かったわけではなく、もう祭りがいい頃合だからということだ。
佐々木は手際よく、玄関から下駄を出した。
外に出てみると、改めて自分の格好と佐々木の格好が不釣合いなのがわかる。
「ずいぶん待たせてしまってすまないね、キョン。浴衣の着付けは昨日何回か練習したのだが…」
カラコロと音を立てながら、佐々木が俺の後をゆっくりついてくる。
なるほど完璧な着こなしはそのおかげか。
じゃあ、自転車でひとっ走り行こうか。
自転車を引っ張り出すと、俺はそれにまたがった。
「待ちたまえ、キョン。」
そう言って佐々木がカラコロ音を立てながら、俺のほうへと歩いてくる。
「まったく。キミは浴衣姿で僕に自転車を漕いでみせろというのかね?」
そうあきれ返るような口調で言うが早いか、俺の自転車の荷台に腰を下ろした。
「あぁ、わりぃ。」
「朴念仁という言葉はまさにキミのためにあるようだね。」
そう言って佐々木は右手を俺の腰に回した。
いつもどおりの見慣れた光景だ。
ただ、ほんの少しだけ少し香水の匂いがした。
「いくぜ、佐々木。」
そう言って自転車を漕ぎ始める。
端から見たら俺たちはどんな風に見えるんだろうね。
夕日に染まった町並みはまるで別世界のようで、俺はどこか不思議な場所へ迷い込んだような非日常的な錯覚に陥っていた。
背中に佐々木の額が当たっている感触がする。
今、佐々木はどんな世界を見ているのだろうか。
少し湿気を帯びた風が心地いい。
どこか言葉を忘れてしまったように何も言えない。
背中をくすぐるあいつの髪と、腰に回された細い腕だけがその存在を俺に知らしてくれていた。

しばらく走っていると家族連れや中学生らしき集団を目にする機会が多くなってきた。
そして、縁日の屋台が見えてくるころ、日の光はもうずいぶん弱まっていた。
「たそがれ、か。たそがれる、という言葉があるように、
 この闇と光の狭間は一瞬だけ別世界に迷い込んでしまったみたいだね。」
後ろのあいつがそう語りかける。
お前ほどたそがれるって言葉が似合うやつはそうはいねーよ。
「それはどういう意味だい?」
そう言って喉の奥で笑い声を上げた。

自転車を適当な場所に止めて佐々木を降ろす。
時刻はもう7時前か。
昼飯を食ってから、何も食っていなかったので腹が減った。
「とりあえず、佐々木。何か食いもんを買おう。」
自転車から降りて下駄を履きなおしている佐々木にそう声をかける。
「あぁ、そうだね。」
佐々木はそう素っ気のない返事を返した。
歩きはじめるとすぐにその佐々木の素っ気無さの意味がわかった。
慣れない下駄で砂利道を歩いているせいで、あいつはこけないようにするだけで精一杯だった。
下を必死に見ながら歩いている姿はまるで綱渡りだ。
おっと―、そう言ってバランスを崩した佐々木の肩を支えてやる。
「すまない、キョン。やはり普段慣れないことはするものではないな。」
そう言って俺の顔を見上げて苦笑いをする。
「あぶなっかしいな。」
佐々木の右側に回って左腕を少し上げる。
「俺の腕につかまって歩くといいだろ。」
「えっ」、たぶんあいつの心の声が聞こえたら、そう言っていたに違いない。
そんな驚いた顔をして、大きな目をより大きく見開いて俺の顔を見た。
そして下をうつむくと左手で浴衣の襟をつかみながら
「これくらいで大丈夫だよ―」
と右手で俺の左手を握った。
佐々木の手は小さくてやわらかかった。
その小さな手を壊れないように、俺は力強く握っていた。

それから屋台で焼きそばを買った。
佐々木は普段の饒舌さもどこへやら、口数は少ない。
ただ、俺の手を離すことはない。
そして
「キョン、少し行きたい場所があるんだ。」
と、立ち止まって俺の左手を引きながら言った。

なんでも、佐々木の話によるとこの夏祭りでは7時半から花火が上がるらしい。
佐々木が時間を気にしていたのはそのためだった。
その花火の絶景ポイントがあるらしいので、そこへ行こう、とのことだった。
と、いうわけで二人で祭りで用意されたベンチに座って焼きそばをかきこんで、その場所へ向かうこととなった。

その場所は神社の境内の脇にある生垣だった。
縁日と少し離れたその場所には人気は少なく、生垣を背にすると、あれだけいる祭り客がまったく視界には入らない不思議な場所だった。
「実は、この場所は花火がきれいに見えるポイントからは少しずれているんだ。
 だけれども、そのおかげで他の祭り客に邪魔されることなく、花火を楽しめるんだ。」
おそらく、学校の試験で満点をとったときでも見せないような得意な顔で佐々木は俺を見ていた。
「なるほど―」
そう俺が言ったとき、最初の花火が上がった。
確かに佐々木の言うとおり、花火の打ち上げ場所からは少し距離があるせいで、絶景ポイントとは言いがたい感じだった。
しかし、花火がまるで俺たち二人のために上がっているような感覚は、また格別のものだ。
「まるで夢みたいだろう。」
遠くの花火を見つめながら佐々木がそう語りかける。
光のあと、時間を置いて響き渡る爆発音が聞こえる。
「僕はこの花火を写真で撮ろうとする人には賛成できない。
 ましてやそれが携帯電話のカメラ機能なんていうならなおさらね。
 花火は一瞬だけ輝いて、そして消えてしまうものなんだ。
 それを、記録して残したいなんてあさましい人間のエゴだよ。」
「そうだな。」
「過ぎ去っていく時間の一瞬だけを切り取って、それを永遠に保存することなんてできない。
 そんなものを信じ、すがろうとする人間の浅ましさはまさに精神病だね。
 変わっていく世界のほんの一瞬だけが永遠に続いていくなんて、愚かしいにもほどがあるよ。」
そして、佐々木の肩が俺に触れた。
「だから、僕はこの一瞬を焼き付けているんだ。
 もう二度とは来ないこの一瞬を―」
遠くを見つめる佐々木の目には何が映っているのだろうか。
花火?それとももっと別の何か―
でも、佐々木よ―
「確かに何もかも変わっていくけれども、できる限り『変わらないように努力すること』ならできるぜ。」
一瞬あっけにとられたような色が佐々木の顔に浮かんだ。
そして、聞きなれたあの笑い声を上げながらあいつはこう言った。
「キミらしいね。
 なら、キョン。お願いだ。
 出来る限りでいい、キミは変わらないでいてくれよ―」
そして、あいつはそれから
「―のままで。」
と言ったのだが、その声は花火の音にかき消されて俺には聞きとることは出来なかった。

『夢花火』

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最終更新:2013年02月03日 15:20
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