沖縄は、これまでシマ社会と呼ばれ、相互扶助の生活が日常化された共同社会と考えられてきました。
しかし、第二次世界大戦と、その後の基地の島としての固定化、さらに日本への復帰による本土化の中で、これまでの精神風土が崩され、共同性も生活習慣も大きく変えられてきたといわれています。
その中で、子どもたちの中でさまざまな事件が起こり、親による子どもへの虐待や放置といった現実も起こってきています。また学校で、地域社会でのきびしい現実も起こっています。
どうして、このような状況が生まれてきてしまったのか。日常的に子どもたちと関わりつつ沖縄の暮らしを考えつづけてこられた方々に、現場から感じる子ども論を語っていただこうと考えています。
長い間、子ども会活動に関わってこられた玉寄さんには、子ども会の歴史を。そして、児童相談所の現状を砂川さんから、さらに保育園と子育て支援センター「なんくる家」の活動から見えてくるものを石川さんに。
そして最後に久高島での子どもたちとの関わりを坂本さんに語っていただき参加者と共に沖縄の子ども社会について考えたいと思います。できれば今後も継続した集まりとネットワークが、このシンポジウムから生まれることを期待しています。 加藤彰彦・小沢牧子(司会)

児童相談所から見る子どもの様子


砂川恵正(中央児童相談所所長)


児童相談所ではこれまで保護者または学校等関係機関の相談・通告により援助活動を開始されていたのが、現在は子どもの人権保障、最善の利益という視点で要保護状態の解消への対応が強まり、保護者及び関係機関からの相談等がなくとも、保護者の意図としない介入的援助活動を開始しなければならないようになりました。
県内の要保護児童の家庭の特徴の一つに養育意識の低さ、単身世帯、経済的困窮世帯または自己の出身世帯との関係を絶った孤立的な世帯等が見られます。このような家庭の状況から子どもの養育機能を見るとネグレクト状態の家庭が目立つように思われます。児童虐待だけでなく、非行相談の家庭背景にもかなりの数でネグレクト家庭が認められます。
ネグレクトの状態(子どもと保護者の関係性)によって、その後の子どもの心身の発達やあらゆる場面での適応状態に大きく影響してきます。従って保護者の養育意識の変容を図る援助を行わなければなりませんが、その為には児童相談所完結型の援助では限界があり、地域のあらゆるマンパワーをまきこんだ援助体制が必要になります。命の太さを実感しつつ、児童相談所の任務を果たしたいと考えています。

社会福祉法人みどり保育園


石川キヨ子(社会福祉法人みどり保育園園長)


わたしは20代でみどり保育園を立ち上げました。そして、何のためらいもなく園長になりました。正直にお話すると、ためらいがあったかどうかを忘れてしまっているのかもしれません。
保育園歴ゼロの園長の誕生でした。わが子2才、母親歴2年生の園長でした。無我夢中ということばをそのまま生きてきました。考えるゆとりはなく、ただただ仕事(保育)を身体で覚えるという感覚でした。
ベテラン保育士の中に混じった新米園長です。
時は過ぎて……30年が経過しました。古い保育室は改修工事を終えました。園庭のガジマルは大木に、わたしの頭には白いものも……。孫の世代が入園してきます。いまやっと(お恥ずかしいのですが、本当にやっとこの頃)子どもの育つ力を心底信ずることができるのです。子どもの動き一つ一つに意味があること……。眼差しの先の興味関心と行動に移すときの頃合いの測り方。飽くなき探求心と旺盛な欲求。大人が世話してあげるのが「子ども」だと思っていた私たちの想像をはるかに超えた命の太さ。
魂の尊さと崇高さ。己を信ずる力……すべて大人が失ってしまったものをもっているのが子どもたちなんだと思い知らされました。目まぐるしく動く価値観の中で、一番身近な存在の子どもの生命力こそが揺るぎないものであることに気づくことこそ、自分の存在に気づくことではないでしょうか。わたしたち大人は何かを心の底から信ずることをやめてしまっています。でも子どもの育ちを見つめながら、ふたたび信じられる存在が目の前にあることを確認していきたいです。
わたしもやっとそのことに気づきました。子どもの置かれている立場を守るためにも子どもの存在を中心にお話してみたいと考えています。

久高島留学センターからの報告


坂本清治(久高島留学センター代表)


久高留学センターの活動について


親元から離れて山村や離島に生活しながら、その地域の学校に通学することを「山村留学」といいます。当センターは10数名の小中学生が共同生活する山村留学の寮で、2001年にスタートしました。
静かで美しい環境、独特の文化的背景、適性規模のコミュニティ、その中での共同生活が子ども達を大きく成長させています。学校の児童生徒数の増加(5年間で12名から48名へ)、人口も20数年ぶりに300人代に復活したことは県内の離島関係者の耳目を集めています。

現状とこれから


当センターの募集活動は手作りのホームページだけで行われていますが、年間100件以上の問い合わせがあり、相当数の方をお断りしていることになります。留学を希望する子どもたちの中にはとても困難な状況(イジメ、引きこもり、不登校など)にある子も多く、子どもたちを取り巻く環境が急速に悪化していることも背景にあると考えています。
一方、学校存続や地域振興のため、他の離島関係者から同活動の導入について相談を受けるケースも続いています。子ども達と地域の双方にとって有益であるこの活動を、沖縄県行政の一つの看板として、全国の子どもたちに発信し、多くの離島やヤンバルでたくさんの子ども達を受け入れられたら素敵だと思っています。


(玉寄哲永さんから浅野誠さんにシンポジストの変更が在りました。)


浅野誠(浅野にんげん塾主宰)

最終更新:2006年05月04日 23:14