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うぃ、ようやく書きました2回目。今回が善悪感の本番です。
つーわけですので、初めに「善」て何?と。
ぶっちゃけると、人に「善い事」しましょうとか言いますが、んじゃそもそもその「善い事」って何ってわけです。
答えもこれまたぶっちゃけると、してもらった側が得する行為です。が、もう一個付け加えないといけないことがあります。
社会的に構築された善の概念として、「することが当たり前」ということがあります。つーことは、義務ってやつです。
なわけで、どーゆーことかというのを分かりやすく説明すると、
自分がどんなに忙しくて、大変な状態でも、困ってる人がいれば助けなければいけない、というわけです。
まぁ単純に書けば「自分<他人」という式。勿論こんなの理想論であってそんなことできないので、現実的には「自分>他人」になります。
ですが、「自分>他人」の図式が成り立つのは助ける側の人間の理屈であって、助けられる側の理屈では全く成り立ちません。
そんなわけないと思ったあなた、自分が困ってるのに見て見ぬふりされて何かいらついたことないですか?その中の一人くらいに用事があるとか考えました?
まぁ、個人的偏見ですが、おそらく大体の人はいらついたことあるでしょうし、用事があるとか思い当たらなかったと思います。
理由ですが、小さいころの情動教育で「人が困っていたら助けるのが当然」が原因。こういうのって逆もまた真なり、なので「自分が困ってたら助けてもらうのが当然」を教え込んでもいます。
で、何が言いたいかというと、結局善なんぞやってもらう側に決定権があるのであって行う側になんぞありゃしないということ。
それから、僕は基本的に人間には善い行いが出来ないと思ってる人間です。何故かというとですが、そもそも善の定義は他者利益であると同時に、義務です。
義務っつーことは、報酬何ぞありません。っていうか、やることが当たり前ってかやらないといけないことやって報酬貰うっておかしくね?
ちなみに日本じゃ納税に義務はあっても労働に義務はなかったはず。労働は権利なので報酬があります。
なわけでね、善い行いってやっても報酬もらっちゃいけないわけです。で、何が報酬かというと、
二種類あるけどまず外的報酬。金銭とか物品は当然ですが、極論言えばある行為に対して外から何か見返りがある、ことなので、お礼も当然含まれます。
次、内的報酬。どんなもんかっつーと、満足感とかそんなもんです。分かりやすく言うと「あーゆーことして良かった」って思うこと。これ内的報酬。
つまり何が言いたいかというと、善い事ってやったとしても「善い事したな」とかって満足もしちゃいけないってこと。だって義務だもん。やらないといけないことだし。
突っ込まれる前に、善い事は権利じゃねぇと先に言っておきます。
何故かというと、善悪は正確には当事者を一切無視して第三者集団が決めるんですが、この場合では、助けてもらう側にだけ行為の善悪の決定権があるからです。
何で、と聞かれても、そーゆーふーに教育してるからとしか言いようがないです。まぁ、さらに言うなら、そーゆーふーになってると社会の都合がいいから。
結局善悪も社会の都合なので、そんな神経質になると社会の狗になるわけです。
ついで言うと、善は個人のためにあるわけじゃないので要注意。確かに善は助けてもらう側の利益優先ですが、結局数重視です。多数派のためにあるのが善です。
間違っても正しいからとか自分が良い行いしてるから善だなんて馬鹿なこと考えないこと。これははっきり言っておく。
「数が多い=社会を構成するのに有益=多数派を助ければ社会の継続にとって有益=善」であって、個人の思想なんぞこれっぽっちも関係ないし影響しないしするわけない。
大多数が利益を得られるなんて誰が決める?そんなこたどこかの誰かが勝手に決めたことだし、そのどこかの誰かだって基本的には権力者だ。
そも刑事裁判もそんなんだし。要は「善」=行った方が良い行為ってしてあると社会が続いていくのに楽ってか続いていきやすいと判断されたからなだけ。
言い方変えると、社会継続に人殺しが有用であるとかそんな風に判断されれば人殺し=善になっていたかもしれないってこと。あくまで仮定だけど。
後、僕がここまでこういうのをしつこく書くのにはもう一つ理由がある。
人を助ける=善っつーのはまぁ多分社会的に言われてると思うんだけど、何か違和感を感じないかなと。いや、感じないなら感じないで良いけど。
ほら、何かこれって人を助けることは「善」だから助けるって感じになるけど、そもそも人を助けるって行為に善悪も何もないだろうと思うわけですよ。
助けたいから助けるじゃいけねぇわけ?と思うんだけど、どうなんだろうね実際。
そりゃ上に書いた、「人を助けるのは当然=人に助けられるのは当然」と「社会継続しやすい=善」とで考えればさ、そういう社会の方が長続きしやすいかもとは思うけどさ。
善だから助けるのかね、と思うんですよ実際。人を助けるって行為が目的じゃなくて、善いことだから人を助けるんですかと。
そりゃまぁね、社会で作られた道徳観念とか叩き込まれてますからね、僕も。人を助けることが善いことだからするっていうのが全くないとは言いませんよ。言えませんよ。
けどさ、心構えとしてはやっぱり「善いことだからしよう」とか思いたくないわけですよ。つーか何かこれって歪だよなと思うわけですよ。
ぶっちゃけりゃぁさ、善い事じゃなかったらしねぇって言ってるようなもんだしさ。うん、そこら辺どうなんだろね。
えー、何か中途半端ですが今回はここで終了。次回は僕が何でこんなもん書こうと思ったかっていう理由とか
自分は正義、つーか善大嫌い人間ですが、その理由を書きます。
いやもう過激にバンバン書くので一応流し読み程度に見てください。


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最終更新:2009年06月07日 10:56