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よく行くサイトのリンクに「神様がいるのになぜ殺し合いが止まらないの?」というのがあったので、個人的な考えを書いてみます。

まず初めに言っておくと、僕は無神論者です。といっても、信じる対象としての神はいない、ではなく、現世に何がしかの現象を起こす神はいないという意味での無神論者です。
その理由は、色々とあるのですが、主な理由としては、運命決定論が自分の頭の中にあるからだと思っています。
仮に、何らかの現象を引き起こす神がいる、もしくは何らかの現象を引き起こさせる神がいるとすると、人間は何か行動をするたびに自分の意思以外―いわゆる神―によって行動を決められていると考えられます。
ただ、ここで勘違いしてほしくないのは、僕は決して「自分の意思以外の何かによって自分の人生を決められているのが嫌だ」と言いたいわけではなく、「行動の責任を自分の意志以外のもの―例えば神や全く他の何か―に押し付けるな」と言いたいのです(とはいえ、自分の人生を神とかに決められているならそれはそれで文句を言いたいですが)。
人間がやることは、人間の意志で行うことであって、それ以外の何かによって引き起こされるものであると考えるのは、自身の行動の責任から逃れようとすることだと言わざるを得ません。
人殺しをするのはいけないこと=悪行であるし、神というのは善の代名詞ともいえるものでもあるので、「殺し合いなどが止まらないのに、何で神様は何もしてくれないの?」みたいな事を言いたくなるのは分からないでもないです。
でも、それはあまりにも情けなくは無いでしょうか?人間のやることを、人間が解決できないから、人間よりも高次の存在とされている神に頼るのは。
無論、これは人間が絶滅するまで解決することの無い問題であるかもしれません(或いは、この問題は解決できないと断定すべきかもしれない)。しかし、だからといって、解決できなくてもいいと投げるのはもっと問題があるのではないかなと思います。

色々難しいことを久しぶりに書いて疲れたので、ここら辺でもっと簡単に言いたいことを言うと、自分の命も他人の命も大切に出来ない人間は誰かを幸せにすることが出来ないし、まして世の中を変えることなんてもっと無理だって事。
そもそも、自分が死んじゃったら自分の意見を通すことも出来ないし、人を殺した人間の言い分をまじめに聞こうという人間もおそらく(余程情状の余地が無い限り)いないに等しい。
自分の言いたいことを聞いてくれないから、暴力に訴えるのかもしれないけれど、そんなことをすると余計に強情になって更に話を聞いてくれないのは、よく考えればすぐ分かること。
それでもやるのは、やっぱり心のどこかで自分の命も、他人の命も軽く見てるからじゃないのかなと思います。


カテゴリ: [たまには…] - &trackback() - 2010年08月28日 22:00:27
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最終更新:2010年08月28日 22:36