金糸雀の昼食は格調高い購買の菓子パンである。

ある・・・・・・はずだったのだが。

ぐきゅるるるるる~。

「はぅ・・・・・・お財布を忘れてきたかしら・・・・・・」
昼休み、以上の理由で金糸雀はまたもピンチに陥っていた。
空きっ腹をおさえつつ、ここ食堂(来てから財布が無いことに気づいた)の長テーブルにうなだれる。
今日金糸雀は弁当を持ってきていなかった。みっちゃんの帰りが遅かった翌日は購買で何か買って食べることにしているためだ。
「お腹と背中がひっつきそうかしら・・・・・・そうなると内臓はどこに行っちゃったのかしら?」
空腹のせいでうまく頭も回らない。
今日は朝も食パン一枚である。すでに2時間目の終わりごろから金糸雀の胃袋は主人に対して正当な要求を繰り返していた。
このままでは家に帰るまでに餓死してしまうかもしれない。と言うかもう死にそうだ。
なんとか活路を見出さねば。
教室に戻れば真紅たちが集まって弁当を食べていることだろう。誰かからお金を借りて、なんとか食い繋ぐことにしよう。
「動け・・・・・・動け足よ!何故動かないかしらー!」
なんとか教室に戻るまでのエネルギーを絞り出し、えっちらおっちらと廊下を歩き、階段を上る。
実は各階に停止するエレベーターもあるにはあるが、何故か教職員専用とされ、一般に生徒が使用することは許されない。
「今度から空腹が極限の生徒にはエレベーターの使用を認めるべきかしら・・・・・・」
法案を金糸雀大審院に提出。全カナ一致で可決。施行。後は効力の発揮を待つばかり。
要するにただの願望だった。

無駄な思考でエネルギーを浪費しつつも、どうにか教室にたどり着いた金糸雀は、昼時の喧騒の中に真紅たちの姿を探し求める。
といっても大体昼休みには真紅の席に皆が集まることになっている。真紅が自分から移動するようなタイプでないのは明らかなためだろう、いつのまにか自然とこの形ができあがっていたのだった。
見れば、中ではやはりいつものようにいつもの面々が真紅の席を囲んで弁当を広げていた。
真紅、雛苺、翠星石に蒼星石の4人。
ちなみに水銀燈と薔薇水晶は教室で昼を食べない。
水銀燈の方は、中等部時代に翠星石の尾行(バレバレ)によって屋上で食事をしているということがわかっている。主にコンビニの弁当やパン。食堂や購買も利用しない。
昔から1人でいることを好む水銀燈である。これまで何度か(主に蒼星石あたりが)それとなく「一緒に食べないか」と誘ってみたこともあったが、答えは変わらず『NO』だった。
「あなたたちと一緒にぃ?・・・・・・冗談じゃないわ」
薔薇水晶も水銀燈と同じく食事は屋上だ。
しかし水銀燈と一緒に食事をしているわけではなく、あえて10メートル程離れた物陰で食事を採っている。
最初は50メートル(屋上の端から端)だった両者の距離が、今では何と5分の1である。
いつか彼女が水銀燈の隣で食事をできる日が来ますように、と密かに祈る一同だった。

そんなわけで水銀燈と薔薇水晶のいない教室。
人の出入りが多いため開けっ放しの戸から中に入ると、真紅たちの会話が聞こえてきた。
主に蒼星石が何やら話しているようだ。聞き役が多い蒼星石にしては珍しいこともある。
「・・・・・・でね、今度楽器屋にでも行って・・・・・・」
たまたま周囲の音にまぎれて聞こえてきたその言葉に、思わず金糸雀は立ち止まった。

楽器屋。

楽器。

ふいに暗澹たる気分が押し寄せてくる。
楽器。その単語は、金糸雀の脳裏にあるひとつの記憶を呼び起こす。
「何の話をしているのかしら・・・・・・」
ここからではいまひとつ会話の内容が聞き取れない。
気になるが、しかし裏腹に聞きたくないような気持ちもあった。
・・・・・・そうだ、誰かにお金を借りなければ。そのために真紅たちのところへ行こうとしているのだ。
そう自分に言い聞かせるものの、揺らぐ心には体の方も従ってくれなかった。
駄目だ。足が動かない。




そうやって教室の入り口で立ち尽くしていると、ふいに雛苺がこちらを振り返った。金糸雀に気づくと、満面に笑顔を浮かべて手を振ってくる。
「かなりあー、おかえりー!」
真紅と双子もこちらに気づいた。どうも少し驚いているような表情だ。食堂へ行くと言って教室を出たのに、すぐに戻ってきたせいだろうか。
しばしためらった金糸雀だったが、雛苺の笑顔を見ると少し気が楽になった。いつでも誰にでも笑顔を向けられる彼女には、場の雰囲気をやわらげ、緊張を解く力がある。
なんとか感情のさざ波を抑え、こちらも笑顔をつくると金糸雀は思い切って友人たちのもとへと駆け寄った。
「ふっふっふぅ・・・・・・教室よ!私は帰ってきたかしら!!・・・・・・ってそんな元気も無いかしら。お財布忘れちゃったのよぅ。誰かギヴミーカネーかしら」
簡単に現状を説明し、友人たちに借金を申し込む。
「またですかぁ?呆れたチビですねえ。今朝といい今といい、ちったー落ち着きってものを持ちやがれです」
やはりというか、いち早く反応したのは翠星石だった。
ぴき。
翠星石の憎まれ口は予想通りであったが、やはりこめかみ辺りがひきつってしまうのがわかる。
しかしここは大人になるのだ金糸雀。今は翠星石の相手をしている場合ではない。無視して残り3人からお金を借りるのだ。
しかし冷静な判断を試みる金糸雀に対し、翠星石は容赦なく毒舌を浴びせかける。
「大体今学期に入ってから何回忘れ物してるですか金糸雀?あまりに多すぎて私は途中でカウントするのを諦めたです。宿題やら弁当やら、よくもまあそこまで忘れられるです逆にすごいです驚愕です。この前『宿題忘れないように手のひらにメモったら風呂で流れて結局忘れた』なんて話聞かされた時にゃーこっちを笑い死にさせる気かと本気で疑ったですよ」
ぴきり。ぴし。
頭部の血管が異様な音を立てている気がする。しかし耐えるのだ金糸雀。無意味な雑音だと割りきってしまえ。いつものこと。無視してしまうのだ・・・・・・。
「しかし物忘れもここまで来ると芸術の領域です。真似しようったって真似できるもんじゃないです?まぁ誰も真似しようたー思わんですけど。確かなんとかの忘却曲線ってやつで言うと常人は大体20分で記憶の40パーセントを失うそうですが翠星石が思うに金糸雀の場合は曲線の傾きが常人の4倍くらいで5分もあれば記憶の半分を失ってるに違いないです。指数関数的にもほどがあるです」
びきびし。ばきり。
無視、して・・・・・・・。
「ともあれ『忘れる』ということは案外貴重な能力かも知れんです。人間嫌なことがあっても忘れられるからなんとかなるです。その理屈でいくと金糸雀なんかはストレスゼロに違いないです。150歳くらいまで長生きすることうけあいです。変わりになーんも覚えてないですけど。朝ごはん食べた3秒後に『はて晩ごはんはたべたかしら?』とか言ってるに違いないです。もしそうなったら食費は浮いて世話する人間は大助かりですけど」
びし。びきびきっ。ばちばちばち。
無、視・・・・・・。
「案外もう近いことはやってるかもです?昨日の晩ごはんとかが思い出せなくなってきたらもう老化のきざしです。なぁんて哀れなチビ金糸雀ですぅー。この歳でもう青春を終えてしまってるなんて涙がちょちょ切れるです。今から老後に備えて介護の申し込みを済ませておいた方がいいです。なんならいい施設を紹介するですなんの感謝はいらんです私たちは友達ですからでもそこまで言うなら気持ちくらいは受け取ってやるですよ高級ハムとかワインとか。あ、洗剤はいらんですあれはかさばる上にそんなに使わんですし。」
無、
「施設に入ったら毎日毎日お見舞いに行くですぅ。いえいえいいんですよ行くたびに金糸雀が私たちのことを忘れても。例えそうなっても私たちの友情は永遠ですから。そうです、お見舞いの品は何がいいですか?みんなでお金を出し合って買ってくるです。あ!そうだセーブ機能が無い携帯ゲームのRPGとかはどうです?それなら一つだけ買って持っていけば後は必要ないです。だって永遠に楽しめるわけですから」
ぶちんっ。
金糸雀の中で確かな音を立てて、何かが切れた。


最終更新:2006年12月18日 17:36