しゅくしょうしゃしゃき伍 後編

「見失ったのはあなたのせいなんだから、早く見つけてください。こちらはもう佳境なのです。あとはちゃんと連れてきてくれれば……頼みますよ。彼女無しに計画は完了しないのです」
通信を終え、橘京子は簡素な通信機をベッドに放った。
正直なところ放りたいのはむしろ自分の体の方だったが、やるべきことはまだ残っている。
普段の彼女なら仕事など昼間の内に済ましてあるはずのものだったが、今回の仕事はそう簡単ではないのだ。そして、急ぐ必要もある。時刻は丑三つ刻をとっくに過ぎていたが、寝落ちる訳にはいかなかった。
「ふふ……しかしこの苦しみを乗り越えた時、そこには大いなる感動が……」
血走った目をギラギラと光らせながら、組織の幹部はノートパソコンを開く。
連日の徹夜で疲労はピークに達し、頬はこけ、口からは湯気が上がり、自慢のツインテールも今や萎びたフランスパンと成り果ていたが、それでも彼女はキーを叩き続ける。鬼気迫るとはこのことだろう。
すべては、幸せな未来のために。あらゆる意味で、ヘヴンはすぐそこだった。

 

《しゅくしょうしゃしゃき伍 後編》

 


「と、特盛り……!」
最初に見えたのは、白い天井だった。
何が特盛りかは言うまでもないだろう……悲しい寝言で、私は目覚めた。
当然のようにキョンはもう傍らに居ず、部屋には冷たい空気だけが漂う。
また単なる夢だった、特盛りは所詮現実ではなかったのだ。そう思うとまるで胸が締め付けられるような………
………違和を感じた。何故だ。胸がキツい……?
待て、思い出せ。私は縮んでいたはずだ。この胸部、こころなしか普段より少し萎んでいるような気もするが、どう見ても昨日の状態ではない。

飛び起きて部屋の姿見に自身を映し、驚愕した。

当時は恐らく人生で最も多く鏡を見ていただろう。だから見紛うことは有り得ない。
二年前の、15歳の私が、そこにいた。


顔を洗い、髪を整えながら昨日から今までを思い返す。
突然の縮小、キョンとの疑似同棲、有り難い幸せ、そしてまた突然の復元。
……………昨日一日で一生分の痴態をさらした気がする………
うっすらと藤原に昨日の私を殺すように頼もうかと思ったが、それはとりあえず置いておこう。
考えるべきは、今の私のおかれた状況だ。


一体何が起きたというのだ。いつかのキョンの話では涼宮さんの力は安定してきていて、今回の改変だって本当に久々のはずだ。
仮に昨日キョンがまた口を滑らして中途半端に戻されたとして、何故この姿なのだ。キョンと私との思い出は中学三年生の一年にのみあるというのに。
―――唯一神は涼宮さんで、世界は涼宮さんだけの都合に合わせて変わる。涼宮さんが望んだから私は縮んだ。
これは私の知り得る限り、大前提の筈。
ようやく回転してきた頭で改めて思い返すと今回の事件、何もかもが神の思うように回っていない気がする。それに幾つか気になる点もある。

この事件の原因は、本当に神様だけなのか……?

そこまで考える頃には、外へ出る準備は整っていた。手にはキョンの忘れた鞄。ダッフルコートの中に着ているのは中学の頃の制服だ。
目的地は北校。表向きには名目は二つ、学校見学と、そして忘れ物を届けに。前者は教員用で後者は生徒用だ。真の目的は、別にある。
情報を得る必要がある。それもなるべく早く、正確な情報を。


自宅から北校へは少々距離がある。キョンもそれを見越して自分の自転車でここまできて、今朝もそれで向かったようだ。
私もそれに倣い自転車で向かう事にしたのだが……
「徒歩で行けば帰りは後ろに乗せてもらえるだろうか…」
………………妄想などしている時間はない。
さぁいざ行かん、とハンドルに手を掛けると、籠の中に見知らぬトートバッグを見つけた。
当然昨晩はクリスマスではないし、他に私には物品を無償で譲ってくれるような足長のおじさん的な人間に覚えはない。
………いや、いた。一人だけ。

『いざとなったら、これを使って下さい。with LOVE 京子』

そう書かれたメモと共に、バッグに入っていた何着もの怪しい子供服を見下ろして、私は溜め息をついた。とりあえず、持って行こうか……。

自転車を降りてから校門に着くのには、意外と時間が掛かった。軽い筈の足取りが重かったのは、たぶん右手の不審物のせいだったのだろう。
自身の異変に気付かなかったのは、キョンの鈍感が伝染っていたからだろう。

 


●   ●   ●<場面カッワーレ

 


電話を切った古泉が、神妙な面持ちで言った。
「佐々木さんが…………また、改変の影響を受けたそうです…」

………引っ張り過ぎだ古泉。その一言を言うのにどれだけ時間を掛けている。半年以上だ、わかってるのか。待ってた人も少数ながらいたんだぞ。見てくれていた人の多くは、既にいないかもしれない。それ程の時間をお前は一体何に……
「僕に文句を言われても……しかし、驚きましたね。まさかまたもや僕の気付かないところで改変が行われていたとは。これも涼宮さんの力と見て間違いないでしょう。縮んだのが、事実ならね。ところで、案外反応が薄いようですが……?」
「これでも一応驚いてはいるさ」だが取り乱しても仕方がないので、話を進める。「橘は他になんて?」
古泉は携帯電話――よく見ると怪しい茄子型のストラップをつけている――をしまいながら、こちらに向き直った。
「ええ、その佐々木さんですが、既に北校へ向かっているそうで、我々に彼女を保護して欲しいt「長門、今佐々木はどこにいるかわかるか?」
「彼女の正確な位置座標の算出は不可能。大まかに言えば校門付近にいるはず」
「よし、行ってくる」
言うが早いか、俺は部室を飛び出していた。
ハルヒが中途半端に戻ったところをみると佐々木にも半端な改変が起きていると考えるのが妥当だ。しかし、恐らく単純に17-10+9=16とはいかないだろう。ならばとにかく早く行くべきだ。
一段抜かしで階段を降り、授業中の筈の教室から隠れるようにしながらも全速力で校門へ向かった。一秒でも早く側に行きたかった。
佐々木を守ってやらなければならない。
誰でもない、俺の心がそう叫んでいる。
自身を駆り立てるこの衝動は、一体いつからあったんだろうか……?

昇降口から飛び出して校門に目を向けるが、門柱の影にはトートバッグと濃紺のコートしかない。いかん、まさか既に誘拐されたんじゃ………!
「佐々木ッ!!どこだ!佐々………」
思わず、言葉を失った。
放置されているコートがもぞもぞとうごめき、次の瞬間大きなフードの中から栗色の髪の天使が顔を出したのだ。
いや、訂正。わっかがないから天使ではなく、天使と見紛うようなあどけない顔の少女だった。
ぱちぱちと数回のまばたきをしてこちらを見上げた少女と目が合う。そしてゆっくりと微笑んだその顔に、どことなく探している誰かの面影を………


「お前、まさか……」
俺をキラキラと輝く二つの黒い目で見つめる少女の、薔薇の蕾のような唇からくつくつと音が漏れた。
「きょん。ぼくだ、しゃしゃきd……!!」
それっきり、こいつは舌足らずな口で言葉を発しようとはしなかった。呂律が回らないことが、プライドを傷つけたのだろうか。


長門に膝の上で本を読み聞かせてもらっているダッフルコートのこいつは、どうやら佐々木で間違いないようだった。
その身は最早ランドセルすら背負えない程で、恐らく幼稚園入りたてくらいだろうと思われる。先程は少女と称したが、これはむしろ幼女と呼ぶべきかもしれない。
それにしてもこの図、非常に和むな………。
「和むのもいいのですが、そろそろ話を進めましょう。厄介なことになりました」
なんだ古泉、いたのか。
「……割りと傷つくんですが……いえ、これも愛ゆえと信じて耐えましょう。本題に入ります」
「……そうか」
うっとおしいので軽く流す。すると古泉は少し息をついてから佐々木達の方へ向き直り、
「佐々木さん、御足労いただき感謝します。早速ですが、橘京子から何か話を聞いていますか?もし何か聞いているなら、隠さずに教えてください」
直球をぶち込んだ。
佐々木は俺の方を向き、
「…………………」
「この鞄か?」
「………………………」
「ほらよ。で、なんて書いてあるんだ?」
「………………………………」
「それは悍ましいなぁ」
今までの三点リーダは全て長門ではなく佐々木である。
「…………テレパシーを使うのはやめてください」
古泉が呻くように言った。
何を言ってるんだ。佐々木はちゃんと答えているだろう。ハルモニアじゃあるまいし。
「すみません、全く聞き取れないんです……あなたには読唇術でも身に着いているんですか」
まさか。というかわかるだろ、なんとなく。言いたいことくらいは。
「いいえ、僕には全く。さすが親友といったところですか……」
親友……親友か…………
「そう……だな」
…………………俺たちは本当は親友なのか……………?
「羨ましい限りですね。とにかく、僕はあなたのような真似は出来ません。どうにかしていただけるとありがたいのですが」


「あ、あぁ。仕方ないな……」
「ふふっ…恐れ入ります」
とりあえず親友問答はあとに回すことにした。
「長門、佐々木の呂律だけでもどうにかならないか」
長門は顔をこちらに向け、「……………」俺にだけ分かるように首を横に振り、目を本に戻した。
「だそうだ、古泉…」
古泉はこちらを涙目で見ている。
……………わかったよ、お前にも分かるように話を進めよう。読者の方もいい加減リーダの多さに飽きてきた頃だろう。
「長門、まず何故佐々木を元に戻したり、舌を軽快に動かせるようにしたり出来ないのか、から教えてくれるか?」
「わかった」
そこから、長口上が始まった。

長門によると、佐々木は現在ハルヒの能力によると思われる改変(表現が曖昧なのは、佐々木自身の力の影響か、状態が少々異質なものになっているからだそうだ)を受けていて、これは長門には解けない。
そして強制的に身体を高二のそれに戻したり、呂律を回らすようにする場合は、長門の力で情報を上乗せすることになる。しかしこれは根本的な解決にはならないらしい。
何故なら、根底にはハルヒパワーという名の強力な絵の具が塗られており、その上に長門が更に改変を重ねることは絵の具を上塗りするだけに等しく、
二つの、場合によっては佐々木も入れて三つの絵の具が合わさった結果、佐々木自身にどんな影響を与えるのかわからないからだそうだ。


対象が佐々木である以上、鳩や桜のようにほころびが出てもスルー、とはいかない。
よって、やはり佐々木はこのままハルヒ自身が飽きて絵の具をはがすまで待つしかない、というのが、長門の判断だそうだ。
わかったか古泉。
「あなたはこれを一拍のアイコンタクトで理解したんですか……」
まさか。さっき長門に聞いたのは呂律を戻せるか否かだけさ。答えは当然否だったがな。
古泉は爽やかに溜め息を吐き、
「………わかりました。では長門さん、僕の耳には佐々木さんの言葉がいつもどおりに聞こえるようには出来ますか?僕の耳だけなら問題はないはずですよね?」
爽やかに対策案を提示した。
なるほど。それならば確かに佐々木に影響を与えることもなく話が進められる。やるじゃねぇか古泉。古泉のくせに。
「じゃあ長門、盛大に頼めるか?」
「難しいことではない、不可能でもない」
古泉は爽やかに微笑んだ。
「ではお願いします」
次の瞬間、爽やか古泉の耳がダンボも真っ青な爽やか巨大耳になった。
泣きそうなダンボ泉を尻目に、俺と佐々木は弾けたように笑い、佐々木を見ている長門も心なしか上機嫌に見えた。

古泉の懇願空しく、長門は戻す気ゼロだそうだ。

 

やれやれ、どうやら続くらしい。

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最終更新:2009年03月14日 22:45
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