48-467「アナザーデイ イン ザ レイン」

 雨が降る音は種類が多すぎて擬音にしづらい、と私は思う。
 言葉のボキャブラリーが少ないだけかもしれないけれど。
 そうだな……。 今降っているこの雨を擬音にするならば……どうだろうか。
 サアサア……いや、違うな。 シャ……いや、これは止めた。 なんだか別の音になりそうな気がする。
 考えてみれば、自分にとってこの作業は難しい。

 とまあ、雨の降る平日、昼休みの途中に、誰と話すわけでもなく一人でボーっとしている。
 さっき配られた本日の課題へ取り組む意欲も湧かないし、その他に何かをする気も起きない。
 他の人たちはそれぞれグループを作って楽しそうに話をしている。
 この学校では男子が多く、女子が少ないこともあって、女子はほとんど全クラスの仲が好い。
 中には生真面目な人や、奇人変人の類に入る人もいるけれど、そんな人もこの学校の女子の間では愛されるべきキャラクターである。
 そしてもちろん私もその仲間に入れてもらっている。

 しかし雨というのは休日に降ってほしいものだ。
 濡れて学校へ来るよりも、部屋でごろごろしながら雨の音に耳を傾ける方が趣深い。
 ああ平和だなって思えるのが何よりもありがたい。
 今でも十分忙しいのだが、これから近い将来にはもっと忙しくなることは間違いないだろう。
 だからたまにはこんな時間を作らないと、煮詰まってしまって精神的によろしくない。
 もっとも、中学生の、特に三年生あたりの頃のような楽しい忙しさなら大歓迎なのだが。
 高校生になってそんな事があるわけでもなく──それは何となく察しがついていたが──ただ忙しいだけの毎日が過ぎている。
 言ってしまえば、退屈極まりない日々だ。
 なぜだろう。 理由が分かればおのずと答えに辿りつける気がしたのだが、その理由というのは自分には受け入れがたいというか、負けた気がしてならないものだった。
 なぜなら、それは以前に、私自身が自信満々に否定したものだったからだ。
 まだ言葉に出したくはない。 私は結構危ない所に立っていて、今にも落ちてしまいそうなほどにその心は揺らいでいる。

「佐々木ちゃんどうしたの?」
 なにやら心配そうな声がした。
「え? ああ、なんでもないよ」
 思考の海からわが身を引き上げて前を見ると、二人の女の子が私の顔を覗き込んでいた。
「ホント? なーんか難しそうな顔してたからさ」
「そうだよ。 向こうの男子なんか『あんな顔をする佐々木さんもいいなあ……』って言ってたよ」
 思わず赤面。 皆にそんな顔を見られていたなんて。
「……大丈夫。 ちょっと考え事してただけなの」
「考え事…? ねえねえどんな考え事?」
 気づくと教室に静寂が満ちている。 私の発言に皆が耳を傾けているのだろうか。
 とりあえず聞かれたことには答えないといけないだろう。
「雨、についてちょっと……」
 教室が凍りついた。 しまった……頭がかわいそうな人だと思われてしまっただろうか。
 と思った次の瞬間、
「……かっ、かわっ」
「かわいーっ! その顔で『雨について……』とか反則だよ佐々木ちゃん!」
 目の前の二人が可愛いと言い出した。
「なんで……?」
 少々呆れ気味で尋ねる。
「まあ、佐々木ちゃんの実力ってもんじゃない?」
 ますます意味が分からない。 しかし、これ以上追及する気もしないのでお礼だけは言っておこう。
「う、うん……。 ありがとう」
 ぐはっ、とでも言うように目の前の二人のうち一人がもう一方へ体を傾け、そして悶えている。
「大丈夫……?」
 とりあえず聞いてあげるとしよう。
「それ以上はダメだよ佐々木ちゃん! この娘が失神しちゃう」
 彼女らはおそらくこの学園──「学校」の方が正しいかな──で一番テンションが高い子たちだから、こんなことは日常茶飯事である。
 とどめを刺してあげようかと口を開こうとした時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。

「あ、チャイムだ」
「教室戻らなきゃー」
 悶えていた方も何事もなかったように復活し、彼女らの教室へ戻って行った。 彼女たちはこのクラスのメンバーではないのだ。
 この学校へ所属しているだけあって、根はしっかり者である。 だから時間はきちんと守るし、宿題忘れもない。
 中学生の頃の人と比べると、皆が優秀な人々だと言えよう。
 次々と生徒が各々の席へと着いていく教室の光景を最後尾の席から眺めながらふと思った。
 彼女らのようになれば、自分もこの学校生活をもっと楽しく過ごせるのだろうか、と。

 雨は相も変わらず、その身をひたすらに窓へと打ちつけていた。



 放課後、一人で歩きたくなった私は電車で街へと戻った後、商店街をぶらぶらすることにした。
 たまにはこんなのもいい。 今日の課題は特に多くもなく、予備校もない。 そんな日に一人散策というのも面白い。
 下がスカートで寒いのがやや難ありだが、その辺りは我慢しようと思う。 寒いのは案外平気な方だ。
 それからしばらく商店街を歩いた。
 卒業してからほとんどこの辺りに来る事はなかったけれど、なにも変わっていない。
 懐かしく思う気持ちで心を満たしながら商店街を出て、表通りへと向かう。
「あれ? 佐々木さんじゃない?」
「おい国木田、あの美人はお前の知り合いか!?」
 突然声を掛けてきたのは随分と懐かしの顔だった。 もう一人は知らない顔だったが。
「やあ国木田。 久しぶりだね」
「うん、久しぶり。 元気だった? こっちは谷口っていって、同じクラスの友達」
「どうも谷口です! よろしく! いやしかし、国木田とこんな美人が知り合いだなんてびっくりだぜ」
「よろしく」
「ごめんね佐々木さん。 こんな奴で。 それと今日はキョンは一緒じゃないんだ。 さっき暖房具抱えて学校に帰って行ってた」
「何!? キョンも知り合いだと……。 つうかこんな奴って何だよ国木田」
 見るからに軟派そうな人だが、キョンや国木田の友人なら悪い人ではないのだろう。
「それは残念だね。 久しぶりにキョンとも顔を会わせたかったが、それなら致し方ない」
「ありゃ、間違いなく涼宮に言われて運んでたなキョンの奴」
「そうだろうね。 キョンも苦労人だからね」
 涼宮という名は噂で聞いたことがある。 どんな人物が非常に興味深い。
「その涼宮さんにも一回は会ってみたいね」
「止めといた方がいいですよ。 なんつーか自己中の塊みたいな奴なんで」
「そんなに悪く言うことないじゃないか谷口。 彼女はとっても面白い人だと思うよ」
「全く、お前もキョンの奴もどうかしてるぜ。 とりあえずお茶でもどうですか?」
 突然目つきが変わった谷口君にややたじろぎながら断った。
「ご、ごめんなさい。 そろそろ家に帰らないといけないので」
「谷口止めなって。 佐々木さんがドン引きしてるじゃないか。 ほら行くよ」
「え? ドン引き? ドン……引き……だと……?」
「じゃあね佐々木さん」
 国木田の毒舌にショックを受けたらしい谷口君は国木田に腕を引っ張られ引きずられている。
「あ」
 国木田が何かに気づいたようにこちらを振り返った。
「この道を向こうに行ったらキョンに会えるかもしれないよ。 キョンの事だから多分ゆっくり帰ってると思うし」
「……何を言うかと思えば。 追いかける気はさらさらないよ。 そんな風に恋する少女みたいな事はしたくないからね」
「ふーん。 それじゃあね」
 一瞬意味ありげな笑みを浮かべた国木田はそれだけ言うと谷口君を引きずって行ってしまった。
「恋する少女……か」
 思わず自分の口をついて出た言葉に少し驚きながら歩き出す。
 これ以上考えても泥沼化しそうな気がしたので、その思考は停止させた。

 本屋に寄って帰ろう。
 そう思って歩き出す。
 暖房器具を担いで帰っているなんて、キョン、そっちは楽しそうで良かったよ。
 面白そうな友人もいるようだしね。 まあ、面白い友人ならこっちにもいるけど、君の場合は特殊なタイプのようだね。
 多分、君にはそんな魅力があるんだよ。 人間的な何かを、君は持っている。 もちろん怠惰な性格であることは否めないけどね。
 などと、意味不明で、伝わるはずもない言の葉が頭の中を巡った。
「追いかけてみようかな……」
 先ほどの国木田の言葉を思い出しながら思いがけずそんな事を口にした、そんな時──
 ぽつり、と鼻の頭に水滴が落ちてきた。 再びの雨だった。 さっきまでは止んでいたのに。
 急いで屋根のある商店街へと向かう。 そもそも商店街から出てからそれほど歩いていなかったので、すぐに非難ができた。
 ふう、と一息。 直前に頭に浮かんだ考えを思い出して顔が熱くなるのを感じた。
「どうしてあんなこと……」
 どうしてだろうか。 自分でも分からなかった。 ただ会いたかっただけなのか。 ……よく分からない。
 そんな事を考えていると、本屋のすぐ目の前についていた。 どのくらい考え事をしていたんだろうか……。
 本屋に入り、小説のコーナーへと向かう。
 客足は少ない。 この雨とこの時間帯の所為だろうか。 窓の外を見ると昼間のように勢いよく雨が降っている。
 彼は今頃、学校に着いているだろうか。 そういえば、暖房器具なんてどこで使うんだろう。

 本屋で時間を潰したが、一向に雨が止む気配はない。 そろそろ辺りも暗くなってきた。
「今日はバスで帰ろうかな」
 誰もいない本屋の小説コーナーで一人、そう呟いた。
 持ってきていた折り畳み傘を広げ、外へ出る。 冷たい風が頬と脚とを撫でた。
 バス停へ向かい、少し待つとすぐにバスが来た。 今日は運がいい。
 バスの中で一息。 さすがに雨の日だけあって、バスに乗る人たちは多い。
 そういえば、中学の時は停留所までキョンに送ってもらってたっけ。 行きは自転車の荷台に乗せてもらっていた。
 あれは気分のいいものだったね。 またいつか乗りたいと思う。 キョンの事だから快く承諾してくれるだろう。
「あー別にいいぞ」なんて言いながらね。 そんなことを考えて小さく笑う。
 いつの間にかバスの中の人口が増えていた。 とりあえず、隣に立っているおばあちゃんに席を譲ってから現在地を確認。
 っと次のバス停じゃないか。 危ないところだった。

 帰宅した私は、濡れて冷え切った体を温めるために、まずは入浴することにした。
 シャワーのお湯が温かい。 まさに極楽と言えよう。
 鏡に映る自分の体を見て、少しは成長しただろうかと疑問を抱く。
「成長……してるはずだよね」
 当然答えなどない。
 しかし、今日はなんだかいい一日だったような気がする。 充実していたし、精神的な保養にもなった。
 親しい友人であるところのキョンに会えなかったのは少し残念だが、まあまたいつか会えるだろう。
 とそこで、妙にそわそわしている自分に気づく。 どうしてだろうか。 しかし答えは出ない。
 思えば今日は答えの出せない疑問を抱くことが多かった。 ただ深く考えないようにしていた感も否めないが。
 ……そろそろ出よう。 のぼせてしまいそうだ。

 お風呂からあがり、自分の部屋へと向かう。
 部屋へ入り、自分の机の上の写真へと目を落とす。 中学卒業のクラス集合写真だ。
 端のほうで無愛想な彼と愛想よく笑う自分が立っている。 まるで正反対な顔だが、自分でも驚くほどに調和が取れている。
 ひょっとして相性がいいのだろうか。 ……と舞い上がるのもほどほどにしておこう。
 それからしばらくクラスの面子を眺め、机の上に戻した。
「明日も学校かあ」
 気持ちをリセットして、思い出に浸りすぎないようにしないと前を向いていけないな。
「みんなに会いたいな……」
 でも、もう少しなら……。
「キョン」
 今日、会いたかったな。 雨さえ降らなければ良かったのかもしれない。

 あの頃を思い出すと、懐かしさでいっぱいになる。 たったの一年だけど、私の人生ではものすごく濃い一年間だった。
 誰だってそうだ、国木田に会えたときだって懐かしくて嬉しかった。
 だけど、キョンがいなければ楽しい生活じゃなかったかもしれない。
 今の生活にも、キョンがいれば楽しみを見出せるだろうか。
「また会えるといいね、君に」

 外では黒い雲が天を支配している。 さらに雨足は強くなったようだ。
 そしてこのあと、彼にまた会いたいという私の願いは、やや想像とは違う形で実現することになる。
 しかし、そんな事はこの時の私には想像すらできなかった。


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最終更新:2009年10月29日 00:10
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