59-552「~I Clown~」

~I Clown~



僕にとって生きる事と死ぬ事は同じである。
人はよく死んではいけないと言う。 だが僕にはその意味が分からない。
死ぬ事と生きる事に何の違いがあるのか僕には分からない。
いや、 理解はしているつもりだ、 ただ分からないだけだ。
人の価値観は一個人の思想、 環境、 状況で大分違う。 
富豪が嗜好品の収集に血道をあげる事、 ストリートチルドレンが一枚のコインで殺しあう事、
乾ききった砂漠ではお金よりもただの泥水の方が、 荒みきった戦場では殺すことより生きること、 生き残ること。
そいつらは生きることに必死で、 死ぬことを恐れてる。 ただただ生きたい、 生きたい、 生きたい、 生きたい、 死にたくない、 死ぬ事は怖い。
僕にとって道端の小石みたいなものが他の人にとっては何事にも換えがたいものだった。 ただそれだけの話。

夢を見た。 
起きてから顔を洗い、 歯を磨いているうちに忘れてしまいそうな夢だ。
だが忘れてはいけない気がするのはなせだろう。 何故だろう。
そんな事を考えながら僕はぼんやりとした頭で起床する。
時刻は七時、 メールの着信はなし、 体調も悪くない、 本日も晴天で、 今日も僕は生きていた。
「言ってきます。」 誰も居ない家、 物音がしない家、 少しの食料と睡眠を快適に行うための布団、 生きるために必要なものがすべて揃った空間に別れを出発を告げる、 今日も僕は学校に行く。
学校に着くと私は僕ではなくなる、 あくまでも他人、 不特定多数の中の誰か、 特別な感情を抱くことも、 抱かれることもなく、 一日の大半をここで過ごす。
人に迷惑をかけない、 なんと素晴らしい事だろう、 人に不快感を与えない、 なんと素晴らしい事だろう、 そんなちっぽけな、 プライドを護るためだけの免罪符を少し気に入っていた。
今日もそのはずだった。
朝、 教室に行くと上靴が無かった、 椅子も無かった、 机も、 教科書も、 ロッカーも、 僕の席、 僕の体操着、 僕の居場所、 何も無かった。
四月から顔は知っているが一度も会話したことの無い女の子に肩を小突かれた、 ただ一言 「なまいき。」 僕が言葉の意味、 今の状況を考えている間に彼女の取り巻きたちが僕を囲んだ。
口々に僕の悪口を言われたが最初の言葉以外は私の中で意味を成さず空中に霧散していくだけだった、 悪口を目の前で言われても顔色を変えない僕に激昂したのか僕をこづいた女の子が僕の頭を殴った。 
あはは、 痛い、 また殴られる、 痛い、 くっくっ、 痛い、 痛い、 痛い、 痛い、 痛い、 痛い、 痛い、 痛い、 痛い、 痛い、 痛い、 …痛い。 

気がつくと自分の部屋だった。 ………夢か。
嫌な夢、 私が私で無くなって、 世界から拒絶されるような嫌な夢。
体から嫌な汗がびっしりと吹き出ていた。
怖かった。 ただただ怖かった。 右手が小刻みに震えていた。
おもわず左手で押さえつける。 するとゆっくりと震えがおさまっていった。
徐々に生きている実感がわいてきた。
中学校生活二年目の始まりの朝からこんな夢を見るなんて自分は意外と繊細な一面があるのかもと考える余裕も生まれてくる。

もう昔の僕じゃないと自分に言い聞かせた。

私は私立の小学校でいじめを受けていた。
理由は簡単。 私が少し周りと違っていたから。
でも子供にとってその少しが無視できないくらい大きな問題だった。
女なのに一人称は僕。 いつでも本を読んでいる、 協調性がなく、 どこか近寄り難い雰囲気がある。 そして一度口を開けば良く解らない事を長々と。 そして笑うときは低い押し殺したような声で短く「くっくっ」と。 
今思うと友達はおろか苛められても仕方が無いように思える。
そしてそんな僕を小学校で捨てる事にした。

エスカレーター制の私立の中学ではなく公立の中学にあがる時に一人称を私に変えた。 髪を伸ばし積極的に人とコミュニケーションを取るように、 長々と話をしないように、 
そして何より「くっくっ」とは絶対に言わないように本心から笑わないように常に愛想笑いを浮かべる事にした。

結果から言えばいじめはなくなった。 でも変わりに私は僕を失った。
このままで良いと思っていた。 本当の自分を失ったこのままで。

でも、 彼に出会った。

そのころの私は端的に言えば人の事を舐めていた。
人に対して過度な警戒心を持っていた裏返しかもしれず、 小学校の頃の八つ当たりかも知れない。 簡単に私の愛想笑いに騙されている同級生に対してある種の侮蔑も持っていたかもしれない。 でもそんな自分に何よりも侮蔑よりも激しい感情をもっていた。
でも彼に出会ったのはそんな時期だった。
「オハヨー」 
「ササキサンオハヨー」
いつも通りの挨拶、 いつも通りの笑顔、 いつも通りの愚か者、 それを嫌う誰よりも愚か者。
愚か者は新しい愚か者で溢れる教室の中で誰よりも私だった。
……でも彼はそんな中で一人だけ私では無かった。

たまたま彼の後ろの席らしい私は何気ない風を装いつつ、 いつも通りに愚か者らしく振る舞った。
「オハヨー」
「………………」
返答が無い。 どういうことだろう。 私が無視されるなんてありえない。
バクバクと心臓の動悸に気づく、 こんな奴に負けるなんてありえない。
もう一度だ。 もう一度私は忌々しい道化のように振る舞った。
「アレッ? ドウシタノー? オーイ キコエテルカイ?」
「………………」
私はもう私になれる気がしなかった。 …どうして。 頭の中にそんな言葉が浮かぶ、 ふわふわして、 不意に涙が出そうになった。 周りの世界が急にいつつもよりも色あせたように感じた。
そんな時、 急に私の耳に入った緩やかな呼吸音。
不意に現実が動き始めた。 色がつき、 時間がどんどん加速する。
そして私はやっと彼が寝ているだけだと気がついた。 すっと頭から足にかけて暖かいものが落ちていった。
……久々についた色に私はまだ気づけなかった。 動悸はおさまっていた。

しばらくして、
私は冷静に私らしい振る舞いで彼にもう一度話しかけた。
もちろん先ほどのような初歩的なミスはしないように。
「オハヨー メハサメタカイ?」 落ち着いて言えた。 大丈夫。
「…お、 …はよう? でもおはようって時間でもないぞ?」 
「クスクスッ サッキ キミネテタンダヨー? ワタシガ ハナシカケテモ グーグーッテネ」 そのせいで愚か者は私ではいられなくなるところだった。
「…そうかい。 それで何か俺に何かようか?」
「ウン セッカクイッショノクラスニ ナッタンダカラ ナカヨクシタイナーッテ」 貴方の貴方をすべて壊すために。
「……ふむ。 俺の名前は」
「キョンダヨ」 急に私の一人が話しに入って来た。
「エッ キョンクンテイウノ? …カワッタナマエダネ」 …国木田だったか? 邪魔するな。
「ヤア …ササキサン ダッタカナ? カレハキョン イツモダルソウダケド キニシナイデ ワルギハナインダ」 …だからなんだと言うんだ、 帰れ。
「クスクスッ タシカニサッキハナシカケタトキナンテ グーグーネテタネ」 大丈夫。 仮面は外れていない。
「…国木田、 俺そんなにダルそうか?」 彼の表情が私の仮面に軽く傷をつけた。 その顔は先ほど私に向けた無表情ではなくかすかに笑みを浮かべていた。
「ウーーン ボクハイツモソウミエルヨ?」 
そういってカタカタとぎこちなく動く道化。 私の一人。
「…なんだそりゃ? 確かにいつも疲れているがそんなにダルそうにしている覚えは無いぞ?」 
「「エーー」」 無理やり被せた。 主導権を握られてたまるか。
「クスッ エート ジャアキョンクント…クニキダ…クンダッケ? トリアエズコレカラ イチネンカンヨロシクネ!」 
愚か者は道化の頭が一年かけて腐敗するように壊すか、 一ヶ月で叩き壊すか、 冷静に動いているのを感じていた。

五ヶ月がたった。 私は彼を壊せていなかった。
だが収穫はあった。 彼の後ろの席の地の利を生かして私は彼と一緒に下校する位のナカヨシの地位を得ていた。
彼の存在、 顔、 表情、 幸せそうなくせに常に被害者のように振る舞う態度。 私が話しかけるとダルそうに応対する様。 彼の全てを壊したかった。
そしていつも通りの放課後、 彼を誘い、 いつも通りに校門を歩いてでた。
からからと彼の自転車を押す音。 会話の方が軽々しく回っていた。
次を曲がると私の家の前に出る、 ここで別れを告げて帰る。 最近はそれが暗黙の了解だった。
だが今日はそうならなかった。
ケタケタと笑い声。 
瞬間。 
からだがこわばった。
激しい動悸、 息切れ、 めまい、 フラッシュバックする記憶、 記憶、 記憶。 とっさに彼を見るが声がでない。
だめだ、 からだがうごk……

気がつくと私の家だった。 必要な物しか無い壊れたピエロの住処。
見慣れたそこに彼がいた。
「大丈夫か!? 佐々木!?」
「ここは…?」
「お前の家だよ…悪いとは思ったが勝手に上がらせてもらった」
「…そう。 何で貴方がいるの?」
「………佐々木と一緒に帰ってたら、…お前急に倒れたんだ」
「違う。 なんで貴方はこの世に存在しているの? 
なんで貴方はこんなにも輝いているの? なんで貴方は幸せそうなの? なんで貴方は幸せなくせにさも被害者のようにふるまうの?
なんでわたしはこんなにこんなにこんなにこんなにこんなにこんなにこんなにこんなにこんなにかわいそうなのにあなたはいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいしあわせそうなの? あなたはかぞくがいる。 
かていがある。 いもうとがいる。 りょうしんがいる。 ねこもかってる。 ともだちもいる。 あなたが憎い。 壊したい。 なんで僕にはないものを全部もってるの? 
どうして? ねぇ? どうして? どうして僕をいじめるの? 僕は何もしてないよ? みきちゃんのめはいっこしかとってないしたかくんのゆびは3ぼんしかとってないよ? くっくっくっくっ」
「………………」
きゅうに僕の目の前がまっくらになった。 僕のからだはキョン君がぎゅってしてくれた。 
「……妹が泣くとな、 いつもこうしてやるんだ。」
「…正直、 お前が今言った事の半分も理解できてないんだ。」
「…でも、 今はこうしててやるから、 …はやく泣きやめ。」
「…………くっくっくっくっくっくっくっくっくっく」
僕はいつまでも彼の腕の中で笑ってないた。

僕は本当の僕になれたかもしれない。
 

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最終更新:2011年01月22日 22:27
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