~かかしの足元、麦畑。
あるときカラスがやってきて、たらふく麦を食べてった。
……僕は、かかしとしても役立たずなのか。
でも、老いたカラスがなぐさめた。
あんただって脳みそがあれば、誰にも負けない人間になれるさ。
世の中には、あんたより愚かな人間がごまんといる。
カラスも人間も、脳みそが一番大切なのさ……
はっきりとは憶えていない。
ただ「オズの魔法使い」にそんな一節があったように憶えている。
読み語り、わたしは何かを言ったはずだ。つたない言葉でとくいげに。
見上げたお父さんは、面白そうに見ていてくれた。
にっこり笑って、撫でてくれた。
そこはわたしの特等席。
いつしかお父さんが居なくなった。たんしんふにんという奴だ。特等席はなくなった。
いつしかたくさん友達が出来た。輪になって踊る。真ん中なのはわたしじゃない。太陽みたいな女の子。
男の子、女の子、誰もが彼女に憧れて、だけど彼女はこういった。
『恋愛なんて精神病よ!』
涼宮ハルヒに憧れた、そんな小学生時代が終わる頃の話。
『お前は!』
『あなたが!』
お父さんが帰ってきた。お母さんと揉めていた。
子はかすがいというけれど、わたしはかすがいにも成れなかった。
……僕は、かかしとしても役立たずなのか。
そうさ、カラスも人間も、脳みそが一番大切なのさ……
いつしか『僕』は仮面を被った。
居場所を作るための仮面。
やってみると、これが存外面白い。
仮面、ペルソナという奴だ。日本的に言うなら『猫っかぶり』かな?
仮面なら外せる。猫なら人より寿命が短い。
「どうとでもできるさ」
僕は逃げ場を用意した。けれど、これが存外面白かった。
女の集団に、優等生として溶け込めた。男の集団に、変人として認識された。
長広舌でも距離を広げ、適度な距離感が出来た。本心まで覗こうなんて奴も居なくなった。
おかげ様、恥ずかしいような本心も安心して抱えておけた。
僕の仮面は完璧だった。
さて中学も三年。だけど何故か、僕に入り込んでくる……いや違うね。
僕が、入り込みたくなるような人が居た。
いや違うね。違う。違う。
彼はニコニコなんて笑っていない、僕の頭なんかきっと撫でない。
彼はただ受け入れるだけだ。ただあるがままを、ただ、ただ普通に受け入れてくれるだけなんだ。
ダルそうに、嫌そうに、困ったように、……面白そうに、おかしそうに、嬉しそうに。
彼がニカッと笑ったとき、僕の価値観が揺らいだ気がした。
だから、……何が「だから」かは解らない。
いつか得たりと言ったものさ。
『お前さ、その妙な理屈っぽささえなんとかすりゃさぞモテるだろうに』
『モテるモテないなんて興味はないね』
『キョン、恋愛なんて精神病さ』
恋愛は思考のノイズ、家庭を作るのは種族の本能。
生き物は外界に適応しないと生きていけない。人間は「人の間」で社会と折り合わなきゃ生きられない。
とっくに僕への愛情なんて無くしてるはずの父親が、今も仕送りを続けているのも。
それは、社会と折り合いをつける為の、生きていく為の本能なのさ……。
いつしか僕は彼に語った。
得意げに。受け売りの言葉は、いつしか僕に根を張っていた。
そうさ、僕が語ったんだ。でも今になって思う。
あれは誰の言葉だった?
僕? 彼女? それともあれは、僕が被った僕の仮面?
そもそもあれは「彼に向かって」言ったのか? 「僕が僕へと」言ったのか?
なんとなくだが、あれは致命的な言葉だった気もした。ペキリと「何か」をうっかり折った気もした。
何かに壁を作ったまま中学時代が終わった。
『またね、キョン』
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
少年老い易く学成り難し。
時間が加速する。
中学時代、微笑んでいた十分が、高校時代では十秒に感じた。
何かに意地を張ったままでもよかった。打ち込めるものがあった。
ひたすらに打ち込み一年が経った頃、多分に学生的な事件が起きた僕は、コペルニクス的な発想転換を願った。
その「鍵」はきっと彼だ。そうだ。あの得体も知れない「何か」に向き合ってみよう、と。
そう、思った。
「やぁ、キョン」
「それ、誰?」
「ああ、こいつは俺の…「親友」」
「初めまして。私は橘京子といいます」
「信じてくださいとしか言えません。証拠なんてありません。でも、証人なら用意する事ができます」
時間が、戻った。10分は10分になった。
意図通りキョンと再会し、意図しなかった涼宮さんとの再会を果たし、想像もしなかった橘さん達との出会い。
彼の傍にいる魅力的な異性に、何故か頭を真っ白にしながら捻り出した「親友」というポジション。
その帰り、橘さんが秘密めかして打ち明けた。到底信じられない話。
「佐々木さん。実は、あなたは神様なのです」
超能力者。宇宙人。未来人。なんだか解らない。でも、うん。これはまるで……そう、涼宮さんみたいじゃないか?
ゆっくりと流れる時を楽しもうと思ったが、意外にそれは急流だった。
「佐々木……そんな奴と付き合うのはやめろ。そいつは……」
「でも、僕の敵ではないみたいなのさ」
橘さんの言葉は本気だった? キョンから初めて「異物」「信用ならないもの」としての視線を浴びた。
くすくす笑いを顔に張り付け、終いには爆笑して見せた。
そうだろう? 冗談なんだろう?
これは、冗談なんだろう?
「でもキミの反応で解ったよ。彼女たちは本物なんだね」
僕は笑う。キミが笑わない。
『連中につないでくれ。俺は奴らと話をしたい。俺は奴らに殴りこみたい。俺の仲間が傷付けられた』
やがて彼の仲間が傷付けられた。彼の居場所が傷付けられた。彼らしくもない激情100%の電話。
彼が必死なのは僕にでもわかった。
僕の中の「何か」を確かめる?
そんな事態じゃない。さあ思考しろ。お前には「脳みそ」があるだろう? 何の為の脳みそだ?
僕はもう「かかし」じゃないんだ。そうだろう?
再び会談を取り持った。韜晦しつつも「力なんて要らない」ときっぱり言い渡す。
僕の価値観がそれを否定していたからだ。
まず結論が出て、理屈が後を追った。
「は――はは―――――ばかみたいだわ……はは―――」
長広舌を終えた僕を、九曜さんは笑った。
藤原くんも嘲弄し、懇切丁寧に……「力」について語るなんて結構うかつだ……嘲笑った。
キョンが怒ってくれているのも解った。僕は正しい事をしたと思えた。が、ふと、ひとつ、怖いと思った。
藤原くんは語ったが、九曜さんは語らなかった。
もしかして彼女は、僕の価値観、行動原理、心の中の欲望まで見透かしたから笑ったんじゃないか?
彼女は「人間の理屈」は解らないらしい。きっと建前も倫理もロクに見えない。「一番大切なもの」しか見えない。
彼女はこう笑っていたのではないか?
『あなた、なぜ自分に素直にならないの?』と
僕は心の中で「力が欲しい」と願わなかったか?
ホントは欲しいと願いつつも「要らない」と格好をつけなかったか?
僕は仮面を確認する。これは僕だ。キョンも知っている「佐々木」という存在だ。彼も知らない僕の仮面だ。
僕は脳みそを疑う。うん。これは僕の考えだ。僕は「神の力」なんて要らない。
だから、きっと大丈夫。
次に仮面を疑ったのは、意を決して彼の家へ飛び込んだ後だった。
いよいよ佳境だ。
藤原くん達は僕の意思などどうでもいいらしい。僕の意思がどうなるか解らないなら、最後に彼に相談しておきたいと思った。
僕に起きた「多分に学生的な事件」。ひいては中学時代から「彼に作っていた壁」の正体を
僕はどうしても確かめたかった。
でも、彼は彼の友達の事を心配し続けている。
当たり前だ。切迫した事態だ。ならまずはそちらから片付けるべきだ。
実行犯は「周防九曜」。その行動理念をつらつらと考え、レポートとして脳内にアップする。うん。大丈夫。
何より大事なのは思考する事。そう、脳みそこそが大事なのさ。
でも彼の家に飛び込んで、彼の妹さんに引っ張られて、彼の自室で彼の匂いに浸っていると、何か色々吹き飛んだ気がした。
やがて彼が帰ってくる。驚いた顔を楽しみながら、僕の口は楽しげに滑った。
どうでもいいような、とても大切なような事を。
誰かに例えた自分の事も。
いやダメだ。
僕はキョンの心配事への可能な限りのアドバイスと、それにかこつけ、自分の相談をしに来たんじゃなかったのか。
何を言ってるんだ僕は。なんだこれは。止まらないぞ。
ブレーキだブレーキ。
「猫というものは、どうして新鮮な水よりも風呂に入った後の残り湯のようなものを飲みたがるんだろう」
「何の話だ」
本当に何の話をしているんだと思ったが、それが丁度ブレーキになった。
まったく。僕の脳みそは何をしている?
それからつらつらと語り合った。
やっぱり彼との議論、と定義すると彼から反論があるかもしれないが……は刺激的だった。
また舌が滑り出すのを感じる。大丈夫だ。今度は滑らない。本音なんか滑らしてない。これは藤原くん達の話のはずだ。
だけど気付いた。
なんで、私は
「なんだ? 美顔効果でもあるのか?」
なんで、私は、笑っているの?
今は深刻な話をするときだ。深刻な顔の仮面は何処だ? 私の仮面は何をしている?
我知らず両手で顔を、ぐりぐりと頬を捻っていた。
ダメだ。私は、笑ってる。
そこで唐突に気付いた。
彼に見せていた私は「笑顔の仮面」じゃない。
いつからだろう。ずっと「笑顔」だった。そうだ。ずっと、私は笑っていたんだ。
彼と語り合っていた時も、彼と一緒に歩いた時も、自転車の荷台から彼を見ていたあの時も。
私はずっと、笑っていたんだ。
それからの事は、実は「認識」しつつも「理解」していなかった。
続くキミの言葉は正直言って予測外だったしね。ついつい喋りすぎた言葉に、キミがぱっくり食いついてきた。
認識する前に即答。それは年頃の男女が二人きりで話すには、いささか刺激的な言葉だったが
彼はあっさりと聞き流し、矢継ぎ早に質問を投げる。
「そうだね。僕の存在意義は思考すること。そして思考し続けることさ」
ちょっと待ちたまえキョン。ちょっとは締まれ私の顔よ。
自然と早口になる。自然と本音が出る。ちょっと待て脳みそ仕事しろ。私の「思考」よ。仕事をするんだ。
「僕自身は矮小だけれど、僕の思考をとば口にして、全く新しい概念が生まれないとも限らない。
いや、正直言うと僕が産み出し、育てた何かを残したい。DNA以外でね」
「壮大な野望だな」
私の小恥ずかしい希望。現在進行形の夢。
くっくっく。そうだね。まさに「壮大な野望」だよキョン。恥ずかしくて誰にも言えなかった、私自身の野望さ。
思えばキミとはたくさん話したが、こんなに腹を割って話したのは初めてだ。
それを察したのか、彼は疑問を投げかけてきた。
「佐々木。もしお前がハルヒのような力を自在に操れるようになれば、望みが叶うかもしれないんだぞ」
くっく。まるで蛇の誘惑だね。
誰だってそう思う。心の底から否定なんて出来ない。理屈をつけて逃げ回っても、自分の心からは逃げられない。
だからちょっとばかり格好をつけるのさ。
力なんて要らない。
だって手に入れたら、まず無意識に望みを叶えてしまうだろう。
私は絶対、何は無くとも欲しい人を手に入れる。
でもそれじゃ彼が人形になるのと同じ。
かかし以下の木偶人形さ。
回避策ならあるよ? 小難しいセーフティを駆使した、誰も傷付けない完璧な願望実現。
でも、それはきっと私みたいな人間には出来ない事なんだ。
それはきっと、雪みたいに透き通った心にしか出来ない。
だから私はすっとぼける。だから私は韜晦する。
おやキョン、あからさまに「何かはぐらかされている気がするな」という顔をしているね。
中学時代を思い出すよ。そうさ、キミのその表情。
ずっとずっと、大好きだった。
今になって自覚する。そうだ。あれもそれもこれも「恋愛」だったんだ。
この感情が「恋愛感情」なんだ。
キミが大好きだったんだ。
まさに精神病だね?
でも決してノイズじゃない。雑音じゃない。これはとてもとても快い感覚なんだ。
キミ自身は相変わらずのようだがね? うん。できれば私に対して芽生えて欲しい事は否定はしないが。
その鈍感、いや、甲殻類のように堅牢な価値観はどこから芽生えたものなのだろうね?
「涼宮さんは神のような存在らしい。そしてどうやら、僕もそう思われているようだ。彼女と僕、神モドキな二人に好意を寄せられているキミに、何も出来ないなんてことはない。そう、するとしたらキミがするんだよ。物語の幕を引き、次のステージの幕を上げるのはキミの役割だ。いい加減に自覚したまえ、キョン。扉を開ける鍵はキミ自身なんだ。キミが全てのマスターキーなんだよ」
長広舌、大げさな身振りで冗談交じりのように言い切る。
ああそうだね。確かに芽生えて欲しいが、こんな非常事態にそんな事を考えるなんて私も随分ヤキが回ったようだ。
フェアじゃない。これは冗談で済ますべきなんだろうね。
でも、これくらいなら許されるだろう?
「僕は全幅の信頼をキミに抱いている。なぜなら、キョン。キミは僕のたった一人の愛すべき親友なのだからね」
くるりと彼の部屋を見回す。
でもきっと、僕は当分ここに来る事はないだろう。
彼には彼の人間関係と絆がある。彼目当てに僕が割り込もうだなんて、おこがましいとは思わないかい?
涼宮さんに抗えるかい? 今の僕はまだまだ未熟さ。
「おいとまするよ」
じっと彼に微笑みかける。
できればこの「間」の意味を、彼が憶えていてくれたらいいけれど。
『また、来てもいいかい?』
「実はね、キョン。僕が今日来たのは」
……忘れるところだった。僕も「相談」しにきたのだった。
思い出したら反射的に口に出た。が、そのまま口をつぐむ事にする。
彼は今きっと混乱している。僕が矢継ぎ早に投げかけた本音に、とっくの昔にエラーを起こしている真っ最中だろう。
何より、この相談に「いつかの言葉」を言われたらきっと僕は立ち直れない。
言葉はタイミング次第、受け取る側次第で意味を変えるからね。
彼も、僕も、いま少しの時間が必要なのさ。
「でも。キミに会えて、話が出来てよかった。踏ん切りがついたよ」
それだけ言って、とっておきのポーズで背を向ける。さあ「キミの知る佐々木」のまま退去しよう。
でなきゃ、どんな顔をしてしまうか解らないから。
キミの知っている僕を、僕の新しい仮面にしよう。
キミが知っている、僕より素敵なその僕を。
~オズの魔法使いはかかしに言いました。
キミは、もう「知恵」を持っているじゃないか!
そうです。老いたカラスが最初に言ったじゃありませんか。彼の中には知恵が既に備わっていたのです~
そうとも! 恋愛という精神病は、自覚もないまま、とっくの昔に宿っていたのだ。
これが「脳みそ」、僕の思考という頑固者と、どの程度折り合いをつけてくれるのかが今から楽しみになってきた。
今は「キミの知っている佐々木」の仮面を被っていよう。
どこまで演じきれるかは解らない。今度は誰が外してくれるのかも解らない。
でも、できればキミに外して欲しいな。
そうとも。僕は無力さ。なら願うだけなら許されるだろう?
いつか自分で叶える為ならばね。
終わり、或いは「涼宮ハルヒの驚愕(下)」に続く。
最終更新:2012年03月24日 00:52