66-299 「ちょっとセンチメンタルな別れを演じた風で騙されるかよ」

「どうだいキョン」
「ほう」
 瞠目する。さっくりと揚がったドーナッツは、普段食べるそれとは一味違った。

「ここのドーナッツは揚げたてを旨としている。おかげでちょっと待ち時間が必要だけどね」
「まあ喫茶店なんざ時間を潰すためにあるようなもんだ。問題ねえだろ」
「おや、僕との時間は暇つぶしに過ぎないというのかい?」
 別にそうは言ってねえよ。十分に楽しんでるさ。
「くく、なら素直に喜んでおくとしよう」

「しかしお前は色んな店を知ってるな」
「そうでもないさ。単に趣味の一環というだけだよ」
 春の大騒ぎがひと段落してからしばらく。俺はたまに佐々木に連れられ喫茶店に行くようになった。
 そして各店の違いを楽しみつつ、SOS団の不思議事件や高校の話をダラりと語り合うのだ。
 組織にも属さないくせに不思議事件を知ってる一般人、なんて変人はこいつくらいだ。
 忌憚なく話し合えるし、予想外の見方もするし、楽しんでもくれる。
 こういうのを話がいがあるというのかね。

 その会合も、最初、半ば無理やり連れ出したのは俺なのだが、最近はどうも佐々木主導になりつつある。
 いつも持ち前の知識を語るのと同様、こうした自分の趣味を語るのも本当に楽しいのだろう。
 中学時代と同じ、キラキラした目がなんとなく眩しかった。

「熱いコーヒーと合わせるのも良いのだが」
 言ってカップを持ち上げる。
「今日は暑いからな。俺はアイスティーで十分だよ」
「くく、ではコーヒーはまたの機会に楽しみたまえ…………おや、その傷はどうしたんだい?」
「ん。いや大した事じゃねえよ。ちっと古泉とのキャッチボールに失敗してな」
 まったくあの世話焼き似非スマイルは。

「……ねぇ、キョン」
「なんだ?」
「もしかして僕との友誼が問題なのではないのかい?」
「んな訳ねえだろ。いつかお前と会った時みたいに閉鎖空間がボコボコできてる訳じゃなし」
 でもね、と佐々木は顔を曇らせる。

「でもそうだろ。僕とキミはあの春の日に別れたはずだ……」
「バカ」

「ちょっとセンチメンタルな別れを演じた風で騙されるかよ。俺達は親友なんだろ」
「センチメンタル……?」
「あんな風に別れた奴をそのま」
 俺が言い終わらぬ内、佐々木が席を立つ。無言で。笑顔で。俺にも解るくらい空虚な笑顔で。
 いつか初めて出会った時のような、モノクロームセピアの笑顔で。

 ……しまった。俺は言わなくていい事を言った。

「そうか。……同情かい」
「佐々木、座れ」
「嬉しがった僕がバカだったよ。ホントにバカだ」
「座れ」
「じゃあね。話が出来て嬉しかっ」

「座れ!」

 思わず声が出た。周囲の注目が集まるがそれどころじゃない。
 そうともこんな奴を放っておけるか。
 今にも消え去りそうな佐々木を。

「座れ佐々木。でないとお前が俺を通報するまで追っかけまわすぞ。お前は親友を前科者にしたいのか?」
「親友か。そうだね」
 空ろに笑う。

「そう、僕らは親友だ。友達だ。対等だ。ならキミこそ僕に同情するな!」
「同情じゃねえ心配だ!」
「そん」
「佐々木!」

 反論を無理やり遮る。
 そうだ。俺は言わなきゃいけない。
 お互い腹に隠したまんまじゃなくて、俺は言わなくちゃいけない。だって俺は

「佐々木、お前は俺が、あからさまに悩んでる友達をほっといて身内でバカ騒ぎするような奴だと思ってたのか!?
 なら撤回を要求するぞ! 悩んでるなら話せ! 心配して何が悪い! お前は俺の親友だ!」

 一気呵成に言い切る。
 言い切って、ちょっとだけ後悔した。言い過ぎた。

「……佐々木、言いたくないなら言わんでいい。けど、せめてお前が腹の底から笑えるまで一緒にいさせろ
 お前は俺の考えくらい読めるんだろ? 俺だってそのくらいやってみせる。やらせろ」
 でないと楽しみたくても腹のどっかが落ち着かないんだよ。
 嘆息する。そうとも、もう沢山だ。

「お前との間に壁を作るのは、あの雨の日だけで沢山だ」
 佐々木が目を見開く。ここまで驚愕したコイツを見たのは初めて見たかもしれない。

「……覚えていたのかい?」
「すまん。忘れてた」
 正直に言うと、こいつは呆れたように表情を崩し、するりと椅子に戻った。多分無意識だろう。
 そうだよ、せめてそっちの顔にしろ。
 さっきの顔はお前に似合わん。

「けど思い出した。何かに出会うと、誰かに出会うと、芋蔓式で記憶ってのは引っ張り起こされるもんなんだ。
 お前も何かの折にそんな事を言ってたろ?」
「言ったかな? あいにくと記憶にないな」
 笑うな。いや笑え。もっと笑え。

「俺はあの時、踏み込まなかった。お前が何かに悩んでいたのに踏み込まなかった。
 そうだ。俺にあんな格好見られたくらいでっつったら語弊があるが、あんなに動揺するような関係じゃなかったろ?
 俺にいつでも性差を感じさせないようにしてきたのはお前だろ? 矛盾してるじゃねえか。
 けど俺はロクに気付かなかった。お前は俺より万倍出来た奴だからで済ましてきた」

 それから半年で卒業して、それから一年空白になった。
 ああそうとも、お前は俺の友達だった。

「けど今は親友だ」
「だけど」
「だから踏み込むぞ。心配するぞ。お前が悩んでるなら俺は解決するまで傍に居たい。ちゃんと腹から笑えるまでな」

「大体だな、あの春の事件で誰より俺の選択を、俺の心を大事にしてくれたのは誰だ? お前だ。お前だよ。
 そのお前があんなセンチメンタルに去ってったのに、ほっぽっといて居られるか。
 俺がそんな奴だと思ってるなら、お前の脳に活版印刷で書き込んでやる。
 俺はこんな俺なんだってな」

「というかな、中学時代を思い出すにつれてなんか腹が立ってきたぞ。
 あの「やれやれ」もそうだが、俺が平凡な日常生活を望んでたのもお前に説得された覚えがあるし
 俺の赤点頭に何故かやたら沈んでる妙ちきりんな比喩やどうでもいい薀蓄も相当が佐々木産だったんじゃねえのか?
 お前たったの一年でどんだけ俺の思考パターンに影響与えまくってるんだよ、どんだけ俺に話しかけてたんだよ
 なんでそんなに近くにいたのに一年も連絡しなかった挙句ただの友達だったと言い切るんだよ
 どうなんだ俺!」

 俺はカーッと頭のどっかから湧き出した最低限の台詞を俺は噛みながら喋り終えた。息が荒い。
 が、達成感はない。俺の言葉は果たして伝わったろうか。
 そういやこいつは春先に言ってたな。言葉は

「……考えること、その考えを相手に伝えること、これは地球人類が生まれながらに持っている普遍的な能力……」
 まるで俺の考えを引き継いだかのように、佐々木はとつとつと呟き
「だったかな、キョン」
 にこりと、笑う。

「そうだ。お前が言った言葉だ」
「そうだね。僕が言った言葉だ」
 くっくっくといつもの声が喉奥から湧き出る。

「どうやら一本取られたようだ。
 そうだね。僕は言葉こそが大事なのだと言いつつも、キミとの別れに際し、どうしても幾つかを言葉に出来なかった。
 だからキミに気付かれる。だから僕に悔いが残る。結局、僕の気配に浮き出てしまう」

「やはり『僕』は役者に向いていないね。だからキミに気付かれる」
 笑ったまま、ぼろぼろと涙を流す。
 これも初めて見るものだ。

「でも、なんでだろうね……そうやって気づいてもらえたのが、私は、嬉しくて、嬉しくて…………」
 幸せそうに、ぼろぼろと涙を流す。

「……やっぱり、僕は酷い奴だ。こんなに嬉しくて堪らないなんて」
 佐々木、だいたいお前は自己評価が低すぎなんだよ。

「佐々木、お前を評価すんのは他人だ。こんなつまらねえ俺を『親友』ってお前が評価してくれたみたいにな」
「キョン、自己評価は大切だよ。誰よりも自分を知っているのはやはり自分だ」
 涙にぬれたままさらりと言い返す。なんだやっぱりコイツは佐々木だ。

「らしくねえぞ佐々木。
 視点は常にニュートラルに、多面的に持つべきじゃないのか?
 てめえの考えに逃げ込むなよ。人間は人の間に生きるもんだ。だから他人の視点も大事にするもんだろ。
 俺の視点のお前は、あんなトンデモ事件に巻き込まれても俺を第一にしてくれたお人よしだ。だから俺には言わせてくれ。
 お前は本当に良い奴だし、最低でも俺より30%増しで幸せになっていい。それだけは認めてくれ」
 そもそも、こいつは自分の幸せって奴を求めてないフシさえある。
 ホワイ? 何故? 俺が親友だってんなら話してくれよ。

「いつか言ったな? お前は全てを諦めているとかな。そんな諦観するほどお前はくだらない奴じゃない。
 お前を下らないって言う奴がいたら連れて来い、大統領だろうがブン殴ってやる」
 ああ佐々木、おまえ自身は別だ。チョップくらいで勘弁してやる。
 そうだ。お前はもっとお前自身に素直になったっていいんだ。
 ハルヒ程じゃなくてもいい、お前の望みを言ってみろ。

 それきり、春先を思い起こさせるような沈黙が場に落ちた。
 花吹雪の中、あいつが去っていった時を思い起こさせるような空気に、俺の脳内が何故かリプレイをかける。

『じゃあ、僕はこれから塾に行かなきゃいけないんでね。話が出来て、嬉しかったよ、キョン』
『じゃあな、親友! また同窓会で会おうぜ!』

 ああそうだ。我ながらなんて空気を読んでない台詞だ。
 だから俺は後で思ったんだ、

『ちょっとセンチメンタルな別れを演じた風で騙されるかよ』

 コイツを絶対に楽しくさせてやろうってな。
 忘れっぽい俺でも知ってんだぞ。お前が本当に幸せそうに笑える奴だって事くらいな。

「……ふふ、さよならなんて言わない、か。ジンクスなんてこじつけなんだろうけれど」
 現実の佐々木が、嘆息を付いた。
「言わなくて正解だったよ」
「なんのことだ?」

「なに、こちらのことさ」
「落ち着いたか?」
「ああ。心配をかけてしまったようだ。礼を言うよ」
「大したことはしてねえよ。むしろ何を言っちまったのか勢いがありすぎて思い出せねえくらいだ」
「ふふ、そうかい」

「で、どうだ? 話す気になったか? 自供するならカツ丼くらいは奢ってやろう」
「止めておくよ。僕はまだ、あの雨の日のペナルティが晴れていない」
「なんだまだそっちで悩んでたのか?」
「さあてね」

「とまれキミとの付き合いはまだまだ継続させてもらおう。どうやらもっと楽しく日々を過ごせそうだ」
「別に節目なんて設けなくて良いぞ。単なる目安みてえなもんだ」

「いいのかい? 甘えてしまうよ?」
「やれるもんならやってみろ。何気にお前、俺に弱みを見せてねえだろ」
「くく、では前向きに善処しよう」
 言って佐々木はいつもの片頬を歪めるスマイルで微笑み、やおら語を継いだ。

「ねぇ、キョン。早速だがキミのアイスティーを一口くれないか?」
「ん? いや構わねえが」
 コーヒーが切れたならお代わり呼ぶか? お代わり自由なんだろ?
「いや今は冷たいものを口にしたい気分でね」
「そうか? まあ暖かくなってきてるしな」
「いや、そうじゃないよ」
 若芽が照り返すような、爽やかな笑みが広がる。

「人はね、嬉しいと体温があがってしまうものなんだよ。キョン」
)終わり


■場外シーン
「あらまあ、あの子ったら『やらせろ』ですって」
「最近の高校生は進んでるわねえ」
「あんな大声で痴話話かしら」
「でも基礎体温がどうたらとかしっかりしてるわねえ」

 と、喫茶店内で曲解された噂話が、俺達のあずかり知らないうちにいつのまにかSOS団団長の耳に入り
 俺をきぐるみで(以下略)させたり古泉を過労死寸前に追いやったりした挙句、
 俺が二股だのなんだの言い出した谷口以下の手によって
 俺がサッカーの時間にえらい目にあったのは
 ちょっとした後日談である。

 そこ、というか佐々木に国木田、お前ら笑ってないでちょっとは訂正しろ。頼むからさ
)終われ

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最終更新:2012年04月05日 00:27
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