「ところでキョン、宇宙人と言えばだが」
放課後の喫茶店にて。佐々木が口にしたのは俺達二人が知っているとある宇宙人の名前だった。
周防九曜、春先の一件で敵対した「天蓋領域」に属する宇宙製アンドロイドか。
あいつならあれから接触してこないが。
「そうか。それは重畳」
「そこまで言うか。まあ実際、あんな出来損ない宇宙人とはあまり会いたくないがな」
今度会ったらドイツ風にグリナス・ヘッドとでも呼んでやろうか。
「他人を出来損ないなどと呼ぶのは良くないよ親友」
言って佐々木はマテ茶をストローで啜りこむ。
「そうだね、たとえば彼女の言語機能が単にこちらに不慣れなだけかもしれないだろう?」
「不慣れってレベルかあれは」
あと何でこちらにマテ茶を回すんだ。
俺はいらんぞ。
「くく、キョン。マテ茶というのは一つの茶器で複数人で回し飲みする習慣があってね。せっかくだから例に倣ってみようじゃないか」
それともキミは僕の茶器を使うのに何かの抵抗でもあるのかい? とでも言いたげに首を傾げる。
まあ佐々木がそれでいいなら俺のほうに異論は無いがな。
と、ストローから茶を啜りこむ。
「まあ回し飲みと言っても、受け取った客は全て飲んでからホストに返し、ホストがまた次の客へ……と回すものらしいがね」
「おいこら。ならこのやり方は間違ってるんじゃないのか?」
「その通りだね。けどキミはそれに気付けなかった」
飄々と言って茶器を取り、再びストローに口をつける。
「九曜さんもきっとそこは同じなのさ。こちらの、現地の流儀を知らないだけなのではないかな?」
「まあ随分こっちとは違うらしい、ってのは俺にも解るがな」
ここは時の流れが遅い場所、そう言ってやたら間延びした喋りをしていた。
奴にとって「地球」とは過ごしにくい場所なのだろう。
しかし言語レベルで一応通じていたのは確かだ。
「そう。彼女はこちらの言葉を理解していた。まあ単語については不明瞭な点もあったようだがね」
そこで佐々木は軽く腕を組むと、ぴっと人差し指を立ててみせる。
「しかしそこはそれ、外国人みたいなものかもしれない」
「言葉が通じないってとこか?」
例えば。マテ茶と言われても、その単語に対する知識がなければどんなものなのか解らない。
思えば九曜はやたらと問い返してきていたが、それは奴が知らなかったから、そして知りたがったから、なのだろうか。
確かにこちらを小バカにしているような返しではあったが、それが奴の意図なのかは解らん。
単に知らない言葉を聞き、その意味を聞き返しただけだったとでも言うのか。
そして「どう表現していいかわからない」から、こちらからすれば意味不明瞭な「出来損ないのような」会話になってしまった?
あいつはああ見えて、知識と表現力が足りないだけの奴だったんじゃないのかと言いたいのか?
「……という考え方も出来るという事だよ」
「まあ俺は殺されかけたけどな」
せめてそこは赤ペンで強調しとくぞ佐々木。
だからそんな「わかってないなあ」って顔で笑うな。その表情はもう中学時代に見た分でハラいっぱいだ。
「だから言ったろ親友。彼女は知らないだけなんじゃないのかってね?」
言われてピンと来た言葉がある。
ない訳でもない。
『死ぬのって嫌? 殺されたくない? わたしには有機生命体の死の概念がよく理解できないんだけど』
ああ意味が解らないし笑えない事例があった。
そういや当時三歳児の別口宇宙製アンドロイドが似たような台詞を言ったことがあったっけか。
眉毛の太い元1年5組学級委員長の顔が頭に浮かんだが、あいつの時は「俺を殺すことで状況を変化させたい」からだった。
九曜も同じ事を企んでいるって言うのか?
「どちらかというと『そうなったらそれもアリ』くらいの考え方じゃないかな」
彼女の台詞を思い出してご覧? と言いたげな視線がこちらに刺さる。
「まあ確かに言葉尻じゃ俺との対話を望んでたようではあったがな」
しかし朝倉、喜緑さんが立て続けに現れた際、九曜の奴が俺の顔面に向かって抜き手をぶちこもうとしやがったのは確かだ。
もし朝倉の女郎が止めてくれなかったら俺のツラはどんなスプラッタになっていたことか。
朝倉含め、思い出すだけで寒気がするね。
『九曜さん、あなたはこの人間をどうしたいの? 殺したいの? 生かしておきたいの?』
からかいまじりの朝倉の問いに、九曜は確か……。
『――設問の意味が不明。人間とは何か。生かすとは何か。殺すとは何か』
『情報統合思念体とは何か。答えよ』
九曜はただただ問い返していた………………
……………
……
「だからってそれで殺されちゃたまったもんじゃない」
「そこは全力で同意するよ」
ありがとよ親友。
「彼女はまだこちらに慣れていないだけかもしれない。なら会話に齟齬が生じてもおかしくないさ。
それに加えてというか、本質的にというか、彼女は根本的に『想像力』というものが欠けているのかもしれないね」
想像力ねえ。
「例えばだキョン。『好き』という言葉にはLOVEとLIKEの二種類があるというだろ?」
「なるほど。俺達は文脈からどちらの意味か読み取れる。しかし九曜はそうした能力が欠けているんじゃないのかって訳か」
「ん、そういうことさ」
ああ佐々木、遮って悪かったな。
「くくく構わないよ。以上の推察を踏まえると、次の彼女の行動が気になるね」
「意表を突いてものすごく人間臭くなってたりしてな」
「くっくっく、ありえるね」
まあ谷口と接触していたときもあんな調子だったらしいし、当分は変わらんだろう
と言いたいところだが、まるで多重人格か何かみたいに口調がころころ変わったりもしてたしな。
『長門に何をしやがった』
朝倉が出現する直前だったか。
そう問いかける俺に、あいつはやけに人間くさい仕草で返してきたものだ。
『人間の事を知りたかった……いいえ、そう、違った……知りたかったのは………』
耳元で囁きかけるような、そんな声だった。
『あなたのことだったわね……』
『わたしと付き合う……?』
『いいわよ……』
喫茶店で語ったとこから察するに、長門への接触は奴なりの「対話」だったらしい。
なら長門から「聞き出した」事ってのは……
「よう解らん奴だ」
すると佐々木は相変わらずだと言わんばかりの笑みを返した。
「けどねキョン、解らないからと言って放置するのは怠慢のそしりを免れないよ。
キミはキミのSOS団を維持することを選んだのだろう? ならその外圧となりうる存在について油断すべきではないね」
佐々木は意味ありげに笑う。
解ってるさ。例え藤原の奴に誘導されたにせよ、そして藤原の行動原理に五分の魂があったとしても
周防九曜がハルヒの奴を文字通り殺そうとした実行犯である事に変わりはない。
自覚がないなら罪は問えない、無罪放免……なんてのは俺的にはナシだ。
……と再確認していると、目の前の頬が数ミリほど膨らんでいた。
「佐々木。何そんなに楽しそうな顔してんだ」
「くく、いや。そう言いながらキミは藤原くんの行動原理を見直してはいるのだなと思ってね」
そりゃ俺だって朝比奈さんが死ぬと聞いちゃ心安らかではおれんよ。
それだけの話さ。
「そうかい?」
「いずれにせよ彼女の行動原理は『力の解析』だ。そして今回の件で再確認されたようにキミの選択は力とやらに密接に関わっている。
これまで既に、谷口くんと間違えた件、喫茶店での「キミの2m内に存在したい」、そして朝倉さんとやらの交戦
最低でも三回は「彼女から」接触を図っている事も忘れてはいけないね」
「俺はあんまり会いたくねえな。次会ったらぶん殴るかもしれねえ」
「そこは抑えておいて欲しいね。キミの拳が壊れたら困る」
お気遣い感謝するよ。
「そしてもう一つ考えて欲しい。藤原くんと違い、九曜さんはキミの選択を随分と重視してはいなかったかな?」
選択肢? そう鸚鵡返しに聞き返すとざっくりと続きを言った。
「あの涼宮さん殺害未遂についてだよ」
「なんだと?」
思わず気色ばむ俺を目で制する。
そいつは同意できんぞ。
周防九曜は空中に眠ったままのハルヒを呼び出し、藤原の号令一つで地上に落とした。
もし神人があそこにいなければミンチになっていただろう。
あの事件が、あー、そうだ
「九曜さんは三重の力に阻まれていると言って涼宮さんの直接殺害を拒んだ。
実際そこにはこっそり三人の宇宙人が来ていたのだろ? けど殺すつもりなら、キミが窓に駆け寄る間もなく落とせばよかった。
或いは単にもっと遠くに、キミの跳躍範囲外に出現させるだけでも違っていたかもしれない」
俺を目で制すると、一拍おいてから佐々木は言った。
「九曜さんは、キミの選択を随分と尊重してはいなかったかな」
「それはさすがに聞き捨てならんぞ」
あの事件がただの茶番だったとでも言うつもりなら本気で怒るぞ。
俺もハルヒも命がけだったんだからな。
そう俺は言いはしたものの、佐々木の目に宿ったものを見てそれ以上の追求を止めた。
佐々木は自分自身を傷つけるような目をしていたからだ。
そんな考えを持ってしまう自分自身を蔑む目。
こいつは常に可能性を考慮し、どんな問題でもとことん考える。
だからこういう可能性にだって考えが至る。頭に血が上った俺では考慮外になる可能性だってこいつは見つけてくれる。
それが例え佐々木自身を傷付けるものであってもきっと迷わず考えるだろう。
こいつは、どこまでだって考える奴なんだ。
人間は考える葦だと言った暇人が大昔にいたらしいが、佐々木に関しては間違いなくそれがあてはまる。
いや、こんな言葉を俺がこいつにあてはめていいかは疑問の余地があるかもしれん。
それでも俺はこいつほどこの言葉が似合う奴を他に知らん。
そういや、こいつ自身もあの事件で言っていたな。
考える事を止めた時、自分は自分でなくなってしまうだろう、と。
きっとこいつは、どんな思考だって、どんなに辛い思考だろうとちゃんと向き合う。こいつが甘言に乗る姿など俺には想像もつかないね。
いつかハルヒが口にした言葉が何故かここでピッタリとハマった。
そう、自厳他寛。……それがこいつだ。
そうとも、こいつは佐々木だ。……俺が知っている「佐々木」なんだ。
「……相変わらずだな」
「なにがだい」
だってそうだろ。
「お前は、藤原にも九曜にも根っこのところに悪意はなかったかもしれない、そう俺に示唆してる。それはな」
佐々木、それはお前が優しくなけりゃできんことだぞ。俺はそんなに優しくなんかなれん。
けれど理解することくらいは出来る。そのはずだ。
いや、してみせるさ。
いつか藤原の悪ぶったところを「演技」だと看破し、最後の最後まで本音を聞き出そうとしたように。
俺が早々に「薄気味悪い」と断じ対話を諦めた周防九曜に、それでも対話を試みたように。
自分の思考に夢を託して、自分のありように意味を持たせようとするように。
こいつの思考はいつだって前向きなんだ。
未来は未来的な発展していると良いと求めたように。
こいつはシニカル、冷笑家ぶってはいるが、いつでも世界を前向きに解釈しようとするところがある。
他人と解り合おうとするその姿勢は、こいつの優しさなんだと俺は思う。
「違うよ、僕は」
「違わんよ」
お前がそんな奴だから、俺は煙にまかれようが褒められてるのか貶されるのか解らんような事言われようがツレやってんだよ。
そうだな。けど、お前はそんな風に自分を考えない奴だから、だから俺みたいなのが言ってやらにゃならん。
赤の他人が言ったって、こいつはただ「僕を知らないから言えるんだ」って言うだろうからな。
だから、俺みたいなのが言ってやらにゃならん。
「お前の考え方はいつだって他人に優しい。そのくせ自分には厳しいんだな」
俺らしくねえな。ちょっとストレートすぎたかもしれん。
佐々木が珍しく耳まで真っ赤になってやがる。
けど言っておきたい。
あー、いやしかしこれ以上は何を言えばいいんだ?
いかん言葉が見つからん。
あと何を言えばいい?
「お前のそういうとこ、俺は好きだぞ。だからそう自分を卑下すんな」
「……そうかい」
蚊の鳴くような声が答えた。
九曜、お前がいつ俺を狙ってくるのかは知らん。
けれどもう佐々木の奴を巻き込むのだけは止めてやってくれ。
こいつはこういう、そう、俺なんかの友達には過ぎるくらいに良い奴なんだからさ。頼むよ。
「キミって奴はなんでそう……」
珍しく狼狽し意味不明な呟きを続ける佐々木を眺めながら、俺はぼんやりと考えるのだった。
)終わり
最終更新:2013年02月11日 03:14