15-762「佐々木と長門」

 先日、めでたいのかめでたくないのか、創立一周年を迎えたSOS団だが、
だからといってことさら何かが変わったということはない。相変わらず、休日
ともなれば団長であるハルヒの号令の元、不毛な不思議探しに明け暮れている。
 だが、それで何かが見つかると本気で信じているのはハルヒのやつくらい
なもので、長門や古泉の仕込みでもない限り、どれだけ駆けずり回ったところ
で徒労に終わるのは火を見るより明らかだ。俺としても、いくらあいつがそれ
を望んだとしても、うちの町内がそんな不思議量産スポットと化すのは願い
下げだ。頼むぜ、本当に。
 かくして、俺は長門とともに、夏の訪れを全世界に対して告げてやるとでも
 いうような。盛大な自己主張を繰り広げる蝉時雨から逃げるべく、図書館
に足を踏み入れていた。地上に出てから一週間かそこらの生に対する讃歌も
分からないではないが、どうせならもう少し涼しげな声にはならなかったの
だろうか。蝉取りに興じるような好奇心も体力もどこかに置き忘れてきて
しまった身としては、ただただ恨めしい限りだ。
 しかし、一歩足を踏み入れてさえしまえば、そこは文明の利器――クーラー
の効いた快適空間だ。地球温暖化なんぞという大局的な視点から見ればNGかも
しれないが、あいにく今の俺はそんなグローバルな視野は持ち合わせていない。
まあ、所詮は公共の図書館の冷房設定、俺一人でどうにか出来るものでもない
んだが。
 そんなことを考えている間に、長門の姿は既に本棚の向こうに消えていた。
いつものように、俺には到底読破が望めそうもない代物とご対面していること
だろう。
 さて、今日はどんな本で時間を潰すか、そう考えたとき、ふと昔のことを
思い出した。
 エラリー・クイーンの国名シリーズ。
 いつだったか、佐々木にあらすじを聞いた覚えがある。あいつの口からその
内容を聞いたときは、なかなか面白そうだと思ったのだが、結局あれ以来手に
取る機会はなかった。いい暇潰しにはなるだろうし、読み終わらなけりゃ借り
ればいいだけの話だしな。
 そう思い立ったはいいものの、これで意外にでかい図書館である。先に館内
の案内板でも見ておけばよかったのだろうが、適当にうろついてみたところで、
そうそう目当ての棚が見つかるはずもない。ひとまず、目の前の棚には海外の
翻訳物が並んでいる辺り、まるっきり見当違いでもないはずなんだが……
「何か捜しものかい?」
 そんな若干挙動不審気味の俺に投げかけられたのは、聞き覚えのある声。
どこか笑いを噛み殺したような、その声の主は、そう、佐々木だった。
「見覚えのある後ろ姿を見かけてね、よもやとは思ったんだが。久しぶり、
 でもないかな、今回は」
 佐々木と会うのはあの春先の騒ぎ以来だ。その前が一年近くのブランクだと
いうことを考えれば、確かにその通りだろう。昔と違い、始終顔をつきあわせて
いるわけでもないため、なんとなく久しぶりと言いたくなってしまう気持ちも
分かるが。
「しかし今日はまたどうしたんだい? いやなに、こう言うと失礼かも知れない
 が、中学時代のキミを思い返すに、あまり図書館に足を運ぶことはなかった
 気がしてね。それとも、僕が知らない間に趣味の項目に読書を追加でもした
 のかな?」
 残念ながら、大した理由なんてない。ただの暇潰しさ。ところで、エラリー・
クイーンがどの辺に置いてあるか知らないか?
「クイーン? 暇潰しにしてはなかなか珍しいチョイスだね」
 いや、昔お前が面白いって言ってたのを思い出してな。
 そう言うと、へえ、とわずかに驚いたような素振りを見せてから、あの独特
の笑みを浮かべた。
「よもや、キミが僕との会話の内容を覚えていてくれているとはね。これは、
 ありがとうと言っておくべきかな?」
 そんな大層なことじゃないだろ。別に逐一全部覚えてる、なんて話でもない
しな。たまたまだ。
「まあ、僕もキミとの会話をすべて覚えているわけじゃないしね」
 そりゃそうだろう。もう二年近く前の話だ、そんなやつがいる方が驚きだぞ。
「そうかもしれない。でもねキョン、本音を言わせてもらうと、出来れば全部
 覚えていたかったよ、僕は」
 そう言うと、佐々木は小さく肩をすくめ、わずかに笑みの色を変えた。
「残念なことに、キミのように律儀に話に付き合ってくれる相手はそうそう
 いないのさ。今思えば得難い時間だったよ、あれは。あの頃は随分と恵まれ
 ていた、そう思うよ。心底ね」
 そんなに大袈裟に言うことか? 大体、別にお前の友好範囲が俺個人に限定
されてたわけでもないだろ。
「それは女友達、という意味かい? それはそうさ、僕も彼女たちとはうわべ
 だけの付き合いだった、なんて言うつもりはないよ。皆等しく大切な友人だ。
 キョン、キミと同じように」
 それでもね、と佐々木は続ける。
「僕が僕としていられたのは、キミを含めてごく少数の間でだけなのさ。まあ、
 それは僕自身にも責任があることなんだけれど」
 僕が僕として、ね。思い返せば、確かにこいつはこの妙な口調を男子生徒に
対してしか使っていなかったし、相手が望まなければややこしい話題を振ること
もなかった。我ながら、よくそれに付き合ってたもんだと思わなくもないが。
 対し、佐々木はくっくっと笑った。
「だから、さ。キョン、それがキミのことを親友だと思っている理由なんだよ。
 僕はキミのそういうところをとても好ましいと思っているんだが、どうかな、
 分かってもらえるだろうか」
 分かってもらえなくとも、僕は勝手にそう思っているけどね、そう結んだ
佐々木が、おや、と俺の背後に視線をやった。
「なんだ、連れがいるならそうと言ってくれればよかったものを。すまないね、
 余計な時間を取らせてしまったようだ」
 偶然そこを通りかかったらしい、佐々木が言うところの俺の連れ――長門は、
構わないとでもいうように微かに頷くと、再び棚の向こうに消えていこうと
したのだが。
「ああ、そうだ」
 何かを思いついたらしい佐々木が、その背を呼び止めていた。
「長門さん、だったね。下世話なようで申し訳ないが、キミとも一度ゆっくり
 話してみたいと思っていたんだよ。なにせほら、『彼女』はコミュニケーション
 を取るのがなかなか難儀でね」
 佐々木の口にした『彼女』とは、まず間違いなく九曜のことだろう。俺と
してはあまり思い出したくのない相手だ。
「なにも、彼女の持っている知識のすべてを理解したいわけじゃないさ。単純
 に興味がある、それだけのことだよ。
 どうだろう、長門さん。もしよければでいいんだが、」
 そこで一拍置いてから、佐々木は次の言葉を口にした。
「僕の友人になってはもらえないだろうか」
 さて、その瞬間の俺の心境をどう表現したらいいだろうか。
 もちろん不快感を覚えたわけではない。そんな理由もないしな。むしろ、当然
ながらそれはマイナスではなくプラスの感覚であり、しかし単純に嬉しいと表現
していいかとなると、いささか首を捻らざるをえないもので――つまりはなんだ
ろうな、今一つうまい表現が見つからない。
 そんな俺の心中を知ってか知らずか、長門がじっとこちらを見つめてきていた。
これはつまり、いつぞやのコンピ研の時と同様、俺の了承を求めている、という
ことなんだろうか。だとすれば長門、俺として言ってやれることは何もない。お前
が自分で決めた答があるんだろう? ならそうすればいい。
 そう思った瞬間、ふと頭の中をよぎる考えがあった。ついさっきの、あのなん
とも表現しづらい感覚。あれは例えば、娘を嫁にやる父親だとか、その類のもの
なんじゃないだろうかと。それこそ、今の俺には到底理解出来るはずもない感覚
なのはさておいて、な。
「問題ない」
 そして、俺のアイコンタクトが通じたのかどうか、次の瞬間には長門が頷いて
いた。
「ありがとう、長門さん。今日は僕の方も野暮用があってね、話を聞かせてもらう
 のはまたの機会にさせてもらおうかな」
 と、そこで考え込むような素振りを見せる佐々木。
「しかし、僕の方が一方的に聞かせてもらうのも悪いか。だが、こちらから提供
 出来るような情報となると……」
 なにもそんなことを気にする必要はないだろう、ということに悩んでいるその
様子に、別にいいだろ、そう言ってやろうとしたが、それは佐々木自身の、ああ
そうか、という声に遮られた。
「キミが知らなくて、僕が知っている情報を提供すればいいわけだ。となると」
 そこで、ちらりとこちらに視線をやる佐々木。何故か、それが俺のよく知る
誰かさんの視線と似ているような気がして、いやな予感がした。そう、例える
ならば、何か面白いものを見つけたときのハルヒのそれとよく似たような。
「中学時代のキョンの話、ということでどうだろうか」
「了解した」
 待てと言う間もなく、長門が即答していた。そんなどうでもいい情報を得て
どうするんだ、お前は。
「キョン、情報の持つ価値は受け手によって違うものさ。キミにとっては無価値
 なものであっても、人によってはそうではない、そんなことは往々にしてある
 だろう?」
 それはそうなんだが、いまいち釈然としないのはどうしてなんだろうな。
「さあ、ね。さて、名残惜しいがこの辺で退散させてもらうよ。
 ああキョン、クイーンならちょうどもう一つ向こうの棚になる。もしよければ、
 読み終えた感想を聞かせてもらえると嬉しい。キミがどう感じたかにも少々
 興味がある」
 じゃあまた、その言葉を最後に、軽く片手を上げて佐々木は去っていった。
 なんだか妙なことになったもんだ。総じて見れば、あいつが長門の友人になって
くれるのは悪い話じゃないんだが。なあ長門、そう呼びかけてみたが、その姿は
もうなかった。どうやら既に新たな本の探索に出てしまったらしい。
「やれやれ」
 一人取り残された俺は、そう呟いてからクイーンがあるという棚へと足を向けた。
何故かって? そりゃ、任意提出とは言われても、ここで読書感想文の一つも提出
しなけりゃあいつに悪いしな。ついでに、話が面白ければ申し分なしだ。いつ
どこで会うとも決めなかったが、二度あることは三度ある、そのうちまた出くわす
こともあるだろうさ。
 かくして、ほどなく見つけた『ローマ帽子の謎』と題されたその本を、俺は
ゆっくりと棚から抜き出した。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2007年07月30日 22:04
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。