16-94「キョンと佐々木の消失」-3

そして、俺はこの世界に来てから3日目の朝を迎えた。
ハルヒ達を前触れもなく失って動揺していた俺が、佐々木に助けられたのがずんぶん遠いことのように
思える。橘の合流に喜緑さんの暗号、長門のマンションからの脱出に藤原のメッセージ、そして、佐々木と
過ごした昨日の月夜。短い時間ながらも実にいろいろなことがあったもんだ。その思い出の数だけ、俺は
図らずもこの世界との絆を深めていることになる。
あの花畑未来人を信じるなら、今日俺は長門のマンションの717号室に行き、この世界に別れを告げる
ことになるんだろう。その時、俺は何を思うのだろうか。あの12月の改変世界のように、俺の記憶の中だ
けに存在する夢となったこの世界に対して。
いや、違うな。今回は佐々木がいる。俺はあいつと一緒に元の世界に戻る。だからこの世界は、俺だけの
夢にはならないんだ。
そんなことを考えながらカーテンを引いた。窓の外には、雲ひとつない4月の空が広がっていた。

佐々木からの電話があったのは、俺が駅前の喫茶店に向けて学校からの坂道を歩いている途中だった。
「ああキョンか、実は集合場所を変更したい。昨日の駅前デパート屋上に向かってくれ。僕はわけあって
自宅に寄ってから合流することになるが、現地にはすでに橘さんが着いているはずだ」
なんだ? いつもの佐々木らしくない動揺が言葉の裏に見え隠れしている。何があった。
「行けば分かる。詳しくは橘さんに聞いてくれ。キョン、すまないがこれで切るよ。後で会おう」
電話は一方的に切れた。ますますらしくない。俺は自然と速くなった足で、長い坂道を下って行った。

デパート屋上の屋外劇場裏、人気のない一角に立っていた橘は、俺の顔を見るなりある一点を指差した。
その先にあるのは長門のマンションだ。だが、見慣れた高級分譲マンションは大きくその姿を変えていた。
建物の上半分を黒いもやのようなものが覆い尽くし、ゆらゆらと不気味にうごめいている。それは昔テレ
ビで見たイナゴの大群を思わせるような―――とてつもない数のカラスだった。
「あたしたちが駅前についた時には、もうああなっていたの。でも騒ぎになっている様子はありません。
他の人には、あれが見えていないみたい」
俺は思い出す。初めて九曜に会った時、俺は佐々木に紹介されるまでその存在を全く認識できなかった。
あれほど異様な姿をしていたにも関わらずだ。なるほど、これはあの部屋には近づくなというお前なりの
意思表示なのか、九曜? だとしたら、ずいぶんと分かりやすいことをするじゃないか。

不気味に変貌を遂げたマンションを見つめる橘の目には、わずかながら怯えの色があった。
たぶん、俺の目も同じ色をしていることだろう。でもな、ここで引くわけには行かないんだ、俺たちの
世界に帰るためにはな。だからこそ、俺はあえて橘に訊ねた。
「いいのか、橘?」
おまえは俺や佐々木と違って、この世界の住人だ。どころか、俺たちが元の世界に帰った後、この世界が
どうなるのかは正直分からないんだ。そんなおまえに、そこまでの無理をさせちまって本当にいいのか?
「………」
いや、すでに橘が得難い戦力になっているのは事実で、それはこいつも分かっていることだ。いくらなん
でも、この質問は偽善的に過ぎるだろ。取り消そうとした俺を、だが橘は制して言った。

「あたしは、佐々木さんが好きなのです」
朗らかで、でも迷いのない目が俺を見つめる。
「涼宮さんたちのいないこの世界は、あたしにとって、いえ、ひょっとしたら佐々木さんにとっても都合が
いいのかもしれない。でも、それだけでこの世界を肯定するには、あたしはあまりにも彼女の内面を知り
すぎてしまっているの。あ、知ってました? あたし、佐々木さんの心の中に入れるんですよ」
知ってるさ。この世界のおまえは俺を連れて行かなかったのか? 佐々木の閉鎖空間に。
「あの場所でいろいろなものを見て、あたしは気付いたの。彼女が不器用なくらい本当の自分を出せないで
いることや、その内面はごく普通の女の子と変わらないってことに」
そこで橘は一息ついて、薄くオレンジ色に染まりつつある街を見下ろした。
「その彼女が、最初の日の夜に電話でこう言ったの。何がなんでもあなたを元の世界に帰してあげたいから
力を貸してくれって。紛れもない、彼女の本心からの言葉で。あたしが協力する理由は、そのひと言だけで
十分なのです。組織にも今回の件は言ってません。ですから、あなたは気にしないでください」
その言葉で俺は確信する。やっぱりこいつは悪い奴じゃない。佐々木が好きで好きでたまらない、あいつの
大切な親友のひとりなんだと。だから、同じ佐々木の親友として、俺は橘に礼を言った。
「そこまで言ってもらえるのなら、あたしからもひとつお願いがあるのです」
なんだ? 言ってみろ。
「あなたの世界に帰っても、佐々木さんとずっと―――友達でいてあげてください。一年も連絡せず放っ
ておくなんて、もう絶対にダメです。約束してください」
わかった、約束するよ。いつになく真剣な顔で言う橘に、俺はそう答えた。



しばらくして屋上にやってきた佐々木は、普段とはえらく様子が違っていた。手に持っている地図はまあ
いいとして、その背中にある布に包まれた長物はいったい…何のつもりだ?
そう突っ込むより早く、佐々木はこの街の地図を広げ、ブレザーのポケットから油性ペンを取り出した。
「状況は見てのとおりだ。まさかあそこまで警戒されるとは、僕の読みが甘かったようだね。申し訳ない」
確かに、あの中に真っ直ぐ突っ込むのは俺も遠慮願いたいぜ。
「そこで代案だ。急ごしらえなので少々粗いのは否めないが、直接717号室を目指すよりも遥かに安全
になると思う」
そう言って、佐々木は地図にルートを書き込みながら突入作戦の詳細を解説しはじめた。その全貌が
明らかになってゆくにつれ、俺は胃が痛くなるのを感じていた。「マジかよ…」という呟きをすんでの
ところで飲み込む。

昨日のテスト飛行で、橘のフライトスキルは判明してるだろ。こんな作戦が果たして実行可能なのか?
「大丈夫ですよ。あたし、昨日の晩に特訓したの。矢を打つのも空を飛ぶのも、昨日までのあたしと
同じだと思ったら大間違いなのです。もうエース級の腕前です」
一夜漬けかよ。行動の端々から要領の悪さをうかがわせる橘の自信満々の笑みに、俺は頭を抱えた。
「キョン、君だって試験前にはよくやっていたじゃないか。それなりの効果はあったものと僕は記憶して
いるのだが、違ったかな?」
あれは、おまえという優秀なコーチがいたからだ。それに、いくらなんでも学校の試験で死ぬことはない。
「まあそう言うな。本当はもっと詰めたいところなんだが、日暮れまであまり時間がない。九曜さんが操
っているのであろうあのカラスが、まさか鳥目だとも思えないしね」
仕方がない、乗りかかった船だ。俺は、さっき橘から聞いた決意のほどを思い出し、腹を括ることにした。
「橘さんは飛行に専念してくれ、カラスたちの動きは僕が逐次伝える。だが大まわりのルートを辿るとは
いえ、若干の接触は避けられないだろう。そこでキョン、君には避けきれなかったカラスの迎撃をお願い
したいのだが」
おい佐々木、やっぱり今日のおまえおかしいぞ。どっかでハルヒでも喰ってきたんじゃあるまいな。
「くくっ、こういうのは、昔から殿方の役目と相場が決まっているだろう?」
そう言って、佐々木は背中の長物の布を解いて俺によこした。ずしりと重い、黒光りする木刀を。
「僕の父が、学生のころ剣道を嗜んでいてね、物置に忍び込んで失敬してきたのさ。安心してくれたまえ、
そこいらの土産物屋で売っているような安物とは違って、ものは確かだ」
うっすらと殺気すら漂わせるその業物を見ながら、俺は今度こそ口に出していた。
「やれやれ」

青い光球に包まれた橘の背中に俺と佐々木が跨る。屋上からゆっくりと足が離れた。
視線の先には異様な姿を晒す長門のマンション、その右手前に建設中の高層ビル。
「キョン、橘さん」
俺の腰に腕をまわした佐々木が、背後で口を開く。
「全員で無事に、あの部屋までたどり着こう。必ずだ」
「はいっ」
「おう」
そうだ、これで終わりにするんだ。この歪んだ世界でのふざけた茶番を、全てな。
俺たちを包んだ青い光球は、オレンジ色の虚空へと飛翔した。



カラスどもの反応は早かった。
俺たちが飛び出すのと同時に空を侵食するアメーバのようにマンションを離れ、こちらに向かってきた。
じわじわと表面積を増しながら黒い群体が近づいてくる。距離が詰まるにつれ、俺は改めてその数に驚愕
していた。俺が持つ程度の自然科学の知識でも断言できる、こんなカラスはこの世にはいないと。敵が
七分に空が三分だ、視界を覆い尽くすカラスの群れは、その数だけですでにこの世ならざる存在だった。
「橘さん!」
カラスとの距離が十分に詰まったタイミングを見計らって佐々木が指示を出し、それを受けた橘が針路を
変える。さあ、ここからが本番ってわけだ。青い光球は、一気に右下方への急降下に転じた。

「いいね、連中もついて来ている。速度もう少し落として!」
地表が迫る。急な方向転換に形を崩しながらも、前後に伸びた状態で後を追ってくるカラスの群れ。
落下エネルギーも加わってその速度は速い。ブレーキを効かせるこちらとの距離がみるみる縮まっていく。
気がつけば、俺の眼前に民家の屋根が急接近していた。
「高度もどして、速度そのまま!」
素早い反応で、橘は民家の屋根ギリギリの高度で水平飛行に移った。見慣れた街の風景がすぐ下を高速で
流れてゆく。そのすぐ後方にまで迫ったカラスどもも水平飛行に移るが、空中とは違い地上物に邪魔され
て横に広がらざるを得ない、その形を大きく崩していた。
黒い大集団を引き連れて俺たちは飛ぶ。その前方に、目指す建設中の高層ビルの威容が迫っていた。

「3、2、1、いま!」
あわや激突という近さで、橘はビルの巨大な壁沿いを垂直上昇に転じた。壁面を舐めるように青い光球が
走る。確かに昨日とは比べ物にならないくらい腕をあげているが、佐々木も佐々木であまり無茶な指示は
しないでもらいたいもんだ。ばくばくする心臓に手を当ながら、俺は閉じてしまっていた目を開いた。
灰色の作業幕に覆われたビルの壁は、さながらサーキットのファイナルストレートだ。その路面が途切れ
るところ―――屋上が見る間に近づいてくる。後方では、徐々に距離を開けられながらもカラスの追撃が
続いていた。遠目には、ビルを這いあがる巨大なアメーバのように見えるに違いない。
敵を振り切りつつ俺たちは屋上を越え、そして本コースにおける最も心臓に悪いポイントにさしかかろう
としていた。赤白ツートンのクレーンをくぐり抜け、ビルの反対側に出る。目も眩むような高度だ。
「しっかり掴まってて下さい!」
言われるまでもなく俺が橘の肩を掴むと、腰に回された佐々木の腕がぎゅっと締まる。瞬間、先ほどの
降下とはけた違いの速度で橘は急降下をはじめた。地上の、ある一点を目指して。

「おおおおおおおおおっ!」
猛スピードで地表が近づいて来る。内臓がひっくり返り、背骨から力が抜けそうになる。それでも、俺は
半ば意地になって目を開き続けていた。くそったれ、こんな経験もう二度とできないだろうからな。
だが、ビルの左右から回り込むことに成功した一部のカラスが、俺たちの針路を塞ぐ形で集まりつつ
あった。避けている余裕はない。俺は覚悟を決め、右手に木刀を握り締める。が…
ヒュヒュヒュンッ! 軽やかな音を立て、橘の手から光の矢が矢継ぎ早に放たれた。矢は狙い違わず針路
上のカラスに命中して爆散、黒い霧に穴を穿つ。その穴めがけ、橘はさらに増速して突っ込んだ。
「くっ…!」
穴が徐々に狭まっていく。抜けられるか…? いや、あいつが邪魔だ、左上から来ているあの一羽!
「このっ!」
俺は右手を振るい、真正面から光球の皮膜を突き破ってきたそいつを弾き飛ばした。他のカラスは光球に
斜めにぶつかり弾かれていく。そして黒い壁を抜けた俺たちの目前に下を行く人間の顔が判別できるほど
になった地表が絶望的な速度で迫り―――
「橘さん!」
激突すると思われた刹那、鮮やかに身をひるがえした橘は、駅前から続くアーケード街に突入した。



「ふーっ…」
クリーム色のトンネルのようなアーケード街を抜けながら、俺はようやく一息ついていた。猛スピードで
駆け抜ける青い光球を見た買い物客のざわめきが、少し遅れて後ろから聞こえてくる。いやまったく、
お騒がせして申し訳ございません皆様。
追って来るカラスはいない。どうやらその大部分を、ビルの反対側に置き去りにすることができたようだ。
あとは、このままアーケードの下を進めば長門のマンションのすぐ近くに出られるって寸法だが…
「い、今頃になって、震えがきたよ」
さしもの作戦立案者も、奥歯を細かく鳴らしながらそう言うのがやっとのようだ。俺もあんなアクロバット
は金輪際ごめん被りたい。だが、さらに評価されるべきは橘だろう。曲がるのも怪しかった昨日の状態から、
よくもまあこれだけ上達したものだ。ビバ一夜漬け、古泉より才能あるかもしれんぞ、おまえ。
「だから言ったじゃないですか。あたし高いところが好きなんです、って」
屋根が途切れる。アーケードを抜けた俺たちの前に、一羽のカラスの姿もない高級分譲マンションが現れた。

カラスの大群は遥か後方、高層ビルの周りを所在なげに飛んでいた。上手くいったみたいだな、佐々木。
「ひとまずはね。だが気付かれるのも時間の問題だろう。橘さん、急いで717号室を目指してくれ」
橘の光球は、まっすぐに7階の端を目指す。そして、あっけないほど簡単に目的の部屋の前にたどり着い
たその時―――屋上に隠れていたカラスの一群が、マンションの壁をかすめて一斉に急降下してきた。
それは、完全な奇襲だった。
「上!」
佐々木が叫び、橘が回避運動に入る。だが遅すぎた。ほぼ真上から突入した一羽のカラスが光球の
皮膜を突き破り、反射的に木刀を構えた俺の手の甲を深く切り裂いた。橘がバランスを崩す。
「ぐあっ…」
「キョン!」
取り落とした木刀がくるくると回りながらマンションの前庭に落ちていく。その向こうから、上昇に転じ
たカラスが二手に分かれて迫り来ていた。橘がバランスを立て直しながらも懸命に矢を放ち一部の
カラスを吹き飛ばすが、その爆風にも怯まず残りのカラスが殺到する。
「橘さん、上だ!」
「どうするつもりだ!?」
「いったん屋上に不時着する! 早く!」
「は、はいっ!」
上昇をはじめた青い光球はすんでのところでカラスをかわし、そのまま屋上を飛び越すと―――
「あ、あれっ!?」
ありえない角度で針路を変え、土煙をあげて屋上に激突した。
やれやれ、あれだけ見事なフライトの最後にオチまでつけるとは、どこまでも橘らしいぜ。

「ケホッ、ケホッ」
「いたたたた…」
佐々木の咳と、尻を打ったらしい橘の声が聞こえる。何とか無事のようだな、光球がクッションになった
んだろう。屋上の床が割れてるところを見ると結構な衝撃だったようで、僥倖といわねばなるまい。
「キョン、手を見せてみろ!」
土埃の中から現れた佐々木が俺の手をとる。見れば、カラスに裂かれた左手の甲からはどくどくと血が
流れていた。
「ひどい…大丈夫か? 痛いだろキョン、待っていろ今…」
心配するな、驚いてるせいか知らんが痛みもほとんどないんだ。それより、ふたりこそ怪我ないか?
「馬鹿! もっと自分の心配をしろ!」
うっすらと涙さえ浮かべながら、佐々木は俺の左手にハンカチをきつく巻いた。これで、少なくとも血は
止まるだろう。大した怪我じゃないさ、だからそんな顔するなよ。
土埃が晴れていく。カラスの群れはいつのまにか消えていた。だが。
―――突然、背後から圧倒的な存在感がのしかかってきた。わずかに感じていた傷の痛みが瞬時に
引いていく。それほどまでに強烈な、とてつもない気配だった。俺は後ろを振り向いた。

昇降口の屋根に黒い影があった。背負った夕日を吸い込むような、絶対的な濃度の影が。
陶器のような肌、レンズじみた瞳、異様に長い黒髪は屋上の風にもそよいではいない。
俺は初めて姿を見せた、この歪んだ世界の王の名を呟いていた。
「周防、九曜…!」



焦点の定まらないレンズ眼が俺たちを見つめる。息が詰まる、体が動かない。
他を圧するすさまじい波動が、昇降口に立つ影から全方位に放射されているかのようだった。
その波動を切り裂いて黒衣の痩身が俺の前に立ち、影と対峙した。佐々木だ。
黒いスカートが風にはためく。しばし睨み合った後、佐々木は口火を切った。

「会いたかったよ、九曜さん。君はこの世界に何をしたんだい? 答えてもらおうか」
深海から汲み上げた水のように冷たい声だった。俺は、佐々木のこんな声を聞いたことがない。
「―――何も―――していない―――私は―――観測する」
九曜が答えた。伸びきったテープのように異質な声。いま口は動いたのか? それすらも怪しい。
「では、なぜ世界は変わった? どうして涼宮さんたちは消えた? 君が何かをしたからだろう」
「私は―――涼宮ハルヒから―――力の一部を………奪った」
ハルヒの眼前をかすめたカラスの姿が脳裏をよぎる。やはりこいつか。ハルヒの力を使い世界を改変する。
長門にできたのなら、こいつにできても不思議はない。だが、九曜は驚くべき言葉を続けた。
「その力を―――あなたに―――与えた―――だけ」
今こいつは何と言った? ハルヒの力の一部を、佐々木に?
「刹那―――あなたの………閉鎖空間は―――爆発的に―――膨張」

「―――世界を―――覆った」

一瞬、俺は九曜の言ったことが理解できなかった。かわりに、一年前にハルヒと一緒に閉じ込められた
あの閉鎖空間を思い出していた。あそこから何とか俺は帰って来られたわけだが、もし失敗していたら…
恐らく古泉の言うように、世界は変わっていたんだろう。ハルヒの望んだ世界に。
ここがそれなのか? あのセピア色の閉鎖空間に飲み込まれた、佐々木の望んだ世界?
―――違う。俺は全力でその考えを否定した。なぜ佐々木が世界を変える。なぜ佐々木が、ハルヒたちの
いない世界を望まなきゃいけない。そんなこと、そんなことあるわけが、ないだろう。
俺の揺れる心を庇うかのように、佐々木が強く一歩を踏み出す。そして、鋭い声を九曜に放った。

「見くびるなっ! 僕はこんな世界を望んではいない!」
「―――でも―――あなた」
「涼宮さんとのことも決着をつけるつもりでいた! 余計なことはしないでもらおう!」
「望んだのは―――あなた」
「そこをどくんだ、九曜さん! 彼を…僕らを、元の世界に戻せ!」
「観測は―――まだ―――不十分―――」
「どくんだっ!」
「―――それは―――できない」

「橘っ!」
俺はすぐ横で九曜を睨みつける超能力者を呼ぶ。やはりあいつはできそこないの機械人形だ、会話なんて
はなっから無理だったんだ。そこをどく気がないのなら、無理矢理にでもこじ開けてやる。俺は昨日の
打ち合わせどおり橘からそれを受け取り、九曜めがけて駆け出した。
同時に、青い光球に身を包んだ橘が光の矢を連続で打ち出した。吸い込まれるように九曜に殺到した無数
の矢はその体に達する寸前、見えない壁に衝突し硬質の音をたてて弾き飛ばされてゆく。
その様子を横目に俺は走る。ここまでは予想できていた。長門に匹敵する力を持つ九曜を相手に正面から
やり合えるとは考えちゃいない。いいぞ橘、その調子で九曜の注意を引き付けておいてくれ。思ったとおり、
ただの人間である俺を九曜は全く警戒している様子はない。そこがおまえの隙だ、と、俺が袖の中にある
切り札の存在を確かめたその時。

「―――邪魔」

レンズめいた九曜の瞳がはじめて焦点を結び、橘を―――見た。
その刹那、九曜から放たれた波動が空間を裂いた。波動は飛来する光の矢を瞬時に打ち砕き、青い光球を
飴のように溶かしながら給水タンクに叩きつけ―――轟音とともにタンクごと吹き飛ばした。
宙を舞う部品に混ざって、ぼろぼろになった橘がどさりと屋上に落ちる。それきり、橘は動かなくなった。



「―――橘さんっ!」
悲鳴に近い声をあげて橘に駆け寄る佐々木の姿を、俺は呆然と眺めていた。
甘過ぎた、大甘だ。俺は九曜の力を見誤っていた。天蓋領域が作り出した有機アンドロイドの力を。
橘の能力があれば何とかなる? 馬鹿を言え、橘だけでどうにかできる次元の話じゃなかったんだ。
そんな楽観的でおめでたい考えの果てがこれだ。俺の甘い見通しが、橘をあんな目に―――
あいつは無事か? と視線を向けた先で、橘は呻きながらもうっすらと目を開き、佐々木を見つめた。
よかった、生きている。その口元に弱々しい笑みが浮かぶのを認めた俺は、視線を後ろに転じた。

先ほどと寸分も違わない姿で、九曜はそこにあった。
圧倒的な力で立ちはだかる、この世界にかかった最後の鍵。
だが、他にどんなやりようがあった。橘の力をもってしても時間稼ぎにすらならない九曜に対して。
…ん? 何かが引っかかった。パズルの完成図がちらりと見えたような違和感。
世界にかかった鍵。このフレーズを俺はどこで聞いた? いつ、誰が言っていた?
ひとつの言葉をきっかけに、急速に思考が研ぎ澄まされていく。
そうだ、考えろ。何とかできるだけのヒントは、もう十分にもらっているはずだ。

「私にできるのはここまでです」
―――喜緑さんは言った。九曜の名を、奇妙な暗号で伝えて。

「暗号そのものに何か意味を持たせているのかもしれない」
―――九曜の名の他に、何を伝えてくれようとした、そもそもどんな暗号だった?

「二重のロックをかけられた暗号文…」
―――二重のロック、それは、何のことだ。

「世界にかかった鍵をひとつ開いた気がするよ」
―――世界の鍵をひとつ外した。そして、橘は能力に目覚めた。

「橘だけでどうにかできる次元の話じゃなかったんだ」
―――そのとおりだ。もうひとつ鍵がかかってたんだからな。では、それは何だ?

「あなたの………閉鎖空間は―――爆発的に―――膨張」
―――世界を覆った閉鎖空間。だから橘は能力を。そうか。もうひとつの鍵。それは。

収束された思考が、ひとつの像を結んだ。でも、待てよ。俺にそんなことをする資格があるのか?
この世界で迷いかけた俺に、あいつは確かな指針をくれた。だから俺は、いつか必ず恩を返すと誓った。
これがそれなのか? とんでもない自惚れ屋が、あいつの心をもてあそぶかのような、こんなものが。
違う。こんなものは恩返しじゃない、あるはずがない。だから謝る、すまん、佐々木―――!

「佐々木っ!」
あいつの名を呼んだ。倒れた橘に付き添う佐々木が驚いたようにこちらを見る。その瞳に向けて、
「俺に何が起こっても、橘のそばを離れるな! いいな、絶対に動くんじゃないぞ!」
そう告げるが早いか、俺は全速力で九曜のもとにこの身を走らせた。後ろで佐々木が俺の名を叫ぶ。
でも、俺に迷いはない。例えそれがどんな方法だとしても、あいつと一緒に元の世界に戻るんだ。
そのために、いまできることをする。
九曜の瞳が俺を捉える。次の瞬間、俺は首を締め上げられて、九曜とともに昇降口の屋根にあった。
何が起こったのか分からなかった。九曜まで、あと5~6メートルは離れていたはずだ。
だがまあ、狙いどおりだ。あとは佐々木、願わくば、俺が、くたばる、前に、何とか…
「がはっ!」
万力のような九曜の手が首を締め上げる。メキッ、と嫌な音がした。意識が遠のいていく―――

「いやあぁっ―――キョン―――!!!」

佐々木の絶叫が耳に届く。目だけをそちらに向けた俺は、そこに夕日を凝縮したような茜色の塊が迫る
のを見て、もうひとつの鍵が外れたのを知った。茜色の塊は、そのまま昇降口を粉々に打ち砕いた。



「ん……」
おう、何とか生きてるみたいだ。でも体が動かねえ、どうなってんだ? 視界も妙に狭いな。
俺は視線を巡らせた。俺の名を叫びながら駆け寄ろうとする佐々木を、必死に止めている橘が見える。
本当にごめんな、佐々木。そんな顔をさせちまって。でも、ちょいとばかりやり方が荒っぽいぜこりゃあ。
橘も思ったより元気そうだ。その服、気に入ってたんだろ? ぼろぼろにさせちまって、すまん。
さらに視線を巡らせる。俺のすぐ目の前に、虚空を見上げて佇む九曜の黒い背中。その先に―――
暮れなずむ空にそびえる、茜色の巨人の姿があった。初めて見る、佐々木の神人の姿が。

「るおおおおおおおん!」

巨人が咆哮し、振り上げた拳を九曜めがけて打ち下ろす。だが見えない壁に衝突し、拳は九曜の眼前で
動きを止めた。巨人がさらに力を込める、九曜がそれを睨み返す。巨大な力と力が真っ向からぶつかり合い、
バチバチと音をたてて空間にノイズが走る。

「彼女の―――破壊の―――イメージ………きれい」
「―――でも―――邪魔」

九曜の存在感が爆発的に増した。せめぎ合っていた力の均衡が崩れ、茜色の巨腕を徐々に捻り上げていく。
巨人が苦しげな雄叫びをあげた。なんて奴だ、九曜! 長門を封じ、恐らくは喜緑さんにも負荷をかけ続け
ながら、まだこれだけの力を振るうとは。俺は右手にある感触を確かめる。くそっ、動け、動けよ俺の体!
九曜の強大な力に押され、ついに巨人が膝をつく。苦悶する声が響いた、その時―――

「佐々木さんの巨人を、いじめるなあぁーっ!!!」

叫び声とともに、橘の渾身の矢が九曜の真横から殺到した。甲高い音をたてて次々に弾き飛ばされていく
光の矢。だが、その猛攻の前についに九曜が―――よろけた。
その瞬間、俺は全身全霊の力でのしかかっていた瓦礫を押しのけ、右手に持った光の矢を、九曜の背中に
深々と突き立てた。薄いガラスの板を貫いたような、パリン、という手応えがあった。

光の矢を中心にして、九曜の体に亀裂が広がっていく。それとともに、輪郭が霧のように霞みはじめた。
圧倒的だった存在感が急速に薄れていく。
「貴重―な―――データを―――採―取」
振り向いた九曜の、漆黒の双眸が俺を見つめる。その裏にある感情を、俺は読み取ることができない。
「あな―た―の―――世―界で……待…つ」
そう言い残し、九曜は黒い霧となってこの世界から消えた。

「キョ…ン」
瓦礫の中から現れた俺の姿を認めて、佐々木はぺたんと尻餅をついた。おい、いま一瞬見えたぞ、佐々木。
「馬鹿…どれだけ、心配したと…ひくっ、思って…」
歩み寄った俺に縋りつき、声を上げて佐々木は泣いた。その華奢な指先に込められた力の強さが、こいつ
にどれほどの心配をかけたのかを雄弁に物語っている。俺はその肩を抱きながら、佐々木が泣き止むまで、
何度も何度も心の中で謝罪していた。
そして、佐々木が落ち着きを取り戻した頃、あの巨人もいつの間にか消えていた。

「立てるか?」
「もちろんだ――っと、あ、あれ、腰が」
「ダメか?」
「………………そのようだ」
「しょうがねえな、ほれ」
「いや、ででも、そんな…」
「いまさら遠慮すんな」
「………では、世話になる」
「おう」
佐々木を背負い、俺は傍らを見た。どうもさっきから静かだと思ったら、屋上の手すりにもたれて
橘がすうすうと寝息をたてていた。俺と同様のひどい格好だ。でもその寝顔には幸せそうな笑みが浮かび、
「おかえりなさい~」などと意味不明の寝言すら発している。
だがまいったな、こいつまで一緒に運ぶ体力はもう俺にはないぞ。
「起こすのも気の毒だ、眠らせておいてあげよう。それに…恐らく彼女はこの世界とともに消える存在だ」
悲しげな響きを帯びた佐々木の言葉を、風がさらっていった。
元の世界に戻ったら、もう少し優しく接してやろう。この小さくて頑張り屋の、憎めない誘拐犯に。
「ありがとな、橘」
「ありがとう、橘さん」
俺は橘の頭をなで、瓦礫と化した昇降口に向かう。
ポケットラジオがチューニング音をたて、藤原の事務的な声をクリアな音声で流しはじめた。

「藤原だ。君が今いる世界は時空震源β・佐々木の生み出した改変世界であると我々は判断した。
閉鎖空間をベースにした極めて不安定な時空だが、その世界は我々の未来に繋がっていない。
よって、キーパーソンである君のサルベージを次元断層突破によって試みる。
TPDDの机上応用理論ではあるが、その世界の不安定さから見て成功率は極めて高いと推測する。
ただし断層突破の障害が存在している。障害を排除し、その世界の矛盾の部屋に向かえ」

すごいぜ佐々木、ほとんどおまえの言ってたとおりじゃないか。あの野郎に借りを作るのは実に本意と
するところではないが、まあ今回だけは世話になってやる。だがな。
その時空震源βってのやめろ。それと、何がキーパーソンである君のサルベージだ。そっちに戻るのは
俺と佐々木のふたりだ。そこんとこ忘れるんじゃねえよパンジー野郎。
俺は階段をふさぐ瓦礫を蹴り飛ばし、7階へと降りて行った。



「不思議な場所だな、ここは。自転車の荷台とはまた違った趣きがある」
717号室に向かう途中、佐々木が背中から声をかけてきた。そんなに上等な乗り心地じゃないだろ。
「いや、なかなかどうして悪くない。タクシー代程度の報酬なら進呈してもよいくらいだ」
移動距離からの算出だとしたら、金属泥棒なみに割に合わないんで遠慮しておくよ。
「くくっ、それは残念だ」

ふと会話が途切れた。しばらくの沈黙の後、佐々木が口を開く。
「キョン、さっきの巨人と藤原君のメッセージで確信したんだが、この世界を作ったのは僕ということで
間違いないと思う」
佐々木はそう独白し、懺悔をするような口調で続けた。
「力を手にした瞬間にそれを振るい、あまつさえ自分の立場を変えるのではなく、涼宮さんたちを消して
しまうという形で世界を変えたんだ。自己嫌悪の極みだよ。以前この世界のことを子供のついた嘘のような
世界と評したが、滑稽だね。その駄々っ子とは、つまり僕のことだったのさ」
俺は7階の通路から外を眺める。太陽が沈んだばかりの西の空は、あの神人のような茜色に染まっていた。
「僕を信頼してくれている橘さんに会わせる顔がないよ。僕は―――神様失格だ」
俺はかけるべき言葉を探し、でもそれを見つけられないまま、717号室の前に立った。

そこは、長門の部屋以上に何もない空間だった。
だだっ広いリビングに存在するのは、中央にポツンと置かれたどこにでもありそうなプッシュホンだけ。
俺が佐々木を壁にもたれかけさせると、それを待っていたかのように電話が鳴り始めた。俺は電話に出た。
「藤原だ。君がここにいるということは、あのTFEI端末が渡した受信機が役に立ったようだな。まあいい、
これよりTPDDによる次元断層突破を行い、君をこちらに転送する」
普段の嫌味ったらしい口調ではなく、ラジオの時のような事務的な口調だった。ますます気に入らねえ。
「戻っても九曜がいるだろ。また同じことになるんじゃないのか?」
「彼女はすでに観測を終えた。コンセンサスは取れている。これから君を転送するのは、彼女が涼宮に
干渉しなかった世界だ」
「言いたことはまだあるぜ。転送するのは俺だけじゃねえ、佐々木も一緒だ」
「君だけで問題ない。間もなく時空震が発生する、部屋から出るな」
それだけを告げ、藤原からの回線は一方的に切れた。あまりのことに目の前が真っ赤になる。
おい、ふざけんじゃねぇぞ藤原! 佐々木も一緒に連れていけよ!
こいつも俺と同じ、そっちの記憶を持ってるんだよ! おい、なんとか言えこの野郎!
「キョン」
プッシュホンを出鱈目に押していた俺の背中に、佐々木の声がかかる。
「いいんだ、彼の言っていることは正しい」
そう言って、佐々木はブレザーの両ポケットから、全く同じに見えるふたつの黒いラジオを取り出した。

「騙すつもりはなかったんだが、日が経つにつれ言い辛くなってしまってね。すまなかった」
ふたつのポケットラジオは、表面についた細かな傷のひとつひとつまでが完璧に一致していた。
「こっちが、藤原君からのメッセージを伝えてくれた、君が持ってきたラジオ。もうひとつが、僕がもともと
持っていたラジオだ―――僕には、喫茶店にラジオを置き忘れた記憶はない。つまりキョン、僕は…
この改変世界の住人なんだ」
寂しげに佐々木が微笑む。ちょっと待て、どういうことだ、分かるように説明してくれ佐々木!
「言葉どおりさ、キョン。最初の日に橘さんがよこした電話は涼宮さんの転校に関する用件だったし、
その前日の喫茶店での会合も同じ議題だった。僕は喜緑さんを知らないし、まして彼女が九曜さんに
腕を掴まれたところなど見ていない。僕はずっと…君に嘘をついていたんだ」
くつくつと佐々木は笑った。俺の記憶にあるとおりの独特の声で。何故だ、どうしてそんなこと…
「本当にすまない。でも、あの時の君はひどいものだった。見ているこちらまで切なくなるような、
悲しい顔をしていた。とにかく君を落ち着かせようと僕も必死だったんだよ。それで、話を合わせる
ために口から出任せを言って、修正の機会を逸したまま今に至った…そういうことさ」

  ――――――落ち着けっ!! キョン!!!

俺の脳裏に、取り乱す俺を嗜めた佐々木の顔が甦る。あの憂いをたたえた瞳の奥にそんな想いがあった
ことに、俺は全く気付いてやれなかった。一緒に元の世界に戻ろうと励ましてくれた佐々木が、その裏で
どんな気持でいるのか全く考えていなかった。この世界でただひとつの指針になってくれたこいつの言葉が、
そんな悲しい決意に支えられたものだったなんて…

俺はおまえがいたからここまで来れた。おまえと一緒に帰りたかったんだ。
俺は―――今おまえに何をしてやれる? 何をすればいい?
「くくっ、希望はいろいろあるけれど、本物の僕を差し置いてフライングするわけにも行かないからね…
うん、ではお言葉に甘えて、ひとつだけいいかな」
ああ、なんだ?
「この世界の僕がいたことを、ずっと忘れないでくれ。それだけでいい」
わかった。俺はおまえを忘れない。一緒に空を飛んだことも、そのあと落ちて大笑いしたことも、自転車
の荷台に乗せて走ったことも、全部覚えておいてやる。絶対に、絶対に忘れない。約束だ。
「ああ、あの月夜の晩は楽しかったね。僕にしては上出来の思い出を作れたよ。ありがとう、キョン」
馬鹿、礼を言うのはこっちだ。おまえにそんなこと言われたら、俺の立つ瀬が、なくなっちまう、だ…ろ。
「人が変わらずにいられるのは、数少ない奇跡のうちのひとつだと言っただろう? 一年経っても、お互
いの同一性をすぐに確認できた僕らじゃないか。時空を飛び越えるくらいなんだ。君の世界にいるのも
まちがいなく同じ僕だ、これは別れじゃない。だからキョン、そんな悲しそうな顔をしないでくれ」
佐々木の指先が俺の目蓋をなぞり、いつの間にか流れていた涙をぬぐった。

「それから―――神様は辞退するよう、そっちの僕に伝えておいてくれないか」
断る。だっておまえは、俺の記憶を残してくれたじゃないか。それはおまえが、この世界が間違っている
ことを本当は分かってたからだろ? だから神様になれよ。ハルヒと正面からぶつかって、神様の座を
争えよ。おまえ言ってたじゃないか、ハルヒとは決着をつけるつもりだ、って。
「くっくっ、涼宮さんと決着をつけるっていうのは、そういう意味じゃないんだけどね…」
君はやっぱり、変わらないな―――それが、この世界で聞いた、こいつの最後の言葉となった。
次の瞬間、俺は重力を失っていた。



不思議と吐き気はなかった。だから俺は目を開けたまま、重力井戸を落ちていった。
暗闇に浮かぶ幻燈のように、おぼろげな映像群が俺の前を通り過ぎる。
休日に街をぶらつく俺と佐々木、部屋でお互い黙って本を読んでいる俺と佐々木、それに…
あれは同じ大学に通う俺と佐々木か? 確かにできの悪い世界だ、そんなことありえねえ。
俺がたったいま捨てた世界の未来が、俺の中を通り抜けていく。
そして俺は、俺が選んだ世界に―――足を着いた。

長門のマンションの、7階の通路にいた。
振り向けば、後ろには708号室があった。帰って来たんだ、夢じゃないよな。
ふと左手を見ると、あいつが巻いてくれたハンカチが風に揺れていた。
通路の向こう側からハルヒが来る。朝比奈さんも、古泉の爽やかスマイルも一緒だ。
なに勝手に先に付いてんのよ、探したんだから、なんて言ってるんだろうハルヒは。
ああそうさ、橘の背中に佐々木とふたりで乗って、空を飛んでここまで来たんだ。
羨ましいだろ。

俺は一歩を踏み出す。
この騒々しい神様争奪劇が終れば、俺と佐々木はもとどおりの親友に戻れるだろう。
そうしたら、あの世界のあいつから受けた恩を、この世界のあいつに返すことができる。
だから俺はこの道を行く。いまは、長門を助けるために。
次はどんな形で会うんだろうな、この世界の、俺の一番の親友とは。
そんなことを考えながら、俺はハルヒの怒り顔に向けて歩いて行った。

fin


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2007年08月22日 08:17
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。