22-619「ツイスト・タイム」

その日私達、仮称佐々木団は橘さんに呼ばれていつもの喫茶店で会合を開いていた。
キョンも一緒だ、私一人では心細いからと頼んだら付いて来てくれたのだ。
例によって橘さんは必死に神の力を私にと説得する傍ら藤原君は無関心、九曜さんは無反応。ここまでは何時も通りの光景だった。
そう、ここまでは。次の瞬間、世界が暗転した。

「うおっ!?」
「キョン!」

突如キョンの足元に開く大きな穴。私は必死に右手を伸ばした。

「キョン、手を!」
「佐々木っ!」

何とかキョンの手を掴んむのに成功した私はそのまま彼を引っ張り上げ、一息ついて周りを見回す 。一体今のは何だったんだい?

「佐々木さん、その子誰ですか?」
「え?」

私の右手が掴んでいたのはキョンのではなく、小学校一年生位の男の子の手だった。

「えっとキミは…まさか…キョン…なのかい?」
「えー誰それ?、僕の名前は―――だよー」

男の子の口から出たのは紛れも無くキョンの本名だった。やはりこの子はキョンなのか?

コンコン。
その時誰かが窓をノックした。

「話がある。私の家に来てほしい」

ガラス越しにも関わらず、やけにはっきりと聞こえる声だ。
SOS団所属、統合思念体製のヒューマノイド・インターフェースの姿が、そこにあった。



「いたた、髪の毛引っ張っちゃ駄目なのですー」
「――お馬――尻尾――ぴょこ、ぴょこ―――?」

子供になってしまったキョンを橘さんと九曜さんに任せ、長門さんに今回の事件の真相を問う。

「涼宮ハルヒが無意識下で彼とあなたが出会わない歴史を望んだ。
でもあなた達はそれに抵抗した。あなたが見た光景はその時のイメージ。
抵抗の結果あなた達の記憶は消せなかった、だから彼の時間をあなたと出会う前まで戻した」
「だとしたらキョンは14歳、中学3年の最初位になるはずじゃないかしら」
「あなた達が出会ったと認識していないだけ。この頃に何らかの接触があったと思われる」

成程、校区が同じなのだから忘れているだけで偶然路上や祭会場等で出会っていてもおかしくはない。
そう思いキョンの方を見てみると、九曜さんの膝の上ですやすやと寝息を立てていた。
全くこの一大事に、と思わないでもないが今の彼はただの子供なのだ。

「くすっ、こうしてるとさっきまでの腕白ぶりが嘘みたいです」
「貴方の―寝顔は――とても――安らぐ―――」

私は顔を正面に戻し質問を続けた。

「その他に元の世界から変わっている事は?」
「彼は家族の内で弟という立場にあると認識されている。高校二年の彼を記憶している人間はあなただけ」
「そう…分かったわ。では一番肝心な質問。どうすればキョンを、世界を元に戻せるの?」
「涼宮ハルヒに本来有るべき彼をぶつける。きっと上手くやってくれる。ただ、」


ただ、姿形だけ情報操作で取り繕っても意味は無いし、精神がまだ未熟な為記憶の復元に耐えられない、と長門さんは続けた。
一度記憶を全て消去して上から書き込むのは可能だけど、

「それはやってはいけない事だと、彼なら言う」

その意見には私も大いに賛成だよ。キョンが人の何たるかを説明してる様子が目に浮かぶようじゃないか。
そこで長門さんが提案したのが、加速した時間の中で肉体的、精神的に成長するまで育てるというものだった。
そして私達にはその為の場所に心当たりがあった。そう、私の閉鎖空間。

「でもでも、佐々木さんの閉鎖空間には精神しか入れません!」
「周防九曜経由で天蓋領域の力を借りて、一時的にあなたの力を拡張すれば可能」
「長門さん自身は力を貸してくれないの?」
「統合思念体は涼宮ハルヒにとってのイレギュラーである彼が居ない方が良いと考えている。
それ故彼を助けようとする私はこの件に関して一切の情報操作を許可されない。
エラー、感情を理解しない統合思念体は、涼宮ハルヒの中学時代と『鍵』たる彼が居ないこの世界の本質的な違いに気付いていない」
「今はまだ良いけどいずれ涼宮さんもこの世界の違和感に気付く、そうなれば世界崩壊の危険は飛躍的に高まる…て事?」
「そう」
「じゃあ早速やりましょう、善は急げなのです!」
「そうだね、でもその為にはまず…」

九曜さんは、先程のキョンを膝に乗せた体勢から微動だにしていない。

「彼女を説得しなきゃね」
「ううっ、これは強敵なのです」

「私がやってみる」

長門さんはつい、と九曜さんの前に移動したと思ったら無言のままお互い見つめ合っている。
我々には到底理解出来ないような方法で交渉をしているようだけど、成果はあまり芳しくないようだ。

「九曜さんお願い力を貸して。世界を、ううん、キョンを助けたいの」

九曜さんは私を見てぱちくりと一回瞬きをした後、再び長門さんと向かい合った。……… と、九曜さんが口を開いた。

「―実験――体験――許可――された――」



「では九曜さん、拡張とやらをお願いしますっ!」
「――はじ―める――」

橘さんと九曜さんが準備に入り、私は眠ったままの小さいキョンを抱き抱える。

「待って」

なに長門さん?と問う間も無く腕を噛まれた…てあれ痛くない!?

「時限制老化抑制ナノマシンを注入した。あなたの時間で10年間は歳をとらない」
「帰って来たら私だけお姉さんになってる心配は無いって事ね、有難う」
「いい。それより、10年以上経過しても迎えがなかった場合、既にこちらは消滅している可能性が高い。その時は…」
「その時は?」
「彼と二人で、新しい世界を生きて」


「佐々木さん、準備完了なのですっ!!」

ちなみにここに至るまで藤原君は全く役に立っていない。それもそのはず、彼は喫茶店を出たときには既に消えていたのだ。
事態は予想以上に逼迫しているらしい。橘さん、お願いするね。九曜さん、行ってきます。
長門さん、キョンを託してくれて有難う。きっと育て上げてみせるから。




――――1年目――――
「ねえお姉さんここどこなの?お母さん!お父さん!お姉ちゃん!」
最初はそんな感じだった。無理も無い、目が覚めたらいきなり白一色の世界にいたら誰だってパニックに陥るだろう。
この世界に慣れるまでは食事も入浴も一緒、夜は抱き合って眠った。何より私自身も心細かったから。
少しずつ教えていこう。涼宮さんの事、この世界の事、そしてキミの役割の事を。


――――2年目――――
まずは心を育てることにした私は絵本を読み聞かせる事から始め、
今では国語辞典と漢和辞典を手に文学作品を一緒に読むようになった。
理系の勉強は興味を示してから始めてもよいだろう。

橘さんと再会したのはそんな事を考えている頃だった。

「う”ぇ、さ、さざぎざ~ん」

そう言って泣き付いて来た。まさかもう向こうの世界が危機に瀕しているのだろうか?早過ぎる、
まだ記憶の復元には到底耐えられそうにない。

「違うのです、連絡役に任命されたのに今まで一度も会えなくて、それがやっと会えたのが嬉しくて、う、う”ぇ~ん」

どうやら差し迫った状態ではないようで安心する。橘さんから伝えられた事を要約すると以下の通り。

1、向こうでは7日が経過している
2、こちらの時間の流れは向こうの正確に60倍、これは私の認識がそうさせているらしい
3、向こうで60日経つか、崩壊の危機が迫ったら迎えに来る。その時確実に会えるよう夜は必ずキョンの家に居る事

それだけ告げて帰る橘さんを、皆に宜しくと言付けて見送った。なるべく早くキョンが完成するように努力するよ。


――――3年目――――
その日、初めてキョンを本気で叱った。勝手に近所の家の窓を壊して中に入り、ゲームを盗ってきて遊んでいたからだ。

「グスッ…ごめんなさい…」
「キョン、この世界は言わば箱庭だ。キミを育てるためだけにあるようなもので、僕達の他に人は居ない。
でも、いやだからこそ、人としてすべき事、やってはならない事の区別をつけなくちゃいけないんだ。わかるね?」
「うん…」
「叱ってくれる人が居るというのはとても有り難い事なんだよ。
今はまだいいけど、キミは男の子だからね、いずれ力では止められなくなるだろう。
そうなった時、キミを止めるのはキミ自身しかいないんだ。それはとても難しい事かもしれないけど、
キミは自分を叱れる大人になりなさい」
「うん!」

あのキョンもこの頃は素直だったんだろうね、このまま育って欲しいよ。

「よし、じゃあそのために最初にすべき事は何だい?」
「う~ん、謝りに行ってゲームを返す、かな?」
「そうだね、次に壊れた窓ガラスの破片を掃除してそれから………


――――5年目――――
「佐々木、行ってきまーす」
「行ってらっしゃい、夕飯迄には帰るんだよ」

恒例の掛け合いだ。キョンは午後からは一人で遊びにいくようになって久しく、今日は魚釣りだとか言っていた。
私達がこちらに来て以降、世界は徐々に色付き始めている。最初は植物の萌えるような緑色、
だんだん青く澄み渡ってゆく空には小さな虫も飛ぶようになり、
今では小魚くらいの生き物も見掛けるようになった。

この世界は、成長している。キョンの成長と共に。それともこれが私の世界改変能力とやらの発現なのだろうか?
どちらが正しいにしろ私には確信がある。
キョンが完成する頃には、元の世界との相違点は『人』が居ない事だけになっているだろう。

余談だが、私の預金額も変動している。私はこちらでもキョンへの教育の為、買い物でちゃんとお金を支払っている。
だからすぐにでも底をついておかしくないはずなのに、いつの間にか増えていた。
どうやらキョンが某かの成長をした際、程度に応じてお金が振り込まれているらしい。
ご都合主義と言われればそれまでだが、キョンがサボっていたらすぐ分かるのはなかなか便利だ。


――――8年目――――
キョンは私の記憶にある最初の姿にまで成長した。
やはり中学時代の彼の成績はやる気が無かっただけのようで、
小さい頃から色々な方面に興味が向くよう仕向けて来た結果、
テストを受けさせれば私と同じ高校にも通えたんじゃないかと思うくらいのレベルになった。
ちなみに彼は歴史が最も好きなようだ。人々の想いが幾重にも折り重なって創られた、この世界には未だ存在しない物。
早く外の世界に行きたい、生で多くの人の営みに触れたい、とキョンは言う。断言するよ、その日はもう遠くないと。

……実はもう一つ彼が興味を持つというか、思春期だから気になるのは仕方ない教科?があるのだけど…
私自身未経験だし、18歳になったら一緒に勉強しようとだけ言って突っぱねている。
でもそこは思春期の少年らしく見えない所でしっかり『予習』はしているようで、
跳ね上がった預金残高が隠れた事実を雄弁に物語る。………今度私の後ろに立つなって注意しとこう。


――――10年目――――
最後の年。
人生経験では涼宮さんやSOS団で振り回された本来のキョンに及ぶべくもないだろうが、
見た目は春休み最後の日に会ったそのままだ。いっそこの世界を閉じて向こうと切り離してしまおうか。
今の私ならそれが出来る、分かってしまうから仕方が無いというやつだ。
そして二人で生きていくのも悪くはないかな。ふとそんな事を思った。

「そりゃ違うだろ、佐々木」
「え…キョン!?」

いつの間にか声に出していたようだ。でも驚いたのはそこにじゃない。

「仮に一時の気の迷いであっても、そんな事したら俺達は絶対後悔する。あっちの世界を見殺しにしたってな。
それはこの世界における『原罪』に当たるものになるだろう、
そして『原罪』を犯したらこの世界じゃきっと本当の幸せにはなれない。
だからさ佐々木、元の世界に帰って、本当の幸せを手に入れようぜ」
「…キョン…」
「へへ、似てた?いつも教えてくれた『大きいキョン』の真似さ。でも、今言った言葉は紛れも無く今の俺の本心だよ」

気が付いた時、私は泣きながらキョンを抱き締めていた。

「さ、佐々木!?そんなに元の世界に帰りたくないの?俺と二人の方が良い?」
「違うよ。感動しているのさ、キミの成長ぶりにね。そして確信した。いつ迎えが来ても大丈夫だ」

更に多少の上積みの日々を経て、運命の日はやってきた。


「佐々木さん、キョンさん、お迎えに上がったのです!」




「これからあなたの記憶の復元を行う。脳への負担は多大、それでもいい?」

キョンが力強い光を湛えた目で私を見る。それに頷きで返すと、彼は改めて長門さんに向き直った。

「やって下さい。耐えてみせます」

長門さんは了解の首肯の後、キョンの額に手を翳して高速で呪文を唱え始めた。

「ぐあぁぁぁっ!?」

詠唱が終わると、キョンはその場に崩れるように倒れ落ちた。

「キョンさん!って佐々木さん、なんで止めるんですか!?このままじゃキョンさん危ないんじゃないんですか?」
「黙って見てて。キョンなら絶対大丈夫だから」

暫くすると、キョンは2,3度頭を振ってゆっくりと立ち上がった。

「ふーっ、目覚ましにしちゃちっとばかり強烈だったな。妹のボディプレスより効いたぜ、長門」

「おはよう、キョン。寝覚めはどうだい?」
「おはよう、佐々木。まだ少しくらくらするが大丈夫だ。長門、橘もおはよう」
「おはよう」
「おはようございます…ってほんとに大丈夫だったんですね、さすがなのです」

「あまり時間が無い。大規模な閉鎖空間が頻発し、既に天蓋領域は周防九曜を地球から回収している。
統合思念体のインターフェースも、感情を理解しない者から崩壊してゆき現存するのは今や私だけ」
「それは確かに急いだ方が良さそうだね。
キョン、早く涼宮さんを止めてきたまえ。僕は少々フライングだが、最後の授業の準備でもしてキミの帰りを待っているから」
「んなっ、そ、そうか、うん、分かった。じゃあ長門、道案内頼む。佐々木、行ってきます」
「行ってらっしゃい。夕飯迄には帰っておいで」

長門さんに抱えられて飛んで行くキョンは、あっという間に見えなくなった。

「佐々木さん、最後の授業って何なのですか?」
「禁則事項さ、くっくっ」

さて、少しは予習でもしておこうかな。





おわり

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最終更新:2008年01月02日 07:47
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