4-399「佐々木さんの憂鬱と暴走と失敗 」

佐々木さんの憂鬱と暴走と失敗

明日の始業式を迎えるにあたっての準備を早々に終え、ベッドの上でなぜ夏休
みには登校日があるのかという謎について一通りの考察を続けているうちに、
俺はいつの間にか眠りに落ちていた。
「・・・キョン?起きてくれるかな、キョン?」
聞き慣れた声に目を覚ますと、これも見慣れた笑顔が見えた。
「佐々木?」
「ああ、良かった起きてくれて」
ベッドに寝ている俺をのぞき込んでいるのは、間違いなくクラスメイトの佐々木だ。
待て、どうして佐々木が俺の部屋に居る?
昼間ならまだしも、こんな時間に俺の部屋に居るような間柄では無いはずだが?
だいたい、玄関だって夜はきちんと戸締まりしてたはずだが、呼び鈴を押されて
起こされた誰かが開けたのか?
「鍵は開いてるし、誰もいないから勝手に入らせてもらったよ」
なにを言ってやがる、と言いながら起きあがった俺の目に入ったのは、窓から見
える外の風景だ。デジタル時計の表示を信じるなら、今は午前3時13分。どん
なに夏の夜明けが早いとはいえ、こんなに明るいはずがない。その明るさもどこ
か不自然で、原因はセピア調のモノトーンの空が外に広がっているためのようだ。
そのおかしな空全体が一様に光っているようで、その明るさで、部屋の中や、ベッ
ドの脇に立っている佐々木の姿も細部まではっきりと見えている。
なんだこりゃ?と思ったが、俺はすぐに合理的な考えに至った。
「なんだ、夢か」
それにしてはやけにリアルな夢だな。
特に目の前に居る制服姿の佐々木は、いつも見慣れている本物そのままの質感に
見えるし・・・おいおい、佐々木がいつも使ってるのと同じシャンプーの匂いま
でしやがる。
「くっくっ、そう、夢と考えるのが合理的だね。深夜にもかかわらず空は不自然
に明るく、さらには僕がこんな時刻に君の部屋に居るなんてことは、現実ではま
ずあり得ない。そんな状況を端的に説明するなら、夢と解釈するのが自然だろうね」
夢の中でも佐々木はいつものように、押し殺した笑い声を上げた。
これが夢なら佐々木のボキャブラリーは俺の脳味噌に依存するであろうから、い
つもよりは平易な言い回しになったりするのだろうかね?
「やけに冷静だね、キョン。僕はそうでもないんだがね」
「夢だろ?夢の中で慌ててもしょうがないと思うが」
そもそも何で俺の夢に佐々木が出てくるんだ?
この夏休みも毎日のように塾で顔を合わせていたわけだし、朝になって学校に
行けばかなりの高確率で会える相手だ。
夢の中でまで会う必要は無いと思うぞ?
「冷たいな、キョン。せっかく会いに来た友人にそれは無いだろ」
そりゃあ普通の状況なら佐々木のアポ無し訪問を歓迎することに異存は無いが、
今はちょっとそんな気分にはなれそうもない。
「会いに来たということは、何か用があるのか?」
自分の夢だというのに、俺にはまったく思い当たる節がない。せいぜい夏休み
の宿題を片付けるように何度も言われたことぐらいだが、いちおう寝る前に終
えており、明日は堂々と登校できる状態にしてある。
そのことによる安堵感が生み出した夢なのだろうか?
「ああ、宿題は全部終えたようだね、感心感心。もっとも、僕としてはお盆前
あたりまでに終わらせてくれると期待していたんだがね。だが今回の訪問はそ
れが理由ではないよ」
じゃあ、なんだ?
夢の中とはいえこんな時間だ、手短に頼む。
「うん、僕もなるべく手短にすませたい。率直に言おう、キョン、君は一夏の
アバンチュールというものをどう思う?」
いつの間にか、佐々木から笑顔が消えていた。
おい、なんのつもりだ、その真剣な顔は?
「・・・すまん、何だって?」
「青少年なら一夏の経験という表現の方がいいかな?つまりだ、頭の中で性欲
と妄想がほどよい具合に熟成されている青少年が、夏休みに機会を得てそれを
実行してしまうという行為についてだよ。キョン、君はそれを経験したいと思
わないかね?」
もう一回言おう。
「・・・すまん、何だって?」
「僕が何を言ってるのか、何を言いたいのか、君はすでに察してくれていると
思うが、君の肥大している理性や常識が理解の邪魔している可能性もあるだろ
うから、あえて説明するとだね」
そこで一旦言葉を切る。
佐々木よ、その幼馴染みが今までの関係を一歩乗り越えようとしてなけなしの
勇気を振り絞ってるような真剣な表情は、いったい何のつもりだ?
「一度くらい、経験しておく方が精神な安定が得られると僕は考えたんだ。未
経験であることによる不安感よりも、経験することによって得られる充足感と、
周りへの精神的優位は、これからの受験への追い込み時期にかけて有利になる
んじゃないかとね。僕にも、年相応の好奇心や、その・・・性欲を自覚するこ
ともある。それで、この間のお盆に会ったちょっと年上の親戚の姉さん方と色
々と話してだね、刹那的機械的に行うべきものではないが、後生大事に持って
おくものでもない。適切な相手が居るなら、早いうちにすましておくべきでは
ないかという結論に至ったのだよ。というわけで、キョン」
待て、佐々木、それ以上は口にするな。というか、この場合は夢なんだから俺
が止めるべきなんだろうが、この夢は俺の意見を聞いてくれないようだ。
「僕と、・・・セックスしてくれないか?」
くそ、言いやがった。
できれば、もうちょっと恥じらいとか、婉曲な表現でして欲しいが、これも佐
々木らしいと言えばらしいと言えるか。
「なぜそうなる!というか、なぜ俺なんだ?」
「キョン、君は僕が他に親しくしている異性について、心当たりがあるかい?」
「いや・・無いが」
「僕のこと、嫌いかい?」
「いや、そんなことは無いが・・・」
「僕は同性愛に興味は無いが、君はあるのかい?」
「そんなものは無い!」
「なら、それで十分だよ」
まてまて、どういう論理的帰結だ?いつものお前らしくない。というか、お前の
その行動はどっちかというと、本能に即したもののような気がするぞ?
「それに、君は何も心配することない。例えばだ」
とポケットからなにやら折りたたまれた紙を出して広げた。なにやら、グラフら
しきものが書かれているが、まさか、これは、
「これは僕の基礎体温票だ。幸いにも僕の生理は非常に順調でね、ほら、この通
り、今日は俗に言う安全日というものの真っ最中だ」
中学生がそんなものつけないでくれ。
「さらに」
またポケットに手を突っ込むと、見たことはあるが使ったことはない物体を取り
出した。
「この通り、コンドームもきちんと用意してある。買ったばかりで劣化などして
いない、日本製の高級品だ。少し値段は張ったが、夏休みに特にお金が必要なイ
ベントは無かったから、お小遣いの残高に余裕があったから問題ない。事前に実
習をするわけにはいかなかったが、使い方に関しても十分に予習してある」
・・・準備の良い奴だ。
何かの冗談だと思いたいが、ここまでの佐々木の表情は真剣さの固まりだ。ひと
つ笑顔でも見せてくれれば、冗談にできるかもしれないが、どうやら佐々木は本
気らしい。
が、その行動にはどうもいつもの余裕が感じられない。なんというか、時間にせ
き立てられているというか、そんな焦りのようなものを感じる。
「ちょっと数字はど忘れしたが、バチカンルーレットとコンドームの併用による
避妊の失敗率は、ほぼ無視して構わない数値だったたはずだ。理性的な男性が性
交を拒否するのは、EDなどの機能的な問題をのぞけば、社会的経済的な準備無
くことに及び、その結果女性が妊娠する事態を想像して、」


佐々木の冷静に見えるわりに、どこか熱を帯びた言葉が続いている。
・・・待て、これは夢のはずだ。
ということは、これは俺の願望なのか?
俺は佐々木とそういう関係になりたいと、心のどこかで思っているのか?
俺からアプローチする勇気も度胸もないから、こうやって佐々木の方からアプロー
チしてくる状況を夢で作り上げたのか?
しかも、コトにいたっても問題が無いと佐々木に言わせてまで。
・・・どこの最低野郎だ、俺は。
「さらにだ、キョン。これは夢だ。夢の中で何をしようが、現実には何の影響も
無い。よって、君と僕がここで一線を越えたところで、現実世界には何の影響も
ないのだよ!」
俺の中の何かがブチ切れた。
理性の方向へ、だが。
「キョン?」
俺は無言でベッドから立ち上がり、ポスターも何も無い壁へと相対すると、大き
く上半身を反らし、思いっきり頭を壁に叩き付けた。
「くそっ!痛えなこの野郎!!」
夢のくせに、痛いぞこれ。
一瞬、気が遠くなったが、覚醒の気配は無い。夢のくせにやけにはっきりと感じ
る痛みに、思わずその場にしゃがみ込む。頬をつねって痛くないなら夢だ、とい
う古今東西の物語はどうやら嘘だったようだ。
「・・・何をしているのか、合理的な説明をしてくれるかな、キョン?」
佐々木が俺の突然の行動に驚いている。まあ、そりゃあそうだ、無言で壁にヘッ
ドバッド繰り出す人間が目の前にいたら、そいつの正気を疑うのが自然だ。
「目を覚まそうとしてるんだよ!」
額をおさえつつ立ち上がり二発目を壁に叩き込もうとした俺の視界に、今にも泣
き出しそうな佐々木の顔が見えた。
「・・・そんなに、僕とするのが嫌なのかい?」
泣き出しそうじゃなくて、泣いてやがる。
「あの、その、だな」
佐々木の泣き顔なんて見るのは初めてだし、というか俺の脳味噌はこうも想像力
豊かだったのかね?思わず、抱きしめたくなっちまうだけの威力があった。
「僕には、それほど魅力が無いのかい?」
頼むから、泣きながら問いつめないでくれ。
そんな顔で見つめられたら、その気がなくてもその気になりかねん。
・・・単純だよな、俺。
「友人として、僕の願いを聞き入れてはくれないのかい?」
「すまんが、できない」
言い訳してやる。
誰にだ?
自分自身にだな。
「ええとだな、これは夢なんだろ?」
「・・・そういうことになってるようだね」
ちょっと歯切れ悪く佐々木が答える。
「つまり、ここにあるのは、俺の願望や妄想てことだ。佐々木の意思はない。自
分勝手な考えで、夢の中でことに至るなんてのは、まるで・・・」
「まるで、何だい?」
「まるで強姦してるような居心地の悪さでな、俺のなけなしのプライドがそんな
無法は許さんと、さっきからわめいてるんだよ」
俺のプライドよ、そんなに騒ぐなら夢を見ないように事前工作をして欲しかったな。
「自覚はあんまり無いが俺も年頃だ。さっきのお前の言葉じゃないが、俺もお前
以外に親しくしている異性なんてのは、他に心当たりが無い。そのせいで登場人
物はお前で、シチュエーションもお前がやりかねないようなものになっちまった
んだろうな。ほんとうに、すまん」
夢の中の登場人物に謝ってもしょうがない気もするが、目が覚めてから本物の佐
々木に謝るわけにはいかないだろうし、ここで機会を逃すと後悔しそうだから謝っ
ておく。


「・・・キョン、夢の中でも君は真面目だね。いや、こういう場合は堅物と言う
べきかな?」
佐々木はちょっと笑っていた。
迫ったり泣いたり笑ったり、忙しい奴だな。
だが、どうやらいつもの佐々木の感じが戻って来た感じだ。
「くっくっ、僕は分かってるようで、分かって無かったようだ。君相手には、こ
ういう方法は良くなかったようだね。僕は、どうやら君をあなどっていたのかも
しれない。これは僕の焦りによるミスと言えるね。僕も謝ろう、すまない、キョン」
何のことだ?と聞こうとした俺の視界に飛び込んできたのは、腰の入った綺麗な
右のフックを笑顔で繰り出す佐々木だった。
「え?」
佐々木の奴は武道とかやってたかどうか記憶を探るヒマもなく、俺は吹き飛ばさ
れながら流れていく風景を眺めている。
「じゃあ、キョン、学校で会おう」
そんな声を聞きながら、俺の意識は暗転した。


「うあ?!」
俺は飛び起きる。
「えっ?あいててっ!」
意識はすぐに覚醒したが、同時に額と左の頬のあたりに何か妙な痛みがあること
に気付いた。どうやら寝ぼけてベッドの角にでもぶつけ、その痛みで目が覚めた
らしい。
やれやれ。
デジタル時計を見ると午前3時45分。
夏の夜明けがいくら早いとはいえ、さすがにまだ外は暗いし、起き出すにはいく
ら何でも早すぎる。
ベッドの角に額をぶつけるほど暴れたり寝ぼけたりしたんだから、見た夢はやは
り悪夢なんだろうか?ぶつけたショックのせいか、夢の内容については一切覚え
てない。
俺はしばらくの間、夢の残滓を探そうとあがいていたが、結局断片すら見つける
ことは出来なかった。
その行為は俺が思っていた以上に長時間に及んでいたんだろうな。
2学期が始まる日に、遅刻ギリギリに教室に飛び込むハメになった。
今朝に限って、いつもなら休みの日ですら起こしに来る妹は何かの当番らしく、
いつもより早く登校したそうで俺の所には来なかった。
そのせいにするのは大人げないから、絶対にしない。
「やあキョン、寝坊かい?」
「ああ、ちょっとな」
呼吸を整えながらだから、ちょっとぶっきらぼうに席がすぐそばの国木田と夏休
み明けの挨拶を二言三言してる間に、始業式のため体育館へと移動となる。体育
館に移動する間にも、何人かと挨拶を交わしたが、どうも調子が悪くて会話が続
かない。やはり飯抜きでは、元々たいして良くない頭は、うまく回らないようだ。
そんな状態で校長その他の話を聞くのはかなり苦行であったが、幸いにも俺を含
めて誰も倒れることは無かった。
とはいえ、朝食抜きだけならまだしもダッシュで登校したせいもあり、式が終わっ
てるころには、さすがに疲れと空腹で少々ふらついてきた。
「大丈夫なのかい、キョン?」
と心配そうに体育館を出たあたりで声をかけて来たのは、佐々木だった。
大丈夫だ。
心配してくれるのは非常にありがたいが、これは空腹と俺の体力の無さのせいで
あってだな、そんな顔をされたら、俺の方が申し訳ない気持ちになっちまうだろ
うが。
「ギリギリに登校してたようだが、寝坊でもしたのかな?」
夜明け前に悪夢を見たらしく飛び起きて、二度寝に失敗したんだよ。ま、他にも
不運が重なって、飯抜きでの登校になったのさ。
「へえ、悪夢ね。どんな悪夢だい?」
俺なんかの見た夢に興味を持ってくれるとは光栄だな。覚えていればお前に説明
できるんだが、残念ながらまったく覚えてないから無理だ。


「なんだ、覚えてないのか。・・・それなのに、なぜ悪夢なんだ?」
ああ、正確に言えば「悪夢らしい」という疑問系だな。あちこちぶつけて痛いか
らそう思っただけで、実は勇者となって世界を救うとか、あるいは人気アイドル
になってファンに揉みくちゃにされている夢だったかもな。
「僕はてっきり夏休みの宿題を片付けるのに、徹夜でもしたのかと思ったよ」
「宿題は昨日の昼にできてるよ。お前が夏休みの間中、せっついてくれたおかげかな」
例年だと、始業式が始まっても一部は出来てなかったり、結局は提出しなかった
りもあったから、それに比べれば劇的な成果だな。
「僕としては、お盆前あたりまでには終わらせてくれると期待していたんだがね」
おいおい、無茶を言わないでくれ。
「それほど無茶ではないよ。僕は8月に入る前に終わらせていたわけだし。キョン、
君は自分で思ってるほど能力がないわけではないと、僕は評価してるんだがね?」
勝手に俺を評価するな。
お前が早めに片付ければそれなりに良いことがあるものだよ、てな感じで何度か
促してくれても最終日までもつれ込むぐらいだぞ?だいたい、夏休みが終わるま
でに仕上げればよいものを何でそう急いでやる必要があるんだよ。
「別の勉強をするなり、遊んだり趣味の時間ができるじゃないか。僕としては、
君が早めに宿題を片付けたなら、海かプールにでも招待しようかと計画してたん
だがね」
・・・佐々木よ、そういうご褒美は事前に言っておけ。
塾の夏期特別講習とやらのおかげで、例年の母親の実家への避暑と先祖供養の期
間が短縮され、今年の夏はどうもあまり遊んだ記憶が無い。まあ俺にも受験生だ
という自覚があったから、自然と遊びは控えたんだが、そういうご褒美があると
分かってりゃ、もう少しモチベーションを高く維持できたかもしれないぜ。
「劇的なサプライズ効果を狙って黙っていたんだよ。どうやら君にはきちんと人
参を見せないとならなかったようだね、すまない。今度、そんな機会があれば気
をつけるよ」
いくら美味しそうな人参でも、クリアするべき目標は俺の身の丈に合ったものに
してくれよ?例えば、成績をお前と同じぐらいに引き上げるとか、やる前からや
る気を失うような目標は、せっかく上がった成績の低下とかの逆効果しかなさそ
うだからな。
「重ねて気をつけよう、くっくっ」
分かればよろしいと頷いた俺の腹が、ぐぅとなった。それが佐々木のツボにはまっ
たのか、しばらく声を出さずに笑ってやがる。
「いや、すまない、キョン。これを腹の足しにでもしてくれ」
と制服のスカートのポケットから飴をひとつ取り出し、俺に差し出した。そういや
いつだったか、脳に必要な糖分についての短い講義をこいつから受けたことがあっ
たな。そのせいか、こいつが常備してる飴はノンカロリーのど飴とかじゃなくて、
昔ながらの懐かしい味のものが多いんだよな。
「お、すまんな、佐々木」
ありがたく受け取ることにする。人の好意は大切にするもんだ。
しかし、俺の空腹はけっこう酷いもんだったんだろうな。差し出された飴を受け取
ろうとするまで、佐々木の右手に巻かれた包帯に気付かなかったんだから。
「どうしたんだ、それ?」
「ああ、これかい?ちょっと部屋の中でぶつけたんだ。たいしたことはないが、ま
あ念のためにと湿布を貼ってるだけだよ」
おいおい、気をつけろよ。
利き腕なんてケガしたら、学生の本分たる勉強に差し障りがあるからな。


俺は飴を口に放りこんでその甘さを舌と脳で味わい、佐々木とたわいない会話をしな
がら教室へと戻った。かなりのんびりした歩みだったせいで、俺と佐々木が一番最
後だったが、まだ担任がやってくる気配はなく、みんな好き勝手に会話に興じている。
「ああ、良かった。仲直りしたみたいね」
俺と佐々木が教室に入るなり、クラスで一番の世話好き女子が俺たちに声をかけてきた。
なんのことだ?
「二学期初日から普段仲良しの二人が喧嘩してるなんて、クラスの雰囲気が悪くな
るかもって心配してたのよ?ほーんと、良かったわ」
佐々木の方も見ると、こいつも何のことを言われているか分かってないようだな。
「だから、なんの話をしてるんだ?俺と佐々木がいつ喧嘩したんだよ?」
俺の言葉に、相手は「え?」という顔をしている。
ふと気付けば、教室内のかなりの人数がこちらに注目している。
おい、まさかお前ら全員、そう思ってたのか?
どうして?
「だって、キョン君の赤くなってるほっぺた、佐々木さんに殴られたんじゃないの?」
再び笑いのツボに入ったのか、何を言われているのかに気付いた佐々木は先ほどよ
りも長く声を出さすに笑い続けた。

俺は朝の慌ただしさのせいでまったく気付かなかったのだが、左の頬に蚊に刺され
たにしては大きすぎ、男同士の喧嘩の結果にしては小さな赤い痕跡があったのだ。
そう、丁度女性にでもはたかれたよう後が。
そして佐々木の右手の包帯。
ついでに言えば、登校直後の俺は普段とは違って不機嫌そうに見え、そこから想像
力豊かなクラスメイトたちは、ファンタジーを作り上げたのだ。
俺が佐々木にグーで殴られたのだと。
なぜそうなる?
俺は必死に説明し、しばらく笑い続けていた佐々木もそれを支持したので、何とか
クラス内の誤解を解くことはできた。
が、すでに問題は3年生の物見高い連中の間に広まったらしい。やだねえ、ITの発
達という奴は。後で聞いた話では、始業式の間中にかなりの頻度でメールがやりと
りされたそうだ。そのせいか、広まった噂が担任の耳にまで入り、その日のうちに
俺だけ呼び出されて弁明する羽目になっちまった。
なんで殴られたはずの俺だけが呼び出されるのかと疑問に思ったが、噂というやつ
は広まる間に変形するらしい。
俺が佐々木を押し倒そうとして殴られた、というストーリーが完成していたのだ。
やれやれ。
幸い、呼び出した担任も「まさかとは思うが」と事実確認をしただけで、すぐに解
放された。こういう時は普段の行いがものをいうわけだが、できればこんなイベン
トは二度とあって欲しくないね。
俺なんかと、こんなくだらん噂の種になるなんて、佐々木が可哀想じゃないか。


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最終更新:2007年10月10日 11:00
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