5-698「記念日」

「記念日」


 珍しく早く終わった学校からの帰り道、偶然にも出会ったキョンと彼の自宅の前で四方山話
をしていたら、彼の母君に発見された。「あら、お久しぶり」「ご無沙汰しています」なんて挨拶
もそこそこに彼の自宅を訪問することになった。嬉しい誤算だった。そのまま居間に通されて、
お茶とお菓子をご馳走になる。お茶のお供は私の現況についてが挨拶程度、メインは彼の
一年次の学業成績に関する愚痴、私の入っている予備校について聞かれたので、さりげなく
勧めておく。おやおや涼宮さん、キョンの夏休みの予定に夏期講習が入ってしまうのも、これ
は時間の問題だね。
 そうこうしているうちに、彼が迎えに来た自身の部屋の片づけが終わったということらしい。
名残惜しげに、しかしきっぱりと座を辞す。別に、この家の居間には用はない。制服から部
屋着に着替えた彼の先導に従って、部屋へと入る。
 あ~~、やっぱり。この部屋にはキョンの匂いがするぅ。なんか、彼に抱きしめられている
みたいだなあ、思わず頬が緩んでしまう。
「俺に部屋に面白いもんなんかないぞ。散らかっているしな。ま、その辺にでも座っててくれ」
 そう言って、彼は自身の勉強机の方を手のひらで差した。キョンのこういったちょっとした
育ちのよさを感じるたびに彼が両親に愛されているのだな、と感じる。普通のことかもしれ
ないが、それが普遍的といえるほど、“普通”ではないことに、すでに私は気がついていた。
高校生ともなれば、各々の人生によって、生き方にそれなりに違いが出てくるものなのだ。
 とりあえず、勉強机の回転椅子に座って、くるりと周りを見回してみる。掛けてあるカレン
ダーや、何かのピンナップが変わっているくらいで、私の記憶の中にある1年と数ヶ月前の
彼の部屋とほとんど変化はなかった。
「何やってんだ」
 キャビネットからハンガーを取り出しながら、彼が聞く。
「いや、なに。大したことではないのだが、キミの視界を確かめているのさ。この机に着いて
いるキミがどんな風景を見ているのだろうか、ちょっとそれが知りたくてね」
 一体それにどんな意味があるのか、そう問いたげな彼の表情を見て、言葉をつなぐ。
「物事を観察する時は観察対象の目線に立ってするものさ、友人であるキミがどんな風に世界
を見ているのか、それは僕の興味を大いに掻き立てる」
 ふっと彼が表情をゆるめる。自然な微笑。私が好きな彼の表情のひとつだ。返すように笑っ
てみせる。水泡が弾けるようにくっくっと咽が音を立てる。この笑い方をイヤらしいと言って
嫌う人もいるが、彼はそのような狭量な人物でもない。逆に、どうやら、そんな私の笑みを彼
は気に入っているようだった。だから、彼の前では私は普段の3割り増しくらいに笑ってみせ
ることにしている。
「制服にシワが付いちゃうだろ、ハンガー使うか?」
 彼がそう言って、ハンガーを差し出す。
「ありがたく使わせてもらうよ。ふむ、大分、気が利くようになったじゃないか、涼宮さんの
影響かな」
 苦いモノでも食わされたかのように彼の顔が歪む。私が好きな彼の表情のもうひとつ。

「別に、アイツがどうとかは関係ないさ、俺も成長してるってことだ」
 手にしたままのハンガーで拍子を取りながら、説明するかのようにいう。
 なんだ、当たりなのか。気分、悪いな。
 椅子から立ち上がり、ハンガーを受け取って、制服の上着を掛ける。さりげなく、背中を向
けて。背中から足にかけての身体の線は我ながら、好きなパーツのひとつなのだ。
 振り返り、上着を彼に預けながら、話題を転換する。
「それでは、気の利くキミに質問だ、ゲストを部屋に上げてもてなそうというのだ。ホストの
キミは何をするべきなのかな? 僕としては、コーヒーの一杯も飲みたい気分なのだがね」
 さっきまで飲んでただろ、彼はそう言いながら、私の上着を部屋の梁、彼の制服が掛けられ
たハンガーの横に掛ける。あ、なんかちょっとそれはいい風景だ、いい風景だぞキョン。
「さっきまで頂いていたのは緑茶だよ、キョン。居間という僕にとってはパブリックな場所で、
キミの母上という僕にとっても重要な人物の前で、いただくお茶と、キミのプライベート空間
で、キミと一緒にいただくお茶では、自ずから意味を変える。お茶をいただくと言う行為が意
味する事柄については今更、キミに講義をするまでもないだろうが、話の接ぎ穂あるいは放
課後のちょっとした空腹を満たすためにも、僕はそれを必要としているのさ。畢竟キミだから
こそ、本音を言うなら、食べそびれた茶菓子が惜しいという所かな」
 もちろん、こんな食い意地の張った発言が私の本意な訳もない。
「ウチはいつから喫茶店になったんだ」なんて言いながらも彼は席を立った。去り際に
「家捜しはするな」と厳命するのも忘れない。手をひらひらと動かして返答の代わりとする。
 扉が閉じる。
 作戦開始、作戦可能時間は約三分、それ以上は危険だ。部屋を見回す。
 ベッド、彼の枕に顔を埋めて、再び彼の匂いに包まれるという妄想を抱く。ひ、非常に魅力
的な提案だなあ、それは。頭を振って誘惑に耐える。そんなことをしたら、彼の前で彼の知っ
ている親友である佐々木の仮面を被るのに苦労しそうな予感がある。
 想像してみた……あ~~ダメだ、やはり、それは。自分がぐにゃぐにゃになってしまうだろ
う確信がある。マタタビを与えられた猫でもこうはなるまいというレベルで。
 本棚、受験生だったあの頃、書架の一部を占めていた参考書や問題集がことごとくなくなり、
マンガや小説の類が増えている。彼は別に読書家というわけではない。だから、まぁこんな
モノだろう。水着の女性が映った写真集や高校生男子であるなら、もっているであろう、アレ
やナニやコレは見あたらない。まぁ彼も小学校高学年の妹を持つ身だ。そのようなアイテムを
堂々と本棚に置いたりはしまい。


 勉強机、やはりこれが今回の最重要攻略対象だろう、いわば敵陣の本丸。引き出しは上中下段
の3段、セオリー通り、引き出しは下から捜索する。下段、なんだかいろいろ突っ込まれている。
お、小テスト発見、おいおいキョン、我が親友よ、この成績はどうかと思うぞ。ゴミとそうで
ないものをより分けるのは困難と判断し、中段へ。中段には何かの雑誌にでも付いてきたのか、
携帯ストラップやらカンバッヂやらが散乱していた。もしかしたら、小学生時代の宝箱なのかも
しれない。綺麗な小石がいくつか、小学生の頃、男子の間で流行っていた、ポケ●ンやら遊●
王やらのカード類、どこかのレンタルビデオ屋の会員証、確かこの店はとうにつぶれてしまった
はずだ。中段は最近手が触れられていないと判断、上段へ。鍵が掛かっている……やはり、ね。
 ここが秘密の小部屋というわけだ。ヘヤピンを取り出し、1、2の3。ほら開いた。こんな
鍵でプライバシーなど保護できない。元来、学習机の錠前は、プライバシーを守るために存在
しているわけではない、“これはプライバシーだから見てはいけません”と周囲に宣言し、
“鍵を掛けているから大丈夫”と、自身が安心するためにあるのだ。私のように他人のプライ
バシーに土足で乗り込むということを認識している人間には何の意味ももたない、などと罪悪
感を誤魔化す韜晦を行なってから、引き出しを引く。
 目に付いたのは写真とDVDのディスクが数枚。ディスクには“SOS団活動記録”あるい
は、『朝比奈ミクルの冒険 episode0』、『長門ユキの逆襲 episode0~予告編~』などとタ
イトルがサインペンで書き込まれている。これが彼らSOS団が北高の文化祭で上演した映画で
あることは想像に難くない。見たかったが、今はその時間はない、残念だ。後で、鑑賞させて
もらう方向に会話をうまく進行させることを誓う。
 写真は、デジカメのプリントアウトなのだろう。写真用のプリント紙、あるいは単なる上質
紙にプリントアウトされているものもある。SOS団の活動スナップ写真というところか、夏期
合宿だろうか、キョンの水着写真もあった。
 キョンの水着……、ふふ、中学時代の水泳の授業を思い出す。キョンの体つきはその思い出
より幾分かがっしりしていた。胸板の当たりとか…うう、なんか恥ずかしいな。きゃー、頭の
中で、狂喜乱舞するもうひとりの私。い、一枚くらい持って行っても、大丈夫なんじゃないか
な。悪魔が囁く。いけない。そんなことをして私の犯行が露見したらどうするつもりだ。それ
にもうすぐ彼が戻る。深呼吸しろ、落ち着け。
 すうぅぅ、ああ、キョンの香りが胸一杯に……。はっ、いけない、いけない、陶酔している
場合ではない。やばい、オメガやばい、これ以上、この中を見ていたら、どうにかなってしま
いそうだ。逡巡しつつ引き出しを元通りにする。ヘアピンを取り出し、1、2の3、はい、元通り。
 や~~、想像以上の目の保養だった。これで、あと半年は戦っていけるだろう、現実と。

 ようやく息と心が落ち着いたので、顔を上げたら、壁に掛かったカレンダーが目に入った。
なんだろう、違和感がある。
 その時、「おい、ちょっとドア開けてくれ」そんな彼の声が耳に入った。
 コーヒーと、お茶菓子を乗せた盆を持った彼が戻ってきたのだ。ドアを開けて、彼を迎え入
れる。机に盆を置くであろうから、部屋に入ってきた彼を自然に避けるようにして、ベッドに
腰掛けた。彼はそのまま椅子に座った。パーフェクトな動きだよ、私。賞賛した、心の中で。
座ったベットからは彼の匂いがした。あ、やっばい、ちょっとイイかも。目がとろんとしてい
るのが、自分でも分かる。お酒を飲んだ後のようだ。
「ん、どうした、佐々木、大丈夫か」
 彼の声で覚醒した。かぶりを振って、大丈夫と告げて、コーヒーカップを受け取る。そのま
ましばらく茶飲み話に興じた。満を持して、最近見た映画の話をする。ハリウッド産のメジャー
な映画だし、彼も話しに乗ってくれた。
「そういえば、キョン。あの、SOS団で、文化祭に出展するために映画を撮影したそうだけど、
ひとつ僕にも鑑賞させて貰えないかな。キミは撮影スタッフだったそうだし、DVDのディスク
くらいはもっているだろう?」
 と、切り出した。自主製作映画の話を振られて、キョンは何とも恥ずかしい、そんな素振り
をした。ちょっと可愛いかも。
「あ、ん~~、まぁすでに公開したものだしな、佐々木に国木田の演技や、主演の朝比奈さん
の愛らしさを喧伝するのはやぶさかではないのだが、残念ながら、いま、手元にないんだ。
高校の友達に貸しててな。しかし、そんなイイ出来じゃないぜ。まぁ見たいのなら、今度ダビ
ングしておくよ、恥ずかしいけどな」
 嘘だ!!
 キョン、どうしてそんな嘘を吐くの。私がナニも知らないとでも思っているのだろうか、
でもそんなことを告げたら、彼の引き出しを盗み見ていたことがばれる。それはよろしくない。
だけど、悔しい。悲しい気持ちが心に満ちる、このことは僕の心の帳面にきっちりと記録させ
てもらうよ、キョン。
「そ、それは残念だ。非常に残念だよ、でもダビングしてくれるというのは嬉しいね。もちろ
ん、ディスク代は支払うので、都合のよい時にでもよろしく頼むよ」
 まぁ、キョンとまた逢えるのなら、それはそれでいい。
 飲み終えたコーヒーカップを盆に戻す。その時、壁に掛かったカレンダーが目に入った、
さっきの違和感が頭をもたげた。
「そうだ。さっきから気になっていたのだが、カレンダーの4月の初旬に赤い丸印がついてい
るね。キョン、差し支えなければ教えて欲しい。この丸印は何の意味があるのかね?」
 それはぽつんと、4月の日々の中にあって、特別な日であることを誇示していた。私の記憶
が確かならば、特に何の記念日でもないはずだ。もちろん、世の中にはポニーテールの日のよ
うなあまり知られていない記念日が大量にあって、それらをすべて几帳面に記せば、その日も
なんらかの記念日であることは想像に難くない、ないが、キョンはそのような几帳面な人物で
はない。うっかりすれば、自分の誕生日であっても、スルーしてしまうようなそんな人間なのだ。

「ん、あ~~これか~~」
 その時、キョンは私の見たことのない表情を見せた。恥ずかしそうな、誇れるような、嬉し
いような、懐かしいような、そんな顔を見せた。
「ん~~、キミの誕生日ではないよね、妹さんのものでもないはずだ。ご家族の何かの記念日
……というわけでもないようだね。ふむ、始業式の頃だね……これは推理のしがいがあるぞ……」
 あ、ひとつ思い当たってしまった。いや、でもさすがに、それはロマンチックに過ぎるとい
うものだよね、キョン。
「いやあ、そんなに大したものじゃない。だけど、俺にとっては忘れられない日なんだ。忘れ
たくない、決して」
 穏やかな顔で彼はそう言った。むむ、確かに、そう確かに“僕にとっても”そうだよ、
キョン。忘れられない、忘れてはいけない日だ。ああ、私はは幸せよ、幸せだよ、こういう気
持ちを共有できる相手に出会えるって、なんて人生はすばらしいんだろう。バラ色の人生って
こういう気分のことをいうのだね、きっとそうだ。
「……そ、それは、その日は……僕らが再会し、僕ら間の友誼が再開した日だね」
 キョンがまじまじと私を見た。ぽん、と膝を叩く。ん? 膝を叩く?
「あ、ああ、そうだったな」
 彼はそういえばそうだったと言わんばかりに木訥に答えた。
 あ~~、そう、そうですか、あ~~、私は本当に学習しないな。中学時代、何度、こんな目
に遭ったと思っているんだ。そうだ、感情はノイズ、人生を穏やかに過ごすために、そんな
モノは不要なのだ。そんな風に、初恋の相手に恋のなんたるかも知らないままに力説した。
そんな、中学時代の幼い自分が憎い、憎すぎる。脱力して、私はそのままベットに倒れた。
 ああ、キョンの匂いがするよお。かりそめの幸せに酔うしかないそんな私なのだった。

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最終更新:2007年10月10日 11:05
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