10-126「忘れさること忘れないこと」

人が人を好きになる瞬間と言うのはいつなのだろうか。
俺の場合それは恐らくあいつと一年ぶりに出会った日だった。

四月。太陽の光がぽかぽかと暖かくなり、そろそろ半そでで外に出てもいいんじゃないかと心も軽くなる季節。
俺が佐々木と再会したのは春を象徴するかのようないい天気の日だった。
虫達と一緒にハルヒの活動もより活発となり、俺たちはまたいつものように駆り出されていた。
佐々木に会ったのはそんなどこにでもある日常だった。
出会いは唐突でまったく予期していない出来事だったが、久しぶりに見る佐々木は変わっていなかった。
肩のところで切った栗色の髪、相変わらず勉強ばかりしているのか白い肌に細い肩。涼しげに笑う口元。
春風になびく髪はそよぐ茂った草木をイメージさせた。
それなのに佐々木の眼の色はこの陽気な季節とは不釣合いでどこか寂しげだった。

「ほ、ほらキョン!いつまでボーっとしてんのよ、さっさと行くわよ!」
「あ、あぁ」

ハルヒがぐいと強引に俺の腕をひっぱる。

「またね、キョン」

佐々木はハルヒの方を少し見てどこか寂しそうに俺を見て笑っているだけだった。
そのときからだろう、俺の頭の中の隅にいつも佐々木がいるようになったのは。
佐々木が時折見せる物憂げな顔、その曇りを晴らしてやるのが俺の役目のような気がした。運命と言うやつであろうか。
佐々木を笑顔にしてやりたかった。
最初のデートの誘いはいたって簡素な物だった。「久しぶりに話でもしないか」とかいったそんな簡素なメールを送っただけである。
そうして俺たちは喫茶店で待ち合わせることにした。
高校に入ってしゃれっ気も出たのだろうか、普段見るより幾分かおしゃれだった佐々木は新緑の季節に輝いて見えた。
二人だけでこうやってちゃんと会って話すのは少し気恥ずかしかったが、一年のブランクなどすぐに埋まり、
会話は思っていたより弾んだ。

それからも佐々木とはちょくちょく二人で会うようになり、俺は佐々木に想いを告げようと決心した。
どこの誰が考えたのか知らないが、六月の花嫁は幸せになれる。そんなコピーを覚えていた。
別に結婚とかそういった大げさな物ではないが、俺にとっては告白もプロポーズも同じような物である。
きっと佐々木を幸せにしてやる。そういう意気込みもあった。

六月の灰色の空は街行く人々の気持ちを暗くし、しとしとと降り続ける雨は止むことを知らない季節に
俺は佐々木に思いを告げた。
生まれてこの方一度も告白などしたことがなかった。テレビドラマや小説の中で、主人公はヒロインに甘い文句を連発し、
世界中では今もこの瞬間にいくつものカップルが誕生しているだろうが、あんなに緊張するものだとは知らなかった。
佐々木は少し照れたように含み笑いをしながら
「いいよ、君がそう言うなら。」
といってくれた。
その日以来すべてが輝いて見えた。水びたしになった建物や草木はきらきらと光り、汗ばむ肌も陽気な夏の到来を予感させ、
自転車に乗れば常に追い風が吹いている気さえした。チープな表現だが俺は無敵だった。
俺は幸せだった。
夢を見た。
いつものように佐々木と会う夢。これからどこへ遊びに行こうか、今日は少し背伸びしておしゃれなレストランへ行ってみようか、
そんなことを考えていると佐々木がポツリと言う。
「ねぇキョン、僕の名前を覚えてる?」
佐々木の名前?バカだなそんなの忘れるわけが――
あれ、なんだっけ。佐々木の名前――

夢はそこで終わった。
俺の見る夢にはぼんやりとはっきりしとはしないがなんとなくなら覚えている夢、そして起きた後も生々しく記憶に残る夢の
二種類の夢を見る。今回の夢は後者だった。佐々木の名前、もちろん忘れるわけがない。はっきりと覚えている。
だが―
学校に行く途中ずっと頭がはっきりしなかった。頭の中をもやもやが取り巻いていてすっきりしない。
佐々木の名前のことだ。はっきりと思い出せるが何か得体の知れない違和感のような物が頭の隅にあった。
教室に入ると俺は中学校が同じだった国木田のところへと向かった。国木田も確か佐々木と面識があるはずである。

「やぁおはようキョン」
「国木田、変なことを聞くがいいか?」
「どうしたのさ?」
「実は――」

国木田から聞いた佐々木の名前は俺の知っている佐々木の名前と同じ物だった。当たり前である。
国木田は俺のことをさして変なやつと可笑しそうに笑っていた。
そうかこいつは俺と佐々木のことを知らないんだったな。俺は佐々木とのことを誰にも話していなかった。
谷口やハルヒにばれるといろいろと面倒くさそうだったからである。そしてそれ以上に周りに秘密にしていることが楽しかった。
一時間目の国語が始まり、俺は古典の教科書を開いた。ノートが湿気でべたつき気持ち悪かったので俺はノートをとる事を破棄し、
しばらく雨の降る校庭を眺めていたが、30分が過ぎたころで俺は教師の講義の声を子守唄にして眠りについた。
―――キョン
―――ねぇ、キョン

誰かが俺を呼ぶ声が聞こえた。佐々木か?
目の前に佐々木が現れ、また俺に言う。
キョン、僕の名前を思い出してくれたかな
忘れるものか、お前の名前は――

「キョンったら!」

俺は背中をつつかれ眼を覚ました。

「あんたいつまで寝てるつもりなの?そろそろ授業が終わるわよ。」

なんだ、夢の中の声はハルヒだったのか。
時計を見るとハルヒの言うとおりあと五分少々で授業が終わろうとしているところだった。
結局黒板を写したのは最初の三行だけ。まったく中間試験が近づいてきているというのに、われながら呆れる。
それより――またあの夢を見た気がするな…。今回の夢ははっきりと覚えていなかった。

休み時間、俺はもう一度国木田の席へと向かった。
朝ともう一度同じ質問を国木田にすると、予想通り不思議そうな顔をして答えた。

「どうしたの?さっきも言ったじゃないか。佐々木の名前は――」

あれ?そうだったっけ、佐々木の名前。
信じられないことだが俺は今生まれてはじめて佐々木の名前を聞いたような感覚に陥った。
国木田から聞いた佐々木の名前は確かに俺の知っている佐々木の名前だったが…
なんだろう、この今はじめて聞いたような響きは。
その感覚は「新鮮な響き」という表現とは遠く、なにかもっと気味の悪いものだった。
昼休み。いつものように谷口国木田の二人と昼食を取った俺は五時間目の準備をし、
食堂から帰ってきたハルヒと雑談していた。

「なあハルヒ、おまえ人の名前忘れたことってあるか?」
「え?」
「だから、クラスメイトの名前を思い出せなかったりとか…」
「なによいきなり。忘れるも何もこのクラス全員の名前を言えって言われたって無理よ」
「そんなんじゃなくてさ、もっと身近な人の名前だよ。例えば、朝比奈さんや長門なんかの」
「そんなの忘れるわけないじゃない。」

そうだよな、それなのに俺の頭はどうしてしまったんだろうか。
もうなんかいもあいつの耳元で囁いたはずである佐々木の名前を忘れるなんて。

授業が終わってからも俺の頭のもやもやが晴れることはなかった。
直接佐々木に会いたかったが部活をサボろうとするとハルヒが烈火のごとく怒り出すのは火を見るより明らかだったので、
俺と佐々木が会えるのはもっぱら休日のみだった。佐々木もそれを理解していてくれた。

佐々木は俺たちの他人が知っても何の面白みのない部活の話をいつも楽しそうに聞いていた。
自分も北高に入って俺たちと一緒にそんなわけの分からないことをしたかったと、うらやましそうに語っていた。

部活が終わると用事があるとみんなには嘘をつき、一人だけ帰り道からはぐれ佐々木に電話をかけた。
せかすようにコール音が数回鳴ると佐々木が電話を取った。もしもし。
佐々木の声…最後に聞いてからそんなに時間は過ぎてないはずである。佐々木の声、こんなんだっただろうか。
いつもは俺の心を満たしてくれる佐々木の声は、俺に何の感動も起さなかった。
会いたくてたまらないはずなのにあまり長く喋る気にはならなかった。
俺は会話を済ますと電話を切った。
俺は寄り道することなくまっすぐ家へと向かい、中学の卒業アルバムを探した。
やはり佐々木のことが気になっていた、俺の中の佐々木が消えかかっている。そんな不吉な思いさえした。

物置でホコリまみれになっていた卒業アルバムを引っ張り出してくると、佐々木のページを祈るように開いた。
いつもの佐々木を感じたかった。俺を安心させてほしかった。
だが――

俺は背筋が凍りつくかと思った。
そこにあったのは黄ばんだ紙面にびっしりと印刷された無機質な数字や見たこともないような文字。
まるで佐々木のページだけが文字化けを起したかのように、まるっきりそのページだけが異質な世界だった。
一瞬気を失いそうになった俺は目を閉じて深呼吸すると、改めて恐る恐る佐々木のページを覗き込んでみた。
そこには今さっきのようなおかしな文字はなく、あったのは他のクラスメイトとなんら代わりのない、各々の好きな歌手や将来の夢などを書き連ねた
何の変哲もない卒業文集の1ページだった。
ふつう卒業文集を開くときはノスタルジーな気持ちが生まれるものであるが、今の俺にはそんな余裕はなかった。
あるのは得体の知れない恐怖だけだった。
俺は佐々木のページのある文章に目が止まった。

「はやくみんなでタイムカプセルを開けたい」

タイムカプセル…。そうだ、俺たちは卒業式のあとクラスメイトみんなで校庭の桜の木の下にタイムカプセルを埋めたのだ。
俺の記憶では確かに佐々木もタイムカプセルに参加したはずである。
何かが狂っている。俺の知っている佐々木とみんなが知っている佐々木。何かがズレている気がする。
気付いたときには俺はスコップと懐中電灯を準備して雨の中を自転車で全力疾走していた。

外はすっかり暗くなり雨も本降りとなっていた。
びしょ濡れになっていることなんか気にも留めず俺はかつて通っていた中学校を目指した。
天気が幸いしてか外を出歩いている人もおらず、誰にも見つかることはなかった。
校門を乗り越えると、俺はなるべく周囲を警戒してタイムカプセルを埋めた桜の木へと急いだ。

桜の木に近づくにつれ気付いた。誰かが立っている。
俺はスコップを身構えながら恐る恐る近づく。だんだんとシルエットがはっきりしてきた。
そいつは傘もささず、ただぽつんと俺を待っていたかのように立っていた。
懐中電灯をゆっくりと向けると、俺はそこに立っているのが誰だかわかった。

「長門…」
長門は雨が降りしきる中じっと俺の眼を見ていた。
いつから立っているのか、ずぶ濡れになっていた。

「長門、こんなところで何をしている」
「あなたを待っていた。」
「俺を?」
「計画は失敗した。」

長門は意味不明な言葉をつぶやくと続けた。

「話がある。」

今俺は長門のマンションの一室にいる。髪と服を乾かした俺は、長門と向き合って座っていた。

「なんだよ話って」
「順を追って説明する。まずわたし達ヒューマノイドインターフェイスがこの惑星に送り込まれた理由について」
「ハルヒの観察だろう?」
「そう、当初の主な目的は涼宮ハルヒの観察だった。もうひとつの目的は監視。
この全宇宙の有機生命体において彼女の存在は並外れて特異であり、
宇宙の環境さえ変えてしまう可能性があった。しかし途中で状況が変わった。原因はあなた」

そういって長門は俺を見た。

「なんだと?」
「あなたが涼宮ハルヒと接触を開始してから古泉一樹らの言うところの"閉鎖空間"と呼ばれる次元断層の発生が活発化された。
情報統合思念体は次元断層の拡大は宇宙を飲み込み、やがては世界を崩壊させる。そう判断した」
「…」
「涼宮ハルヒは人間にとっても、宇宙にとっても危険をもたらす爆弾。このままではいつそのときが訪れるか分からない、
起こりうる危惧に対しては事前に防護策をとるべきと判断した。そして情報統合思念体はある計画を遂行した。
情報統合思念体の作り出した有機生命体に、涼宮ハルヒの人智を超えた能力を移植させようというもの」
俺は背中に寒気を感じた。佐々木が長門の一味が作り出した人間だったと言うのだ。
信じられなかった。
こんなウソのような話、誰が信じるものか。しかし長門が言うことによって、その信じがたい話はよりいっそうリアリティを増した。
長門がハルヒをかれこれ一年もの間だまって観察していたのはこのためだったのだろう。
俺が佐々木の顔を思い浮かべると、長門はまた続けた。

「彼女はわたしたちと同じタイプのヒューマノイドインターフェイスではない。どちらかと言えばあなたたちと同じく
感情を持ち、成長する有機生命体。そして同時に器の存在。彼女は4月に生まれたばかり。それまでの生い立ちなどは
情報操作によりあなた達の記憶の中に刷り込ませた。」
「な、じゃあ俺が佐々木と過ごした中学三年間ってのは…」
「あなたの記憶の改ざんによって造られた幻。このまま行けば万事うまくいく予定だった。
ただここでまたひとつ不具合が生じた。あなたが原因で彼女の存在を維持出来なくなった。
ここ数日あなたが感じた違和感がそう。」
「俺が原因って…」
「造り出された彼女をこの世界に融和させるにはあまりに複雑な情報操作が必要。エラーの発生を回避することは困難だったが、
これほどのまでとは予想外だった。親密な人間関係はより彼女に関する情報の複雑化を強いられる。だから」
「それが、俺のせいだって言うのかよ」
「……」
「それで、佐々木はどうなるんだ!」
「………」
「長門!!」

正直言ってここから先は聞きたくなかった。
佐々木はもう長門たちにとってはエラーなのだ。冷酷非情な長門の親玉がエラーに対しどう処理するかなんて、聞かなくたって分かる。

「彼女をこのままにしておいて安全であるとは断言できない。この先世界に対して何らかの悪影響を与える可能性は無いと言えない」

そのひと言は、俺を絶望させるには十分だった。

「なんとか…佐々木を助けてやれる方法はないのか…」
「無い訳ではない。今ある選択肢は2つ、ひとつは彼女をこの世界から消し去ること。もうひとつは彼女から涼宮ハルヒに繋がる力をなくすこと。
この場合彼女は今までと同じように生活を送ることができる。ただし、後者を選んだ場合、彼女の記憶を一切消すことになる。」
「な、なんだと!」
「酷な選択なのは分かっている。わたしもあなたのことを思って最善を尽くしたつもり、分かってほしい。」

長門は同情の眼で俺を見ていた。その眼が俺に対するものか佐々木に対するものかはわからないが…
それよりも今回のことは長門でもどうしようもなかったのだ。
俺が4月に佐々木と再会したことを、いや初めて出会ったことを勝手に運命だと感じているのなら、これもまた運命なのだろう。

「情報連結解除開始は今から24時間後、それまでに…」

それ以上は何も言わず長門は俺にスイッチを渡した。これを押せば佐々木は普通の生活を送ることが許され、助かる。
だが俺は佐々木を失うことになる。その代償は俺にとってあまりに大きかった。
最期の日、俺は佐々木にめいっぱいいい思いをさせたかった。
今まで俺は何もしてやれなかった。もっと二人だけで遠くに出かけてみたかったし、誕生日も祝ってやりたかった。
せめてなにかと、俺は佐々木にプレゼントを渡した。俺と佐々木のイニシャルの入った指輪。
例え佐々木の記憶がなくなったとしても、佐々木の近くに俺の身代わりを置いておきたかったのだ。
少しサイズが大きかったが、佐々木は満足そうな顔をしてくれた。

「ありがとう、大切にするよ」
「サイズわるかったな、今度からはちゃんと調べるよ」
「じゃあ指輪はその時まで待ってこれはネックレスにして首にかけるよ。
今度はペアにしようか!ねキョン、いいアイデアだとは思わないかい?」

落ち込んで見える俺を励まそうとしたのか、佐々木は楽しそうに笑った。
今度は――か、本当に今度があったらと思えば思うほど涙がこぼれそうだった。

「キョン、今日はずいぶんと優しいんだね」
「そうかな」

夕暮れが近づいてきていた。
佐々木には本当のことは言わないでおこうと決めた。

「なぁ佐々木」
「なんだい?」
「もし佐々木が次の朝起きて記憶喪失になってしまったらどうする?俺がどこの誰かも分からない、そうなったらどうする?」

佐々木は一瞬あっけに取られたような表情になったが、すぐにいつもの表情に戻るといつものように笑った。

「そのときはキョンが僕を助けてくれるんだろう?」


夕日に照らされた佐々木の顔はきれいだった。
そうだよな、また一からやり直せばいいだけだよな。
またこうやって一緒に夕焼けを見られる日が来るのはいつになるか分からないが、諦めないさ。
佐々木がいる限り。

FIn

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最終更新:2007年07月21日 08:23
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