孫尚香

孫尚香

解説

孫夫人(そん ふじん、192年? - 222年?)は、三国時代の呉の孫堅の娘とされる人物。 孫尚香とも呼ばれるが、これは演劇で使われる名前であり、三国志演義では孫仁。三国志 (歴史書)では孫夫人と記されており、諱は不詳。

209年に劉備と周瑜の策で呉との政略結婚の話の時に初めて孫夫人の名前が出てくる。

性格は気がとても強く、身の回りには常に武装した女性が付き、自身も薙刀を操り常に腰に弓を装備していたことから「弓腰姫」と呼ばれていた。

劉備が呉に直接訪れて結婚した。その時にも武装した女性100名ほどが孫夫人の周りにいたと三国志 (歴史書)にも記載されている。 夫となる劉備とは年が10歳以上違っていたが、孫夫人が劉備のことをとても気に入っていたとされる。

周瑜の策で劉備の暗殺・新しい妻で劉備を骨抜きにさせる策であったが、劉備の結婚時に共に来ていた趙雲が諸葛亮より授かった策を使い、孫夫人を劉備が連れて帰国させた。

それを聞いた孫権が怒り、家臣に対して劉備と孫夫人に対して追っ手を送って引き戻そうとするが、孫夫人が家臣を叱咤し家臣を引き返させて時間稼ぎを行った結果、無事に荊州に帰国する。

その後、211年に孫権との関係が悪化し、周瑜の策で孫夫人の母が危篤との知らせを聞き、阿斗(のちの劉禅)を引き連れて呉に帰国しようとした所、趙雲と張飛により阿斗を奪われる。 三国志 (歴史書)での孫夫人の記述はここまでとなっている。

三国志演義では呉に帰国した孫夫人はその後、夫を取らず、222年に夷陵の戦いで元夫である劉備の死(誤報)を聞いて長江へ身を投げたとされている。

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最終更新:2006年03月29日 02:51
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