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納札(千社札)

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atamiwg

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納札(千社札)


納札は歴史・文化等のジャンルであり、模型ではありませんが、
手作り納札の工作・工芸が「工作少年」の延長といえる部分もあり、ここに記録する事としました。
あくまで「私の場合」であり、一般的ではないところも多々あります。

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納札は社寺を参拝した際に納める札です。
古くは木札が使われていましたが、その後、紙札が使われるようになりました。
江戸時代に、それまでの巡礼などが納める札とは異なる意匠の札が使われるようになり、
それが千社札とも呼ばれるものになっていきました。
千社札は交換会などが開催されるようになると、
色や絵柄などの意匠に工夫を凝らしたものが作られるようになりました。
社寺への納札用の札は基本的には墨一色で貼り札・題名札と呼ばれ、
色刷りの札や絵柄の入ったものは交換札とよばれるようになりました。
交換札は社寺への納札には使いません。
いずれも和紙に木版刷り、または手書きで作られます。
また、近年、多くなったシール式のものは千社札のデザインを模した名前シールであり、
千社札ではありませんし、社寺への納札にも使いません。

納札は木札を釘で打っていた事の名残で、「貼る」とは言わずに「打つ」と言います。
ここでは判りやすくする為に「貼」るという表現を使います。

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熱海松尾納札小史

二十歳代の頃に見様見真似で千社札のようなものを作り始めました。
自己流でしたが、実際に貼られているものも見ながら、色々と作っていました。
そのうちに納札に使えそうになっていき、実際に社寺に貼ってみる事にしました。

社寺への納札を始めたのは昭和55年11月半ば頃です。
その年の内に手書き札とコピーしたものを300枚以上を貼りました。
昭和56年3月に奉書風の用紙に印刷をした札と、手書き札を併用するようになりました。
これは昭和57年の秋ごろまで続きましたが、
この2年の間に手書き札の種類は増えていき、それを主に使うようになりました。
奉書紙は画材を扱っている市内の文具店で購入していました。

木札は納札を始めた頃より使っていますが数は多くはありません。

また、幸いにも、社寺への納札ではシール式のものは使った事がなく、
斜め貼りや他者の札への重ね貼りもしていませんでした。

ある時に東京の先達の皆さんと知り合う機会を得て、そこで多くの事を学びました。
それが浮世絵の摺り師である長尾直太郎師(故人)と千社睦の皆さんでした。
そこで学ぶ事が出来たのも自己流であれ、それまでの積み重ねがあればこそでした。
多くの先達との交流で得たものは大きかったです。

それ以降も貼り札は自作の札を使うスタイルは変わっていません。

昭和57年の秋ごろから木版刷りの札を作り始め、同年11月から貼り始めています。
その頃は木版刷りの札と手書き札を併用していました。

木版刷りの札の種類が増えるに従い手書き札は減っていき、
昭和58年中にはほとんど木版刷りの札になりました。

版木は桜を使っていましたが、
細かい彫りの無いものならシナベニヤでも出来る事を知り、
何種類か作ってみたのが、昭和60年6月でした。

精力的に歩いていたのはその頃までで、
納札に歩く事は少なくなっていきました。

皆さんとの交流を大切にしながら、手作り納札を地道に行ってきました。
ご指導いただいた皆様に感謝すると共に、記録として取りまとめておく事としました。

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貼り札


貼り札
初期の木版自作札の一部です。
右から2番目の一丁札は最も初期のもので奉拝の文字は手書きです。

初期の木版自作札のうち、題名を篆書体にした札の一部です。

中期の木版自作札のうち、シナベニヤの版木を使用した札の一部です。

中期の木版自作札の一部です。
縦版の札の文字を一文字ずつ位置合わせをしながら横に摺ったり、
他の版と組み合わせて摺ったりしたものです。
一部に手書きの文字も含まれています。。
量産には向きませんが手軽に種類を増やす事が出来ます。

極初期の印刷札です。

極初期の手書き札の一部です。

納札仲間である縄九二さんの彫りと松ヨ志さんの摺りによる貼り札の一部です。

下書き
原寸大で書きます。決定した線の内側の網掛けを籠と見立てて
この江戸文字を籠字と呼ぶようになりました。
書きあがったものに薄手の和紙かトレッシングペーパーを重ねて書き写し、
版木に糊で、裏返しに貼り込み、十分に乾かします。
画像は絵馬型の四丁札で彫りの途中の状態です。

版木
一般的には桜を使用します。
細かい彫りの無い場合はシナベニヤが簡単に彫れますが耐久性はありません。

初期の桜の版木の一部です。
本来は版面よりもう少し大きな板を用い、
板の余白に見当という彫り込みを入れて、それを紙の位置決めに使います。
別の板に見当を彫り、版木と組み合わせて摺る場合もあります。

中期のシナベニヤの版木の一部です。シナベニヤは目の詰まったものを選びます。
左は四丁札の丈を少し詰めたものですが、あまり使ったことはありません。

刀・鑿(彫刻刀)
愛好家用の彫刻刀を使っています。
本数は多くありませんが、必要に応じて種類を増やしていきました。
丁寧に研げば、貼り札ならこれで十分です。

ばれん
「仕事は道具がするものだ」とは言いますが、
高級本ばれんを使いこなすほどの技量はありませんし、高くて手が出ません。
(本ばれん⇒http://www.scn-net.ne.jp/~kikuhide/hon-baren.html
竹皮紐の代わりにナイロン紐を編んだものを友人から貰ったので、それを巻いて芯にしています。
文具店等で売っているものはボール紙を竹皮で包んだだけなので使えません。


墨は普通の書道用の墨を水を入れた瓶に入れ密封し数ヶ月間放置します。
膠が分解しボロボロになったら、乳鉢で当たります。
木綿で濾すのが正式ですが、私はそのままです。
これに新しい膠を加えて出来上がりです。


用紙は奉書紙を使用します。
膠と明礬の混合液をドーサといい、墨を吸い込ませ、なおかつ、滲ませない為に使用します。
ドーサ引きした紙も市販されていますが、古くなると引きなおさなければなりません。
薄くて丈夫な細川紙を試用した事がありますが、貼る際の扱いが難しかったです。

摺り
版木には濡れタオルをを被せて、少し湿り気を与えておきます。
紙は湿らせた新聞紙に挟み、少し湿り気を与えておきます。
この湿らせ加減は経験を積む事によって覚えます。

版木に糊を少し置き、ボタン刷毛で墨と糊と混ぜながら全体に均等にのせます。
これに紙を置き、ばれんに若干、体重を掛けるようにして摺ります。
墨の粒子を紙の繊維の間に押し込むような感覚で摺る事が大切です。
紙の裏面、すなわち擦っている面に文字が黒く浮き上がってくるようにします。
これを抜けるといい、貼り札では大切な事ですが、習熟しきれていません。

社寺に貼られた納札は長い年月を掛けて紙が風化していきます。
その時に、墨が裏面にまで摺り込まれた文字は文字の部分だけが残る可能性が高くなります。
更に風化が進むと残った文字の部分の木肌が白く残ります。
このいずれの状態も抜けたという表現をします。
前者は時々見かけますが、後者は少ないようです。

摺り上がった状態です。乾いてから周囲を裁断して完成です。

裏面です。抜け方が不十分な事が多々あります。
右側の2枚は細川紙でよく抜けていますが、扱いが難しいです。

納札用具


道具入れ
極初期においては大きな札も無く僅かな器材でしたので上着のポケットに分散して入れられました。
このスタイルは、その後、所用等で出かける際は同じです。
器材が増えていき、納札に時間が掛けられる時はショルダーバッグ等を使用していました。
納札の道具入れとしては江戸期より下箱といわれる木製の箱を肩から提げるものが使われています。
これを使う場合は服装もそれに見合ったものにしないと様にならないので私は使用していません。
末弟(故人)に貰った釣具用のショルダーバッグは使いやすく長らく愛用していました。
ある時に長尾師のところで大工の道具入れに「長尾」と書かれた物を見せられ、
「これは手軽で使いやすくて良いよ」と勧められ、早速、真似て使ってみました。
今では本来の大工道具入れとして使っています。
頭陀袋のようなバッグは市販の麻布のバッグがそれに似て見えたので、
それに大工の釘入れを縫い付けて小物入れとし、梵字をあしらってみました。
千手観音と阿弥陀如来を表す梵字ですが、何故これにしたかは記憶にありません。


夫婦刷毛
納札を始めた頃は手の届くところから貼り始め、すぐに高いところにも貼るようになりました。
当初は棹等の先にタオルを巻きつけてもので始め、次に刷毛やブラシを取り付けるようになりました。
その後、夫婦刷毛というものが作られている事を知り、それを使うようになりました。
東京の店頭で製作している職人さんから直接、購入していました。

左が使い込んだもの、右が新品です。

背面には蝶番を取り付けています。撒いてある板を絞めてやや硬めにします。
)

納札の際は糊を打った札の上部を蝶番に軽く挟み、札を刷毛にのせます。
夫婦刷毛は振り出し棹の先に嵌め込んでおきます。

予め貼る場所の埃等を掃除用の刷毛で払っておき、慎重に位置を決め、刷毛でしっかりと札を擦ります。
札が斜めにならない事と、他者の札に重ならないようにします。


糊は飯粒を加工して作るのが伝統的な作り方ですが、
私はヤマト糊に湯を加えながらダマを無くしながらよく練ったものを使用しています。
濃さは実際に使ってみて使いやすい濃さにします。
糊は密閉容器に入れ、糊を打つ小刷毛と下に敷く新聞紙を用意しておきます。

地図
所用で出かけて際にたまたま見つけた所に納札する場合は別として地図は必須です。
昭文社の地図で社寺に予め赤く印をつけて判りやすくしておき納札専用の地図としています。
これにより歩きながらでも地図で社寺を探しやすくなります。
下の地図で赤丸上の/は参拝のみのところ、Xは納札もしたところ、
赤丸無しでXは地図上に社寺が記されていない御堂等に納札したところです。
地図は昭文社のエアリアマップで、市単位では都市地図シリーズを、
都県単位ではニューエストシリーズを使っていました。

エアリアマップの都市地図シリーズの沼津(昭和55年版)の一部です。

エアリアマップのニューエストシリーズの東京(昭和56年版)の一部です。
社寺が集中している所や全く無い所がよく判ります。



御朱印帳
納札に行く際は朱印帳も持参しますが、無人のところも多く、集印には拘らない様にしています。

交換札


交換札
手書きの交換札は一点物です。

長尾師に作ってもらった交換札の一部です。

交換会
交換会は大きく分けて二種類あります。
一つは参加者数分の交換札を各自が用意し、参加者全員と交換するものです。
参加者の札の用意は本人だけでなく摺り師の都合もあり、
十分な準備期間を取れるように日程の告知をするだけでなく人数制限もされます。
もう一つは引き札と呼ばれ、参加者の会費で大判の札を人数分作る場合です。
個人の札を用意する必要は無く、個人では作りきれない大判の札を作る事が出来ます。
いずれの場合も主催者や有志から別に札が配られたりもします。
また、貼り札は社寺に納めるもので生身の人間同士で交換するものではないと言われる事もありますが、
交換会会場でも周りの席の方々と交換する事もあります。
私の札では梵字入りの札と篆書体の札が好まれます。

アルバム
紙コレクション用のクリヤーポケットアルバムがあり、
ポケットの大きさは対象物に応じて各種サイズがあります。

関連して


木札と焼印
私が納札を始めた頃から、木札に手書きか焼印を押した納札は見かけていましたが多くはありませんでした。
私も手書きの木札を使った事がありますが製作が大変でした。
近年はシルクスクリーン印刷の木札を多く見るようになりました。

福島屋には屋号の焼印がありましたが古く、枠が欠落していました。
昔はどの旅館にも屋号の焼印があり、下駄に押していました。
それを納札用に使うわけにもいきませんでした。
ある時に三島大社の近所の金物屋に出来合いの焼印が多く並んでいるのを見つけました。
丸に汎用性のある一文字のもので、「松」・「福」などが無いか探しましたがありませんでした。
店主と話をしてみると、別注で作れるとの事で、「福島屋」と、篭字の「松尾」を作ってもらいました。

左より、あまり使われた形跡の無い「松尾」、使い込まれた「福島屋」、
新規に制作した「福島屋」、篭字の「松尾」です。

納額
社寺への額の奉納には度々お誘いを受け、いくつかに参加させてもらいました。

資料
グラフィック社の「レタリング字典」(日向数夫編・1964年版)を父が持っていて、
各種江戸文字が多数収録されていました。
納札製作を始められたのもこの本の存在が大きかったです。
グラフィック社からは、その後も日向氏による「江戸文字」「篭字」などが発行され、
同社の橘右近師による「寄席文字字典」と共に良い資料となっています。

マール社のレタリングの本では、勘亭流を読みやすくアレンジした「新かんてい流」が秀逸です。
それ以降の同社の江戸文字関連のものは現代風にアレンジしてあり、
納札用には使いにくいのですが、福島屋の表示類に使用しています。

当然、書家により様々な書き方がされていますので
自分の好みに合ったものを使い分けていけばいいでしょう。

今ではPC出力できる篭字フォントもありますが、
部首のパーツを組み合わせただけにしか見えず、使ったことはありません。
これも好みの問題であり、それを否定はしません。

納札に行くと外国人観光客に質問される事があります。
簡単に説明して済ましてしまいますが、判っているのかどうか。
外国人向けのわかりやすい資料としてカラーブックスの英語版を購入しましたが、
専門的な質問をされる機会はありませんでした。

カラーブックス
昭和63年に、保育社のカラーブックス「外湯めぐり」の取材が福島屋にもありました。
取材の際にカラーブックスで「千社札」を出しませんかという誘いがありました。
東京の先達の皆さんをさしおいてそのような事はできないと思い辞退してしまいました。
今にして思えば東京の皆さんの協力を得ながら発行する努力をしておくべきでした。
この時の「外湯めぐり」の表紙は福島屋HPの情報誌の頁に掲載してあります。
http://www.atamispa.jp/

熱海の納札
まだ市内の一部の社寺しか掲載してありません。
http://www13.atwiki.jp/atamispa/pages/28.html

半纏の文字など
http://www10.atwiki.jp/atamiwg/pages/7.html
本町祭典用半纏の何割かは私が筆耕しました。



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