「やれやれ今日はなんだか疲れたかしらー」
授業を終えて学校から帰ってきた金糸雀は、自室に入るなり鞄を放り出し、制服のままベッドに倒れこんだ。
それもこれも全部翠星石のせいかしら、と疲労の全責任を友人になすりつけつつ枕に顔を埋める。
自身の責任についてはとりあえず後ほど検討することに決める。明日か明後日か明々後日くらいに。つまるところ永久放置。
「このままずっと眠り続けて夢の中~」
替え歌を口ずさみながらベッドに横になると、途端に眠気が襲ってきた。
このまま寝てしまいたいところだが、今日みっちゃんは仕事で夜が遅い。夕食の準備やその他の家事をある程度やってしまう必要がある。
「よっこらしょっ、とぉ」
なんとか睡魔を退けつつ起き上がる。まずは着替えよう。
制服を脱ぎ、着替えを取りにクローゼットへ向かう。クローゼットは部屋の奥、ドアを隔てた4畳ほどのスペースだ。
がちゃり。
「・・・・・・ふぅ」
ほぼ毎日のことながら、金糸雀はこの扉を開くたびに思う。
「・・・・・・やりすぎかしら」
時々、口に出して言ってみたりもする。
金糸雀が扉を開けたウォークインクローゼット・・・・・・そこには、大量の衣装があった。
右手のハンガーラックには、ドレス、ジャケット、ワンピース、コート類がずらり。
ハンガーラック上の棚部分に、靴、帽子類の箱が積まれ、衣装ケースも2,3段。
左手に洋服箪笥が2棹(さお)。中には春夏秋冬の洋服がぎっしり。
床部分にも、空いたスペースを埋めるように衣装ケースやら箱がどっさり。
これら全てが、金糸雀一人の衣装なのだった。
買い揃えたのは誰あろう母みっちゃん。
みっちゃんが自らの娘に着せるための洋服にかける情熱は凄まじいの一言に尽きる(同時にかかる費用も凄まじいの一言では済まないものがあるのだが、それはまた別の話)。
例えば今金糸雀が目の前にしている、もこもこだったりふわふわだったりひらひらだったりする洋服たち・・・・・・どう見ても一般の衣料品店で手に入る代物ではないこれらは、みっちゃんがあらゆる手段で探し出し、あらゆる手段で手に入れてきた精鋭たちだ。
カタログ通販、ネット通販、オークションから個人売買果てはオーダーメイドで集められた洋服の数々・・・・・・おそらく売れば一財産になるだろう。
そんな母の激烈な愛情そのものと言っていい大量の衣装を前にして、金糸雀の方はというと心中複雑なものがあった。
幼いころはといえば純粋に綺麗な服可愛い服を着せてもらえるのが嬉しかったわけだが、流石に中学生、高校生となってくると話は違う。
未だに母が時々買ってくるゴスロリなドレスや、着て外に出るには若干を通り越した抵抗があるウサ耳セットの衣装など、金糸雀にとっては困惑のタネも少なくない。
もっとも、みっちゃんとしては一度金糸雀が着ているところを写真に収めればそれで満足らしく、普段から着用することを強要されたりは一切無い。
だから概ね金糸雀は自分が母から愛されているのだと思う。
いささか行き過ぎな部分が見受けられるものの、その根底にあるのはやはり愛情なのだと。
「もうちょっと落ち着いてほしい気もするけど・・・・・・」
そうして少し恥ずかしいような少し幸せな気分で着替えを取り出そうとした時だった。
「あっ」
シャツをケースの引き出しから出す際、そのフチにひっかかってボタンがひとつ飛んでしまった。
「あぅ・・・・・・またやっちゃったかしら」
余談だがボタンが外れることに限らず、金糸雀は衣服の破損が多い。ほとんど自分で直せる範囲ではあるが。
飛んでいったボタンの行方を捜して、金糸雀は床に目を凝らした。どこに行ったのだろう。
見える範囲には無いようなので今度は床に這いつくばって捜してみる。
「まいごのまいごのボタンちゃん~かしら~」
あなたのおうちはシャツですが、名前はさすがにわからない・・・・・・などと歌っていると、あった。大量に吊るされた上着類の下、置かれた黒いケースの手前にボタンは転がっていた。
金糸雀はボタンに手を伸ばそうとして、しかし、
「あ・・・・・・・」
止まる。
手を下ろし、見つめる視線の先には、捜していたボタンの奥、うっすらと埃をかぶった黒いケースがあった。
「あ、うぁ・・・・・」
そのケースの意味が、自動的に今日の昼休み、教室の入り口で聞いた蒼星石の声を思い出させる。

『・・・・・・でね、今度楽器屋にでも行って・・・・・・』

楽器屋。楽器。あの時蒼星石は何の話をしていたのだろう。

楽器・・・・・・音楽。

ぐるぐると目の前で何かが渦巻いている。
忘れてはいない。忘れられない。
みぞおちのあたりが固くこわばっている。石を飲み込んだような。
なんとか振り払ったはずの、遠くにおしやったはずの記憶と視界が断片的に浮かぶ。





大勢の人。

         暗い。

   真っ白な光。 まぶしい。  見えない。

 いろんな人の
                    いろんな言葉。

いや       どうして

                 みっちゃん・・・・・・?





頭が、痛い。
金糸雀は身を起こし、苦労して傍らの衣装ケースにもたれかかる。
眼をきつく閉じ、天井を仰いで息を吐き出す。身体の内側から何かを追い出すように、荒い呼吸を繰り返す。

どのくらいの間か、金糸雀はそうしていた。そうする以外できなかった。


最終更新:2006年12月19日 17:04