8-823「奴はペインキラー-2」

結局俺たちは方々の体でコンビニから逃げ出し、
もう一度作戦を練り直してから再度佐々木のご機嫌取りに向かう事となった。
あーくそ、なんだってんだよこりゃ。
それにしてもこれ書いてる奴は、メタル絡めないとss書けんのか。自重しろ。
「うう…頭が痛いです…」
隣の橘は最早グロッキーモードだ。
どうやらさっきのヴァイオリンを弾くM字ハゲやら、
筋トレに励む自称声域4オクターヴのガチホモやらが
こいつの精神をとかちつくちて、いや溶かしつくしてしまったらしい。
それはさておき、いったいどうしたらあいつの機嫌を直せるもんやら。
なにより、そもそもなんで佐々木がこんな事になっちまったのか、
その辺を聞きださないと話にならない。
駅前の石段に座り込んで頭抱えながらうーうー唸っている橘はとりあえず捨て置いて、
俺は町の中をうろついてみる事にした。
ひょっとしたら何かヒントになるものがあるかもしれないからな。
待ってるより探しにいったほうがマシってもんだ。
団長様直伝のアクティヴ精神って奴さ。

それからあちこちをうろつきまわって、いくつか分かった事がある。
まず第一に、ここは佐々木の世界だとはいうものの
あいつが全知全能ってわけではないということ。
どうやら俺や橘がどこにいて何をしているか完璧に把握しているわけではなく、
町中に大発生したデタラメパソコンに直接触れるかもしくは相当近くに行かないと
俺の今現在の位置が分からないようだ。少なくとも『今のところは』。
そういえば俺が橘のマジカルノーパソで書き込んだとき、
初めて俺の存在に気づいたような口ぶりだったしな。あのちび佐々木どもは。
そしてもうひとつ分かった事。あいつはパソコンを使って音やら絵やらを
こっちに見せる事はできるものの、直接俺たちをどうこう出来るわけではないということ。
だから脇腹をナイフで刺されたり、謎の洋館に閉じ込められたりってことは
とりあえず心配しなくてもいい。これも『今のところは』。
で、最後に分かったこと。出来ればこれには気づきたくなかったんだが。
…俺がさっきから2回も『今のところは』と断りをいれたのは、
『これからどうなるか分からない』からだ。
これさえなければゆっくり寝そべりながら善後策を講じる事も出来たんだが。
それに気づいたのはSOS団御用達の喫茶店。
俺が何か手がかりになるものがないかと俺がそこかしこをひっくり返していたときだ。
佐々木が手出しできないと思って、俺はは安心しきって家捜しに勤しんでいたのだが。
『ブツッ、ブツ』
…スピーカーだ。いつもイージーリスニングを流したり、
客の呼び出しをしたりするのに使われるスピーカーから、何か音が出ている。
今までうんともすんとも言わなかったのにな。
『…を…るの…ら』
誰かの話し声だ。…この声は。
『今が千載一遇のチャンスだって、何でわかんないのかな』
『チャンスだって? 戯言はやめたまえ』
『そうだよ、キョンが自分から気づくかもしれないでしょ?』
『気づくわけないじゃない!』
『待ってたら日が暮れるどころか、ワールドカップが三回はできちゃうよ』
…なにやらひどい言われようだ。
ってそれより、何だこれは?
なんで喫茶店のスピーカーの向こうで佐々木が一人芝居してるんだ?
事態を把握できず立ち尽くす俺の耳に、ガチャリと入り口のドアにロックのかかる音が聞こえた。
…え、ひょっとして俺、ピンチ?
『ほーら、これでオッケーでしょ』
『ちょっと、何してんの!すぐ開けて!』
『馬鹿な真似はやめたまえ。こんな事をしても、根本的解決にはならない』
『どうせ気づくわけないんだから、同じ事じゃない!』
『…キョン、今そこにいるんだろう? 少々まずい事になった』
『すぐ鍵を開けるから、早く逃げて!』
何の話だ?そんな早口でまくし立てられても何がなんだか分からん。
俺が首を捻っていると、先ほど念入りにロックのかかったドアが
豪快な火花とともに外へと吹き飛んでいった。
オーウ、ビバ・ハリウッド。
『ボーっとしてないで早く!』
『ノロノロしてるとぶっ飛ばすよ!?』
うお、なんかハルヒみたいだぞ佐々木。
つまり、だ。
俺が今見たことを総合すると、佐々木はゆっくりではあるが
あのパソコン以外のものに対しても支配力を持ち始めているという事だ。
まずいな…あんまりゆっくりはできない。
で、なぜか俺は敵意を持って追いかけられる状況にある、と。
今はこうして街中をうろうろ出来たりするが、そのうちそうもいかなくなるんだろうな。
救いなのはどうやらあのブランチ佐々木連中の中で俺をかばってくれるのも
少なからず存在する、ということか。
しかし『気づく』だのなんだのってのは何の話だったんだ?
「それはどうやら、あなたに原因があるみたいよ」
橘か。復活早かったな。
「うー…正直まだ辛いんですけど、あんまりのんびりもしていられないみたいだし」
らしいな。
「なんでそんなに他人事チックなんですか、もう!
…佐々木さんの意識の一部が大本の『幹』から剥離して動き出してるみたいです。
このままだと最悪、ここに閉じ込められたままかも…」
剥離?…なるほどな。今まで直接モノを動かしたり出来なかったのは、
実は『していなかった』っていうだけだったってことか。
あいつが無意識のうちにセーブしてたんだな。
今になって思えば、一番最初に俺が見たあの掲示板の荒れようは、
佐々木の一部が暴走する前兆だったわけだ。
「しかし…正直いって、これは異常事態です。
いままでこんな事なかったのに」
いままで、ねぇ。そうだ、聞きたい事があったんだった。
「橘、ひとつ聞いていいか?」
「? なんでしょう?」
「お前、『いままで』っていったよな。
……いつから佐々木は、こんなけったいな事をやり始めたっていうんだ」
「…最初に佐々木さんの精神に変調がみられたのは一週間ほど前。
あたしたちにこの『力』が授かったのは、三日ほど前の事です」
三日前か。いったいそのときに何があったんだろうな。
「あなたを呼んだのは、そのあたりの話を聞きたかったというのも
理由のひとつなんです。
…佐々木さんに、なにをしたんですか」
何をしたってお前、俺が加害者なのは規定事項だとでも言うつもりなのかよ。
やれやれ、そんなこといったって俺には全然身に覚えがないんだよな…
俺は自分の潔白を心から信じていたものの、何か手がかりを探せないものかと
あまり性能の良くない灰色の脳細胞から記憶をたどり始めた。
最後に、佐々木と会ったときの記憶を。
その日は、あの部活なのかどうかよく分からない不思議戦隊SOSの会合が
いつもより早く終わったので、俺は久々に本屋でも寄っていこうかと
商店街へ自転車を飛ばした。
さて、いざ本屋についてみると、駐輪スペースに見慣れた影が。
「佐々木か?」
一瞬びくりとして振り向いたその端正な顔は、
間違いなく中学時代において俺の一番の親友であり、
また不思議存在のお導きで最近になって再開を果たした佐々木、その人だった。
「やあ、キョン」
おい待て、これはいったい何事だ?
…振り向いた佐々木は顔色が真っ青で前髪が汗で額に張り付いているという、
絵に描いたような「具合の悪い人」だった。
いったい何があったんだろうか。
「…このところ寒暖の差がはげしくてね…少し調子が悪いんだ」
俺の疑問を察したか、佐々木はそういって力なく笑った。
…そうなのか? 俺は全然そんなの気がつかなかったな。
なんつったって身近に太陽よりよっぽど暑苦しい
人間スーパーノヴァがいるせいかもしれんが。
「…ああ、彼女はいつだってプロミネンスを吹き上げていそうだものな。
僕にはちょっと、真似できそうにないよ」
別にハルヒの真似なんざして欲しくはないがな。
人間それぞれのよさってのがあるもんさ。
「…昨今流行の、オンリーワンとか言う世迷言かい?
不思議存在を身近に抱える人間にしては凡庸この上ない台詞だね」
いいだろ、別に。それにお前が何を勘違いしているかは知らんが、
俺は徹頭徹尾凡庸な一般人だぜ。
「そうか、そうだね…」
「? なんか今日のお前は変じゃないか?」
なんというか、棘のあることを言ったかと思えば弱弱しくも見えたり。
こんな不安定な佐々木を見るのは初めてかもしれない。
「なんでもないよ、変だとすればそれはきっとキミのほうだ。
…ああ、すまないけど今日は急ぐんでね、このあたりでお開きとしたい」
まあ、それはかまわんが。あ、そうだ佐々木。
「…なに?」
むう、目が怖いぞ。
「お前その右手、どうしたんだ?」
そう、さっきから気になっていたのだ、佐々木のやたら線の細い腕、
その右手の手首から肘近くまでぐるぐると無雑作に包帯が巻いてあるのだ。
しかし、どうもかばっている様子は見られなかったし、何より普通に
自転車のハンドルを握って帰ろうとしてたってのがどうにも解せない。
「!」
…俺が尋ねたとたん、佐々木は一瞬体を震わせた後、呆然とした顔でこちらを見た。
その様子は、何か信じられないものでも見たような、具体的に言うなら
部下と妻の浮気を目撃した課長のような、驚愕と絶望を一緒くたにした
どろどろの釜の底みたいな顔だった。
…今日は始めてみる佐々木の表情が多いな。
くそ、こんな新鮮さなんて誰が欲しがるかよ。
佐々木はそのまま自転車に飛び乗ると、呆然としている俺を尻目に
一目散という言葉そのものの勢いで走り去っていった。
「…こんなところで、満足か?」
「んー……」
橘はレトロな探偵のように、顎に手を当てたポーズで黙り込んでしまった。
似合ってないぞそれ。
「もう、ほっといてください!
……ところで、包帯を巻いてたって言いました?」
「おう」
「…正直、思い当たる点がないわけではないんですが」
本当かよ。どれだけ名探偵なんだお前は。
「推理でもなんでもないのです。
…というより、男の子はこういう話に興味がないのが当たり前だもの」
男が、興味のない話? ますますもって分からんぞ。
「正直、あまり佐々木さんのイメージには合わないんですが…
一言で言ってしまえば、これはうr」
『余計な事言わないでくれる?』


底冷えのする声に振り返ると、近くのマンションに部屋の明かりで
「ssk」の文字が浮かび上がっていた。器用だな。それなんてラー○フォン?
『橘さん、私の名誉に関わる事をあんまり言いふらしてほしくないの』
普段は夕焼け小焼けを鳴らすしか仕事のない街灯上のスピーカーから
佐々木の声が聞こえてきた。
『やめなよ!キョンが分かってくれるのが一番だって言ってるじゃない!』
『しかし確かに、当初のルールではキョンが"自分で"気づくのが条件だ』
『こんなのノーヒントでやられて、わかるほうかどうかしてるよ!』
『さて、橘さん。多分あなたが思い至ったのは正解。
でも、だからといって現状をかき回して欲しくない。ということで、
あなたには少し枷を与えるわ』
突然、橘の口の中にどこからか飛来した青い光が飛び込んだ。
慌てて逃れようとするも、光の帯はたっぷりと飲み込まれてしまった後だ。
「た、橘! どうした!」
「ヴェ、ヴェーイ?」
「…は?」
一瞬沈黙が訪れた。
『あははは、橘さん、余計な事喋れないようにあなたの発声器官を狂わせたの。
大丈夫よ。キョンがゲームをクリアしたら戻してあげるから』
「ヂョッドゥ、ザァザァギザァン!  ナルスヅンディス!」
「な、なんだってー!!!」
『んーじゃあね、キョン。私たちがキレちゃわないうちに、
一週間前様子がおかしかった原因を当ててみて』
さりげなく物騒な事を言うんじゃない。
『ナンセンスね。こんなノックスの十戒に全力で逆行しているようなロジック、
解けるわけがないわ』
『そんなのいまどき守ってる人いないよ…』
『それに、どうしても解けなかったら救済措置も用意してある、そうだろう?』
『…で、でもキョンにあんなこと話すの…その、恥ずかしくないの?』
なにやら佐々木たちは内輪で盛り上がっている。しかも電柱のスピーカーからのサウンドオンリーだ。
冷静に考えるとなかなかシュールな光景だなこれは。
『はーいじゃあ回答してくださーい!』
『おーぷん!』
もうかよ。30秒ぐらいしかたってない。いくらなんでも早すぎるだろ。
まてまて、落ち着け俺。何かしら解決の糸口があるはずだ。
じゃあここまで出ているヒントをおさらいしてみよう!
1・腕の包帯。
終了…!
「分かるかそんなもん!」
『えーもう降参しちゃうのぉ~?』
『もう少し、執念というか必死さと誠意を見せて欲しいものだけれどね』
『所詮私はあなたにとってその程度の女なのね…』
な なにをいう きさまらー!
……っておい、待て待て待て待て。どれだけ凶悪な謎解きだよ。た○しの挑戦状かこれは。
おい橘、何かヒント…
「エエドゥ、ア゙ドディスベ」
…そうだったな。すまん。俺が悪かった。 ……ってちょっと待てよ?
「橘、お前さっきのノーパソはもってるか? もしかしてあれで筆談とかできるんじゃ…」
一瞬小首を傾げた後、橘は猛然とキーボードに超高速で指を走らせ始めた。
しかし十秒もたたないうちにその動きが止まる。
「? …どうした?」
橘の頭越しに見た画面に書いてあったメッセージは…
【水着はビキニなんだ!】【俺の下はスタンド!だ】
…意味不明だった。
「…スヴィバゼン、ゴディラルボゼイゲンガア゙ヅヴィタイ」
あー、要するに書くのもプロテクトがかかってるのか。
朝比奈さんの禁則事項よりタチが悪いな。


『ねー答えられないの?』
おっと、このダディヤァーナザァンより問題はこっちだったな。
『じゃ、罰ゲームね』
罰ゲームだと?ちょっと待て、もう少しヒントがあったって
『ぼっしゅーと!』

足元の抵抗が消え、体が極めて適正に位置エネルギーを消費していくのを感じながら俺は、
「スーパーひとしくんの服が赤いのは返り血のせい」
なんていうくだらない都市伝説を思い出していた。
「キョン、ねえ起きてってば」
ん…なんだ、部屋にはいるときはノックぐらいしなさい。
「ちょっと…なに寝ぼけてるの?」
そんなんだからお前はお子様なんだよ…。ミヨキチを見習え。
「みんな、帰っちゃったよ。ほら、おーきーろー」
「…ぉが?」
机に突っ伏してた体をゆっくりと起こす。下敷きにしていた腕がちりちりとしびれた。
いつの間に寝ちまったんだ? それもよりによって教室で。
寝ぼけ眼で視線を360度パンさせる俺を見て、佐々木が心配そうに声をかけてくる。
「いや、なんでもない。ちょっと夢見が悪かったんだ」
そう、と佐々木は笑って、俺の顔を横から覗き込むようにして近づいてきた。
長いポニーテールが揺れる。
「なんかさー、あんまり気持ちよさそうだったから起こすのもかわいそうかなって」
なんか複雑な気の使い方だな。HRからこっち何十分もアサガオのように観察されてたって言うのは、なかなかきついものがあるぞ。
「大丈夫だって。見てたのは私だけだから」
それもどうなんだろう。こういうときには現代人のアパシーに喝采を送りたくなるが、
特定の一人に見られっぱなしって言うのもな。
「それよりほら、早くいこ? 校門閉められちゃうし」
確かに、外はもう夕日すらおぼろげになるほどの暗さだった。
陽が延びはじめるこの時期、これは相当な時間だと言う事だろう。
ちなみに何気なく時計を見たらなんともう六時を回りかけてた。マジかよ。
「こんな時間まで待ってたのか」
たたき起こすなり、場合によっては先に帰ってもよかろうに。
「やーだ。一人で帰ってもつまんないし、」
そこで佐々木は薄く笑うと、芝居がかった調子でくるりと一回転して、
「それに…もう待つのは慣れちゃったよ」
む…それを言われると弱いんだよな。
「でも、やっぱり結果オーライでよかったかなって。今、すごく幸せだもん」
…よくそんな顔から5100度の炎が出そうな台詞を臆面もなく言えるものだ。
なんとなく気恥ずかしくなって、俺は手早に教科書類を鞄に詰め込んで席を立つ。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
後から追いかけてくる佐々木ににやけた顔を見られないように、俺はわざと早足で歩いた。
意地が悪いとか言うなよ? 流石にこんな不審者じみた表情、
彼女といえども見せられないってもんさ。
後ろから佐々木がやれ冷たいのだの優しくないだの文句を言ってくる。
でもそれは決して俺を攻めるような調子ではなく、谷口あたりが聞いたら恨みがましい視線を照射され続けるであろうタイプの雰囲気だった。
まったく、勘弁してくれ。これじゃ変に両端がひん曲がった口の形が直りそうにない。
まあいいさ。どうせこの校舎内には誰もいないんだ。なぜか知らんが、部活もみんな休みだもんな。教師たちだって出勤してきてるか怪しいもんだ。
そっけない俺の態度に不平不満を言い続けていた佐々木は、下駄箱のところでやっと追いついてきた。
革靴の爪先をトントンと地面に叩きつけながらしばらくフグみたいな膨れた顔で俺をにらんでいたが、
一分としないうちにプッと噴出した。なんだ失敬な。
「やっぱりさ」
「うん?」
「キョンって、なんか変だよね」
「…綽名のことなら、なにを今更って感じだがな」
「そうじゃなくってさ、ほらなんというか全体的に」
言うに事欠いてなんてことを。まあそれはきっとあれだ。
恒常的に変なものを食ってるからじゃないか?
「…そんなこと言うなら、もう作ってきてあげないよ?」
冗談だ。それにあれのおかげで助かってるからな、ほら、食費とか。
「そうは言うけどな、お前も大概変だぞ」
「そうかなあ?」
「ほら、恋愛感情は――――――」
精神病。恋愛感情なんて、精神病。
その誰が言ったか分からないフレーズが、頭蓋骨の裏に油性ペンで落書きしたように
こびりついて離れない。誰だ? そんな不届きなこといったのは。
「? なに?」
「いや、なんでもない」
ほんとうに、だれなんだろうな。
何か引っかかるものを感じながら、俺は佐々木と肩を並べて坂道を下っていく。
なんだか今日のこのデイリーアスレチック坂道は、一歩歩くたびに体が地面に潜り込んでいくような感覚を覚えさせてどうも落ち着かない。
なんだろう。どうして、俺は。
あの夕日が作り物だなんて思ってしまうのか。
「ねえ、キョン」
「…どうした?」
「今、しあわせ?」
どうやら佐々木は俺の情緒不安定ぶりをしっかり感じ取っていたらしい。
ああくそ、そんな切なげな眼で見るんじゃない。
心臓が胸郭を突き破って出てくるかと思ったじゃねえか。
…本当に今日の俺はどうかしてるな。普通なら絶対しないようなことまで今なら難なくできてしまいそうだ。
「俺が、幸せ以外の何に見えるってんだ」
そう言って佐々木の華奢な腰に手を回して引き寄せる。おいそこ、甘いとか言って悶えるんじゃないぞ。
…しかしこいつは本当に細いな。このナローバンドの中に内臓がちゃんと格納できるものなのだろうか?
「キョ、キョン?」
佐々木が上ずった声を出す。ええい取り乱すな。まあ一番混乱してるのは俺だろうが。
考えてもみろ、こんなクサい台詞とアクション、いまどき韓国ドラマぐらいでしかお目にかかれないようなのを高校生男子がやってるんだぜ。
そりゃあ頭もフットーしそうになるってもんだ。
「…なんか、我ながら安いヤツだなあ、私」
「?」
俺の何の脈絡もない行動にすっかり言葉を失っていたかと思いきや、佐々木はなにやら妙に落ち着いた、
寂しげだがどこか冷めたような声で話しかけてきた。
……というか、自分自身に言い聞かせるような口調だ。
「このぐらいで、もう心が一杯になっちゃう。
もう最高に幸せってくらいに」
…このぐらいってお前、純情な少年が勇気を出したってのに。
そんな軽口は出てこなかった。佐々木の顔は、言葉とは裏腹にとても悲しそうだったから。
まずい。それ以上喋ると。
「うれしかった。ありがとう、キョン」
なんだよ。何で泣いてるんだ。おい
「じゃ、あとはよろしく。バトンタッチね」






前を行く佐々木はぬいぐるみを抱えたままスキップでもはじめそうな上機嫌で商店街を抜けていく。
今日は日曜日、平日とは比べ物にならないほどの込みようだが、
佐々木は器用に人波を掻き分けていく。おい、少し待てって。
「ほら、なにグズグズしてんのキョン! 置いてくよ!」
…まったく、あの元気はどこから沸いてくるのやら。

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最終更新:2007年07月21日 11:41
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