67-30「じゃあ、僕はこれから塾に行かなきゃいけないんでね」

『じゃあ、僕はこれから塾に行かなきゃいけないんでね。話が出来て、嬉しかったよ、キョン』
『じゃあな、親友! また同窓会で会おうぜ』
 全ての選択が終わった後。呼びかけを背に受け、彼女は正反対に歩く。すいすいと綺麗な姿勢で。
 さよならも言わず、想い人と正反対に。

「佐々木さん」
「通して橘さん」
 十分に離れた場所で彼女を呼び止めた。
 笑顔のまま返事を返してくれたけど、いつもとちっとも変わらない綺麗な微笑みが、何故だか胸に痛かった。
 だからあたしは意を決するのだ。

「泣いてもいいんですよ」
「何のことかしら」
 ほんの少しだけ裏返った声。自分でも気付いたのか、それっきり沈黙した。沈黙が痛い。
 肩を貸し、なんとか喫茶店へと連れ込むので精一杯だった。

「ホットを二つ」
 奥まった席に座らせる。
 佐々木さんはただ黙って座っている。これ以上何も言うつもりはない、と纏った空気が言っていた。細い肩が言っていた。


『やっぱりあたしには、佐々木さんが相応しいと感じるのです』
 細い肩。あたしは、こんな細い肩にすべてを背負わそうとしていた。
 いや、彼女ならきっと耐えてくれたと今でも信じられる。改めて信じられる。だって彼女はこんなにも強いのだから。

 不満を感じた時、その世界を壊してしまおうとする神様。
 そんな「今の神様」より相応しいとさえ思えた。だって、彼女はどんな事だってただ静かに受け止める。

 彼の言うように、涼宮さんは確かにもう世界を壊そうとしないかもしれない。
 けれどあたし達には疑問だった。

 それは「彼」が、ここ一年の「満たされた涼宮さん」をよく知っているからなのだろう。
 あたし達は「満たされていない涼宮さん」の三年間を知っているからだろう。
 それがあたし達の相違点。

 確かに、彼女が凄いことは判った、手を出せないのは判った。
 ……それでもこれは別の問題です。

 今、改めて思う。
 例えばあたし達「組織」が不満を感じている裏で、古泉さんの「機関」が躍進しているように。
 誰かの不満の裏には、きっとどこかで満たされている人がいる。

 不満を否定するって事は、どこかで満たされている人をも否定することかもしれないでしょう?
 だから、あたしは「涼宮さんは凄い」とは思うけれど、彼女だけを肯定は出来ない。
 彼女が「力」を持つ事を肯定しきれない。

 佐々木さんはただ静かに受け止め続ける。
 彼女は彼女自身にすらえこひいきなんかしない。
 彼に、決して泣きつこうとしなかった彼女を、あたしは信じたい。

 例え「力」を持ったって、佐々木さんは決して変わらないと信じられる。
 そのありかたこそ、強い「力」を持つ人があるべき姿なんだと、あたしにはそう思えてならないのです。
 でも、そのありようが、とても悲しい事だっていうのもようやく解った。
 彼女にだけは「力」をもたせちゃいけないのも解った。

 だって彼女はこんなにも弱いのですから。

 彼女は自制心が強い? そんなの仮面です。
 恋愛なんて精神病と吹きつつも、異性に告白されたら動揺してしまうくらい普通で、
 それをきっかけに思い人に飛び込もうとするくらい普通の人。

 思い人の電話を待って眠れぬ夜を過ごすような
 思い余って家へ押しかけるような、彼に選んでもらえないと承知の上で強がるような
 センチメンタルな気持ちをどこにも隠せないような、普通の少女なんだって、あたしはようやく知ったのです。

 超能力者だから?
 はん、そんなの関係ありません。
 あたしだって普通だから、普通の女の子だから、見てれば解る。解ってしまう。
 むしろ「超能力者」ってフィルターが、視界を邪魔していたんだって、ようやく解ったくらいです。

 彼女は自分を律せるから? 人格者だから?
 そんな彼女の演技、仮面に騙されてたバカは誰?
 あたしです。バカじゃないですか? 彼女は小難しいだけのただの少女だったのに。
 そんな子にあたしは何を背負わそうとしていたのでしょうか。

 彼女には「力」を自覚して持てるだけの精神性があると信じられる。
 でも、それは彼女に負担をかけると解る。
 彼女をまた、追い詰める。

 ああ、そうです。
 恋愛をしたいだけなら中学時代に告白していればよかったんですよ。

 関係を壊すのが嫌だった? そうでしょうか。
 関係を壊さない為に「友人」で留めたというのなら、卒業後も彼も連絡を取り続けたはずでしょ?
 友人でいたいから、絆を壊したくないから、それが理由なら矛盾しませんか?
 それが理由なら「友達」で居続けたのではないでしょうか。

 なら彼女が関係をそのまま断ち、綺麗な思い出にしてしまったのは何故です?

 それで十分な思いだったから?
 ふふん、それだけは「違う」って断言できますよ。
 だって今回の事件、いつだって彼女の対面に座ってきたあたしは知っています。

 彼女本人より、隣に居た彼より知っている。
 彼女が、どれだけ幸せそうに笑っていたのか知っているんです。

 過去の思い出じゃない、演技じゃない、彼女は誰より彼を好きなんだって。
 なのに彼女は何故素直に本心を打ち明けなかった? 彼の鈍感さをきっと誰よりも知ってるはずなのに。
 涼宮さんは無意識に彼に惹かれていて、佐々木さんは自覚しています。

 でも自覚という最大の利点を潰したのは何故です?

『僕は自分自身にあまり興味がないし、もともと大抵の欲求に希薄なタチだし、御輿に乗ったり担ぎ上げられたりなんて
 ごめんこうむりたい。騎馬戦だって後ろの下の方が好ましい。他人に迷惑をかけない人生を送れたら
 それが一番いいと思っているんだ。僕が最も嫌っているのは自己顕示欲の強い人間と
 そんな人を見てつい嫌ってしまう自分の心だ』

『僕がこの世に異議を唱えるような不満はあまりないんだ。率直に言って僕はあきらめている。
 不条理な矛盾だらけの世界を作り上げたのは時の積み重ねだ。ちっぽけな誰かが作り変えられるものだと思わない』

 彼女は最初から「諦めていた」?
 いつもいつも、自分を低く見積もってしまうから。
 彼女はいつも夢に向かっている。自分自身の夢というものを持っている。それは素晴らしい事です。
 けれど、その為には、他の楽しみなんてモラトリアム、ごまかしの猶予期間だと諦めてしまえる人だから。

 だから彼女の閉鎖空間は明るくて、敵がいなくて、そして痛いほどに静かなのではないでしょうか。

 前向きな夢、その為に他のものを諦めてしまえる、前向きで明るくて哀しくて寂しい人。
 ちょっと変わった価値観をもっているだけの普通の少女だったんだって。
 全てが終わって、ようやくあたしにも解った。
 あたしだって普通なのだから。

 彼女は決して「自分を選んで」なんて言わなかった。
 例え選ばれないって知ってても、彼自身の気持ちにノイズを与えるような事は言わなかった。
 それはきっと、彼に、彼自身の思いに素直になってほしかったから。
 だからノイズなんて伝えなかった。

 そうやって自分を律せる癖に、言葉の上では隠せるくせに
 それでも、態度の一つ一つに、喜びも好意も寂しさも表れてしまうような普通の少女。
 理性の権化を気取ってるだけの、普通の少女だったんだ。

 けど、そうして夢の為だと諦めて、彼の為だと諦めて、あなたは何回諦めるの?

 あたしは橘京子。
 佐々木さん付きの超能力者、彼女の内面世界を知れる、彼女を支える為の能力者であるはずだ。
 なのに、あたしは彼女の内面をこれっぽっちも理解していなかった。
 そのくせ彼女を崇拝、いや利用しようとしていた。
 あたしはバカだ。そして彼女も…………

「佐々木さん」
「……何かしら?」
 平静を取り戻した風を装い、コーヒーを傾ける佐々木さんに言ってやった。

「あなた、バカですね」
 口の端から垂れたコーヒーを静かに拭い、彼女は韜晦する。

「……急に何を」
「何で彼の事、諦めたんですか」
「諦めたのは神の力とやらでしょう? 橘さんがそれを残念がるのは解るけれど」
 残念、そんな韜晦は無駄ですよ。強い味方が付いてますから。
「知らなかったんですか? 神の力と、彼への好意は不可分なんですよ」
 あたし達の組織にはデータが足りないから、推測段階に過ぎなかったんですけどね。
 けれど古泉さんから色々聞きました……一年前の事件とかね。

「彼は一般人よ。そんな力は無いわ」
「ええ。彼は無力な一般人です。でも鍵であるのは否定しないでしょう?」
 組織、そして古泉さんに聞いた話を思い出す。
「一般人の彼が鍵になれたんです、ホントは誰だって鍵になれるんです、とっても簡単な事なんです」
 鍵を決める条件なんて、とっても簡単な事なんです。

「涼宮さんも一年前に彼に出会い、心を惹かれたから」
 その思いが彼を鍵にした。

「だから彼は鍵なんです。無力な一般人であっても、彼は鍵なんですよ」
 彼を選んで「鍵」を得たから、高校時代の涼宮さんは幸せになれた。
 それが中学時代との大きな違い。

 中学時代の涼宮さんは「神人でストレスを解消する」事しか出来なかった。
 たとえ「機関」に宇宙に未来人、周りに何が居たって憂鬱だった。
 願望の実現なんてちっとも出来なかった。
 望みが叶えられなくて憂鬱だった。

 けれど「鍵」を得たから、高校時代の涼宮さんはよ願望を叶えられるようになった。
 鍵は、力を願望につなげる為の鍵なんです。

 大それた望みさえ叶えられる鍵。
 だから彼を得た涼宮さんは、一年前に世界を改変寸前に追いやり、そして土壇場でひっくり返した。
 感情こそが鍵を選ぶ。その彼をあなたも選んでいたのだ。
 二人の神が選んだ、ただ一つの鍵。それが彼。

 今回だってそう、彼が涼宮さんを選んだからこそ「神人」は彼女を助けたんじゃないですか?
 でなければ、ただ最初から「神人」が助ければよかっただけの話ですもの。

 涼宮さんの生死が掛かった状況で、古泉さんがあれほど余裕ぶっていたのだってそうですよ。
 藤原さんを殴るより、よっぽど先にすべきことがあったはずでしょ?
 あれほど愛おしい団長様なのだもの。
 なのに彼に選ばせたのは何故?

 きっとそれは信頼。彼は必ず涼宮さんを選ぶはずだと。
 そして『涼宮さんを彼が選べば、彼女は絶対に助かる』という確信なんじゃないですか?

 彼女達の好意が彼を鍵にし、鍵の好意が「力」に形を与えて引き出す。
 きっとそれが舞台装置のカラクリの一つ。

 力を持った涼宮さん、器だけの佐々木さん。
 力を移せる可能性があったのは、「鍵」というたった一点で彼女たちが繋がっていたからなんでしょう?

「言われるまでもありませんよね。あなた自身も解っているんでしょ」
 だから、何も言われなかったくせに『選ばれなかった』なんて哀しげなんでしょう?
 解ってしまうから解ってしまったんでしょ?
「私は悲しくなんかないわ。彼には最適のアドバイスをした」
 あたしは鼻先で笑ってやる。

「あんなセンチメンタルな別れをしておいて何言ってんです。バレバレなんですよ」
 佐々木さんは言葉で隠そうとする。けれど、いつだって態度で丸解りだ。
 ホント、解り易い子だ。なんであんなに神聖視してたんだろう。
 こんなに普通で可愛い子なのに。

「涼宮さんは無自覚、あなたには自覚。これは神の力、好意、どっちにも当てはまるんですね。なら何で」
 畳み掛ける。
「なんでストレートに『好きだ』って言わなかったんです。最高の武器なのに」
 バカなんですか佐々木さん。

「勘違いしないで橘さん。私はちゃんと思いを口にしたわ、今言える事を最大限の形にした。それで満足よ」
「本当に満足してるんですか?」
「……キョンは」
 珍しく言い淀む。
「キョンは私にとって世界で唯一の人よ。それだけ」

 あの別れの時、彼は『判じ物なら間に合っているぜ』と言い放った。
 でもあれは彼なりの優しさなんだと思う。

 佐々木さんは、判じ物、言葉のパズルで、思いを言葉に仕切れない人だから。
 だから『回りくどい話はいい。お前の本音を言ってみろ』って背中を押してくれたのだと思いたい。
 いつだって彼女に当意即妙だったのだから。

 彼女は精一杯の勇気を払ったんだ。
 あなたは私にとって世界で唯一の人です、と。
 けど告白なんかじゃない、誤解しないで欲しいと言った。「告白」なんかしなかった。好きだなんて言わなかった。
『イヤだなあ。まるで告白しているみたいじゃないか。誤解されるのは僕の本意ではないのだけれどね』

『誰も誤解などしないさ』
 そうして彼は言葉を素直に受け止めた。
 けど彼は気付いているのかしら、どこまで気付いているのかしら…………。


「それ以上言ってどうするの? 好意と鍵が直結するなら尚更。それで得をするのは誰?」
 敵意のこもった目線が届く。いつもの仮面じゃない、生の感情の視線。
「あなた達は彼の敵よ。それに彼は今の非日常を楽しんでいるわ」
「なら佐々木さんが非日常を作ればいいじゃないですか」
「私には無理よ。涼宮さんみたいには」
「涼宮さんに勝てないからですか?」
 繰り返す。

「涼宮さんには勝てないから、あなたは友達のままで良いと思ったんですか?」
 テーブルを叩く。なんて理解力の足りない人だろう。
「バカじゃないですか!」
 んん、もう!

 ああ顔が熱い、こらえて食いしばる奥歯が痛い、きっと頬は変にむくんで涙はぼろぼろ流れてる。
 きっと佐々木さん以外も見てる、なんてみっともない、こんなのあたしらしくない
 けれど言いたい、こんなになるほど感情が溢れて仕方ないんだ。
 あんなセンチメンタルな別れ、あたしは耐えられない。

「佐々木さん、貴女は彼女に負けてません! 負けないくらいに綺麗じゃないですか!」
 対面に座ってたあたしは知ってる。あなたは誰より幸せそうだった。
 それを諦めてまで彼の幸せを願えるような人だから。

 だから、あなたには幸せになってほしい。

 あなたの心は絶対に負けていないのだから。 
 見かけだけの話じゃない。心だって想いだって絶対に負けてない!
「なのに何で諦めちゃうんですか!」
 自信がなさすぎなんですよ!

 夢の為? 彼の為? あなたが本当に諦めた理由は何? 何にしたってあたしは言いたい。
 理屈で固めてごまかさないで、あなたの望みを言ってみて、と。

「き、か……彼は、綺麗、いや、キョンは涼宮さんの方が好きだもの……」
 真っ赤な佐々木さんてレアですよね。こう見えて意外に褒められ慣れしてないんでしょうか。
 まあそりゃそうでしょう。でなけりゃ告白一つで動揺なんてしないでしょうし。
「……それ以前に、彼は私の事を女とさえ見ていないわ」
「まあその辺は否定しませんけど」
 赤くなったり青くなったり大変ですね佐々木さん。

「でもだからって何なんです」
 佐々木さんは敗因があるじゃないですか。
 敗因を自覚してるなら改善できるじゃないですか。
 女と見ていない? そんなの貴女が作ってる枠を、被ってる仮面をとっぱらえばすぐじゃないですか。
 素のあなたは普通のちょっと臆病な女の子じゃないですか。
 庇護欲たっぷりの彼ならイチコロじゃないですか。

 人の心が不変だなんてありえないでしょ?

 仮に涼宮さんが好きだと言ったって、たった一年の事でしかない。
 なら、またひっくりかえせる道理がなきゃおかしい。
 もしひっくり返せないなら、それこそ「神の力」とやらの干渉を疑うべきなんじゃないですか!?
 あなたも、彼も、彼女も、誰もが「普通の少年少女」なら、戦える要素はあるのです。
 なきゃ、おかしいじゃないですか。
 だから戦いましょう!

「バッカなんじゃないですか?」
 音高く座りなおし、ホットのコーヒーに敢えてストローを突っ込み、音高く吸ってやる。
 意味はないけど、なんとなくそんな気分。
 ああそうだバカなんですよ。
 あなたもあたしも。


「ほら行きましょう。今からだって遅くないです」
 俯いた彼女の手を取る。

 そうだ。こうやって手を取ってあげるべきだったんだ。
 彼女は「夢の為」「彼の為」って、自制心が強い子だから。誰かが手を取ってあげるべきだったんだ。
 彼もバカだ。バカキョンさんだ。彼女が臆病な子なんだって気付いてあげてよ。
 彼女の望みを察したなら、そのまた奥の望みを覗いてあげてよ。
 涼宮さんの手を取ったように、彼女の手も取ってあげてよ。

 親友だなんて呼ぶくらいなら尚更よ、バーカ!

「素の私を見せろですって?」
 彼女は眦を決して、あたしの手を振り払った。
「そんな弱い私なんて見せたくない。彼に頼りたいだなんてフェアじゃないわ」
「なに甘い事、恋はルール無用です! 見せたっていいじゃないですか。好きなんでしょう?」
「だから頼りたくないのよ。それにキョンだって望んでいない」
「何をです?」

「そうよ『理性的にありたい』って私の望みを、彼は誰より知ってくれているからよ」
 強がるように笑っていた。彼は私を理解しているんだって、得意げに。
 だからあたしは嫌味ったらしく言い返してやる。

「はん。そんな風に彼を信じられるんですか? いつもの鈍感だったんじゃないですか?」
「きっと知ってるわ。彼は私の望みを知ってるって信じてる」
「ならあたしは軽蔑しますよ」
 また睨まれた。
「そこまで解って、あなたがホントは感情的で弱いと解って、それでもあなたを放り出すような人ならね!」
 そんなの信頼じゃない、鈍感よりも更に酷い、怠惰で無情なクソ野郎ですよ!
 適当なモブとでもくっついてお幸せにってんですか?

「支えるだけが友達じゃないわ」
「へえ、折れそうな人をたった一人で放り出すのが友達なんですか?」
「一人じゃない」
 今度は睨んでない、ただまっすぐな目。
「あなたがいるでしょ。橘さん」

「……それズルいです。佐々木さん」
「知らないわよ」
 沈黙。それから、佐々木さんはぽつりと言った。
「……涼宮さんだって心から甘えてる訳じゃないわ。強いもの。だから私が素顔になるのはフェアじゃない」
 彼は涼宮さんの弱いところをただ悟って、支えてやってるだけ、ですか。
 ああもうこの自制心の権化は。


「……なら……えーともっと程よく素直なあなたをというか……」
「出来たらとっくにやってるわ……」
 そりゃそうです。
「それにね」

「さっきも言った問題が解決されていないわね。私が彼を奪うというのは神から鍵を奪うという事。
 橘さんはつまるところ私を神にしたいだけなんじゃないの?」
「そんなのもうどうでもいいです!」
 勢い込んで言ってから、追って理屈を思い出す。

「そもそもですね、そんな感情的な話だと解ったら神様なんて無理です。あたしがさせません」
 あたし達の組織は『佐々木さんなら何もしない』から神様に望んだのですから。

 けど、今はあなたに望みを叶えさせたい、だから神様なんて要らない。
 そんなエコヒイキな神様なんているべきじゃないんです。
 そんなの、ええと、そうです卑怯じゃないですか。
 自分の思いを力に任せるだなんて卑怯です。

「あなたが『何も欲しがらない人』だと思ったから、だから『何もしない神様』になって欲しかったのです。
 けれど、本当のあなたはとても感情的な人でした。だから神様になって欲しくないのです。
 そして感情的な人だから、あたしは幸せになって欲しいのです」
 どうです? 矛盾して無いでしょう?

「思い切り矛盾してるわよ?」
 ふふっと佐々木さんは笑声を発した。
「私の幸せがキョンであるから、キョンを得て欲しいというのでしょう? それが神様の条件なんでしょう?」
「え、ああ、……そういえばそうです」
 何かぐるぐるしてきました。

 いえ何となく解った気がします。
 あけっぴろげ気味な涼宮さんの「超能力者」である古泉さんがああであるように
 心を隠すのが得意な佐々木さんの「超能力者」だからこそ、あたしは心が解らなかったのかもしれない。
 彼と再会し、あなたの心の鎧が綻びたからこそ、あたしは迷走していたのかもしれない。
 ボロボロの今だからこそ、あたしはあなたに近いのかもしれない……。

「けれど、ええと、そうです。本音は本音です」
「なら良かった」
 ほぐれるように微笑む。
 ……ホント、なんで彼はああなんでしょう。
 こんな素敵な笑顔なのに、なんでクラリとこないのでしょう。
 中学時代にずっと見てたはずでしょ? 見慣れすぎたとかそんなノリですか? それとも……。

「実際問題、神の力とやらは私にとっては障害にしかならないわね」
「言い切りましたね」
「ええ」
 にっこりと笑う。

「彼は今の非日常を楽しんでるわ。エンターテイメント症候群って知ってるかしら?」
「ええと確かアリストテレスが」
「私の造語よ」

「彼はね、非日常が大好きな変人、とびっきりの変な奴なのよ」

 どこか自慢そうに笑う。いやきっと自慢なんだろうな、無自覚だろうけど。
「そんな非日常なんてきっと作れない。それに今の私にそんな余裕はないわ、だから私は力不足」
「じゅ、受験でしたら組織を再興、いえなんとかして……」
「それじゃ神の力と同じことよ」
 んん。シャットアウト。

「私はしがない凡人だけど、自分の力だけでやり遂げたいと思っているわ。ズルしちゃ意味が無いの」
 勉強の為に勉強をする日々、けれどそうやって自分を高めるのが嫌いな訳じゃない。
 でなきゃあんな知識量だって成績も得られない。

 だって彼女は「自分なりの言葉」を作りたいと願っている。夢がある。
 学びは力、彼女の夢の為の日々でもあるのだから。
 だから、彼女はまっすぐに挑むのだ。

「だから神の力も『要らない』。私は私の自力で何事も成し遂げたいから」
 小さな声で付け足す。もし、自覚して力を得たなら、きっと私は無意識に頼ってしまうから、
 そんなに私は自分を信じられはしないから、と。

「涼宮さんは無自覚に上手く使っているというけれど、私は無理。ましてや自覚を持ってちゃ無理よ」
 願いが何でも叶うと自覚した上で「何も願わない」なんて無理なのだ、と。
「まあ、そうですよね」
「あら失礼ね」
 前と百八十度違う事を言ってしまったが、彼女は笑っていた。
 んんもう、ホント、なんでこんな娘を「神様」だなんて思っちゃったのかしらね。

 そういえば彼との別れの際、彼女は語っていた。
 あの「僕」、変人演技にしたって、いまは誰も注目してなんかくれないと。
 そう、そういう意図もあったなら、ホントは彼女は目立ちたがりで構って貰いたがりなのかもしれない。
 けど、意図しての事じゃない。あれは周囲と距離を作るための行為でもあったのだしね。
 それでも「私はここにいる」と構って貰いたがっていたとするなら……。

 あれなにこのバカ可愛い生き物。

 やっぱり彼女は涼宮さんとよく似ているようにさえ思えてしまう。
 ひねくれて矛盾した行為の一つ一つがよく似ている。
 ただ少し仮面が頑丈なだけだ。

 彼もあたしも私達の組織も、皆々「しっかりした自制心を持つ女」という彼女の仮面に騙されてたのだ。
 でも結局、そのせいで彼は「こいつは俺が居なくても大丈夫」だって思っているだろうし
 あたし達だって「この人なら神様になってくれる」なんて思ってしまったのだ。
 なんて傍迷惑な娘だろう………………いや迷惑なのはあたし達か。

「私は非日常の中にはいけない。涼宮さんにも勝てない。彼に女とさえ見られていない。詰んでるわね」
 佐々木さんは寂しげに続ける。
「私は涼宮さんみたいにはなれない」
「でも佐々木さんは佐々木さんじゃないですか」
「……そうね」

「だから、そうね。無理が来たんだと思う。ああやって『僕』を演じていた事も含めてね。
 わたしはわたしで、他の何者も演じられない、他の何者にもなれないのよ」
「だからって諦めるんですか」
「さあ?」
 そらっとぼけられる。

「癪じゃないですか? あなたは『神の力』なんて舞台装置や『僕』なんて自制心に振り回されただけですよ」
 あなたは負けてません。思いの強さも。ゲームルールが滅茶苦茶不利だっただけです!
 鈍感なあの人相手に、たった二週間でなんとかしようだなんて。

「諦めることも未来に向かうには必要な事よ」
「そうやって中学時代に踏んだ轍を、二回も踏むつもりなんですか。バカじゃないの?」
 きっと二回どころじゃない。彼女はそんな後悔を数え切れぬほど味わってきているんじゃないだろうか。
 なのにまた諦める? そんな簡単に振り切れるなら一年前に終わっているわ。

 誰か偉い人も言ってたはずだ。
『若い頃はやって失敗したことで後悔するが、年取るとやらなかったことを後悔する』って。
 佐々木さんなら知らないはずなんてないはずよ。

 閉鎖空間を思い出す。
 あの安定しきった内面世界、彼女には「変化する」という気概が欠けているのじゃないかしら。

「ならどうすればいい?」
「そんなの自分で考えてください」
 まったく。彼の時もそうだ。彼女は大事な選択を他人任せにする……と思ったら笑っていた。
「そうね。だから私は新しい事を覚えていこうと思う」

「私とキョンは道を違えてしまった。けど彼を忘れてしまいたい訳じゃない。
 きっと忘れない。必死で覚えたはずの受験テクニックを忘れても、彼を忘れなかったようにね。
 どんなに新しい事を覚えたって、きっともう彼を忘れることなんてない。
 だから、だから私は反対の道にだって進める」 
 くすくすと笑う。

「私は私の夢に向かうわ。
 それに今の私はダメだって思い知ったもの。だから新しい事を覚えていこうと思う。
 もっと素敵な私に変えて行こうと思う。新しい事を覚えてね」

 閉鎖空間を思い出す。あの安定しきった内面世界は涼宮さんと衝突して砕けてしまった。

「自分の問題は自分で解決しようと思う。問題は山積みだもの」
「悠長ですね。今度こそ涼宮さんとくっついちゃうかもしれませんよ?」
「ええ。くっついちゃうでしょうね。煽ってきたもの」
 言ってくくくと偽悪的に笑う。
「キョンには素直になってほしい。私みたいな後悔は抱えて欲しくない。これも混じりけなしの私の願い」
 彼は楽しむべきなのだ。「今を楽しむ事」を彼は選んだのだから、と。


「……そうね、だから本当に諦めた。木曜日に電話した時、もう結果は解ったから」
「そんな、そんなのないですよ」
「いえ諦めたの。だから私は『親友』を止めた」
 彼女は彼を『親友』と呼んでいた。中学時代には一度もそんな呼び方しなかったはずなのに。
 でも再会してから、彼女は一貫して彼を親友と呼び続けた。
 それがとても大事な絆だと言うように。

 けれどそういえば金曜日にタクシーに乗ろうとした時以降、彼女は一度も彼を『親友』と呼ばなかった……。

「ご明察。あれは私のエゴだから」
 ぽつりと言った。
「あれは醜い独占欲よ。私は彼の特別なんだって。聞かなかったことにして欲しかったくらいに醜い呼び名、情けないわ」
「そんな事ないです。彼とあんなに親しい人なんて他には」
「一年前ならね。でも今はどうかしら?」
 けれど彼女はくすくすと笑う。
「でもね、去り際に彼は呼んでくれたのよ。親友、ってね」

「ホント、バカなのよ。キョンも私も。せっかく抑えてたつもりだったのにさ」
 初めてぽろぽろと涙がこぼれた。
「あんなセンチメンタルな別れなんて、するつもりはなかったのにね」
 堪えられないくらい嬉しそうに、涙をぽろぽろと流していた。
 彼の特別になれたのが、とても嬉しかったから。

「ねえ佐々木さん。友達、親友、恋人、男だ女だ神だの鍵だの僕だの責任だの、格好付けは一旦脇に置きましょう」
 言葉の飾りはなんてどうでもいい。大事なのはもっとシンプルなもの。
 そう、今回の事件であたしが奔走したように。
 大事なのはシンプルなんだ。

 あたしは今回の事件で「世界の為に」と奔走した。
 佐々木さん、彼、涼宮さん、宇宙人に未来人を介して「世界の為に」という壮大な自己表現しようとした。
 そう、きっとあたしは言いたかったんだ。「あたしはここに居る」、そう高々と言いたかったんだ。
 あなた達だけじゃない、あたしはここにいるのだと、憧れの古泉さんに言いたかったんだ。

 なら佐々木さんに聞いてみましょう。
 とても根本的な望みを。

「佐々木さん、あなたはどこにいたいのです?」
「私は」
 言い淀む。

「私は、彼の傍がいい」

 きっと彼女に浮かんだのは、彼と過ごした給食時間。
 彼と二人きりの自転車じゃない、二人っきりじゃなくていいんだ。
 日常の喧騒の中でいい、クラスメイトと一緒でも、それでも彼に一番近い場所。
 彼に悪友が居たって、彼女よりもっと可愛い娘が居たって、彼が自然に一緒にいてくれる場所。

 望みが無い人間なんていないのだ。

 でも彼女は望みを伝えなかった。それは「彼の選択」のノイズになってしまうから。
 彼に選択肢だけ提示して、彼女の望みは伝えなかった。
 選んでくれなんて決して言わなかった。

『その力を第三者に移せばいい。涼宮ハルヒなどどうにでもできる。かつてのその力を第三者が利用したじゃないか。
 涼宮ハルヒから能力を奪い取り、世界の改変を行ったことを、あんたは覚えていないのか?』

『あなたが選択を迫られているわけではないんです。
 彼らはやろうと思えば、いくらでもあなたを操って、その結果、涼宮さんをも操れる。
 彼女の持つ能力を他者に移動することすらできる。かつて長門さんが実行したくらいですから、こちらの宇宙な方にもできるでしょう』

 藤原さんも、古泉さんさえ、あの土壇場で『あなたの選択に意味はない』と言った。先回りして選択肢を潰そうとした。
 佐々木さんはどこまでも『キミの選択が大事なのだ』と言い続けた。
 佐々木さんだけが『彼の物語』をどこまでも尊重した。

 きっと誰もが結末は知っていた。
 放っておけば、彼が『現在』を『涼宮ハルヒ』を選ぶなんて誰もが知っていた。
 だから古泉さんはどこまでも彼の背中を押した、藤原さんはどこまでも立ちはだかろうとした。
 佐々木さんはどこまでも隣に立って、彼を元気付けていた。どんな結末か知ってても、それでも彼に寄りかかろうとはしなかった。

『佐々木に苦労させるくらいなら、俺はこの場で出来る限りの抵抗を見せてやるぞ!』

 ああそうだ、だから彼は佐々木さんを選ばなかった。
 そうして心がけてくれてる人に、好きこのんで「世界を左右できる力」なんて重荷を課す恩知らずはいません。
 藤原さんがてぐすね引いて力を使わせようとしている、九曜さんが力を解析しようとしている、あたし達が神様として崇めようとしている
 そんな針のむしろの上に、彼女を座らせようとなんか決してしない。
 だから彼は抵抗したんだ。

 彼は涼宮さんが「無意識」でも周囲に監視されていることを知っている。
 あまつさえ「自覚した神様」なんて、どんな針のむしろに座らされるやら解ったものじゃないんです。
 そうです。単に涼宮さんが大事なだけなら、彼女が殺されかけた時点で、さっさと佐々木さんに力を移せばよかったはずなのに。


「……けど、あんまりです」
 あたしは不意に腹が立ってきた。
 誰より「自分の望み」に臆病な彼女に、こんな舞台を用意したのは誰だろう?
 彼女が彼女であろうとするほど、彼女は彼女の望みから遠ざかる。そんな格好つけた舞台だなんて。
 神様? いや涼宮さんでは決してない。彼女はバカだ。けど誰より真っ直ぐで素直なバカだ。彼女ならきっと直接戦おうとするだろう。
 もしも彼女が知ったなら、追いかけてきて佐々木さんに膝かっくんでもするだろう。
 一人で格好つけて退場なんか、あたしは許さないわよ、と。

 いつか作ったという自主制作映画のように、涼宮さんはやれることは全力でやる人、周囲が呆れるくらいに全力の人だ。
 自分を捨ててまで彼の感情を守った佐々木さんを、涼宮さんはきっと誰よりも評価する。
 彼女の退場を、きっと誰よりも許さない。

 何より、誰より、涼宮さんは理解者がいない寂しさを誰よりも知っているから。
 同じ寂しさを知る佐々木さんと誰よりも意気投合すると思う。
 彼女は戦おうとすると思う。

 正々堂々と、お互いに笑って話せるようになるまで正々堂々戦うとあたしは思うのです。
 彼女は真っ直ぐだ。だから神様の力をセーブなんかしない、だから神様だなんて危ないと今でも思う。
 危ないくらいに真っ直ぐ。そう、こんな屈折した舞台を用意するような人じゃない。

 なら一体誰だろう、誰か知っているなら教えて欲しい。そしたらもう一度仲間を呼び出そう。
 もう一回ワゴン車を買って、そいつのところに乗り込んでやろう。
 ……けどいま大事なのは彼女の事だ。

「どうするんです?」
「そうね、さよならなんて言ってあげない事にしたわ」
 涙を拭いて、佐々木さんはくくくと笑う。

「私はまたいつか会いたいと思った。いつか私は素直になりたいから。
 キョンと涼宮さんの想いが通じてあっても、そこで『非日常』という物語が終わりを告げてしまったとしても
 彼も私も人生はまだまだ始まったばかり、青春時代すら始まったばかりでしかない。
 人生と言う物語は続く。だから諦めなければ終わりじゃないのよ」
 朗らかに、やけくそ気味にすら思えるほどに笑っている。
 まるで涼宮さんが乗り移ったかのように。

 彼女は韜晦と諦観の仮面を外し、けれど朗らかに笑っていた。
 夢と希望の両立を決めた、とても良い笑顔で。
 きっと世界中の誰よりも素敵な笑顔で。

「そうね。だからそれでも良いのよ。仮に彼らが強く結びついていたとしても。
 中学時代の私は想いを形にすら出来なかった。けれど、今の私は想いをなんとか言葉に出来た。
 一歩一歩進めばいい。神の力だなんて舞台装置が終わったら、私はただの女として張り合って見たいわ。
 私だって悲しむ為に生きている訳じゃない、喜ぶ為に生きているつもりだから」
「復讐するは我にありですね!」
 あれ違ったかしら?

「私は大学に入ったら思い切り遊んでやろうって思いは捨ててないわ。だから未来に取っておく」
 今はその為の準備期間って事ですか?
「そうね。それに彼の非日常も長くは続かないわ」
 くくくと今度は意地悪く笑う。そう、彼女は笑っている方が彼女らしい。

「私と彼と涼宮さんが望んだから今回の事件が終わったように。きっと彼の非日常も長くは続かないわ。
 きっと涼宮さんは日常の方へ向かっているから。でなきゃ宇宙人や未来人達だって
 こんな短い準備期間で大騒ぎしないわ、そうは思わない?」
「そういえば」
 藤原さんと対峙した際、古泉さんも似たような事を言っていた気がする。
 彼女の力はいずれ無くなる。だからエイリアンは大騒ぎしていると。


「ふふ、いずれにせよ彼らには当分会えないわね。
 今は彼らの物語で、私は解り易い敵役か、空気を賑わすだけの役割にしかなれないもの。
 だから今は、私がやりたいと思ったことを貫き通したいと思う。でなければ中学時代の決意が無駄になるもの。
 けど、彼も今度は私を忘れないだろうから。長く会えないなら『新しい私』とギャップを感じてもらいましょう。
 身体的にも精神的にも、思い切りデジタルな変化を感じてもらいましょう。
 次に会う時、全く違う私になっていましょう。だから」

「だから今はもう、会えないわ」
「……本当に面倒な性分ですね」
 けど彼女はそんな人だ。

 彼女は甘い言葉になんて決して乗らない人なんだ。
 例えそれが「神様にしてあげます」って言葉でも、それが「素直になりたい」って自分の望みであっても。
 一笑に付してしまって、自分で問題を解決しようとする人だ。
 そんなとっても頑固で素敵な人なんだ。

 乗り出してばんばん肩を叩き、それからぐっと拳を固めてみせる。
「けど何が起きてもこれからは大丈夫ですよ。なんたってあたしがついていますもの!」
「ふふ、期待しているわ。じゃ」
 立ち上がる。

「そろそろ行きましょう。塾を休んでしまった分、自分で補習をしないとね」
「お付き合いしますよ」
「あら出来るの?」
「やってみせます」
 正直に言おう、あたしは考えが足りない。
 けれど、佐々木さんだって行動力と言うものが足りないわ。二人三脚には向いているんじゃないかしら?


 今回、あたしは問いかけた。
 ぐいっと両手を差し出して『どうしたいの』って、問いかけた。まるで少女漫画のワンシーンのように。
 鉄面皮で臆病な彼女に問いかけて、望みを引っ張り出してやりたかった。

『彼には素直になってほしい。素直になれなかった後悔なんて私だけで沢山だから』
 本音の彼女は呟く。彼を諦めてでも貫いたのはその思いだから。
 でもそれは本当にあなたの本音?

『……あの人の隣がいい』
 彼女は行動、声、態度、言葉以外の全てで叫んでた。

『なら行けばいいじゃない。叩けよさらば開かれん!』
 あたしは少女漫画のように言ってやる。あなたは素直になりなさいと。
 けれど彼女は変人だから、笑ってこう切り返すのだ。

『だめよ。自分の力を信じちゃいけない』って笑うのだ。

『現実は感情じゃ変えられない。今、叩いたって開かれない。問題を解決してから挑みましょう』と
 問題は盛りだくさん。扉を閉ざしているのは期間限定の舞台装置。なら今は、自分の問題を解決しましょう。と
 理性の仮面で言ってのけるのだ。
 彼女は強い人だから。

 現実は感情じゃ変えられない。けれど理性だけで生きていくにはあたし達はセンチメンタル過ぎる。
 諦観を捨てて、未来を見据えて、ちょっとだけ図太くなった彼女は笑う。
 夢、本音、仮面を無理やり矛盾させない結論に至る。

 過去への想いじゃない。彼女は、今、まさに彼を好きなのだから。
 解決策がない訳じゃない。敗因を知っているから、彼をよく知っているから、だから諦めることなんてない。
 夢の為にすべてを諦めるよりも、ほんのちょっとだけ貪欲になってみましょう。
 あたし達はまだ人生のとば口にしかいないのだから。

 青春時代は長いのだ。
 今はただのチェックポイントでしかないって忘れちゃいけない。

「そうそう佐々木さん」
「何かしら」
「そうやって彼から好意を奪い取りたいって言う感情、なんて言うか知ってますよね」
「…………恋、かしらね」
 なら彼女は『恋』すら知らなかったのね。
 諦めてばかりだったのだから。
 けれど

「んん、なら今回みたいに、彼の為なら自分は何かを失ってもいいって感情、そっちはご存知ですか?」
 返事は待たない。彼女はきっと言わないから、代わりにあたしが言ってやる。
 両方合わせて、ようやく一つの感情になるんだって。

「それはね、愛って言うんですよ」
 ――だから、いつか絶対に伝えるべきだとあたしは思うのです――――――
(終わり)

「でも実際問題、どこまで彼は気付いてらっしゃるんでしょうね?」
「さてね。けれど気付いているとしたほうが話は通るわ」
「そんなものですかね?」
 てもし彼があの電話で佐々木さんの好意に気付いたなら、涼宮さんの好意にも気付いたって事で。
「あらそれが何か問題かしら?」
「知ってて言ってるでしょ」
 よしんば気付いてないならまだいいですよ。佐々木さんだってある意味救われます。
 けど気付いて、それでも涼宮さんにちゃんと向き合わないなら。
 彼はちょっとモラトリアムすぎやしませんか?

「さてね? 事情だって考えられるわ」
「でも実際問題、彼の鈍感さって半端じゃないですよ?」
「……それは誰より知ってるつもりよ」
 目を反らされたので、ついでに言ってやる事にした。

「だってホラ再会の時だってです、せっかく佐々木さんがあんなにオンナノコに決めてたのにですねえ」
「橘さん?」
「だってそうでしょ」
 ニマニマと笑ってやる。

「自分を僕だの性差を感じさせないだのって娘の格好じゃなかったですよ。うふふ」
「何のことだかさっぱりだわ」
 鎖骨まるだしのミニスカばっちりな格好して何言ってんです佐々木さん。
 あんなの男なら十人中九人が惚れちゃうレベルですって。あ、残り一人は勿論ホモか親友です。
 身体的成長どうこうも思わせぶりじゃないですか? うふふふ。
 ホント、言葉とそれ以外が反比例なんですよ。
 あ、また目をそらした。

「ねね、今度一緒にショップに行きましょうよ。佐々木さんならもっと似合うのありますって」
「だからね橘さん、私はそんなのより今は勉強をね…………」
 ワイワイやりながらあたし達は歩いていく。
 そうね、今はこれでいい。
 彼女の望みだもの。

 今はあたしが止まり木になろう。
 けれど、いずれは彼に代わってもらいたいところね。
 友達、親友、恋人? たまに「男女と見ると、恋愛関係と考えるなんて……」なんて綺麗事を言う人もいるけれど
 それすらも「男と女」に拘った、言葉の飾りでしかないと思う。

 誰だって、一番好きな人の、一番近いところにいたいものでしょ。
 むしろ彼女達が「男」と「女」であるのなら、現代社会の仕組み上、とても幸運な事なのではないのかしら?
)終わり

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最終更新:2013年03月20日 22:53
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