16-406「キョンと佐々木とハルヒの生活 5日目」

×月○日
今日もいつも通りに目が覚める。
春眠暁を覚えず、というが春の朝日は心地よく、それを浴びるだけで体が動き出してしまうようだ。
気持ちよく背伸びをして隣に目をやると、
「おはよう、ママ。」
3歳の娘には大きすぎる布団の中から、目をこすりながら娘が出てきた。
私の起きる気配を察知するのか、娘は私が起きた直後にいつも目を覚ます。
「おはようハルヒ。
―また、キョンの布団にもぐりこんだの?」
娘のハルヒはむっとするように口を尖らすと
「違うの!キョンが一人で眠るのは怖いだろうと思って一緒に寝てあげたの!」
そう言い放つとプンッと顔をあさっての方向へ向けた。
娘のハルヒは普段は別のベッドで寝ているのだが、何か怖い夢を見たときとかはキョンの布団にもぐりこんで眠る。
おそらく、ハルヒにとってキョンの傍が一番安心できる場所なのだろう。
母親としては少しばかりうらやましく感じるところだ。
「はいはい、わかったわかった。」
そうやって、まだ不満げに口を尖らせた娘を軽くいなすと私は起き上がって朝食の準備に取り掛かる。
私の後をハルヒがタパタパと足音を立てながら付いてくる。
この年頃の娘というのは何でも母親の真似をしたい年頃であり、私のやることをすぐに自分もやりたがる。
「はいっ、ハルヒ。」
そうやってハルヒに食パンを一切れ渡すと、ハルヒは器用に椅子に登ってそれをトースターに入れる。
キョンの朝のトーストを焼くのはハルヒの仕事だ。
一度ハルヒが焼いたトーストを食べたキョンが、ハルヒの焼いてくれたトーストはいつもよりずっとうまい、なんてほめたものだからハルヒはそれから毎日キョンのトーストを焼いている。
正直、今まで私の焼いていたトーストはなんだったんだと言ってやりたいところだけど、娘と張り合っても仕方がない。
ハルヒもハルヒで大の父親っ子だ。
ことあるごとにキョンキョン言って、何かにつけてキョンにかまいたがる(かまってもらいたがる)。
ちなみにハルヒが父親のことをキョンと呼ぶのは私の悪影響らしい。
何回かキョンに、俺のことをパパとかお父さんとか呼んでくれ、と頼まれたことがあったが、キミは僕にとって父親ではないからその呼び方は不適当だ、と一蹴しておいた。
とか思いながらサラダの用意をしているとトースターが鳴った。
「ハルヒ、キョンを起こしてきて。」
「はーい。」
トースターの前で焼きあがるのを待っていたハルヒはそう返事するとうれしそうに寝室へ駆け出した。
キョンには昔から不思議な人徳があったが、娘にこうもなつかれると母親として少し嫉妬を覚える。
「いつまで寝てるのー、おきろーキョン!」
ボフッ!
「うげっ!」
…だけど彼の立場と取って代わりたいとは思わない。

私たち夫婦は共働きだから家事は分担して行っている。
例えば朝ごはんを作るのは私の仕事でハルヒの送り迎えはキョンの仕事だ。
「毎回毎回むちゃくちゃな起こし方しやがって・・・」
とぶつくさ文句を言っているキョンにコーヒーを渡す。
「さんきゅ。」
私はこの朝の時間が好きだ。
家族がみんないて、そして穏やかなこの時間が。

「ほんじゃ行ってくる。」
「いってきまーす。」
「行ってらっしゃい。」
キョンとハルヒを玄関で見送ると、今度は自分の支度に取り掛かる。
化粧をするのは正直めんどくさいが、この年ですっぴんで歩けるほどの勇気もない。
スーツを着て化粧を済ますと玄関へと向かう。
フレックスタイムで働く私は通勤ラッシュをさけて10時から6時まで働くことにしている。
一人で玄関から出て行くのは少し寂しいが、帰ってくるときは愛する夫と娘が出迎えてくれる。
そんな風に私の一日は始まる。

「おはようございます、佐々木さん!」
会社に着くと後輩の橘さんが元気よく挨拶をしてくれる。
「おはよう。」
橘さんは私が産休で休む前にいた部署での後輩だ。
それから仕事に復帰した私は橘さんとはライバル関係ともいえるグループに移った。
なので、橘さんとは同じフロアーだが席は少し離れている。
橘さんはそれから何か話しかけようとしたが、私の後ろの人影に気付くとぷいっと踵を返した。
その人物は橘さんの背中を見て苦笑いのような表情を浮かべると、今度は私の方に爽やかなスマイルを向けた。
「おはようございます、佐々木さん。」
「おはよう、古泉くん。」
彼は私の同期であり、この会社における実績ナンバーワンのエースのような存在だ。
ちなみに今の私の苗字は佐々木ではない。
けど、仕事ではその方が都合がいいので旧姓を通しているというわけだ。
「橘さんは相変わらずですね。」
「彼女なりにライバルグループっていうことを意識しているみたいね。」
そうやって朝の挨拶を交わすと私は仕事に取り掛かる。

「佐々木さんと古泉さんがライバルグループにいるなんて反則ですよー。」
「そうはいわれても私の決めたことではないからね。」
その日はお昼ごはんを近くのカフェテリアで橘さんと食べていた。
「でも、すごいなー、佐々木さんは。仕事も出来るのに、結婚もして子供もいて…」
そして、ふぅっとため息をついた。
「橘さんにはそういう人はいないの?」
「いませんよー。」
「でも、橘さん結構もてるじゃない。」
「寄ってくるのは大したことない男ばかりですよー。これっていうのがなくって。」
橘さんは自慢のツインテールを指で遊びながら答えた。
「ふーん。」
橘さんの話に適当に相槌を打つ。
この子は顔も可愛らしくて、性格も少しきついところはあるけど根は優しい子だし、きっと言い寄ってくる男の人は多いだろう。
けど、如何せん理想が高すぎるというか男性に厳しいというか、そういった関係にはなかなか発展しないようだ。
「だったらうちの古泉くんなんかどう?紹介してあげるよ。」
「それはぜったいいやですよ!いくらなんでもライバルグループの人となんて付き合えません!」
そうかなぁ、意外と似たもの同士だと思うけど・・・
「それに彼、むちゃくちゃもてるくせに彼女がいないから、実はゲイなんじゃないかってうわさまで出ているんですよ!」
実はキミにも同性愛のうわさは出ているのだけれどもね。
と、いつも通りの堂々巡りの会話をしてその日の休み時間は終わった。

「うーん。」
私は少しだけ頭を抱えていた。
予想外の仕事が入ってきたせいで、今日の分がなかなか終わりそうにない。
一応、重要な部分は終わらせて後は雑用的なことしかないのだが、それがまた時間を食うのだ。
今日はキョンの仕事が少し遅くなるって聞いていたから、早めに切り上げてハルヒの保育園に行くつもりだったのにな。
「あぁ、もう定時ですね。後は僕がやっておきますから、佐々木さんは帰ってあげてください。」
その矢先、そう古泉くんが爽やかな笑顔で私の帰宅を促してきた。
「いや、でもまだ仕事が残っているから。」
「そんな雑用は僕が片付けておきますよ。今日は8時から友達と食事の予定が入っておりまして、それまでどう時間を潰そうか考えていた矢先でしたし。」
彼はとても細やかな気遣いの出来る人だ。
つくづくそう思う。
「でも、自分の仕事は自分でやらないと。」
「いえいえ、それは大丈夫です。佐々木さんにはきっちり定時に帰ってもらわないと。」
「なぜ?」
「佐々木さんが仕事と家庭の両立が出来ないとなって、会社をやめるようなことにならないように僕は上司から仰せつかっておりますから。」
そして、大丈夫、と言わんばかりにウィンクしてみせた。
まったく、彼には敵わない。
ここはありがたく彼の厚意を受けることにしよう。
「ありがとう。それじゃあ、お先に失礼します。」
「ええ。お疲れ様です。旦那さんとハルヒちゃんによろしく。」

当初の予定より少し遅れてしまった。
もう、キョンはハルヒを迎えに来た後だろうか。
そんなことを考えながら保育園の中に入っていくと、聞き覚えのある声がする。
よかった、入れ違いにはならなかったみたい。
だが、キョン、ハルヒが朝比奈先生に失礼なことをしているのになぜ止めないのかな。
ハルヒは朝比奈先生に後ろから覆いかぶさるようにして、その胸を触っていた。
まったく、私が注意してやろ―
「こんなに細いのに、ほら、おっぱいだってママよりぜんぜん大きいし。」
・・・キョン、今キミ少し頷かなかったかい?
キミという奴は―
「「間抜け面」」
思わず口から出た言葉がハルヒと見事に重なった。
一瞬キョンは何が起こったのかわからないように右左と頭を振ると、後ろを振り返った。
「やぁ、たのしそうだね。キョン。」
人がキミが仕事で遅くなるからってわざわざ仕事を早めに切り上げて来たというのに。
青ざめていくキョンにもう一発ダメ押し。
「あれ、ひょっとしてお邪魔だったかな?」
「いや、ハルヒのいたずらをだなぁ・・・」
「何をいいわけしてるんだい?何かやましい心当たりでもあるのかな。」
キョンは助けを求めるようにハルヒのほうを見たが
「ふんっ。」
キミの味方はいないみたいだね、キョン。
「っていうか、なんで今日はお前がここに?」
「ここにいたらお邪魔だったかい?」
人がせっかく気を回してやってきたというのに、そういう言い方はないだろう、まったく。
「まぁ、いい。今日は仕事が早く終わったから、運動がてら保育園に少し寄ってみようと思っただけだよ。」
「そうですか。」
「まぁ、僕としてはグッドタイミングだったのだが、キミとしては少し違うみたいだね。」
朝比奈さんを前にしたキョンのデレデレの顔を思い出す。
「まぁまぁ、夫婦喧嘩は犬も食わないって言うしさっ。その辺にしとくにょろ!」
と、そこで園長の鶴屋さんが仲裁に入ってきた。
まぁ、確かにハルヒの前でこんなくだらないことでけんかするのはよくないな。
「それじゃあ、親子水入らずで帰るといいさっ!」

それからキョンは朝比奈さんに呼び止められて、何かを話していたみたいだった。
会話の後のキョンの表情からその内容があまりよくないものであったことが伺える。
キョンはそんな私の視線に気づくと大丈夫だといわんばかりに片手をあげて見せた。
「よっ。」
キョンがハルヒを自転車の前に乗せてやる。
「よしっ。じゃあ行くか。」
と、自転車にまたがったので、私も久々に荷台に座った。
「ん?まさか、僕を置いて行こうなんて思っていたわけではないよね。」
けんかはやめようと思ったのだけど、ちょっと機嫌が悪いのか毒づいてしまう。
「なわけないだろ。でも、久しぶりだな。お前とこうやって二人乗りするのも。」
「三人乗りー!」
ハルヒから突込みが入る。
「ごめん、そうだね。」
私はハルヒに謝ると、中学時代にそうしていたように彼の腰に手を回した。
「出発進行ー!」
「ほいよ!」
ハルヒの威勢のいい声に押されて、自転車が進み始める。
こうやって走り出すと、なぜかけんかをしていたのが馬鹿らしくなってくる。
久々に乗ったキョンの後ろ。
頬を差す風が心地よい。
「キョン、せっかくだから少し遠回りして帰ろう。」
このまままっすぐ家に帰るのはもったいない気がした。
「別にかまわないけど?」
「川沿いの桜並木がきれいだそうだ。そこを通ろう。」
「いいか、ハルヒ?」
「うんっ。」
こうして家族三人のちょっとしたお出かけが始まった。

「なつかしいね。中学時代もこうして二人で自転車に乗っていたものだ。」
「あぁ。」
「こうやってみると、何も変わっていない気がするね。」
「そうだな。」
「でも、あの頃は俺たちが結婚して、こんな風に子供を持つなんて考えもしなかったな。」
「そうだね。あの頃は本当にこんな風になるなんて思ってもみなかったよ。」
そう、あの頃は遠く感じた彼の背中がずっと身近に感じる。
「あの頃の俺たちが今の俺たちを見たらなんていうかな?」
「キミは素直じゃないからきっと否定的だろうね。」
「それはお互い様だろう。」
自分も体外素直ではないほうだと思うが、キョンほどではない。
彼の体温をもっと近くに感じたくて、額を彼の背中に付ける。
「―僕たちは家族になったんだね。」
「あぁ。」
そう、彼が私の夫で私が彼の妻。
「そして、娘が生まれたのもな。」
「そうだね。」
彼と私の娘、か。
あの頃はよくそんな空想をしていたな。
名前はどんな風にしようとか、夫婦で子供を連れてどこへ遊びに行こうとか。
よしっ。
「じゃあ、あの橋の向こうまで行ってもらおうか。」
「おい、結構距離があるぜ?」
「まぁ、キミへの罰ゲームの意味もこめて。」
「なんの罰ゲームだよ。」
「僕にもよくわからないけど、君にはうしろめたいことがあったみたいだから。」
確かに彼に言われたとおり私も素直じゃないな。
「なんだよ。」
「くっくっ。いや、キミが真に受けているのが面白くてね。」
「なんだそりゃ。」
「ただ単に家族水入らずでのサイクリングをもう少し楽しみたいだけさ。」
「ならそう言えよ。素直じゃねえな。」
「キミには言われたくないね。」
キミの天邪鬼さに私はどれほど苦労したことか。
「おい、ハルヒ?」
思い出したようにキョンがハルヒに問いかける。
返事はない。
耳を澄ますと寝息が聞こえる。
どうやら眠ってしまったようだ。
ありがたいことに夫婦水入らずってやつだね。
中学生時代の私が今の私を見たとき、昔の自分に対してなんて言おう?

「あなたの選択は間違っていないよ。」

たぶんこの一言で十分なはずだね。

『キョンと佐々木とハルヒの生活 5日目』

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最終更新:2007年08月17日 23:05
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