5-878「胡蝶の夢」

「胡蝶の夢」

 目が覚めた。周囲は光に満ちていた。
「やぁ、お目覚めかい」
 そんな俺に声を掛けてくる女がいた。口調は男っぽいが、これは確かに女なのだ。我が親愛
なる友人のひとり、佐々木が机に肘をついて隣に座る俺を見ている。
 佐々木の瞳は何か興味深いものを見つけた時のようにキラキラと星を散らしていた。
 辺りを見回す。俺たちはそろって中学の制服を着用しており、俺たちが存在していたのは、
風景だけ見れば、佐々木と俺が共に通う学習塾の教室のようだった。ご丁寧にいつも俺たちの
座っている席だ。だが、その教室内の風景は現実感が喪失していた。世界には色彩がなく、
どこもかしこも希釈した白、薄いクリーム色に塗りたくられていた。古いモノクロ写真、ただ
し灰色はすべて白だ、の中にいるような、そんな感じだ。目に入る色彩は自分自身の身体と冴
えない制服、そして佐々木だけだった。だから、周囲を一巡した俺の視線は佐々木に止まるこ
とになる。
「状況確認は終わったかね」
 返事の代わりに欠伸が出た。
「キョン、僕のこの夢に、人が登場したのは、キミが初めてだよ」
 そうか、これは夢か……。風景がリアリティを喪失していたこともあって、その認識はストン
と綺麗にはまった。夢じゃあ仕方がない、そんな感じだ。
 だとするならば、これは俺の夢にお前が登場しているんじゃないのか。
 佐々木は初めてそこを指摘されたのか、目をぱちくりして、それからいつもの咽奥を鳴らす
ような笑い方でくっくっと微笑んだ。
「そうか、そうかもしれないね。だとするならば、これはまさしく、“胡蝶の夢”だ」
 ん、聞き覚えがあるような、ないような。そんな俺の微妙な表情を読み取って、佐々木は
姿勢を正し、椅子に横座りになって俺と正対した。どうやら、講釈を垂れてくれるらしい。
俺も身体ごと佐々木に向き直る
「胡蝶の夢というのはね、“ある男が蝶になる夢を見て、蝶である自分を大いに楽しんだ、
ふと目覚めてみると、窓辺に蝶が見えた。もしかしたら、あの蝶は自分になる夢を見ているの
かもしれない。蝶になる夢を見ている自分と、自分になる夢を見ている蝶、どちらが正しいの
かわからない、きっとどちらも正しいのだ”という中国の思想書『荘子』に書かれたエピソード
だ。つまり、これが僕がキミが登場している夢を見ているのか、キミが僕の登場している夢を
見ているのか、それはわからない、きっとどちらでもよいのだ。重要なのは、初めて僕の夢を
訪れる人がキミで、僕がキミのの夢に訪れるくらいキミの近くに行くことができた、そういう
ことなんだよ」
 なんだか、気恥ずかしいな、そんな風に改まって言われると。
「恥ずかしいのは僕も一緒さ。まぁでも旅の恥はかき捨てと言うじゃないか、無用な遠慮やご
まかしや韜晦は今ぐらいはなしにしよう」
 別に俺は、普段も遠慮やごまかしや韜晦をしているつもりはないんだけどな。
「ほら、ごまかした、そういうのをなしにしようと、僕は提案したつもりなのだけれどね。
まったく夢の中でぐらい少しは素直なキミでいて欲しいものだ」
 失礼な、俺は素直な人間ですよ。これでも子供の頃から純真で近所じゃ有名なんだぜ。
「ふぅ、その減らず口が止まらないあたりはまさしくキミだな。キミは夢の中でも変わらない。
さて、少し身体を動かさないか、この世界を紹介するよ」
 そう言って、佐々木は席を立った。



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「大事な話があるんだ。その、コレは確かめておかなければならない」
 そんなせっぱ詰まった状態で、佐々木が電話をしてきたのは、喫茶店で裏SOS団との第一回
ミーティング、もっとも第二回に俺が同席するとも思えないが、のあった日の深夜のことだった。
約6時間後に控えた連続5日間強制ハイキングコース全力突破に備えて体力を温存中であった
俺は、夢うつつのままに電話を取った。で、こんな深夜にどんな大事な話だ。悪いが昨日から
今日に掛けては大事な話を聞き過ぎて、俺の中の大事なことのランクは上がっているぞ。つまり、
半端な話だったら即座に切るからそのつもりで話せ。
「うむ、キミの調子は悪くないようだな。君の声を聞いたら、少し安心した。話というのは他
でもない。その、僕の“力”についてだ。キミは今日、いや昨日だな、橘さんと僕の閉鎖空間
という僕の内面世界的なモノを覗き込んだろう」
 その感想なら、昨日述べたはずだ。もう一度言おうか、特にねぇな。
「いや、僕が聞きたいのはキミが見たであろう、世界の風景だ。キミが見た僕の内面世界の
有り様をありのままに伝えて欲しいんだ」
 俺は佐々木に語って聞かせた。あの世界には太陽がないこと。光はセピア調のモノトーンで
ある天蓋、その物から発せられていて、すべてのものはその光の色によって塗りつぶされてい
ること、希釈した白、オックスフォードホワイトの世界。ちょうどハレーションを起こして白くなっ
てしまった昔の白黒画像、あるいはコントラストきつめにしたマンガのような、そんな風景であ
ること。すべてのモノが色あせ、すべてのモノが等価に塗りつぶされた世界。そこは人のいな
いノーマンズランド、だけどなぜだか電気は通っていた。
 そして、俺と橘はあの喫茶店から出て、街を少しうろついて、そして元の場所に戻ったという
こと。最後には、こう問うことも忘れなかった。一体全体、なんだってそんなことを聞きたかっ
たのか、と。俺の話を聞いた佐々木はうろたえたのだろうか、電話を持ちながら、不安げにし
ている様子が感じられた。
「ああ、どうして僕はこんな単純な話に気が付かなかったのだろう。胡蝶の夢だと、すべては夢、
幻なのだと、なぜか思っていた。ねぇ、キョン、聞いてくれ。僕らは会ったことがなかっただ
ろうか? その希釈した白、オックスフォードホワイトの世界で」
 一年以上、昔の話だ。ふたつのキーワードが一本の線で、繋がろうとしていた。あの風景と、
胡蝶の夢という言葉が。



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 外は明るかった。そして、圧倒的に静かであった。塾の入り口の自動ドアが動いたが、音は
聞こえてこない。外には猫の子一匹おらず、車の一台も通らなかった。空を振り仰いだ、天蓋
はセピア調のモノトーン、雲ひとつなく、星のひとつも見えなかった。太陽も、あるいは月も
存在しない。光は天蓋空全体から発せられていた。
 世界は光と静寂に満ちていた。街灯は灯っていた。だが、その光は周囲にとけ込み、明るさ
にはまったく寄与していないようだった。
「この世界には僕ら以外には人はいない。僕ら以外には動くモノ、生物はいない。中学に入っ
た頃から幾度か僕はこんな夢を見るようになった」
 これは夢、なのか。ずいぶんと、その寂しい風景だな。
「静かで、落ち着くとも言えるけどね。僕にとって世界は騒がしすぎる。不要なノイズで耳が
イカレそうなほどさ」
 お前はそういうのを越えて超然としているように見えたんだけどな。心頭滅却すれば火も
また涼しっての?
「だとしたら、僕のやせ我慢も常態になったということなのだろう。僕のこういうキャラクター
も、とどのつまりは、雑音を避け、平穏な暮らしを得るための方便のひとつなのだ」
 まぁ、その“僕”れが地である、なんては思っていなかったがな、女の子と混じって話して
いる時のお前は、その普通だったしな。
「あれも、仮面のひとつだね。今の僕が君のような男子向けというなら、あの私は、女子向け
なのさ、女子の間では無用に目立つのはよろしくない。ただでさえ、キミとのことがあって、
僕はからかう対象、いわば弄られキャラという位置を確立しているからね、ああ、そのことに
ついてもキミに報告しておかなければならないことがあったのだ」
 報告? 俺と、お前の間の関係で何か報告という言葉に相応しいやりとりがあっただろうか?
「僕は、これから、キミとの恋愛関係を揶揄されても、否定しないことにした。もちろん、
積極的な肯定はしないが、僕の態度は彼女たち、僕とキミのクラスメイトたちだ、には非積極
的な肯定と映るだろう。その事についてはキミの協力、ないしは内諾を得なければ、そう思っ
ていたのだ」
 え~と、もう少しわかりやすくならんか? 大意は俺の認識であっていると思うのだが、
認識がズレていると致命的な内容になっているように感じる。
 鉄面皮で余裕ある態度を崩さない佐々木の声に初めて、年齢相応のとまどいや照れが
感じ取れた。
「こういうのは僕のキャラクターではないのだが、キミのために単純に言い換えよう。クラス
の女子の間では、僕とキミはこれからは恋人関係にあるものとして扱われる。当然のことな
がら、それはキミが僕…以外の女子と男女交際を行なう際の障害となってしまうだろう。
 僕は恋愛感情などというものは麻疹のようなモノ、精神病の一種なんじゃないかとすら思って
いるが、恋する他人を否定するつもりもない。僕には重要ではないものが他の人にとって重要
なこともある、そんなことは、言うまでもない当たり前の話だよ。だからね、聞かせて欲しい。
キミはそれでもいいかい? もし、キミに今、恋する人がいるのか、もしくは僕の知らない誰
かと、秘密めいた恋愛関係を持っていたりすれば、それは困ったことになるだろう」
 むむむ、そりゃ、何というか、困ってしまうな。好きな人がいるにはいるのだが……、
おそらくそれは実らないしな。
「キ、キミには、いま、好きな人がいるのか? 一体、どこの誰だい。いや、これはなんとい
うか、まったくもって興味本位の質問なのだから答えなくても構わないが、差し支えなければ、
教えて欲しい」
 きらりと、瞳を輝かせて佐々木は俺のつぶやきに食らいついてきた。色と輝きの存在しない
光の世界の中、その夜空のような瞳はとても美しく感じられた。
 俺はぼそぼそと、従姉妹の姉ちゃんの話をした。ごく簡単に、そして地っっ味ぃなサナギから
見事なブラジル蝶に開花してしまった姉ちゃんは、つい最近どこかのロクでもない男と夜逃げ
同然に駆け落ちしたと聞かされたことを告げた。こうして、俺の初恋は終わったのだ。お話にも
何にもなりゃしない。彼女の物語の登場人物にすら、俺はならなかったんだ。そんな訳で、
今の俺は恋なんかしていないし、しばらくは結構だ。
「“ならなかった”、今キミはそう言ったね、“なれなかった”じゃないのは何故なんだい?」
 さすがだな、佐々木。俺のちょっとした言い換えにツッコミを入れてこようとは、な。
単純な話だよ、本当に好きなら、彼女にそう告げればよかった。本当に自分が相手を幸せにで
きると思うのなら、そのロクでもない男は俺自身であるべきなんだ。甘ったれた中学生である俺
には、彼女の人生を丸ごと引き受けるような度胸も度量もなかった、そんだけの話だ。
「まぁ、確かに中学生の恋愛に相手の人生を要求されるのは厳しいのだろうね。恋のすべてが
ドラマやマンガのようにはいかない。現実は厳しいだろうからね。まぁ、僕も甘ったれた中学生
なのだし、ね。しかし、そう考えると、昔の人は大変だったのだろうね。武士の子ならそろそろ
元服、大人として扱われる年頃なのだから」
 確かにな、平成の日本に生まれた俺たちはその点だけでも十分に幸せなのだろうさ。
ま、いい。そんなわけで、俺には恋愛関係にあるような、女子はいないし、しばらくは恋愛は
結構だ。
「ふむ、ならば僕らの関係はこのままで構わない、そういうことだね。それは、なんと言った
らいいか、……素直に助かるよ。うむ、非常に助かる」
 そんなにお前が男女交際について、いろいろな周囲の思惑を気にしていたとは驚きだったぜ。
「そうかな。僕だって健康な女子中学生なのだ。ファッションスタイルや流行のTVドラマや
男の子のことを話題にしているのは当然だろう。それに、ね。キョン、キミは得難い友人だ」
 そこまで言って貰えるのは、俺に対する過大な評価だな。お前がその気になれば、もっと
上等な男なんか、いくらでも見繕えるだろうに。
 そう言ったら、佐々木は露骨に不機嫌な顔を見せた。呆れたと言わんばかりにかぶりを振り、
とどめにアメリカのホームドラマのように両手を上げて、やれやれといったリアクションをしてみせた。
「まったく、朴念仁というのはこういうのを言うのかね。僕にはそんなモノは必要ないのだよ、
何度も言わせないでくれたまえ。僕に必要なのは、忌憚なく物事を話せる友人だよ。前にも
言ったかもしれないが、僕にとってキミは実に適切な存在だよ。適度に物知りで、適度にモノ
を知らない。キミのリアクションは僕に新鮮な視点を与えてくれる。既知の事物について意見
を交換するのもいいが、講釈好きな僕としては、キミぐらいの聞き手が存在するというのは非
常に重要なのだ。腹八分目ではないけれど、物事は適度に限るというものさ」
 前にも言ったかと思うが、それ、褒められている気がまったくしないんだがな。

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「ねえな」
 あの世界で佐々木に会う? 去年の春の事件を思い出す。あれはハルヒの作った閉鎖空間
だったな。そんな目に遭っていたら、さすがの俺だって、覚えているさ。
「そうか、そうだよな。……よかった。それでは、キミは中学時代に、僕の登場する夢を見た
ことはないだろうか?」
 二年前の夢なんか、さすがに覚えちゃいない。そう答えようとして、不意に顔が赤らむ。
そりゃ、お前、中坊の頃に女の夢の話だ。恥ずかしくなくてどうする。そして、それ以上に、
記憶の底に確かに覚えがあったからだ。
 そうか、佐々木と話した夢があったような気がする。でも、なんでそれを佐々木が知ってい
るのか、お前はエスパーか……いや、神候補だったな。
「……そうか、キミは僕の出る夢を見たことがあるのか。ありがとう、参考になったよ。恥ず
かしいことを思い出させた代わりに、僕の見た夢について話そう。僕はキミの出てくる夢を
見たことがある。大概の場合、舞台となったのは塾の教室だったな。覚えているかい、共に
通った学習塾のあの教室さ。僕ら、僕と夢に登場してきたキミのことだ、はいろいろなことを
語り合ったよ。そうだね、所謂シラフでは話せないようなことばかりさ。今思い出しても、顔
から火が出そうだよ」
 そんな告白を聞いているこっちも十分に恥ずかしい、そう言いたいのは山々だったが、言葉
を飲み込む。沈黙にうながされて、佐々木は言葉を続けた。
「こう言っては何だが、あの夢での語り合いが、今の僕を形作ったといっても過言ではない
ように思うね。キミは覚えていないだろうが」
 佐々木の夢に登場した俺の言動には俺はまったく責任が取れないと思うのだが、そこの所は
どうなんだ。
「そうは言うけれどね、キョン。あの夢のキミは僕にとって、まさしくキミ自身だったのだよ。
フロイトではないが、集合無意識というのはあるのだな、とあの時期はずいぶんとフロイト派
に傾倒したものだ」
 一体、俺は、どんな恥ずかしい言動を取ったのだ。他人の夢の中でのこととはいえ、まった
く気にならないと言ったら嘘だろう。
「そうだね、少しは話しても、そのイイかもしれない。時効になっている話も多いしね。
それでは、僕の告白を聞いて貰えるだろうか。中学三年の頃の僕らが、その恋人関係だと噂さ
れていたことはさすがにキミも覚えていることだろう。あれなんだがね、途中でナニも言われな
くなっただろう。班分けや二人三脚やグループ学習の時に僕らはいつも一緒だった」
 そういえば、そうだったな。考えてみれば、俺たちはいつも一緒だった。
「あれね、仕組まれていたんだ。僕らは公認のカップルだった。僕はキミとの関係を積極的に
否定するのを止めたのだ、暗黙に肯定すらしていた。クラスメイトの女子の多くは僕が恥ずか
しがっている、そう考えていたようだ。もちろん、キミに好きな女子がうまれたら即座に否定す
るつもりだった。でも、そんなことにはならない、僕はそう確信していた。キミに……聞いてい
たからだ」
 ナニを?
「あの頃のキミに、好きな人はいなかった。従姉妹のお姉さんへの淡い恋心を粉砕されていた
キミは、しばらくは恋はいい、そう思っていたってことを、僕は知っていたんだ」
 そ、その話をなんで知っている、そのことを、俺の初恋とも言えない恋の話を聞かせた記憶
は………。嘘だろ、脱力する。その話を……した。俺は、夢の中で、佐々木に。
 ゆ、夢じゃない? 夢じゃ、なかった?



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「そうなのかい?」、佐々木はそういいたげに右手の人差し指と中指をそろえて、こめかみに
あて、軽くウィンクする。
 ふう、小さく嘆息する。コイツのペースに巻き込まれている。だが、まぁ俺たちの会話はずっ
とこんな調子だ。佐々木が何かを言う、俺がリアクションする。佐々木がその不備を突き、
さらなる蘊蓄を語る。そんな感じだ。どうやって、ネタを収集しているのか、こいつの話題は
時事から古典、ドキュメンタリーから伝承の類まで幅広かった。J-Popの最新ヒットアル
バムと新古今和歌集を同列に語る中学生などコイツぐらいだろう。
 そんな俺を見て、佐々木もまた短く嘆息して言った。
「夢だし、このくらいは言っても構わないのだろう。僕は、キミがよい、キミだからこそよい。
僕にとってのキミには代わりがいない。この世界に存在するすべての人物、モノ、生命、すべ
てにオルタナティブがあったとしても、僕にとってはね、キョン、キミだけがオリジンだ。
僕の友達になってくれて……ありがとう」
 これだけ言えば分かるだろう。そう言いたげに唇の端だけをひょいと上げて微笑んだ。俺は、
その……圧倒された。その発言に、その微笑みに俺は打ちのめされていた。俺の人生は、
平々凡々たるモノだ。年末にプレゼントを配り歩く赤服の爺さんなどは信じていない。夏期
特有の心霊番組も最近は熱心に見なくなった。マンガはマンガなのだと思うようになっていた。
不思議は俺の周囲を避けていくのだ、そう思っていた。俺は適当な高校に進み、適当に大学生
になる。そんな風に、俺も年を取って、親父のように、毎日、子供の顔も見ずに会社に行って帰
る、そんな人生を歩むのだと、漠然と感じていた。そしてそんな賢しいことを考え、それで足
を止める自分に苛立っていた。不満だった。大いに不満だった。世界は俺なんか関係なく流れ
ていく。俺は俺でなくてもかまいはしない。俺が生きていようが、死のうが関わりなく地球は
回っていく。そう感じていた、そしてそれはおそらく正しいのだ、絶対的に。それはリンゴが
木から落ちるくらいに自明のことなのだ。俺は特別な存在ではない。俺いてもいなくても構わ
ない。世界に、この残酷なる無慈悲な世界に、俺はそう通告されていた。やばい、泣けてきた。
感極まるとはこういうことなのか、熱いモノが瞳に溢れ、俺は佐々木に背中を向けた。見せら
れるはずもない、佐々木にこんな俺は見せられない。見せたく、ない。
「どうしたんだい、キミ……泣いているのか? ぼ、僕は酷いことを言ってしまったのだろうか、
キミの気に障るようなことを言ってしまったのだろうか、も、もし、そうなら、発言を訂正す
るし、取り消してもよい」
 必死に頭をふる、いい、いいんだ。お前はそのままでいい、ダメなのは俺だ。何か悪いこと
があるとしたら、それはきっと俺の方なのだ。だから、はっきりと口に出した。噛みしめるよう
に、凡庸な言葉を紡いだ。俺は平々凡々たる人間だ、どこにでもいるバカな中学生だ。こんな
俺の気持ちにぴったり合うような言葉は俺の中には見つからない。だから言った。

「ありがとう。俺もお前に出会えてよかった。お前の友達になれて、よかった」



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 夢じゃない、あの夢の邂逅は、夢じゃなかった。だとーーーーー。恥ずかしい、穴を掘って
埋まりたいとは、このことだ。
「もしかして、思い出したかね? 僕の、そしてキミの発言の数々を……」
 伝わらないことを承知で、ヘッドバンキングする。
「あ、あははは。そうか、思い出したようだね」
 なんと、伝わったようだな。これぞ以心伝心か。
「ナニがだい? ねぇ、そして、僕らは別れ、そして再び出会ったのだった」
 そうだったな、この一年の経験値が、佐々木との出会いがただことでは済まないことを伝え
ている。また太陽が上ったら、きっとさまざまなイベントが目白押しになっていることだろう。
涼宮ハルヒとSOS団の二年目が、これから始まるのだ。その中には、そのすべての渦の
真ん中には、ハルヒが、そして我が親愛なる友人がいるはずなのだ。
「ねぇ、キミは僕に伝える言葉があるのではないかな、我が親友よ」
 ああ、そうだな。この言葉は伝えておかなきゃいけない。長門は言葉によるコミュニケーション
は不十分で、齟齬が発生すると言っていた。俺とお前の間にもその齟齬はあるのだろう、
俺の気持ちとお前の気持ちが同じである保証など……ない。だから、俺は伝えておかなければ
ならないのだ。必要な時に、必要なだけ、告げておかなければならない。

「ありがとう。また佐々木に出会えてよかった。また、お前の友達になれて、よかった」

 ああ、一年くらいじゃ、そんなに言葉のボキャブラリィは増えたりしないんだよ。俺の言葉
を聞いた佐々木は、子ガエルが生まれて初めて泣いているような音を咽の奥で奏でた。

「ああ、これからもよろしく、僕の親友」

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最終更新:2007年10月10日 11:12
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