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佐治(さじ)の手

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From:蔭山 歩  2002/03/21 15:21

では、仰木の伝説。今回は「佐治の手」仰木を語る中で現れる人物のひとり。佐治の手の石碑があるところはちょうどニュータウンと村の境にあるこんもりと緑が茂る高台にあります。最近仰木の村のおじさんから聞いた話によると、「あそこ行ったんけ?あそこは実はむかしっから自殺する人が多いんやで。知ってるか?」「知らん!!」そう言えば、地蔵調査の時そのあたりには野仏とも墓石ともとれる石造物が何体かいて、普通は共同墓地に集められるのにな〜なんて不思議に思っていたのです。ふむふむ。納得・・・・・・恐い!!!
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佐治(さじ)の手
 むかし、仰木の村は「岩谷」と呼ばれる低い所にわずかな農家が肩を寄せ合って住んでいたが、毎年収穫期になるときまって盗賊が村を襲い、収穫したばかりの米や大事にしているお金などを奪っていった。村人たちにはよい方策も見つからず、ただ盗賊が帰って行くのを身を潜めて待っているだけであった。

 そんな状態が何年も続いたある年、佐治と文七という二人の侍が仰木の村を通りかかり、村の困っている様子を知り、そのまま留まって用心棒となった。この後、盗賊は二人の侍の働きで撃退され、やっと落ち着いて仕事に励むことができると喜び合った。だがその喜びもつかの間、盗賊は佐治の利き手を差し出さなければ村を焼き払うぞという難題をつきつけてきた。村人たちは、村を焼かれるのは困るが、さりとて世話になっている佐治に話すわけにもいかず困り果てていたが、これを知った佐治は迷わず自分の左手を切り、村を敵の攻撃から守るために高い所に移すように言い残し、文七に後の事を頼んで死んでいった。
 
 この後佐治の遺言を守り村を今の高い所に移したという。彼の墓と伝える石碑が今も仰木町平尾の集落のはずれにひっそりと建ち、その表面に手が浮き彫りにされている。

『大津の伝説』ふるさと大津歴史文庫5(大津市発行/1992)より抜粋
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