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仰木「里山のはじまり」

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From:蔭山 歩  2002/03/12 18:02

今森光彦さんの写真集の中に「里山のはじまり」と題して、仰木にまつわる文章が掲載されています。この文章を書くために仰木の方に聞きとりを繰り返し、かなり苦労があったとお聞きしています。
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 今から千年以上前の話である。天智天皇の付き人だった加太夫仙人(かだゆうせんにん)は、訳あって聖地を離れ新しい安住の地を求めて旅にでた。四〇人の家来を連れてのまったく当てのない旅だった。
 そんなある日、湖岸に鬱蒼と茂る葦原に沿って、北へ北へと進路をとっていると、遠くに民家らしきものがみえてきた。そこからは白い煙が立ちのぼっていたので、すでに先住民が生活していることが窺われた。加太夫仙人は、行く手を阻まれたような気持ちになって戸惑った。さて、どうしようかと思い、ふと山並み(比叡山)を眺めると、黒い稜線に、紫色の雲がかかっているのが認められた。加太夫仙人は、あの山の麓こそ、瑞雲(ずいうん)たなびく聖地であり、自分が探していた安住の地であるという確信をもった。加太夫仙人は、家来たちを暫し休ませ、腰につけていた斧(よき)を研がせ、山の麓に向った。藪を切り開き、湿地を越え、川(御呂戸川)を遡っていった。やがて、大きな尾根を越えると水量の豊かな川(天神川)に合流した。さらに、それを上り詰めると、山裾に行き当たり、そこに清流が渦巻く滝壷があった。これこそ、霊気の宿る場所ということで、加太夫仙人は、奈良の丹生川上村のお宮さんに出向き、そこで、霊の分身をいただき、再び滝壷に帰り、それをお祭した。

 加太夫仙人は、この聖地に稲作をつくろうとした。朝鮮から遣唐使がもってきたという水稲の種を、浅い窪地に水を張って播いた。
 この加太夫仙人の行いを見て、焼き畑で陸稲をつくっていた先住民たちは、「水の中に稲の種を捨てるとは、何という奴だ」と笑っていた。ところが、窪地の水面からは、浅緑色の葉がすくすく伸び、やがて、黄金色の稲穂が実り、人々はたいそう驚いた。(仰木の古文書より)

『里山物語』今森光彦 著(新潮社発行/1995)からの抜粋
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