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恵心僧都源信『往生要集』

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From:谷本研  2002/03/14 00:11

ミーティングやフィールドワークの中でよく話題に出てきた仰木ゆかりの恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)とその著書『往生要集』。陰山さんが引用してくれた「小椋神社」についての文章中にも登場しますね。僕はよく分かってなかったのですが、書店で見つけた『地蔵信仰』という本にも源信についての記述がありましたのでメモしておきます。
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『往生要集』の地蔵信仰
地蔵と六道抜苦のむすびつきは、前にふれたように、九世紀末の『菅家文草』にみえるが、地蔵による地獄抜苦の思想がはっきりあらわれるのは、寛和元年(九八五)源信が撰した『往生要集』であろう。天台浄土教の聖典ともいえるこの書物は、

 地蔵菩薩は、毎日晨朝に、恒沙の定に入り、法界に周偏して、
 苦の衆生を抜く。所有の悲願、世の大士に越えたり。十論経の意。
 かの経の偈にいわく。
  一日、地蔵の功徳、大名聞を称せんに、倶胝却の中に、余の
  智者を称する徳に勝る。たとい百却の中に、その功徳を讃説
  すとも、なお尽すことあたわず。故にみな、まさに供養すべし。

と、『十論経』の地獄抜苦の思想を引用している。さらに、源信の晩年の作とつたえる『観心略要集』にも、

 観音・地蔵の泥梨(=地獄)の苦器に代りたまえる、すなわち
 これ、心中に深くねがうところなり。

と記している。
 『往生要集』は、中国伝来の浄行三昧など、天台浄土教の興起を背景としているが、勧学会から二十五三昧会へともりあがる、十世紀の貴族社会の生き生きとした念仏結社運動をその精神的環境として、はじめて生まれたのである。同じ浄土教の著書といえ、源信の師である良源の『往生義』が学解的なのにたいし、源信の『往生要集』の内容が、具体的・実践的といわれるゆえんである。『往生義』が、地獄の悲惨なありさまを記しながら、地蔵による地獄の救済にまったく言及していないのにたいし、『往生要集』が、このように『十論経』の一節を引用しているのは、その意味でも興味深い。
 ようするに、わが国の来世的地蔵信仰は、一つには中国仏教の動向に刺激され、また一つには摂関期貴族社会の変動による六道輪廻思想の発達を背景に、形成されたのであり、そうした六道抜苦的地蔵信仰の片鱗は、九世紀末にもうかがえるとはいえ、源信を中心とする念仏結社運動が高揚する十世紀後半になって、ようやく貴族社会仏教のなかに、その姿をあきらかに示しはじめるのである。

『地蔵信仰』(速水侑・著/はなわ新書)P.57より抜粋
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