From:蔭山 歩 2002/03/22 19:41
仰木を知るにはこれを見よ!と言われるほど、仰木が凝縮されている「仰木祭り」の紹介です。ぜひ、今年はみんなで行きましょう!!
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五月三日、仰木町の小椋神社の例祭が行われる。上仰木・辻ヶ下・平尾・下仰木の仰木四地区と千野地区の氏子によって営まれる。
同社は、かつて「五社大権現」とも呼ばれていたように、本社(田所)のほかに大宮・若宮・新宮・今宮の四社が摂社として勧請(カンジョウ)されている。神輿はその五社各々にあり、上仰木は本社(田所)、辻ヶ下は若宮、平尾は今宮、下仰木は大宮、千野は新宮の神輿の駕輿丁(カクガイチョウ)(神輿かき)を、それぞれ奉仕する。また、年番総代・馬番(年番総代をつとめる前年に担当)は、仰木四地区が毎年交代してつとめる。
<泥田祭り>
祭礼の日はかつて陰暦四月三日であった。この日は、祭神の闇*神が雨の神であることから、よく雨が降ったといい、そこから「泥田祭り」の異名もあった。
<儀式の中にみる>
儀式の中にある「駒止めの行事」は仰木に住んでいた多田満仲が故郷の摂津多田に帰るのを仰木の村人が惜しんで止めようとした故事によるという。また「芝座敷」はその別れの宴に由来すると伝えられている。
<儀式の流れ>
午前九時 神社で祭礼の神事を行う。
↓
午後三時 千野衆が辻ヶ下の地蔵堂横の会所に到着。
同時 馬番の地区の稚児・神馬・馬乗りが神社に入る。
同時 仰木四区の駕輿丁ら祭礼関係者は、上仰木と辻ヶ下の境の三叉路
に集まる。そして、烏帽子・素襖姿の上仰木、辻ヶ下の「素襖株」
が神社へ向う道筋の両側に整列する。(「集(ツドウ)」という)
↓
準備整い次第、辻ヶ下の使丁の「七度半の使」を受けて千野衆が
素襖株の迎える中を通って神社に入る。
素襖株・各村の祭礼関係者がこれに続く。
↓
午後四時 稚児五人と警固十四人が年番総代を先頭に御供行列を組み行う。
神社から御供所(ゴクショ)まで。
:御供箱を警固二人が肩の高さにかついだ下に稚児が入り、稚児
が御供を頭上に捧げもつかたちで進む。
↓
<神輿渡御>
・本殿・大宮で宮司の御霊移しの祝詞(ノリト)をあげる。
・大宮の社殿に供えてあった鳳凰を大宮の神輿にのせる。
・祭典委員長が「公文所」に詰める親村(小椋神社の宮座)
の執行(長老)に報告。
・馬乗りが五社の神輿の周囲を三度回り、矢を拝殿に向けて
射るのを合図に渡御が始まる。
↓
午後五時前 出御
大宮・若宮・新宮・今宮・本社(田所)の順。
神社から農協横の下唐崎の御旅所(オタビショ)へ。
↓
<流し餅> 御旅所での行事。広蓋(ヒロブタ)に乗せ。頭上にかかげ
持ってきた「撥餅(バイモチ)」を神輿の屋根に投げると
いう、珍しい献餅法。
↓
仰木支所横の馬場の御供所へ渡御。
御供所での神事。警固が金棒を鳴らして守るなかで、御供が
供えられ、宮司と祭員二人が祝詞をあげ、神子(ミコ)が神楽
を舞う。
御供:鏡餅・御神酒・丸饗(もち米を蒸したもの)・チシャ・
蕗(フキ)・干し柿・海苔・はす・鯛・粽(チマキ)など。
↓
<芝座敷> 御供所の前の広場で行われる仰木四地区の年番総代の引継
ぎ儀式。幕ををめぐらした中に筵(ムシロ)を敷き、上座
に宮司・神子、下座に年番総代、左右に辻ヶ下・平尾・下
仰木・千野・上仰木の代表が烏帽子・素襖姿で着座し、盃
を交わし、年番総代が挨拶して終了。
↓
<千野座敷>幕を少し南側に張り直し行う。上座に千野の一和尚(十人
衆の年長者)、下座に翌年の年番総代(次年番)、両側に
千野衆が烏帽子・素襖姿で着座し、盃を交わす。千野の一
和尚より次年番に盃が送られ、次年番がこれを受けて挨拶
し、終了。
↓
午後六時 稚児と警固が「馬迎い(三度半)」を行う。
同時 馬場(御供所前の県道)の三ヵ所に、竹につるした的が立
てられる。
<馬駆け> 馬駆けを三度行う。馬乗りは、馬を走らせながら三つの的
に矢を投げる。的は仕掛けで落とされる。この的を駕輿丁
らは奪い合うように取り合う。
<駒止め> 馬乗りが馬駆けの起点(神輿の前)に向う時、駕輿丁たち
が肩を組み、飛びはねて馬の前に立ちはだかり、馬の歩み
を止める行事を行う。
↓
馬駆けが終わると太鼓の合図で松明がともされる。
↓
午後七時 五社の神輿はそれぞれ松明に導かれて夕闇の中を還御する。
↓
神社では宮司が神輿を迎えて御霊ぬきをする。
↓
神輿すべてが倉へ納められる。
↓
祭員委員長が公文所に待つ親村の執行に祭礼の終了を報告
し、古式祭はすべて終了。
『大津の祭』ふるさと大津歴史文庫4(大津市発行/1992)
から抜粋し手を加えました
仰木を知るにはこれを見よ!と言われるほど、仰木が凝縮されている「仰木祭り」の紹介です。ぜひ、今年はみんなで行きましょう!!
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五月三日、仰木町の小椋神社の例祭が行われる。上仰木・辻ヶ下・平尾・下仰木の仰木四地区と千野地区の氏子によって営まれる。
同社は、かつて「五社大権現」とも呼ばれていたように、本社(田所)のほかに大宮・若宮・新宮・今宮の四社が摂社として勧請(カンジョウ)されている。神輿はその五社各々にあり、上仰木は本社(田所)、辻ヶ下は若宮、平尾は今宮、下仰木は大宮、千野は新宮の神輿の駕輿丁(カクガイチョウ)(神輿かき)を、それぞれ奉仕する。また、年番総代・馬番(年番総代をつとめる前年に担当)は、仰木四地区が毎年交代してつとめる。
<泥田祭り>
祭礼の日はかつて陰暦四月三日であった。この日は、祭神の闇*神が雨の神であることから、よく雨が降ったといい、そこから「泥田祭り」の異名もあった。
<儀式の中にみる>
儀式の中にある「駒止めの行事」は仰木に住んでいた多田満仲が故郷の摂津多田に帰るのを仰木の村人が惜しんで止めようとした故事によるという。また「芝座敷」はその別れの宴に由来すると伝えられている。
<儀式の流れ>
午前九時 神社で祭礼の神事を行う。
↓
午後三時 千野衆が辻ヶ下の地蔵堂横の会所に到着。
同時 馬番の地区の稚児・神馬・馬乗りが神社に入る。
同時 仰木四区の駕輿丁ら祭礼関係者は、上仰木と辻ヶ下の境の三叉路
に集まる。そして、烏帽子・素襖姿の上仰木、辻ヶ下の「素襖株」
が神社へ向う道筋の両側に整列する。(「集(ツドウ)」という)
↓
準備整い次第、辻ヶ下の使丁の「七度半の使」を受けて千野衆が
素襖株の迎える中を通って神社に入る。
素襖株・各村の祭礼関係者がこれに続く。
↓
午後四時 稚児五人と警固十四人が年番総代を先頭に御供行列を組み行う。
神社から御供所(ゴクショ)まで。
:御供箱を警固二人が肩の高さにかついだ下に稚児が入り、稚児
が御供を頭上に捧げもつかたちで進む。
↓
<神輿渡御>
・本殿・大宮で宮司の御霊移しの祝詞(ノリト)をあげる。
・大宮の社殿に供えてあった鳳凰を大宮の神輿にのせる。
・祭典委員長が「公文所」に詰める親村(小椋神社の宮座)
の執行(長老)に報告。
・馬乗りが五社の神輿の周囲を三度回り、矢を拝殿に向けて
射るのを合図に渡御が始まる。
↓
午後五時前 出御
大宮・若宮・新宮・今宮・本社(田所)の順。
神社から農協横の下唐崎の御旅所(オタビショ)へ。
↓
<流し餅> 御旅所での行事。広蓋(ヒロブタ)に乗せ。頭上にかかげ
持ってきた「撥餅(バイモチ)」を神輿の屋根に投げると
いう、珍しい献餅法。
↓
仰木支所横の馬場の御供所へ渡御。
御供所での神事。警固が金棒を鳴らして守るなかで、御供が
供えられ、宮司と祭員二人が祝詞をあげ、神子(ミコ)が神楽
を舞う。
御供:鏡餅・御神酒・丸饗(もち米を蒸したもの)・チシャ・
蕗(フキ)・干し柿・海苔・はす・鯛・粽(チマキ)など。
↓
<芝座敷> 御供所の前の広場で行われる仰木四地区の年番総代の引継
ぎ儀式。幕ををめぐらした中に筵(ムシロ)を敷き、上座
に宮司・神子、下座に年番総代、左右に辻ヶ下・平尾・下
仰木・千野・上仰木の代表が烏帽子・素襖姿で着座し、盃
を交わし、年番総代が挨拶して終了。
↓
<千野座敷>幕を少し南側に張り直し行う。上座に千野の一和尚(十人
衆の年長者)、下座に翌年の年番総代(次年番)、両側に
千野衆が烏帽子・素襖姿で着座し、盃を交わす。千野の一
和尚より次年番に盃が送られ、次年番がこれを受けて挨拶
し、終了。
↓
午後六時 稚児と警固が「馬迎い(三度半)」を行う。
同時 馬場(御供所前の県道)の三ヵ所に、竹につるした的が立
てられる。
<馬駆け> 馬駆けを三度行う。馬乗りは、馬を走らせながら三つの的
に矢を投げる。的は仕掛けで落とされる。この的を駕輿丁
らは奪い合うように取り合う。
<駒止め> 馬乗りが馬駆けの起点(神輿の前)に向う時、駕輿丁たち
が肩を組み、飛びはねて馬の前に立ちはだかり、馬の歩み
を止める行事を行う。
↓
馬駆けが終わると太鼓の合図で松明がともされる。
↓
午後七時 五社の神輿はそれぞれ松明に導かれて夕闇の中を還御する。
↓
神社では宮司が神輿を迎えて御霊ぬきをする。
↓
神輿すべてが倉へ納められる。
↓
祭員委員長が公文所に待つ親村の執行に祭礼の終了を報告
し、古式祭はすべて終了。
『大津の祭』ふるさと大津歴史文庫4(大津市発行/1992)
から抜粋し手を加えました